万年国会(まんねんこっかい、繁体字中国語: 萬年國會)とは、中華民国国民大会代表立法委員及び監察委員といった議員のうち、中華民国が中国大陸台湾の両地域を領土にしていた時代である1947年から1948年にかけて選出された議員及びこれらの議員で占められた状態の国民大会などのことをいう。国共内戦により中華民国政府が台湾に移った後、国民大会代表などの議員の改選を停止したため、これらの議員は長期にわたって改選されず、その任期は延べ40年以上にわたることとなった。李登輝政権下において国民大会代表と立法委員の改選が行われた。

経緯

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1947年に中華民国憲法が施行された後、同年から翌1948年にかけて国民大会代表(1947年11月)中国語版監察委員(1947年12月から1948年1月)中国語版及び立法委員(1948年1月)が選挙によって選ばれた。これらの議員は、実際に1948年3月以降、当時の首都である南京に集められている。しかし、その後の国共内戦の敗退と1949年10月1日中華人民共和国建国により、中華民国政府1949年12月7日に台湾の台北移り、ほどなくして中国大陸における実質的な統治権を失ってしまった。

政府が台湾に移った後も、当時の中華民国政府は、多くの国家から「全中国を代表する唯一の合法的政府である」と見られており、中国大陸で選ばれた議員がいることは中華民国政府にとって「法的正統性(法統中国語版)」の象徴であり、中華民国政府が中国大陸における主権を有することの重要な象徴でもあった。このため、台湾地区以外で選ばれた国民大会代表たちは、改選されることはなかった。1948年4月には動員戡乱時期臨時条款が、1949年5月には台湾省に戒厳令が施行され、“共産主義の脅威に対抗”する為の戒厳体制が敷かれた。

こうした状況下、政府の標榜する「大陸反攻」は遅々として達成されず、憲法上、任期は3年とされた立法委員の任期満了が近づいてしまった。蔣介石1950年12月27日、「改選するすべがない」として第1期立法委員の任期を1年延長することを立法院に提起し、立法院は同意した[1]。同様の提案は1952年5月と1953年4月にも行われ、第1期の立法委員の任期は1954年5月まで延長されていった[1]。1954年には、憲法上、任期は6年とされていた国民大会代表と監察委員の任期も改選を迎えることから、これらについても対処が必要であった。

このうち、国民大会代表については、中華民国憲法第28条第2項に「毎期の国民大会代表の任期は、次期国民大会開会の日までとする」とあることから、第2期の選挙のめどが立たない以上、それまでは第1期の国民大会代表の任期が継続すると解釈した[1]。一方、こうした定めのない監察委員及び立法委員については、1年ごとの延長では根本的な解決にならないことから、司法院大法官会議中国語版は1959年1月29日、「国家に重大な事象が発生し、法に基づき次期の選挙を行うことが事実上不可能な場合に、立法院及び監察院に一任している職権の行使が停止するような状態に陥ってしまうと、憲法が定める五院制度の本旨にそぐわなくなってしまう。ゆえに、法に基づき第2期委員の選出や招集ができるまでの間は、第1期立法委員及び監察委員が引き続きその職権を行使できる」との憲法解釈を発した[2]。これらの結果、第1期の議員らの任期が、1948年から1991年まで40年以上の長きにわたる状況が生まれてしまった。

1964年国立台湾大学政治学部の教授であった彭明敏は、「台湾自救運動宣言中国語版」を発表した。この中で、3,000人あまりの国民大会代表のうち台湾から選ばれた者は十数名にすぎず、473人の立法委員のうち台湾から選ばれた者はわずか6名であり、蔣介石政権が台湾の人民を代表しているのだろうか、と疑問を呈した。1978年、後に民主進歩党主席を務める施明徳は、許一文のペンネームで党外運動雑誌『這一代』に寄せた原稿の中で、「万年国会」という言葉を用いた。これを契機に、長年にわたって改選されていない国会を批判する言葉として、「万年国会」という言葉が党外運動活動家たちの間で使われるようになった。後に民進党所属で立法委員となった朱高正中国語版は、『論語』(憲問第十四)にある「幼にして孫弟ならず、長じて述ぶることなく、老いて死せざる、是れを賊となす(中国語: 幼而不孙悌,长而无述焉,老而不死,是为贼)」を引き合いに出し、万年国会の議員らを「老賊中国語版」と非難した。

この間、民意の代表者である国民大会代表と立法委員については、台湾の人口増加と欠員に伴い、議席の追加が行われた。1966年3月22日に公布された改正後の動員戡乱時期臨時条款では、これらの増員に係る選挙の定めが追加され、1969年国民大会代表英語版立法委員の増員分の選挙中国語版が行われた。さらに1972年3月23日に公布された改正後の動員戡乱時期臨時条款では、増員された議員らにのみ任期を定め、第1期の議員との明確な違いを設けたため、第1期の議員らは相変わらず改選されなかった。

万年国会の解消

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1989年1月26日、第1期の立法委員と国民大会代表らに引退を促す「第一期資深中央民意代表依願退職条例(第⼀屆資深中央⺠意代表⾃願退職條例)」が立法院で可決された。しかし、中国国民党外省人ベテラン議員らは、引き続き立法院をコントロールしたいと考え、本省人国民党議員や民主進歩党議員らと対立した。この時期、一部の民進党立法委員と外省人国民党立法委員との乱闘がしばしば発生した。

1990年3月、多くの大学生が中正紀念堂前に集まり抗議活動を行った(三月学運)。学生たちは、万年国会の議員である国民大会代表による投票で総統が選ばれることにも抗議した。この選挙で総統となった李登輝は、三月学運の代表者たちの意見を受け入れ、中華民国憲法の修正を進めた。司法院大法官会議も同年6月21日に新たな憲法解釈を行い、第1期の議員らの職権行使を1991年12月31日までに終わらせるとともに、次期議員の選挙を行うよう政府に求め、1959年の憲法解釈を修正した[3]。その後、1991年5月1日動員戡乱時期臨時条款は廃止されて中華民国憲法増修条文が公布・施行され、同年12月には第2期国民大会代表を選ぶ選挙中国語版によって新たな議員が選ばれ、同年12月31日をもって40年以上にわたり国民大会代表を務めていた565人が退任し、その代わりとして十二分な「退職金」を受け取った。

1992年5月28日に公布された中華民国憲法増修条文に基づき、監察委員の選出は、選挙による方式から、総統が指名し国民大会の同意により任命する方式に改められた[注 1]。さらに同年12月には立法委員選挙が行われ、立法委員全員が改選された。これによって「万年国会」は名実ともに過去のものとなった。

万年国会の会期

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中央民意
代表機構
法定任期 民意代表 就任日 退任日 実際の
任期
会期末 注釈
国民大会
第一期国民大会中国語版
6年 第一期国民大会代表中国語版 1948年3月29日 1991年12月31日 43年9ヶ月 1991年12月31日 第3次増額国民大会代表中国語版英語版(1986年選出)は1992年召集の第2期国民大会第2次会議の会期末まで活動
立法院
第一期立法院中国語版
3年 第一期立法委員中国語版 1948年5月8日 1991年12月31日 43年7ヶ月 1993年1月31日 第6次増額立法委員(1989年選出)は第1期立法委員(万年議員)の退職後も1993年1月31日の任期満了まで活動
監察院
第一期監察院中国語版
6年 第一期監察委員中国語版 1948年6月4日 1991年12月31日 43年6ヶ月 1993年1月31日 第3次増額監察委員中国語版(1987年選出)は任期満了まで活動

議員の変遷

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中華民国第一期中央民意代表人数
中央民意代表機構 民意代表 資深代表人数 増額代表人数
1947年-1948年選出 1948年の召集時に南京を訪れた代表の人数 遷台後の1950年代に台北を訪れた代表の人数 1989年時点での在任人数 1989年時点での在任人数
国民大会 第一期国民大会代表中国語版 2,961 2,878 1,578 794 84
立法院 第一期立法委員中国語版 759 754 557 133 130
監察院 第一期監察委員中国語版 180 178 104 31 32

全面改選までのプロセス

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万年国会の解消過程
中央民意代表機構 1991年 1992年 1993年
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
国民大会 期次 第一期 第二期
代表 1947年中国語版選出、1969年英語版選出
1986年中国語版選出
1991年中国語版選出
会議 第一期第二次臨時会議 第一次会議(臨時会)、第二次会議(臨時会) 第三次会議(臨時会)
立法院 期次 第一期中国語版 第二期中国語版
委員 1948年選出、1969年中国語版選出
1989年選出
1992年選出
会期 第87会期、第88会期 第89会期、第90会期 第1会期、第2会期
監察院 期次 第一期 第二期
委員 1947年-1948年中国語版選出、1969年中国語版選出
1987年中国語版選出
制度変更により、1992年からは総統が指名し、国民大会の同意を経た上で任免する間接選挙とされた

脚注

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注釈

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  1. ^ その後、2000年4月25日に公布された中華民国憲法増修条文により、「総統が指名し立法院が同意する」に改められている。

出典

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  1. ^ a b c 萬年國會” (中国語). 中華民国文化部. 2020年5月16日閲覧。
  2. ^ 釋字第31號解釋” (中国語). 司法院. 2020年5月16日閲覧。
  3. ^ 釋字第261號解釋” (中国語). 司法院. 2020年5月16日閲覧。
  4. ^ 從萬年國會到全面改選- 台灣民主化過程的一個面向”. 2022年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月28日閲覧。

関連項目

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