「オレたち,マスゴミって呼ばれてるんだぜ,知ってた?」。向かいの席で藤堂さんが言う。もちろん知っている。小心者なので,そのことをいたく気に病んでもいる。

 ゴミとか露骨に言われれば,ちょっと口を尖らせて言い訳してみたくもなる。けど,冷静に考えてみればちっとも意味があることではない。そう呼ばれるにはそれなりの理由があるわけで,弁明をしたらその「理由」がなくなるわけでもないだろうし。で,このことについて改めて考えてみることにした。

いらねーんだよ,お前ら

 まず,「マスゴミ」の意味である。ゴミと言うからには「不要なもの」,つまり,「偉そうにしてるけど,ちっとも役に立たないじゃないか。いらねーんだよ,お前ら」ということか。確かに年末年始のテレビ番組をつらつらと見ていて,「こりゃ,いらんと言われても仕方がないかなぁ」などと思わないでもなかった。一昔前まであったはずの,手の込んだドキュメンタリーや本格ドラマは影をひそめ,ほとんどが若手お笑いタレントが何かをしてワーとかキャーとか言うバラエティー番組。そうでなければ番宣がらみで出演する俳優さんを交えたトーク番組とかテレビショッピングとか…。

 状況は,年々ひどくなっているような感じがする。いかにも低予算で作れそうなバラエティー番組が限りなく増えていくような気がするのだ。その挙句,報道番組までがバラエティー仕立てになってしまったと,かつて神足裕司氏もコラムで指摘しておられた。視聴者が意識することはほとんどないが,テレビ番組は「科学番組」,「報道」,「情報バラエティー番組」などと分類されており,このうち「報道」では厳しく情報を吟味する。つまり,ウラをとるのである。一方,お笑いバラエティーで披露される「ネタ」は,それ自体が真実であるかどうかを問うものではない。その,本来はまったく違う種類に属する番組の垣根が崩れてきた。

 この原因として,神足氏は「数字(視聴率)が欲しい」けど「番組制作の予算が少ない」という,二つの理由を挙げておられた。個人的には,後者の影響が大きいのではないかと思う。予算を切り詰めざるをえないほど,テレビ局の業績が悪化しているのである。予算,つまりその番組制作に割ける時間と人員が足りない。だから,ウラをとったり情報を吟味したりする余裕がない。だったら初めから「なんちゃって」で許されるバラエティー仕立てにしてしまえ。そんなことではないかと疑っているのである。

 そのことに気付き,そうでないことをアピールすることで存在感を増そうとしている局もある。NHKである。いや,勝手にそう勘ぐっているだけなのだが。

NHKは資金力で勝負?

 昨年の大河ドラマ『篤姫』は年間を通じて高視聴率を記録し,年末恒例の紅白歌合戦の視聴率も長期低落傾向を脱して久しぶりに40%を超えたという。NHK会長は「紅白改革」の成果と自画自賛した,などというニュースも流れたが,私は民放各社の「予算削減」がいよいよ数字となって現れ始めた結果だと思っている。それをNHKも見抜いているのかもしれない。この年末年始だけで,しかもたまたま見ただけでも2回,番組冒頭に膨大な量のビデオテープを積み上げてみせて,「この番組を作るために,これだけ膨大な量の映像が使われているんですよ,すごいでしょ」と自慢している光景をみた。

 一般の視聴者に「1本の番組を作る裏ですごい努力をしてるんだぁ,すごい」と感心してもらおうとしたのかもしれない。けど,「この種の努力にはえらくコストがかかる」ことを一応知っている私は「すごい制作費をかけられるんだなぁ,こりゃ民放では歯が立たんわ」とへんに感心してしまった。そして気付いた。1本の番組にかけられる制作費の多寡を競争軸にすれば,NHKは絶対に民放に負けることはない。そのことを確信し,彼らはそれを視聴者にアピールする作戦に出たのではと。

 約6700億円に達するNHKの事業収入(2009年度予算)の約97%は受信料。だからそれができる。しかし,「スポンサーから得た広告料金を主たる収入源にする」というビジネスモデルが不況の影響もあって機能不全に陥っている民放放送が,そんな体力勝負で勝てるはずがない。結局,予算はどんどん減って行く。だから,大物俳優もシッカリした台本も事前取材も必要ない,低予算のバラエティー番組ばかりが増殖する。

 それではさすがに消費者も飽きてしまうだろう。それで,視聴率が下がり,収益はさらに悪化する。その結果としてさらに収入は減り,制作予算は削られる。それでも何とか面白さを保とうと,報道番組でも「悪い政治家はより悪く,感動の物語はより感動いっぱいに」という派手な演出が施されたりする。でも,それって「そもそも嘘でしょう」と神足氏はいう。演出すればするほど本当のことは見えなくなっていく。そして,マスコミはマスゴミになっていくのか。