テアトルサンク
テアトルサンク(Theatre Cinq)は、福井県福井市中央にある映画館。経営は有限会社伊井興業。
テアトルサンク THEATRE CINQ | |
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テアトルビル(スクリーン1・2・3) | |
情報 | |
正式名称 | テアトルサンク |
旧名称 |
福井松竹座 テアトル福井 |
完成 | 1928年 |
開館 | 1999年12月17日 |
収容人員 | (5スクリーン)1485人 |
設備 | ドルビーデジタルサラウンドEX、DTS、SDDS、RealD[1] |
用途 | 映画上映 |
運営 |
有限会社伊井興業 (代表:伊井弥州雄) |
所在地 |
〒910-0006 福井県福井市中央1-8-17 |
位置 | 北緯36度3分42.6秒 東経136度13分6.6秒 / 北緯36.061833度 東経136.218500度座標: 北緯36度3分42.6秒 東経136度13分6.6秒 / 北緯36.061833度 東経136.218500度 |
アクセス | JR福井駅より徒歩3分 |
外部リンク | テアトルサンク |
歴史
編集戦前
編集テアトルサンクの前身館の一つ、松竹座は1930年(昭和5年)11月に開館した[2][3][注釈 1]。建物は大阪松竹座を模したもので、市内の伊井與三吉が16万円を投じて建設した[6]。当時の福井は大正時代に開館した福井劇場、中央館、松竹館[注釈 2]の3館が集客を競っていたが、松竹座の開館で競争はさらに激化することになった[7]。松竹座は他館に比べインテリの客を集めた[8]。1940年12月には佐佳枝劇場が開館し[2][3]、百貨店「だるま屋」を中心に南側に松竹座、西側に佐佳枝劇場と映画館が集まった[9]。
被災
編集しかし1943年(昭和18年)3月、佐佳枝劇場を火元とする火事が発生し、煉瓦造りの建物は内部が全焼した。東隣のだるま屋も全焼したが、松竹座には延焼しなかった[10][11][12][13]。
1945年(昭和20年)7月の福井空襲では市内の映画館は全滅したが、松竹座は建物の外郭だけが残り、1945年末には早くも興行を再開した[14]。1948年(昭和23年)6月の福井地震でも、他館が地震で全壊、あるいは火事で全焼する中、松竹座は半焼で残り[15][注釈 3]、2ケ月後には上映を再開した[18]。1950年(昭和25年)時点の福井市には、松竹座、中央劇場、国際劇場、大衆館、東宝文化劇場と、5館の映画館があった[19]。
戦後
編集戦後は伊井興業は経営館を増やし、一時は「松竹座」「日活劇場」「テアトル福井」「福井スカラ座」「福井ピカデリー」と5館を運営していた[4]。1970年(昭和45年)には日活劇場が閉館となり、ボウリング場の駐車場に転用された後、残る4館は1977年(昭和52年)から順次新ビルに改装された。まずテアトル福井の新館が1977年12月に完成し[20]、残る3館も1978年(昭和53年)7月に完成したビッグ・アップル・ビレッジで開館した「松竹座」「シネマプラザ」の2館に統合された。『映画年鑑 1980年版別冊 映画館名簿』によれば、同年時点の福井市には12館の映画館があり、中央1-8-17にテアトル福井が、中央1-17-1に福井松竹座とシネマプラザがあった[21]。1990年代の時点では松竹座(当時328席[5])、テアトル福井(同725席[5])、シネマプラザ(同338席[5])の3スクリーンだったが、1999年(平成11年)12月17日、改装により現在の5スクリーンの映画館にリニューアル[22]。館名をテアトルサンクに改称。これを機に、各劇場ごとに配給チェーンと契約して独立採算制とすることをやめ、フリーブッキング制へと変更。その為、洋画の大作・話題作のみならず、それまで県内では上映されなかった小規模系で封切られる映画も上映するようになった。
2007年(平成19年)3月1日、同県の映画館としては初となるクレジット決済サービス「iD」を導入[23]。この年は6月9日から6月29日まで『電撃文庫ムービーフェスティバル』が上映されたほか、9月21日には、福井市美術館で行われた『安彦良和原画展』と連動したイベントとして、安彦と古谷徹による対談会が開催されている[24]。
2009年(平成21年)12月23日封切の『アバター』から3Dデジタルシネマシステム(RealD)を導入[4][25]。その流れに乗って2011年(平成23年)秋から、全スクリーンがDLP上映へと移行された[25]。
2015年(平成27年)からは毎年10月に開催される福井駅前短編映画祭の会場に使用されており、2016年(平成28年)の同映画祭では、アリスプロジェクト制作の『雨ふって、大地うるおう』(監督藤田真一、主演窪田美沙)がテアトルサンク賞を受賞している[26]。
変遷
編集1930 | 1930/11/11 松竹座 |
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1940 | 1940/12 佐佳枝劇場 | ||||
1945/7/19 福井空襲 | |||||
1945/11/15 松竹座 | |||||
1947 佐佳枝劇場 |
1947 東宝文化劇場 | ||||
1948/6/28 福井地震 | |||||
1949/7/6 東宝文化劇場 | |||||
1950 | 1950/3/21 平和劇場 | ||||
1951/6/3 佐佳枝劇場 |
1951/7/14 丸ノ内劇場 | ||||
1955/11/15 福井松映 |
1955/5/3 福井日活 | ||||
1958/11/20 福井松竹 |
1958/2/15 福井劇場 | ||||
佐佳枝劇場 | 1959/1/31 松竹座 | ||||
1960 | 1960/4/28 スカラ座 | ||||
1960/11 テアトル福井 | |||||
1963/4/21 ピカデリー | |||||
1970 | 1970/3/7 閉館 | ||||
1977/12 テアトル福井 | |||||
1978/5/8 休館 | |||||
1978/7/29 松竹座 |
1978/7/29 シネマプラザ |
座席数
編集- スクリーン1・2・3はテアトルビル内、スクリーン4・5はアップルビル内にある。
- スクリーン1・2はテアトルビル2階(階段で)、スクリーン3はテアトルビル3階(エレベーターで)、スクリーン4はアップルビル4階(エレベーターで)、スクリーン5はアップルビル5階(エレベーターで)にある。
スクリーンNo. | イメージカラー | 座席数 | 音響設備 |
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1 | 赤 | 592 | 6.1chサラウンドEX[1] |
2 | 緑 | 160 | 5.1chデジタルサウンド |
3 | 黄色 | 207 | 5.1chデジタルサウンド |
4 | 青 | 285 | 6.1chサラウンドEX[1] |
5 | オレンジ | 241 | 5.1chデジタルサウンド |
脚注
編集注釈
編集- ^ テアトルサンクに取材した記事では、1928年(昭和3年)に「映画興行『福井松竹座』を開始」[4]あるいは「松竹の専門館『福井松竹座』という館名で創業」[5]とあり、いずれも1928年開館としている。
- ^ 松竹座の開館後、日活館と改名した。
- ^ 中央防災会議が作成した報告書に掲載されている被災者の回想によれば、当日松竹座では『愛染かつら』が上映され超満員であったが、地震で建物は「潰れて火災で燃えてしまって」いたという[16]。同報告書に掲載されている地震発生17時間後に撮影された写真では建物の外形は残っており、「被害は軽微」と解説されている[17]。『新修 福井市史 Ⅱ』によれば、『愛染かつら』を上映し超満員だったのは片町にあった国際劇場である[18]。
出典
編集- ^ a b c “映画館のご案内”. テアトルサンク. 2016年11月19日閲覧。
- ^ a b 『稿本福井市史』下巻、1004ページ。
- ^ a b 『福井新聞百年史』523ページ。
- ^ a b c 藤共生「老舗物語 映画館 テアトルサンク参事 伊藤雅秀さん デジタル映写機 衝撃」『日刊県民福井』2013年(平成25年)2月4日付4面。
- ^ a b c d “テアトルサンク”. 港町キネマ通り (2016年8月). 2016年11月19日閲覧。
- ^ 「モダーンな松竹座 竣成は來月十日 開館は翌十一日」『大阪朝日新聞』昭和5年10月26日付9面(福井)。
- ^ 「春の映畫陣 市內の四館が超特作物で 人氣吸収に大馬力」『大阪朝日新聞』昭和6年2月24日付9面(福井)。
- ^ 「弁士解雇でスト騒ぎ 無声映画からトーキーへ」」『生きているふくい昭和史』上巻、91-92ページ。
- ^ 田中光子『復元地図 まち・こども・戦争』品川書店、1991年。
- ^ 『新修 福井市史 Ⅰ』500ページ。
- ^ 「福井駅前繁華街焼く 深夜、だるま屋も〝火の海〟」『生きているふくい昭和史』上巻、276-278ページ。
- ^ 『福井市史 資料編12 近現代三』318ページ。
- ^ 『大阪朝日新聞』昭和18年3月20日付(福井)。
- ^ 『新修 福井市史 Ⅱ』729ページ。
- ^ 『福井烈震誌』福井市、1978年、523ページ。
- ^ 『1948 福井地震 報告書』98ページ。
- ^ 『1948 福井地震 報告書』58ページ。
- ^ a b 『新修 福井市史 Ⅱ』730ページ。
- ^ 『映画年鑑 1950年』。1980年の映画館(北陸・甲信越地方)「消えた映画館の記憶」を参照。
- ^ 「「テアトル福井」新築工事が完成 17日から上映」『福井新聞』昭和52年12月15日付13面。
- ^ 『映画年鑑 1980年版別冊 映画館名簿』。1980年の映画館(北陸・甲信越地方)「消えた映画館の記憶」を参照。
- ^ 「複合映画館きょう開業 JR福井駅前で伊井興業」『日本経済新聞』1999年(平成11年)12月18日付。
- ^ 『福井県初!複合型映画館「テアトルサンク」で「iD (TM)」の利用開始!』(プレスリリース)三井住友カード、2007年2月27日。オリジナルの2008年11月23日時点におけるアーカイブ 。2013年9月2日閲覧。
- ^ “安彦良和・古谷徹 対談会”. ライフクリエイトマガジン「URARA CHANNEL」 (2007年9月). 2013年9月2日閲覧。
- ^ a b “テアトルサンク”. 福井市中心市街地サイトマガジン「ア・ソ・ビ ねっ」. 2013年9月2日閲覧。
- ^ “受賞作品(2016年)”. 福井駅前短編映画祭. 2016年11月19日閲覧。
参考文献
編集- 『1948 福井地震 報告書』中央防災会議 災害教訓の継承に関する専門調査会、2011年。
- 福井市編『福井烈震誌』福井市、1978年。
- 福井市(編集)『福井市史 資料編12 近現代三』福井市、1998年。
- 福井市(編集)『福井市史 通史編3 近現代』福井市、2004年。
- 福井市史編さん委員会(編さん)『新修 福井市史 Ⅰ』福井市、1970年。
- 福井市史編さん委員会(編さん)「演劇と映画」『新修 福井市史 Ⅱ』福井市、1976年、716-734ページ。
- 福井市役所編『稿本福井市史』歴史図書社、1973年。※1941年刊の複製。
- 福井新聞社編集局編『生きているふくい昭和史』品川書店、1974年。※題号は奥付では『生きているふくい昭和史』となっている。
- 『福井を伝えて一世紀――福井新聞百年史』福井新聞社社史編纂委員会、福井新聞社、2000年。
- 「特集 福井と映画」518-527ページ。