上杉憲定

室町時代前期の守護大名。室町幕府 関東管領 上野・伊豆守護。山内上杉家6代。安房守、右京亮

上杉 憲定(うえすぎ のりさだ)は、室町時代前期の守護大名関東管領上野国伊豆国守護山内上杉家6代当主。

 
上杉憲定
時代 室町時代前期
生誕 天授元年/永和元年(1375年
死没 応永19年12月18日1413年1月20日
戒名 光照寺大全長基
官位 安房守右京亮
幕府 室町幕府 関東管領 上野伊豆守護
主君 足利満兼持氏
氏族 山内上杉家
父母 父:上杉憲方
兄弟 憲孝房方憲定憲重
憲基佐竹義人
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略歴

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天授元年/永和元年(1375年)、上杉憲方の子として誕生した。

応永元年(1394年)、父の死により家督を継ぐ。応永6年(1399年)、応永の乱が勃発、大内義弘に呼応しようとした3代鎌倉公方足利満兼を押し止める一方、今川泰範と共に泰範の叔父・了俊の助命嘆願をしている。

応永12年(1405年)、関東管領となって満兼とその子・持氏を補佐した。憲定は満兼時代から既に破綻をきたしていた室町幕府との関係改善に努めたが、応永17年(1410年)に持氏の叔父・満隆の謀反騒動が起こり、翌応永18年(1411年)に管領職を上杉氏憲(禅秀)に譲っている。この騒動は反憲定派が満隆と結びついたためとされている。

応永19年(1413年)、死去。享年38。跡を長男の憲基が継いだ。