日経平均株価終値の過去最高値は1989年12月29日の3万8915円87銭,同じく最安値は2003年4月28日の7607円88銭である。もの凄い変動だが,それでも仮想世界で使われる“仮想通貨”を対象としたRMT(Real Money Trade)の比ではない。RMTの世界では,この程度の価値の変動は,わずか数週間の間に起こりうるのだ。リアルな株の世界で法に抵触するインサイダー取引だが,それ以上に価格変動の激しいRMTの世界においても,インサイダー情報は極めて価値がある。

 RMTとは,現実の社会では価値が無いコンピュータ上のデータなどを,現実のお金で売買する行為を指す。舞台装置は主にMMORPG(Massively Multiplayer Online Role Playing Game)と呼ぶオンライン・ゲームの仮想世界。実在する多数のプレーヤが,時間と空間を共に過ごす仮想世界だ。服や食べ物などのアイテム,それらを売り買いする経済活動が存在し,仮想の通貨(お金)が行き交っている。この仮想通貨が,RMTという行為を通じてリアル社会の現金と取り引きされている。

 記者は2003年から4年間ほど,とある仮想世界に住んできた。この仮想世界では2003年当時からRMTで仮想通貨が売買されていたが,記者が経験した4年間の仮想通貨の価値変動は実にドラマチックなものだ(なお,この仮想世界ではRMTを規約で禁止している)。2003年時点で,仮想通貨は最小売買単位あたり現実世界で3000円ほどの価値を持っていた。それが,2005年末には100円を切り,2007年現在では500円程度にまで戻している。価値の変動がリアルな株式市場の比ではないことが分かる。

 仮想通貨の価格がもっとも下がった2005年末まで,仮想世界はずっと緩やかなインフレ傾向にあった。仮想世界内に存在する仮想通貨の総額が増え続けていたから,当然である。2003年時点では最小売買単位の10倍の仮想通貨を持っていると金持ちだったが,2005年の時点では同じだけの仮想通貨を持っていても貧乏だった。2つの時期を比較すると,仮想通貨の価値が30分の1にまで減っていたからだ。

 そのようなとき仮想世界とRMTの経済に大激震を与える政策が,運営会社によって実施された。RMT撲滅作戦として2006年初頭,RMT業者など700個のログイン・アカウントとRMT市場で約3億円に相当する仮想通貨を凍結/回収したのだ。“神の手”の介入である。数十万人単位でプレイしているため1人あたりの影響は少ないとはいえ,消えた3億円は,それなりに高額である。この政策により,仮想通貨のRMT相場は高騰し,仮想世界内は急激なデフレを迎えた。

 その後も運営会社は,RMTに積極的に関与する業者/プレーヤや規約に反する行為を働くプレーヤなどのアカウントを凍結するとともに,それらのアカウントが所有する巨額の仮想通貨を凍結/回収し続けた。RMTが蔓延すると,仮想通貨の生産が加速されて経済バランスが崩れる可能性があるほか,現実世界のお金持ちが仮想世界でもお金持ちとなるなど,仮想世界の価値が損なわれてしまう。時間と空間を共有しているため,仮想通貨の生産行為が他のプレーヤの行動範囲を狭めるという事実もある。

 この結果,2005年末にRMT相場で100円にまで下落した仮想通貨の最小取引単位は,2007年3月現在,5倍となる500円まで高騰している。仮想世界の経済とRMTの相場はダイレクトに連動しており,仮想世界内でのモノの価格も2005年末に比べると5分の1程度に下がっている。

 こういうことを堂々と言うのは恥ずかしいが,もし2006年初頭に起こった“神の手”の介入を,何らかの手段で事前に知ることが出来ていたら,記者は,持っているアイテムのすべてを迷わず仮想通貨に変えていたことだろう。現実社会の株式には手を出したこともないし今後も手を出すつもりはないが,仮想世界のデータに現実の財産価値は無いため,気軽に「インサイダー情報が欲しい」と思ってしまう。RMTという形で現金化しなくても(もちろん,しないが),仮想世界内部でリッチになれたはずだ。

 蛇足ではあるが,記者が住んだ仮想世界で使われる仮想通貨は,一般的な電子マネーとは異なり,仮想世界だけで完結するものである(公式には現金に換金できず,他の商品やサービスを購入するための通貨としても使えない)。つまり,価値のないタダのセーブ・データに過ぎず,現実の財産とは見なされない。銀行の預金口座のデータなどとは社会的な意味が根本的に異なる。ただし,その一方でRMT市場が存在しており,本来は無価値なデータが実質的な価値を持っている。

 記者が住んでいた仮想世界はRMTをサービス規約で禁止しており,もし見つかったら,サービス約款に則ってアカウントを削除されてしまっても文句が言えない。ただし,RMT市場が存在するという実態とは別に,無価値と見なすしかないデータが数億円規模で消えるのは,とても興味深い。仮想通貨というデータが無価値とされている以上,インサイダー情報もまた無価値であると見なされ,インサイダー情報を元に行動を起こしても何の問題にもならないのではないかという考察が頭をよぎる。

 今後は,リアルな経済活動として,RMTを取り入れた仮想世界も一般化していくだろう。仮想通貨が現実世界でも価値を持つと見なされるようになったら,“神の手”の介在はどこまで許されるのだろうか。インサイダー情報の扱いはどうなっていくのか。興味は尽きない。