三河王(みかわおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。名は三川王、参河王とも記される。官位は従五位上・縫殿頭。
聖武朝末の天平感宝元年(749年)三世王の蔭位により无位から従五位下に直叙される。孝謙朝での動静は不明だが、淳仁朝の天平宝字5年(761年)和泉守に任官している。天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱終結後に信濃守に任ぜられる。
称徳朝での動静は明らかでないが、光仁朝に入ると宝亀2年(771年)和泉守に再任され、宝亀6年(775年)従五位上に昇叙している。のち、宝亀10年(779年)縫殿頭、宝亀11年(780年)大膳大夫と光仁朝末にかけて京官を務めた。
『続日本紀』による。