テツモン
競走馬におけるテツモンとは、
- 日本の、1935年生まれの競走馬。本項にて記述。
- 1947年5月8日に生まれた、父セフト、母大霹(母の父第六シアンモア)の日本の競走馬。サラブレッド種で、JRA所属だったものの勝ち上がることができず中央抹消。通算成績3戦0勝[1]。
- 1960年4月19日に生まれた、父ハロウエー、母ヒデハル(母の父クモハタ)の日本の競走馬。2代目テツモンと同じサラブレッドで、JRA所属。重賞未勝利。通算成績17戦2勝[2]。
テツモン | |
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品種 | 軽半血種 |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1935年 |
死没 | 不明 |
父 | シヤイニングスピヤー |
母 | エキストラ |
母の父 | イボア |
生国 | 日本(栃木県) |
生産者 | 那須野牧場 |
馬主 | エム(松山陸郞) |
調教師 | 尾形藤吉 |
競走成績 | |
生涯成績 | 32戦10勝 |
テツモン(1935年 - 不明)は、日本の競走馬である。第1回の京都農林省賞典4歳呼馬(現在の菊花賞)優勝馬として知られる。
※成績や情報などは古いため正確性に欠ける部分もある。なお、本文中の馬齢については旧表記を採用する。
経歴
編集4歳になった1938年5月21日、阪神競馬場の土2300メートルの競走でデビューし、このレースを快勝。その後ほぼ休むことなく走り続け、19戦目となった第1回京都農林省賞典4歳呼馬に伊藤正四郎騎乗で優勝した。勝ちタイムの3分16秒0は以後10年間レコードとして記録された。
翌年も中山記念春2着などの成績を残していたが、11月3日の帝室御賞典(現在の天皇賞〈秋〉)では保田隆芳騎乗で4番人気に支持され、フアインモアをゴール直前で鋭く伸びて差し切って優勝した。
この年限りで競走馬を引退したあとは種牡馬にならず、下総御料牧場の御料馬として余生を送ったという。母方の血統にトロッター(スタンダードブレッド)の血が混じっている、すなわち純血のサラブレッドではない「軽半血種」であることが原因とされている。
血統表
編集テツモンの血統(タッチストン系 / アウトブリード) | (血統表の出典) | |||
父 *シヤイニングスピヤー Shining Spear 1921 鹿毛 |
父の父 Spearmint1917 黒鹿毛 |
Carbine | Musket | |
Mersey | ||||
Maid of the Mint | Minting | |||
Warble | ||||
父の母 Golden Dawn1905 栗毛 |
Raeburn | St. Simon | ||
Mowerina | ||||
Dame d'Or | Bend Or | |||
Dame Masham | ||||
母 (軽半) エキストラ 1922 鹿毛 |
*イボア Ebor 1905 黒鹿毛 |
Hackler | Petrarch | |
Hackness | ||||
Lady Gough | Lord Gough | |||
Clear Case | ||||
母の母 (中半)美園 1911 鹿毛 |
*ダルゲチー | Ayrshire | ||
Pindi | ||||
(中半) 小鷹 |
(トロ)第四初蕾 | |||
(中半)北洋 |
テツモンの母系先祖にはトロッターの血が流れており、「中半血種」に分類される。中半血種に軽種(サラブレッド・アラブ種等)が2代続けて交配されると「軽半血種」となる。軽半血種にさらにサラブレッドまたはサラブレッド系種が2代続けて交配されると「サラブレッド系種」となるが、テツモンの場合は軽半血種1代目の母とサラブレッドとの交配により誕生しており、自身も「軽半血種」に分類される。
脚注
編集- ^ “テツモン (1947)”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2023年4月1日閲覧。
- ^ “テツモン (1960)”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2023年4月1日閲覧。