オランジュ
オランジュ(フランス語: Orange)は南フランスプロヴァンス地方のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ヴォクリューズ県にある市。人口約2万9千人。アヴィニョンの北方21キロに位置する。英語では"Orange"(オレンジ)、古いオランダ語では"Oranje"([oːˈrɑɲə]、オラニエ)となる。
Orange | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏 |
県 (département) | ヴォクリューズ県 |
郡 (arrondissement) | オランジュ郡 |
小郡 (canton) | 2 |
INSEEコード | 84087 |
郵便番号 | 84100 |
市長(任期) |
ヤン・ボンパール (南部連盟) (2021年 - 2026年) |
自治体間連合 (fr) | なし |
人口動態 | |
人口 |
市: 28,949人 (2021年) |
人口密度 | 390人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯44度08分18秒 東経4度48分35秒 / 北緯44.138334度 東経4.809723度座標: 北緯44度08分18秒 東経4度48分35秒 / 北緯44.138334度 東経4.809723度 |
標高 |
平均:? m 最低:24 m 最高:127 m |
面積 | 市: 74.20km2 (7 420ha) |
歴史
編集古代にはケルト人の居住地でアラウシオ(Arausio)[1]と呼ばれていた。アラウシオの戦いなどの後にローマ帝国に支配され、この時代の遺跡も残る。12世紀には神聖ローマ帝国の封土として小規模な公国となり、16世紀に婚姻関係によって、元来ドイツとネーデルラントの貴族であったナッサウ家の一族に相続された。
ウィレム1世以降のオランジュ(オラニエ)公の家系をオラニエ=ナッサウ家というが、ウィレム1世以来代々ネーデルラント連邦共和国の統領(総督)を出し、ウィレム3世(ウィリアム3世)はイングランド王も兼ねた。1673年にルイ14世によってオランジュ公の城が破却され、オランジュ公国は1702年にフランス王国に併合されたが、以後もオラニエ公の称号は名目上のものとして用いられた。そしてオラニエ=ナッサウ家を現在まで続く王家としてオランダ(ネーデルラント)王国が成立すると、オラニエ公は王太子に与えられる称号となった。19世紀にオランダ系ボーア人が南アフリカに建国したオレンジ自由国もこのオレンジ=オランジュ(オラニエ)にちなむ。
なお、オランジュの語源はアラウシオが転訛したもので、似た名前だった果物のオレンジとは12世紀ころより結びつけられた。果物のオレンジの西欧への伝来も一説では7世紀ころとされ、古代ローマ時代には存在していない。
世界遺産
編集オランジュに残るローマ遺跡は「オランジュのローマ劇場とその周辺及び『凱旋門』」として1981年ユネスコ世界遺産に登録されている。ローマ劇場の遺跡では毎年夏に音楽祭が開催される。
姉妹都市
編集脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- Ville d'Orange
- 『オランジュ』 - コトバンク