サンダーバーズ
サンダーバーズ (Thunderbirds) は、アメリカ合衆国空軍に所属するアクロバット(エアロバティック/曲技飛行)チームで、正式な部隊名はThe United States Air Force Air Demonstration Squadron(合衆国空軍空演部隊)である。
サンダーバーズ 合衆国空軍空演部隊 | |
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部隊エンブレム | |
活動期間 |
1917年6月13日 〜 1963年2月1日 1953 年5月25日 ~ 現在 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
軍種 | アメリカ空軍 |
任務 | 曲技飛行 |
兵力 |
12人 サポート担当者120人 |
上級部隊 | 航空戦闘軍団 |
基地 |
ネリス空軍基地 ネバダ州ラスベガス |
彩色 | 赤、白、青 |
主な戦歴 |
第一次世界大戦 第二次世界大戦 (太平洋戦争) 朝鮮戦争 |
ウェブサイト | http://www.afthunderbirds.com/site/ |
使用作戦機 | |
戦闘機 |
6 – F-16C Fighting Falcons 2 – F-16D Fighting Falcons |
アメリカ空軍の非公式な曲技飛行チームであったスカイブレーサーズ(Skyblazers)を発展解消させたものとして1953年6月1日に発足した。現在の本拠地はラスベガス・ネリス空軍基地(アメリカ合衆国ネバダ州)である。2008年10月運用中の航空機はF-16、白、青、赤のトリコロール配色と機体下部に描かれたフェニックスのペイントが特徴で、アメリカンスタイルと呼ばれる6機編隊でのアクロバット飛行を行う。
旧来よりアメリカ海軍のアクロバット飛行チームブルーエンジェルスとライバル関係にあり、共に世界で高レベルのアクロバット飛行技量を誇る。
近年ではF-16を使用して、ぎりぎりまで2機を近づける飛行が多く披露されている。飛行中の両機間の距離は世界最短となり、ネバダ州で披露したこの飛行はギネスブックに登録された。
歴史
編集- 1953年
- 1954年1月から2月、初の海外ツアー(南米)。
- 1956年、ホームベースをネリス空軍基地に移転。
- 1957年、南米・カナダツアー。
- 1959年11月から12月、初の極東ツアー。このツアーに限り、板付基地に海外展開していたF-100Dの塗装を変更して使用。
- 1961年4月、初の墜落事故(パイロットは殉職)。
- 1963年、初のヨーロッパ・北アフリカツアー。
- 1964年5月、初のデモ中の事故(パイロットは殉職)。この事故の数日後別の部隊でも墜落事故が発生し、F-105B全機が飛行停止。 使用機材をF-100Dに再度変更。
- 1969年、使用機材をF-4E に変更し、塗装が従来のメタル・青・赤から白・青・赤に変更される。これはF-4Eの外板が数種類の金属を使用しており、部分毎に色調が異なるのを隠すため。
- 1974年、第一次オイルショックの影響で使用機材をT-38Aに機種転換。
- 1982年、ネリス空軍基地の西側にある訓練空域において事故。フォーメーションの4機とメンバー4名を喪い、チーム解散説が流れる。
- 1983年、「72時間以内に実戦投入できる状態に出来る」という条件付きで使用機材をF-16Aに機種転換。
- 1992年、使用機材をF-16C(ブロック32)に機種転換。
- 1994年8月10日、アメリカ空軍三沢基地で展示飛行を実施、日本で一般公開の展示飛行は35年ぶり。またこの時に初めてブルーインパルスと競演した。
- 1997年 ネリス空軍基地で執り行われたアメリカ空軍50周年記念エアショウ(ゴールデンエアタトゥ)でブルーインパルスと二度目の競演、なおブルーインパルスにとっては、初めての海外展示飛行だった。
- 2001年 この年9月下旬から西太平洋ツアーが予定され、来日が予定されていたが、アメリカ同時多発テロ事件の影響により中止された。
- 2003年 9月14日、アメリカ空軍マウンテンホーム基地(アメリカ合衆国アイダホ州)のガンファイター・スカイズで墜落事故(負傷者一名)。
- 2004年 10年ぶりの西太平洋ツアーを実施したが、その中で日本(三沢、百里、浜松)で予定されていた展示飛行は全て悪天候で中止となった。
- 2009年 F-16C(ブロック52)に機種転換。
近年の主なイベント参加
編集1971年秋以降日本には来ていないブルーエンジェルスとは違い、サンダーバーズは日本での展示飛行の機会も多い。
- 2009年秋、5年ぶりの『西太平洋・東アジアツアー』が実施された。前回は悪天候で展示飛行を行わなかったため、15年ぶりの展示飛行となった。
歴代使用機の経緯
編集初期からジェット戦闘機を使用して各地のショーを回っていた。初代の使用機はF-84であった。
サンダーバーズは1964年に1年間だけ、F-105 サンダーチーフを使用したことがあった。しかしF-105の巨大な機体、高い翼面荷重はアクロバット飛行には不向きであった。また、1964年5月に事故を起こしたことから、再びF-100を使用機に戻した経緯がある。
F-100に次いで使用された機種はF-4 ファントムであった。しかしF-4も機体が大きすぎてアクロバット飛行には不向きであった。こうしたことからF-4もわずか4年間の使用でT-38に代わった。T-38はアメリカのアクロバット飛行チーム初の練習機(それまでは実戦機であった)となった。T-38は空中給油が出来ない機体である都合上から、エアショー会場への展開は常に給油のため経由地が多くなり、また海外派遣も不可能になってしまったものの、燃費と機体性能は良かった事からF-4以上の機動力を見せつけた。
1982年1月に、T-38は一度に4機が墜落するという前代未聞の大事故を起こした(「ラインアブレスト」と呼ばれる、4機が横一列に並んだ隊形でのループ中にリーダー機がトラブルで引き起こしが出来ず、追従した3機もろとも墜落した)。そうしたことからT-38は使用打ち切りとなり、サンダーバーズ自体も活動停止の危機に陥った。しかし1年後の1983年に復帰し、機種はF-16 ファイティング・ファルコンに代わった。現在でもF-16が継続使用され、サンダーバーズの歴代使用機の中でも長老機となっている。F-16は今後もしばらくの間サンダーバーズの使用機として活躍することになる。
ボーイングではアメリカ空軍が練習機として採用したT-7A レッドホークをF-16の後継機として見込んでいる[1]。
歴代使用機
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “ボーイング社、次期超音速高等練習機「TX」を日本に積極売り込みへ”. 産経新聞 (2019年3月19日). 2019年5月15日閲覧。