丁璿
丁朝大瞿越2代皇帝。丁部領の次男
丁璿(ディン・トアン、ベトナム語: Đinh Toàn)は、丁朝大瞿越の第2代皇帝。後世には丁廃帝(ディン・フェ・デ、ベトナム語: Đinh Phế Đế)とも称される。陳仲金『ベトナム史略』では丁穂(ディン・トゥエ、ベトナム語: Đinh Tuệ)と表記される。
廃帝 丁璿 | |
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丁朝 | |
第2代皇帝 | |
丁璿像(ホアルー丁先皇廟) | |
王朝 | 丁朝 |
在位期間 | 979年 - 980年 |
姓・諱 | 丁璿 |
生年 | 太平5年(974年) |
没年 | 応天8年(1001年) |
父 | 先皇 |
母 | 楊雲娥 |
元号 | 太平 : 979年 - 980年 |
生涯
編集丁部領の次男として生まれた。太平9年(978年)、父帝から衛王に封じられた。太平10年(979年)10月、父帝と兄の丁璉が祗候内人の杜釈に殺害されると、丁璿が阮匐・黎桓らによって皇帝に擁立された。十道将軍の黎桓が摂政・副王として実権を握り、丁璿は事実上の傀儡であった。阮匐・丁佃が黎桓の専横に反対して兵を起こしたが、黎桓によって鎮圧された。太平11年(980年)7月に黎桓が帝位につくと、丁璿は元の衛王に戻された。応天8年(1001年)、太祖黎桓が錦水で起きた反乱を鎮圧するのに付き従った際、流れ矢に当たって戦死した。
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