ビスマルク諸島

パプアニューギニア領

ビスマルク諸島(ビスマルクしょとう、ドイツ語: Bismarck-Archipel)は、太平洋ニューギニア島沖にあるパプアニューギニア領の諸島。名前はドイツの宰相オットー・フォン・ビスマルクにちなむ。多くは火山島である。

ビスマルク諸島

地理

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パプアニューギニアの地方行政区画
(ビスマルク諸島は主に 9、12、4、18)

ビスマルク諸島はビスマルク海を取り囲んでいる。主な島を州ごとに示すと以下のとおり。

歴史

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1615年から1616年にかけてスホーテン英語版が航海したルート。史上初めてホーン岬まわりで太平洋を横断し、航海の最終盤にビスマルク諸島に至っている。

ビスマルク諸島に人類が定住を始めたのは、約3万〜4万年前である[1]ポリネシアミクロネシア東部、メラネシア島嶼部オーストロネシア人の直接の祖先とされるラピタ人が到達し定住を始めた。

ヨーロッパ人で最初にこの諸島を発見したのはオランダ人航海者のウィレム・スホーテン 〈Willem Cornelisz Schouten〉英語版で、1616年のことである。しかし、1884年にドイツ領になるまでヨーロッパ人は住んでいなかった。

1888年3月13日、リッター島で火山の噴火が発生した。この噴火により巨大な津波が引き起こされ、火山の大部分が崩壊して海に沈んだ。その結果、島には小さな火口湖が形成された[2]

第一次世界大戦が勃発すると、1914年にオーストラリア軍が占領した。その後オーストラリアの委任統治領となり、途中第二次世界大戦での日本軍による占領をはさみ、1975年のパプアニューギニアの独立までオーストラリアの統治下にあった。

なお、第二次世界大戦中の1943年に日本国内で発行された国民学校初等科6年生向けの教科書「初等科国語 七」において、美しい島々に住む心優しき住民、ラバウルの大きな港などが紹介されている。

出典

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  1. ^ Buang Merabak: additional early radiocarbon evidence of the colonisation of the Bismarck Archipelago, Papua New Guinea | Antiquity Journal”. www.antiquity.ac.uk. 2024年12月14日閲覧。
  2. ^ Ward, Steven N.; Day, Simon (2003-09-01). “Ritter Island Volcano—lateral collapse and the tsunami of 1888”. Geophysical Journal International 154 (3): 891–902. doi:10.1046/j.1365-246X.2003.02016.x. ISSN 0956-540X. https://academic.oup.com/gji/article/154/3/891/713958.