不破美作
(不破正寛から転送)
不破 美作(ふわ みまさか)は江戸時代後期から幕末にかけての久留米藩参政。不破家9代。父は7代不破佐太郎。諱は正寛。佐幕・開明派に属する。慶應4年1月26日久留米城より帰宅時、自邸前にて尊攘派藩士24名に襲撃され30分余りの間応戦するも、力尽き暗殺された。享年47。
時代 | 江戸時代後期(幕末) |
---|---|
生誕 | 文政5年(1822年) |
死没 | 慶応4年1月26日(1868年2月19日) |
改名 | 幼名:與三吉、左門 |
別名 | 諱:正寛 |
戒名 | 諦智院殿篤山日妙居士 |
墓所 | 福岡県久留米市 本泰寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 有馬頼徳、頼永、頼咸 |
藩 | 久留米藩 |
父母 | 父:不破佐太郎、母:早崎平藏の娘 |
兄弟 | 孫市、美作 |
子 | 娘(ハルヨ) |
参考文献
編集- アクロス福岡文化誌編纂委員会 編『福岡県の幕末維新』アクロス福岡、2015年、109頁。
- 十志士の面影 : 久留米藩文化事業史 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 板垣太郎 編『小河真文小伝』観文社、1912年。(著者の板垣太郎自身が美作暗殺団の一員)
- 篠原正一著『久留米人物誌』久留米人物誌刊行会、昭和56年