オラン
オラン(アラビア語: وهران/wahrān、フランス語: Oran)は、アルジェリア北西部に位置する同国第2の人口を持つ都市である。2006年時点の人口は683,000人[1]。オラン県の県都に定められている。「オラン」の名前は「二頭のライオン」を意味する言葉である[2]。
オラン وهران Oran | |||
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オランの眺め | |||
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位置 | |||
オランの位置 | |||
座標 : 北緯35度41分48.84秒 西経0度37分59.16秒 / 北緯35.6969000度 西経0.6331000度 | |||
歴史 | |||
建設 | 903年 | ||
行政 | |||
国 | アルジェリア | ||
県 | オラン県 | ||
郡 | オラン郡 | ||
市 | オラン | ||
地理 | |||
面積 | |||
市域 | 64 km2 | ||
標高 | 110 m | ||
人口 | |||
人口 | (2008年現在) | ||
市域 | 683,000人 | ||
その他 | |||
等時帯 | 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1) | ||
夏時間 | なし | ||
郵便番号 | 31000–31037 | ||
ISO 3166-2 | DZ-31 | ||
公式ウェブサイト : http://www.visitoran.com/ |
アルジェリアの主要港の一つで、商業の中心地でもある。バーが建ち並び、夜毎にコンサートやダンスショーが催されるオランはアルジェリアの歓楽地の一つにも挙げられる[2]。オラン市内には3つの大学があり、オランの旧市街部にはカスバ(城砦)や18世紀に建てられたモスク(寺院)などがある。また、アルベール・カミュの小説『ペスト』の舞台としても知られている。
歴史
編集903年にイベリア半島のイスラム教徒によって商業の拠点として建設された町がオランの始まりである[3]。オランはイベリア半島への小麦粉の供給地となり、ムワッヒド朝、ザイヤーン朝の時代に繁栄した[3]。1509年にスペインのシスネロスに占領され、町は衰退する[3]。1708年にオランはオスマン帝国に征服される。1732年に再びスペインが奪い返したものの、オランの貿易都市としての必要性が下がったため、時のスペイン王カルロス4世はオスマン帝国に町を売却した。1791年にオランはオスマン帝国に編入され、オラン州の州都に定められた。オスマン帝国の支配は1830年にフランスがアフリカの植民地の拠点としてアルジェリアを占領するまで続く。1831年にフランスに併合された後、ヨーロッパからの入植拠点として近代的な市街地が建設され、20世紀後半のアルジェリア独立後の大都市の原型となった[3]。
フランス植民地時代のオランは200,000人のヨーロッパ系入植者が居住する、ヨーロッパ風の近代的な都市として繁栄を享受していた[2]。第二次世界大戦時には事実上半ばドイツ占領下にあるヴィシー政権下に置かれ、1942年後半のトーチ作戦で連合国軍によって占領されるまでそれが続いた。
フランス海軍の艦隊がドイツの手に渡るのを恐れたイギリス軍がフランスに対して艦艇をイギリスの港に回航すること、自沈すること、英軍と戦闘を交えること(艦隊を壊すため)などの最後通牒を突きつけるが、フランスはこれを拒否。 1940年7月3日までに、イギリス海軍はフランスの艦隊が残るオラン港を機雷で封鎖、英仏艦隊間で激しい砲撃戦が行われた(メルセルケビール海戦)[4]。
1962年7月5日以降は独立に伴い、アルジェリア領となる。
地理・気候
編集オランは海と丘陵に囲まれた都市で、南の後背地には平原が広がっている。ラブランカと呼ばれる旧市街は丘陵地に形成され、オスマン帝国によって建設されたカスバに囲まれている。他方、新市街は鉄道路に沿って南東に広がっている。
オランの周辺にはアレッポマツ、ユーカリ、コルクガシ、ヒマラヤスギ属などの植生があり、南西側にはオオフラミンゴ、ツクシガモなどの渉禽類とガンカモ類の生息地であるラムサール条約登録地のセブカのオラン塩湖がある[5]。
オランの気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 26.4 (79.5) |
33.0 (91.4) |
36.6 (97.9) |
33.2 (91.8) |
40.0 (104) |
39.5 (103.1) |
45.8 (114.4) |
43.8 (110.8) |
40.6 (105.1) |
39.0 (102.2) |
33.0 (91.4) |
30.8 (87.4) |
45.8 (114.4) |
平均最高気温 °C (°F) | 16.6 (61.9) |
17.7 (63.9) |
19.7 (67.5) |
21.5 (70.7) |
23.9 (75) |
27.7 (81.9) |
30.5 (86.9) |
31.6 (88.9) |
29.0 (84.2) |
25.2 (77.4) |
20.6 (69.1) |
17.7 (63.9) |
23.48 (74.26) |
日平均気温 °C (°F) | 10.9 (51.6) |
12.1 (53.8) |
13.9 (57) |
15.8 (60.4) |
18.6 (65.5) |
22.3 (72.1) |
25.0 (77) |
25.9 (78.6) |
23.4 (74.1) |
19.6 (67.3) |
15.1 (59.2) |
12.2 (54) |
17.90 (64.22) |
平均最低気温 °C (°F) | 5.1 (41.2) |
6.5 (43.7) |
8.1 (46.6) |
10.0 (50) |
13.2 (55.8) |
16.9 (62.4) |
19.4 (66.9) |
20.1 (68.2) |
17.7 (63.9) |
14.0 (57.2) |
9.5 (49.1) |
6.7 (44.1) |
12.27 (54.09) |
最低気温記録 °C (°F) | −3.0 (26.6) |
−3.0 (26.6) |
−1.3 (29.7) |
0.0 (32) |
3.0 (37.4) |
5.0 (41) |
11.0 (51.8) |
9.0 (48.2) |
7.7 (45.9) |
3.0 (37.4) |
0.0 (32) |
−6.1 (21) |
−6.1 (21) |
降水量 mm (inch) | 43.6 (1.717) |
44.4 (1.748) |
35.0 (1.378) |
29.6 (1.165) |
27.2 (1.071) |
3.80 (0.1496) |
1.80 (0.0709) |
2.70 (0.1063) |
13.2 (0.52) |
24.8 (0.976) |
55.5 (2.185) |
45.2 (1.78) |
326.8 (12.866) |
平均降水日数 (≥0.1 mm) | 8.7 | 8.5 | 7.1 | 7.2 | 6.9 | 2.0 | 1.3 | 1.8 | 3.6 | 6.6 | 8.4 | 8.8 | 70.9 |
% 湿度 | 79.5 | 76.5 | 74.0 | 70.0 | 68.0 | 66.2 | 64.7 | 66.5 | 70.2 | 73.9 | 76.3 | 78.6 | 72.03 |
出典1:World Meteorological Organization (UN)[6] | |||||||||||||
出典2:climatebase.ru (extremes, humidity)[7] |
建築物
編集スィーディー・ハイドゥールの丘に建てられたサンタクルーズの城壁は16世紀後半にスペインによって建てられたもので、その下には1847年のコレラ流行の犠牲者を追悼するためにフランスによって建立された大聖堂が建つ[2]。
カーヒナ広場のオラン市立図書館はフランス植民地時代に建立されたキリスト教の教会を転用したもので、外側にかけられていた十字架は外されているが、内部は教会時代の面影を色濃く残している[2]。
文化
編集スィーディー・ハイドゥールの丘の洞穴では鶏を生け贄とする願掛けが行われ、町の守護聖者とされるスィーディー・フワーリーの廟は女性の参拝者で賑わっている[2]。
ライ音楽の発祥地であり、現在も盛んである。アラブ人で最も有名な世界的歌手の一人であるライ歌手のシェブ・ハレドやロックミュージシャンのラシッド・タハはここの出身である。
ほかにヴァイオリン奏者のアキム・エル・シカメヤ、ファッションデザイナーのイブ・サンローランもオランの出身である。オランを舞台とする小説『ペスト』の作者アルベール・カミュは、妻の出身地がオランで、本人も一時居住していたことがある。
スペイン統治が長かったため、住民の言葉はスペイン語の影響を受けている。
経済
編集オランの郊外、港湾では工業が発達し、鋳物、金属業、ガラス工業、タバコの製造、化学工業、食品工業が行われている[8]。ワイン、アルコール、小麦、野菜、羊、羊毛が他の地域に出荷されている。
交通
編集オランは首都のアルジェ、シジベルアベス、マスカラなどの後背地の都市、内陸部の高地と鉄道で接続されている。1906年に南に伸びる鉄道が施設され、オランはアルジェリアの主要都市に成長した[1]。
オラン・エス・セニア空港があり、エールフランスなどによる国際線とアルジェリア航空による国内線が運航されている。
姉妹都市
編集脚注
編集- ^ a b 飯山 2012, p. 211
- ^ a b c d e f 私市 2009, pp. 318f
- ^ a b c d 小山田 2002, p. 232
- ^ 英艦隊がオランの仏艦隊を砲撃(『東京朝日新聞』昭和15年7月5日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p398 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ “Grande Sebkha d'Oran | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2019年5月10日). 2023年4月7日閲覧。
- ^ “Weather Information for Oran”. 2011年1月3日閲覧。
- ^ “Oran, Algeria”. Climatebase.ru. 11 February 2013閲覧。
- ^ 野沢 1974, pp. 213f
参考文献
編集- 飯山陽「オラン」『世界地名大事典 3』 中東・アフリカ、朝倉書店、2012年11月。ISBN 978-4-254-16893-8。
- 小山田紀子「オラン」『岩波イスラーム辞典』岩波書店、2002年2月。ISBN 978-4-00-080201-7。
- 私市正年 編著『アルジェリアを知るための62章』明石書店〈エリア・スタディーズ 73〉、2009年4月。ISBN 978-4-7503-2969-7。
- 野沢秀樹「オラン」『世界地名大事典 8』 アジア・アフリカ 3、朝倉書店、1974年4月。ISBN 978-4-254-16558-6。
外部リンク
編集- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『オラン』 - コトバンク
- Sebkha d'Oran | Ramsar