本人コメント

2020年5月29日 (金)

憲法審査会発言など

 石破 茂 です。 
 再来週は予算委員会に於いて第二次補正予算の審議が行われる見込みです。早期成立を期すべきことは当然ですが、使途につき国会審議を経る必要のない予備費10兆円は、財政民主主義の観点から議論の余地があります。
 財政の持続可能性については、消費税が果たすべき役割の変化(格差の拡大という背景)、グローバリゼーションを前提とした法人課税の在り方、一人一人の幸せの実現を志向した社会保障制度の再検討(特に医療制度)等が必要です。
 官の一貫した価値観は公平性と公正性ですが、現下の非常時にあっては迅速性と簡便性がそれに勝るのであり、その責任を負うことこそが政治の役割であることを十二分に承知した上でそのように考えております。

 

 プロレスラー・木村花さんの訃報には言いえないやりきれなさを感じます。報道によれば、SNSを通じて彼女を攻撃した投稿者が、身元が判明するのを怖れてそのツイートを削除しつつあるとのことですが、自分の身元が明らかにならなければどんなに他人を攻撃しても構わない、という考え方は何故形成されてしまったのでしょうか。「お前は悪くて勉強が足りない。自分は正しくてよくモノを知っている」という、この種の投稿に共通した文体にも嫌悪感を覚えます。
 SNSを使った誹謗・中傷であっても、名誉棄損罪や侮辱罪の構成要件に該当すると思われます。実際に起訴・裁判に持ち込むのは困難でも、「これは犯罪である」ことを明確にする必要があります。
 責任の全く伴わない自由、などという概念はそもそも存在しません。不正を糾すための匿名の告発などは公益目的のために許容されても、人を傷つけるような言論や通信の秘密を害することは憲法で保障されるものではありません。自由と人権の両立を図るべき、と言うのは簡単ですが、いかなる立場の人のいかなる自由であり人権なのか、より重視されるのはどの価値観なのか、をはっきりさせなくてはなりません。
 テレビ局もしかりです。視聴率がとれるならどんな番組を作ってもよいわけではありませんし、スポンサーや広告代理店も全く知らぬ顔を決め込むとしたら無責任の謗りは免れません。
 私は「テラスハウス」という番組を見たこともありませんが「台本の無いリアリティ番組」で、いわゆる「やらせ」や演出などはないことがセールスポイントだったそうです。試合用の衣装を洗濯して縮ませてしまった同居男性に罵詈雑言を浴びせる彼女の姿に「許せない!死ね!消えろ!」などという批判が殺到したとのことですが、制作側のテレビ局の責任も当然自社内で追及されなければなりません。「台本はなかったがストーリーはあった」とは一体何のことなのか。それでは一種の欺罔行為に近いのではないでしょうか。「ご飯論法」などと批判する資格すらありません。検証は是非とも行なうべきですし、テレビ局がやらないのなら、民放連が行えばよいのです。
 木村花さんは、さらなるスターとなることを夢見て、幾多の辛いことにも耐えてきたのでしょう。この悲劇を繰り返さないために、何が出来るのかを考えております。

 

 28日木曜日、衆議院憲法審査会で発言の機会がありました。新聞報道によれば私が国会で発言するのは、地方創生大臣として最後に答弁して以来4年振りとのことです。発言したこと自体が記事になったことに驚きつつ、内容についてはあまり報道が無かったのですが、以下にその原稿を載せておきますので、ご関心のある方はご覧ください。時間の制約上、このすべては発言出来なかったことをお断りしておきます。

 

 来週はもう6月です。今日の都心は久しぶりに爽やかな晴天の一日でした。
 徐々に世の中が平常を取り戻していくことを心より祈っております。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2019年3月15日 (金)

袴田茂樹教授ご講演など

 石破 茂 です。
 東日本大震災・大津波から8年目となる11日月曜日、東京・国立劇場で政府主催の追悼式典が行われ、秋篠宮殿下・妃殿下がご臨席になり殿下がお言葉を述べられました。
 阪神淡路大震災の追悼式典がそうであるように、天皇陛下のお出ましは五年、十年という節目の年とする、ということのようですが、今上陛下のご譲位(お譲りになる皇太子殿下がおられるのですから、「ご退位」より相応しい言葉と思います)後、新帝陛下と皇嗣殿下(現秋篠宮殿下。皇室典範を改正して「皇太弟殿下」とする方が望ましいと思います)ご夫妻で分担されることとなり、ご負担は今以上に増すことと拝察致します。
 誠に畏れ多いことながら、皇室の在り方について議論を深め、成案を得ることが政治の責任であり、自分の考えを纏め、世に問わねばならないことを痛感しています。

 今週の水月会の勉強会は、新潟県立大学の袴田茂樹教授をお迎えして北方領土問題に関する講演を拝聴し、質疑応答を行いました。同教授は木村汎・北海道大学名誉教授と並ぶ日露関係についての権威で、かねてよりご指導を頂き、ロシアにおける専門家会議にご一緒させて頂いたこともありますが、今回の講演はコンパクトながら本質を鋭く突いたものであり、頭の整理にとても役立ちました。
 ロシアは最近、「北方領土が第二次大戦の結果、合法的にロシア領になった」との自国の主張について、国連憲章107条などにある「敵国条項」(「この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動で、その行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、または排除するものではない」)を援用し、ヤルタ協定の有効性を主張するようになっています。しかし同協定は日本が関与していない秘密協定でありこれに拘束されることはなく、アメリカはこれが無効であることを認めています(アイゼンハワー大統領1953年年頭教書・1956年国務省声明)。
 加えて、「敵国条項」自体、1995年の国連総会において同条項を削除する作業を開始する旨賛成多数で決議されており(反対は北朝鮮・リビア・キューバのみ)、かつてはソ連も無効を確認していたはずです(日ソ共同声明・1991年4月・海部・ゴルバチョフ会談)。ロシアの主張には全く正当性も一貫性も無いと断ずる他はありません。
 「敵国条項」の存在は、United Nationsが「第二次大戦に勝った国の集まり(連合国)」であることを如実に示すものであり、これを「国際連合」という、あたかもInternational Government(世界政府)かのような語感を持つ翻訳をしたことが、そもそもの間違いの始まり、日本人の国連に対する誤解や無理解を招くもとであったように思います。
 日本と同じ漢字使用国である中国はそのものズバリ「連合国」と訳しており、日中の国民の抱く国連観はかなり異なっているに違いありません。

 ロシアは日本から見ればいかなる詭弁も弄する国なのであり、さればこそ平然と「敵国条項」などを援用してくるのでしょう。この国を舐めてはいけないと思います。
 敵国条項も削除に向けた作業が決議されたとは言え、その作業は全く進捗しておらず、厳然と残っているのであり、これも等閑視すべきではありません。
 「毅然たる外交」というのは勇ましい精神論ではなく、このような地道な作業を国際社会の理解を得ながら積み重ね、成果を得ることだと考えています。
 北方領土問題は袴田先生ご指摘の通り「日本国の国家主権の問題」であり、国際法と歴史を日本国民に正しく認識していただくことこそが何よりも肝要です。

 10日日曜日には大阪で小林よしのり氏が中心となっている「ゴー宣道場」に参加し、世の中には老若男女、様々な考え方があるものだと感じ入りました。このような機会を提供してくださっている関係者の皆様に心より感謝申し上げます。

 大阪の府知事・大阪市長ダブル選挙は奇手奇策と言う他はなく、全く共感も理解もできませんが、あれこれ言ってみてもこの選挙に勝つことが出来なければ結果として混乱・迷走が続くだけであり、自民党本部も大阪府連も有権者からその姿勢を厳しく問われることになります。
 常在戦場、とはなにも衆議院議員に限ったことではなく、平素から候補者を養成し、鍛錬しておかなくては政党の存在意義がありません。

 週末は、16日土曜日が「未来ある村 日本農泊連合結成記念シンポジウム」で講演(午後1時・安心院文化会館・大分県宇佐市)、その後神戸市内で数カ所の統一地方選挙立候補予定者の応援演説会。
 17日日曜日は鳥取県内で自民党の県議会議員選挙立候補予定者の集会を七か所回ります。

 来週はもうお彼岸なのですね。12年に一度の統一地方選挙と参議院選挙の重なる年は、時間的感覚も季節感も希薄となり、殺伐とした精神状態になってしまいます。
 今年はお彼岸の墓参りの日程も取れそうにありません。御先祖様、何卒お許しください。

 皆様お元気でお過ごしくださいませ。 

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2019年3月 8日 (金)

北東アジア地域の安全保障など

 石破 茂 です。
 米朝会談から一週間余が過ぎ、様々な論説が出てくるようになりました。
 今週、アメリカ、イギリス、ドイツ、ブラジル、韓国などの欧米やアジアの有力シンクタンクの代表的な研究員たちと北東地域の安全保障について議論する機会があったのですが、国によって、人によって随分と見方が違うことを再認識致しました。政治家間や研究者間でこのようなディスカッションの機会を多く持つことの重要性を痛感したことでした。

 これに関連して、発売中の月刊誌「Voice」四月号の特集「日韓確執の深層」と「『感情』が世界を滅ぼす」は久々にかなり読み応えのあるものでした。国際政治学者の三浦瑠麗女史も「戦争と平和のコストを認識しているか」と題する論考を寄せておられますが、同女史の新著「21世紀の戦争と平和」も刺激と示唆に富んだ力作です。何度か精読して咀嚼・理解しなければならないと思っております。

 永田町にある内閣府が入る合同庁舎敷地に掲げられている看板に記載された北方領土返還へ向けてのスローガンは、いつの間にか「北方領土 かえる日 平和の日」から「北方領土を想う」に変わっていました。不覚にもあまり気に留めていなかったのですが、ある方からご指摘を受けて以来、とても気になっています。
 以前のスローガンには控えめながらも領土返還に向けた意志が込められていたように思うのですが、今の「想う」にはそれが微塵も感じられません。政府には国民の意思を体現すると同時に、正しい意味での国民に対する啓発・啓蒙の責務もあるはずです。国会においてこのような議論がもっとあるべきだと思われてなりません。

 先日、議員宿舎の整理をしていたら、遠藤周作の「ファーストレディ」(新潮社・昭和63年。新潮文庫版もあります)が出てきて、久しぶりに読み返してみました。
 雑誌連載時の題名は確か「セカンドレディ」であったと記憶しますが、終戦直後から佐藤内閣にかけて、ひたすら総理大臣を目指して権謀術数の限りを尽くす渋谷忠太郎と彼を取り巻く人間像を描いた作品です。主人公は佐藤内閣で念願の大臣に就任したのもつかの間、スキャンダルで辞任に追い込まれ、直後病に倒れるのですが、死の直前に彼が奥さんに向かって「なあ、わしの人生って何だったんやろ」と呟く場面はとても印象的です。
 遠藤周作では「イエスの生涯」「沈黙」「死海のほとり」などの同氏のカトリック信者としての思いが込められた作品を学生時代に読んだものですが、この「ファーストレディ」はかなりの異色作です。ご一読をお勧めいたします。

 予算案の審議が参議院に移ったため、衆議院はつかのまの比較的平穏な時期となっています。
 今年は統一地方選や参議院選を控えて、週末はどうしても自民党県連会長を務める鳥取県や全国各地での応援の日程が入りますため、各種団体や地方メディアからご依頼を受けている講演は、国会や党務の日程と調整しながら今の時期にこなすことが多くなります。
 今週も平日に北海道や群馬県などに出向きましたため、いつも以上に内容が稀薄かつ推敲不行き届きで粗雑な文章となりましたことをご容赦ください。

 週末は9日土曜日が秋田県、10日日曜日は大阪府へ参ります。日曜日は「ゴー宣道場」で小林よしのり氏と憲法改正について議論する予定です(14時・JEC日本研修センター江坂)。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2019年3月 1日 (金)

予算委員会 中央公聴会など

 石破 茂 です。
 予算委員会では26日に中央公聴会が開かれ、それぞれの党が推薦する各界有識者の予算案に対する意見表明と質疑が行われたのですが、ともすれば通常の議員と閣僚の質疑よりも内容と聞きごたえのあるものでした。詳細はネットで画像も見られますのでそちらをご覧いただきたいのですが、本来の委員会質疑もこのようなものであればどんなにいいかとつくづく思いました。しかし、いつものことながら記者席は大半が空席、テレビ中継も行われず、新聞報道もほとんど無いのは本当に残念なことです。
 午前の陳述人は鈴木準氏(大和総研政策調査部長・自民党推薦)、明石順平氏(弁護士・国民民主党推薦)、小出宗昭氏(富士市産業支援センター長・公明党推薦)、三浦瑠麗氏(国際政治学者・維新の会推薦)の四氏だったのですが、陳述も、質問に対する答えも簡にして要を得たもので、平素その所論を読んでいたせいもあってか、賛成反対は別として極めて理解しやすく、充実したひとときを過ごすことが出来ました。
 野党の質問者には、もっと「聴かせる」努力が必要です。ただただ政府を罵倒し追及するばかりではなく、野党の主張ももっともだ、と皆が聴き入り、国民の共感を得るべく努めてもらいたいものです。同時に、自分のことを棚に上げて言えば、政府側にももっと「理解してもらう」ための誠意と努力が必要でしょう。感情的になったり、相手を揶揄したり、野次を飛ばしたり、原稿を棒読みしたりなどがあると、野党に揚げ足を取られかねません。

 ベトナム・ハノイにおける米朝首脳会談は合意に至ることもなく終わりました。つい一年前まで互いを「チビのロケットマン!」「老いぼれ!」「マッドマン!」と罵倒しあっていたのが、「素晴らしい指導者!」と互いに褒めあうようになった様(さま)には、互いに計算ずくでやっているとはわかっていてもえも言われぬ不気味さと違和感を覚えましたし、金正恩氏の「誰もが歓迎する素晴らしい結果が得られる自信がある」との発言も妙でした。
 トランプ氏が妙な妥協をして制裁解除をするなどという最悪の結果にならなかったことは良しとすべきですが、「日本は安全になった。私のおかげだ」とのトランプ氏の言葉とは異なり、我が国を取り巻く厳しい安全保障環境には何の変化もありません。トランプ氏は来年の大統領選挙を睨んで、全て自分に有利になるように逆算してことを進めるのでしょうし、金正恩氏は自分に対する求心力を高めるために今後の戦略を練るに違いありません。どちらも「自分ファースト」なのであり、我が国としては、少しでも拒否的抑止力を中心とする自己防衛力を高めるべきであって、防衛力整備や国民保護などで出来ることは多くあります。

 沖縄・普天間基地の辺野古移設に対する賛否を問う県民投票は予想以上に反対が多いという結果となりました。
 移設先が何故名護市・辺野古になったかと言えば、当時移設受け入れに賛成してくださる自治体が名護市しかなかったという理由に尽きます。当時の比嘉市長は、宜野湾市・普天間基地周辺の負担軽減と国家全体の安全保障のために、受け入れを表明して職を辞し、辺野古への移設が動き出したのです(他にも海上に建設することによる騒音や事故などの危険の軽減、訓練場や弾薬庫との近接性など、辺野古移設の利点はいくつかありましたが)。
 太平洋戦争中、唯一の地上戦が行われ、多くの県民が命を落とし、戦後も長く米国の施政下にあった沖縄に対する思いは、いくら尽くしても尽くし足りないのだと思いますし、私も含めて本土の国民にはまだそれが足りず、沖縄県民の多くの共感を得られていないのだと思います。橋本龍太郎先生、小渕恵三先生、梶山静六先生、野中広務先生など、名護への移設を推進しつつも沖縄に対する限りない思いを持っておられた大先輩の心に少しでも近づくことが必要なのだと改めて痛感します。

 統計について勉強しているのですが、「統計学が日本を救う」(西内啓著・中公新書ラクレ)は極めて示唆に富む本で、多くの刺激を受けました。ご一読をお勧めいたします。

 今日中に予算案を衆議院で通過させたい政府・与党と、これを阻止したい野党各党との攻防も今日がヤマ場となり、本会議の採決は一体何時になるのか皆目見当もつきません。
 週末は富山県と石川県での講演や統一地方選挙に向けた諸集会に参ります。
 早いものでもう三月、皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2019年2月22日 (金)

予算委員会質疑など

 石破 茂 です。
 小泉内閣や福田内閣などで閣僚を務めていた時、予算委員会での一般的質疑において答弁を要求された際は、前の質疑者の質疑中には委員会室に入っているように厳しく指示されたものでした(ごくたまに、前の質疑が予定時間より早く終わることがあるため)。
 自分に対する質問のある質疑が始まる時間に居ないなどということは全く許されることではなく、至極当然のことですが、今は一体どうなっているのでしょう。
 政府が提出する予算案や法律案は、政府側から国会に対して審議をお願いし、可決・成立を期すものなので、特に野党に対してはひたすら丁寧に、低姿勢で臨むものであったのが、近年はその雰囲気が薄れて、対決型になってしまったように感じます。
 野党に対して喧嘩腰で臨むのは、すなわちその支持者である有権者に対してもそうであるということです。それぞれのスタイルがあるのでしょうが、自分の主張が正しいと確信していても、それをわかって頂くための努力は誠心誠意するべきものだと教わってきた私には、この国会が今までとはと相当に異なったものであるように思われます。地方自治体の自衛官募集や「悪夢の民主党政権」を巡るやり取りには、ただただ嘆息を禁じ得ませんでした。
 理由は不明ながら、我々ベテラン議員には質問の機会が回ってこないため、朝から夕方までずっと座っているのですが、自分のことを棚に上げて敢えて言えば、聴いていると質問者や答弁者の見識や力量がよく見えます。報道は派手な質問や閣僚の失態ばかりを採り上げますが、今週の質疑の中では公明党の岡本三成議員(比例北関東)の質問がポイントを的確に捉え、本質論を論じる聴きごたえのある見事なものでした。

 今週もほとんど予算委員会の質疑に出席しており、委員会終了後も予定が毎晩複数入っておりましたため、本欄を落ち着いて書く余裕が全くありません。事情ご賢察のうえ、ご寛容くださいませ。
 週末は、23日土曜日が福井県へ、24日日曜日が米子市、境港市から北海道空知管内、25日月曜日は空知管内から留萌管内へと参ります。
 統一地方選挙や参議院選挙が近づき、どうしても移動の多い日程になりがちです。来週はもう三月に入るのですね。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2019年2月15日 (金)

北方領土など

 石破 茂 です。
 2月7日の「北方領土の日」における政府側の挨拶から「不法占拠」という表現が消え、翌8日、「北方領土は日本固有の領土か」との野党議員の質問主意書に対して「ロシアとの今後の交渉に支障をきたす恐れがあることから、お答えすることは差し控えたい」との政府答弁書が閣議決定されたことには強い違和感を覚えます。「北方領土はソ連に不法占拠された日本固有の領土である」というのがすべての原点であり、ここを曖昧にしてしまうのは国民の国家観や歴史観を危うくする危険極まりないことです。
 日ソ中立条約にある「相互不可侵・戦時中立」を、同条約がまだ有効であった1945年8月9日にソ連が一方的に踏みにじって日本に侵攻したことが北方領土問題の根源であり(ソ連側からの破棄通告は同年4月5日、条約の期限満了は1946年4月25日、同条約は期限満了の1年前に破棄通告をすれば延長されない、とされた)、これを不法な行為と言わずして何というのか。
 1952年のサンフランシスコ条約によって日本は千島列島を放棄したのですが(これに北方領土は含まれない、とするのが我が国の立場)、ソ連はその6年前の1946年1月2日に北方領土を併合しています。
 仮にソ連の言うように北方領土が日本が放棄した千島列島に含まれるとしても、1946年時点でそれは全く確定していない状態だったのであって、日本の領土でなくなったのではありません。そもそもソ連はサンフランシスコ条約の署名を拒否したのであり、同条約第25条が「非署名国には何の条約の利益も与えない」としていることから考えても、同条約によってソ連の併合行為が事後的に承認されたことには全くなりません。
 これが歴史的な事実であり、国際法的にも正当な主張であるはずです。ソ連の継承国であるロシアに対して「お願いして北方領土を返還してもらう、経済で協力すれば領土が返ってくる」などという考えが万が一にもどこかにあるとすれば、それは完全に間違っていると言わざるを得ませんし、ロシアの感情を害さない、などということを配慮する必要は全くありません。ロシアはそのように甘い国では全くない。
 高齢化された旧島民(国後・択捉を当然含みます)の方々の思いを最大限に尊重するのは国家として当然のことですが、これと国家主権は別の問題です。平和条約を締結すれば、当事国間の一切の問題はすべて確定されるのであって、その後の領土問題の進展など望むべくもありません(なお、両国の戦争状態は1956年の日ソ共同宣言によって終了しており、平和条約を結ばなければ終了しない、とするのは誤りです)。歴史や国際法を正しく教えない国家は、いつの日か必ずその報いを受けます。
 「ロシアについての希望的観測、交渉力の欠如、任期中の成果を焦る政治家の功名心、これが対露政策の三悪である」とこの分野に精通されたある元外交官が断じておられますが、そのようにならないようにすることが国政を国民から負託された国会議員の務めと信じます。

 2月10日の自民党大会における総裁演説で安倍総裁は「自衛官募集に協力的でない自治体があるが、そのような自治体からでも災害派遣の要請があれば自衛隊は出動する」と大意述べられた上で、憲法第9条改正の必要性を力説されました。
 防衛庁・防衛省に副長官・長官・大臣として4年近く居たとき、自治体の当該年齢に該当する方のリストをご提供いただくなどの全面的な協力はどうすれば得られるかについて随分と検討したものですが、これを憲法や災害派遣と絡めて議論したことはありませんし、憲法に明記されていないので協力しないという自治体を私は寡聞にして知りません。お気持ちはわかるものの、論理としては相当に飛躍があるように思います。

 北方領土にしても、憲法にしても、感情を優先するあまり論理や国際法を軽視してはなりません。
 本日の自民党憲法改正推進本部で講演された野田将晴氏(私立勇志国際高校校長・元熊本県議・とても正義感の強い方とお見受けしました)は「今はとにかく半歩前進することが大事だ」と述べられたので、「半歩の残りは何だとお考えか?」とお尋ねすると「理想は第二項を削除することである」と率直にお答えになりました。
 これまた総裁が再三述べておられるように「憲法は国の理想を表すもの」なのですから、その追求は常に真摯であらねばならず、論理的整合性を捨象した情緒論は厳に戒めるべきものと考えます。

 元警察庁キャリア官僚の幕連(まく・れん。立場上実名は出せないのでしょうね。実名を明かせば誠に見上げたものですが)氏の著書「官邸ポリス」(講談社)の帯には「92%は現実である」と書かれていましたが、書きぶりが実にリアルで、いかにもありそうな内容でした。官僚が政治を操るのは政治の側にも責任が多々あるとはいえ、嘆息・慨歎の極みです。

 2月4日の誕生日ならびに2月14日のお心遣いをくださった方々に厚くお礼申し上げます。
 今週は予算審議の予算委員会出席にほとんどの時間を費やしました。
 週末は、明日16日に大阪府、明後日17日は静岡県に参ります。
 立春を過ぎてもまだ寒さが続いております。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2019年2月 8日 (金)

毎月勤労統計調査不正問題など

 石破 茂 です。
 毎月勤労統計の問題は、この先どうなるのか見通しが立たないのですが、官僚の側に数字をよく見せかけるための偽装や忖度があったとはどうにも考えられません。
 そうであるだけに、統計を担当していた厚労省の前政策統括官が予算委員会審議の直前に官房付に異動する、参考人としては呼ばない、あるいは調査を担当した厚労省特別監察委員会の樋口美雄委員長(とても立派な方です)の予算委員会への出席を要請しながら「『労働政策研究・研修機構』の理事長として呼んでいるのであって監察委員長としての答弁は出来ない」とする、などの対応は、形式論理としては正しくても、かえってあらぬ邪推を招きかねないのではないかと危惧します。
 様々な事情もあるのでしょうが、疑念が早急に払拭され、本来あるべき充実した審議が行われることを国民は望んでいるはずです。今日の審議から厚労省・前政策統括官を国会に参考人として出席させることで与野党が合意しましたが、当然というべきでしょう。

 総理は「平均賃金は下がっていても総雇用者所得は増えており、経済の実態としてはそちらの方がわかりやすい」「実質賃金よりも名目賃金が指標として重要である」と再三強調しておられます。
 総雇用者所得とは毎月の現金給与総額に総労働者数を乗じたものですから、雇用者数が増えれば増加します。給与が上がっていなくても雇用が増えているのだから、経済が好調だ、ということは言えるでしょう。失業率が低いのはよいことですし、新たな雇用が創出されたのも事実です。
 ですからそれはそれで正しいのですが、国民一人一人の実感としては景気回復と相当の乖離があることも認めなくてはなりません。
 「連合の調査によれば」というフレーズも、連合が野党の支持団体であることを踏まえた上で時々発せられていることと思いますが、その組織率は17・4%にしか過ぎず、またその多くは雇用が比較的安定している大企業労働者です。総雇用者所得や平均値、どちらにせよ国民の実感と乖離が生じるのはある意味当然のことであって、大企業、中堅企業、中小企業、零細企業・事業者ごとに名目・実質賃金の推移を明らかにすることが必要ではないでしょうか。
 所謂アベノミクスに裨益した層がどこにどれほどおられるのか、裨益していない層はどこにどれほどおられて今後どのようにして対応するのか、労働分配率は大企業と中小企業とでは大きく異なっているのではないか、大都市や大企業の成長の果実がやがて地方や中小企業まで波及するとのトリクルダウン理論を採っているのかそうでないのか(総理は2014年にテレビで「シャンパンタワーのように上のグラスから下へと伝わっていく動きがまさにアベノミクスの考え方なんです」と発言されたはずですが、昨年の総裁選においては「トリクルダウンと言ったことは一度もない」と述べておられました)、等々、今後は事実と正確な数字に基づいた精緻な検証がなされることを期待しています。

 戦局が悪化した昭和19年、先帝陛下(昭和天皇)は小磯内閣の米内海軍大臣に対し「日米の戦力比はどのようになっているか」とご下問になり、海相は井上成美次官に回答の作成を命ずるのですが、次官に呼ばれた海軍省軍需局長は「いつものようにメイキングするのですね」と平然と答えたと言われています(「不可視の視点」・保坂正康)が、事実とすれば、なんとも恐ろしいことです。

 一昨日の北方領土の日の政府主催の式典の雰囲気は、従来とは微妙に異なっていたと報ぜられています。この件については回を改めて論じますが、「隣国によって一平方メートルの領土を奪われながら放置する国は、その他の領土も奪われ、ついには領土全てを失い、国家として存立することをやめてしまうであろう」というイェーリングの著書「権利のための闘争」の中にある言葉を叩きこまれてきた私には、思うところが多々あります。

 18歳未満人口1000人当たり児童虐待相談対応件数の全国比較を見ると、最多の大阪府が8.52件、最小の鳥取県が0.94件で約9倍の開きがあります。あくまで相談対応件数なので、虐待の実態とは乖離があるのでしょうが、地域差の原因を分析してみる意味は大いにあるものと考えます。

 最近の日本語の使い方でどうにも気になることが二つあります。
 一つ目。最近「本日お伺いして親しくご挨拶するべきところ、やむを得ない用務のため欠席の失礼をお許しください」など、「親しく」という言葉の使い方が間違っているとしか思えないスピーチやメッセージが多いように思います。「親しく」というのは本来、高貴な方が自らなさることを指すときに使うもので、自分が高貴な者であると自認しているのならともかく、このような使い方は明らかに間違っているとしか思えません。
 選挙のスピーチでも「今日は私、○○が皆さんのところに親しくご挨拶に参りました」とか、挙句「本日は○○候補のために石破先生が皆さんに親しく応援に来られました」などと言う方がおられて、これで票が減らなければよいが、とその都度内心ひやひやするのですが、さりとて言いづらくて困惑してしまいます。
 二つ目。「○○のため、全力を尽くします」というフレーズをよく耳にするのですが、そうあちらこちらに「全力」を尽くせるものではなく、「精一杯の努力を致します」と言う方が正しいと思います。細かいことに拘り過ぎなのかもしれませんが…。

 週末9日土曜日は千葉県、10日日曜日は自民党定期党大会に出席の後広島県へ、11日建国記念日は埼玉県へ参ります。
 また寒気が戻ってきたようです。三連休の方も、休みと関係なくお仕事をなさる方も、どうかご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2019年2月 1日 (金)

国の統計など

 石破 茂 です。
 
統計を表す英語Statisticsの語源はState(国家)と同源のラテン語であることを不勉強ながら今回初めて知りました。
 厚労省の毎月勤労統計問題は決して矮小化することなく、場合によっては関連法の改正も含めて改善策を早急に立案し、実現することが日本国にとって急務です。
 猪瀬直樹氏の著作「昭和16年夏の敗戦」にあるように、統計を軽視し、国策を誤り、多くの犠牲を生ぜしめ国土が灰塵と帰したことに対する深い反省から、吉田茂総理はマルクス経済学者の大内兵衛に命じて統計法の基礎を作らせたと伝えられています。
 今回の問題の背景には、各省庁がバラバラに統計を行い、人員を大幅に削減してきたことがあります。2004年の「骨太の方針」において「農林水産統計などに偏った要員配置等を含めて、既存の統計を抜本的に見直す。一方、真に必要な分野を重点的に整備し、統計精度を充実させる」と定められたことを受け、農水・厚労・国交・文科等の統計要員が大幅に削減され、内閣府・警察庁・総務省などが増員されたのですが、「真に必要な分野」とは一体何であったのか、要員の削減によって現場の負担が増して精度が低下することはなかったのか、単なるスキャンダル追及に堕することなく、これらの点について徹底した検証をすることこそ国会の使命です。
 賃金や労働時間を全数調査しなければならないにも拘らず、勝手に2004年からサンプル調査に切り替え、全体を把握するための補正作業を行わず、このミスに気付いた後、2018年からのものだけを発表したため、2018年に突如として賃金が急上昇したように見える結果となったのは実に不可解です。
 日本の統計要員はカナダの十分の一、フランスの六分の一、米英の三分の一とも報ぜられていますが、これも今回の事案が明らかになるまで知りませんでした。「統計を疎かにする国は滅びる」。己の不勉強を恥じております。

 今週の自民党憲法改正推進本部で議題の一つとなった憲法改正国民投票の際のメディアによる広報活動、特にテレビCMの取り扱いについては、私は全面的に容認することなく、賛成派も反対派も同じように取り扱うべきだとの立場です。広告料が欲しいテレビ、権力の支援を必要とする財界、意図する憲法改正を実現したい権力が一体となれば、有権者に対して圧倒的な影響力を行使することが可能となります。大手広告代理店と契約して人気番組の前後のCM枠を確保し、人気タレントを起用すればその効果は絶大です。
 そもそも15秒から最長で30秒という短時間のテレビCMで憲法の当該条項を改正する意味が正確に伝わるとはとても思えません。憲法改正はあくまで理性で判断すべきものであり、感性や情緒に訴えれば本質が見失われてしまう危険が大きい。テレビ、特に地上波の持つ依然として強い影響力を年末年始にいくつかの番組に出演してみて痛感させられました。
 私は一貫して、憲法第9条第2項を改正し、「必要最小限度なので戦力ではなく、したがって陸・海・空軍ではない。必要最小限度なので交戦権には当たらない」などという世界に全く通用しない天動説的な誤魔化しをやめるべき、との立場です。確かにこれは感性による訴えに馴染むものではありませんが、むしろ論理を超越して感性に訴える手法は、国民を愚弄し、政治の責任を放棄するものだとの思いを禁じ得ません。
 発議するのは国会なのですから、その構成員である国会議員がそれぞれの地区で「憲法改正国民投票管理委員会」(仮称)が開催する公開討論会に参加し(衆参共に発議内容に一方の立場の議員がいない選挙区は他選挙区や比例区の議員が参加する)、これをテレビやインターネットで紹介することは技術的に可能なのではないでしょうか。発議する国会の構成員たる国会議員が憲法について語れないなどということがあってよいはずがありません。
 最大の難点は、互いを平等に扱うルールを確立し、司会進行役に人を得なければ失敗することは明らかなことで、ここは頭の痛いところですが、もう少し考えてみたいと思います。
 権力・財界・メディアが一体となったとき、民主主義などあっという間に崩壊してしまうことの恐ろしさは歴史が証明するところです。

 国会閉会中、JR各社の新幹線に乗る機会が多かったのですが、JR東海の新幹線内の車内放送は何故日本語と英語だけなのか、とても気になります。他社は中国語や韓国語の案内も併せて行っており、インバウンドが急増する中にあって最も来日客が多い台湾・中国・韓国の英語を解さない人に対してもっと親切であってもよいのではないでしょうか。放送時間が長くなる、耳障りである、というのなら電光表示で簡潔に案内すればよいのではないかと思うのです。
 駅の改札口でも、自動改札を利用できないパスしか持っていない外国人が、一つしかない有人改札口に列をなして混乱している場面も何度か見かけましたが、これも早急に改善すべきです。
 外国の交通機関で日本語の案内がないことは事実ですが、だからといって日本もそれでよいということにはなりません。訪日客が日本を好きになってくれることも日本の主張の正しさを世界に広める国家戦略の一つなのではないでしょうか。
 1月20日の毎日新聞朝刊の「時代の風」に、藻谷浩介氏が昨年の訪日外国人を人口比で分析し(香港が3人に1人、台湾が5人に1人、韓国が7人に1人、オーストラリアが45人に1人、タイが61人に1人、中国が169人に1人、アメリカが214人に1人来日)、「精神的に鎖国した日本人が増えていないか。外国の事情を肌で知ろうともせず、空想の世界観の中で『日本は』『日本人は』と言い募る。他者に匿名で罵詈雑言を浴びせることは、相手が誰であるかを問わず大人として恥ずかしい行為だ、という認識がない。目先の儲けや人気取りのために他者への恐怖や敵愾心を煽る輩に対抗するには、感情抜きに事実を事実として確認し、その上で冷静に考える習慣を持つ人間を増やすしかない」と論じておられますが、まさしく然りと思います。

 千葉県野田市の児童、心愛(みあ)ちゃん虐待死事件は、昨年の結愛(ゆうあ)ちゃん事件の教訓が全く生きていないことを証明する結果となりました。政府としても新年度予算で児童相談所の体制を大幅に強化するなどの対策を講じようとしているのですが、全国的に緊急に実態を調査するなどの対応が必要です。
 貧困・未熟な親・地域社会からの孤立・ステップファミリーなど虐待の背景はいくつか指摘されていますが、一番の要因は地域社会からの孤立である、と先日米子市で対談した毎日新聞の野沢編集委員が述べておられました。
 結愛ちゃんといい、心愛ちゃんといい、「愛」の字を名前に付けるからには、生まれたときに親にもそれなりの願いがあったのでしょう。なんとも胸が塞がれる思いです。

 いささか長文となり失礼致しました。週末は自民党鳥取県連会長として県内各地で開催される自民党や公明党の諸会合に出席の予定です。
 今日から2月、まだまだ寒さが続きます。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2019年1月25日 (金)

上北沢ホーム訪問など

 石破 茂 です。 
 韓国における「元徴用工」問題は、韓国の大法院(最高裁)前長官が、上告審の進行を遅らせたとの容疑で逮捕されるという事態に至りました。事態が鎮静化し、冷静な解決を期待していたのですが、韓国国内においても大問題に拡大しそうな様相を呈しています。
 今回新日鐵住金に損害賠償を命ずる判決を下した現長官は、韓国の革新系法曹人で構成される「わが法研究会」の会長を務め、一昨年九月に地方裁判所長から異例の大抜擢を受けて就任した人物で、文在寅大統領の強い意向が反映されていると考えざるを得ません。
 この問題の底流には、そもそも日韓併合につき「当時の国際法に照らし合法であった」とする我が国と、「武力を背景に不法に締結されたものだ」とする韓国との間に大きな隔たりがあることがあります。
 日露戦争の講和を巡るポーツマス講和会議において、小村寿太郎を全権とする日本側が最重要項目としたのが「韓国を安定化させるために韓国を日本の自由裁量に任すべし」とすることであり、ロシアはこれを受諾、桂・タフト協定によりアメリカも承認、イギリスなど諸外国もこれを認め、保護国化後の併合も大きな支障なく国際社会に承認されたのですが、現代の韓国人にとってこれは大変に屈辱的なものであろうことも間違いありません。
 日韓協定交渉時、韓国国内には「日本は不法な占領に対する賠償金を支払うべき」とする世論があり、日本としてはそれに応ずることは出来ず、当時の椎名外務大臣は「(韓国に対する)経済協力は純然たる経済協力ではなく賠償の意味を持っているという解釈はとらない」旨を国会答弁で述べています。
 経済協力の性格がそうであっても、その積算の根拠に徴用工への補償も含まれているというのが日韓両国の共通理解であり(当時、日本側は個人に対する賠償の意思があることを表明したのに対し、韓国側がこれは韓国政府が行うとして拒否した経緯が議事録に記されています)、韓国司法もいままでその立場に立っていたのですが、これを覆したのが今回の判決です。
 一旦締結した条約の内容を一方の国の司法が覆すことが認められるならば、そもそも国際条約など結べないことになってしまいます。主張が全く異なり、日本として妥協の余地がない以上、請求権協定第3条にある「紛争が生じ、外交的解決が出来なかった場合の仲裁委員会の設置」に持ち込む他はありません。韓国は時間稼ぎをすることなくこれに応じなくてはなりません。
 韓国駆逐艦による火器管制レーダー照射事案や今回の事案は、日本には理解困難なものですが、韓国が国際宣伝戦に出ている以上、日本もその主張が広く国際社会の理解を得られるべく、最大限の努力をしなければなりません。

 日清戦争、三国干渉、日露戦争、ポーツマス条約、桂・タフト協定、日韓併合など、遥か昔に習った歴史をもう一度学び直しているのですが、日本における歴史教育は近現代史中心に改めねばならないことを痛感します。
 戦後、価値観が交錯していた中にあっては、明治維新当たりで終わってしまう歴史教育もそれなりにやむを得なかった面があるのかもしれませんが、今となっては弊害の方が遥かに大きいと断ぜざるを得ません。この点、少し古くなりましたが、渡辺利夫・元拓大総長の著書「新脱亜論」(文春新書)はお勧めです。

 さる12日、札幌弁護士会主催による「『憲法改正問題』を真剣に考える国会議員徹底討論」と題する会があり、立憲民主党の山尾衆院議員、共産党の仁比参院議員とともに参加して参りました。
 山尾議員とは論理的構成はかなり共通するも結論が全く異なり(山尾氏は個別的自衛権のみが認められる旨を憲法に明示すべきとの立場)、仁比議員とは論理構成も結論もすべて異なるのですが、全く感情的になることのない議論はそれなりに中身の濃いものとなり、有意義な時間でしたし、憲法改正反対派の方が多い会合で話をさせて頂くという貴重な体験となりました。
 翌日の報道に「自分は9条改正には反対の立場だが、石破の話を聞いて憲法改正により日本を守ることも必要かと思った」との聴衆のコメントが載っており、少しだけ嬉しくなりました。
 自分の意見に賛成する人ばかりを集めて持論を述べ、互いに自己満足と陶酔感に浸ってしまうことは、議論を進捗させ、有益な果実を得ることには繋がりません。そのような言論空間からは一刻も早く脱するべきであり、与野党に加えて、そのような場を提供すべきメディアや諸団体の責任もそれなりに重いと考えます。

 今週火曜日に、世田谷区の上北沢ホームにおいて「平穏死」を提唱しておられる石飛幸三先生(世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医)と特養管理者・スタッフの方々のお話を伺う機会を得、教えられること、考えさせられること大でした。
 日本の医療・介護は国民的な議論と理解の下、一人一人の生と死の在り方を直視して根本から構築し直していく必要があり、それなくして医療保険・介護保険制度を維持することは出来ません。消費税議論の本質はここにこそあるべきなのに、昨今の議論はいささか視点がずれているように思います。
 先生の著書「平穏死という生きかた」(幻冬舎)「穏やかな死のために」(さくら舎)は平易な文章で綴られながらも内容の深い本であり、ご一読をお勧めいたします。

 本日夕刻は徳島市で開催される第五回全国ジビエサミット情報交換会にジビエ議連会長として参加します。
 26日土曜日は地元で県連会長としての用務をこなし、27日日曜日は富山県内数カ所で開催される講演会・懇親会に出席の予定です。
 来週月曜日より通常国会が開催されます。

 寒さ厳しい折、皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。


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上北沢ホームの皆様と。

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2019年1月11日 (金)

年末年始など

 石破 茂 です。
 明けましておめでとうございます。旧年中は何かとお世話様になり、誠に有り難うございました。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
 平成の御代も最後の年となります。よく心してあらゆる事柄に臨んでまいります。

 年末年始は大晦日早朝の民放番組生出演から始まり、地元での番記者有志との忘年会、元旦午前零時から「どんどろけの会」メンバーとの新春事務所前挨拶、午前5時から実践倫理宏正会元朝式、午前8時から宇部神社初詣、自民党国府町支部新年祝賀会と例年通りのスケジュールをこなしました。

 熊本を中心とする震災で被害を受けられた方々に心からお見舞い申し上げます。
 最近のニュース番組において「・・・であることが関係者への取材によりわかりました」との報道が多いことに違和感を覚えているのは私だけなのでしょうか。このほとんどは「関係者」によるリークに基づくものなのでしょうが、取材源は秘匿しなければならない、という大原則に守られた「関係者」は何ら責任を負うことなく一方的に情報を流し、もう一方の当事者の立場や主張は同列には扱われない。もし仮に「関係者」が国家権力に近い側でありせば、それとメディアが一緒になって世論や心証が形成されていくのはかなり危険なことのように思われます。

 日産の一連の問題についても、基本的なところで疑問が多々あります。
 金融証券取引法の有価証券報告書虚偽記載に関する罪は「重要な事項につき虚偽の記載をし、それを提出すること」が構成要件として定められており、これは投資家保護が主な保護法益であると承知しています。では何が重要な事項であり、政府や取引所に対して提出すべき者は誰なのか、これによって侵害された法益は何なのか、日産はどのような損害を蒙ったのか。
 そして圧倒的な国家権力と対峙せねばならないが、確定判決が出るまでは推定無罪とされるはずの被疑者の人権はどうなるのか等々、基本的なことについて見解は多岐に分かれており、いまなお十分に納得できる解説に接しておりません。自分なりに努力して渉猟し理解する必要性を痛感しております。
 ルノーの連結子会社である日産の持つ技術、フランス政府が筆頭株主としてルノーに対して持つ影響力、フランスと中国との関係、アメリカの有する安全保障上の懸念、それらすべてが絡み合う複雑な構図であるようにも思われ、「強欲ゴーンの暴走」あるいは「日産社内のクーデター」的な、ある種分かりやすい絵解きや勧善懲悪的な見方は本質を見誤るものではないのでしょうか。細心な注意が必要だと感じます。

 昭和40年代から50年代にかけて、日産はトヨタと業界を二分する存在で、私が小学校から高校生くらいの頃、新聞や雑誌、テレビに大々的に打たれるコマーシャルにはその都度ワクワクしたものでした。
 日産の作品にはなかなか優れたものがあって、中でも「箱スカ(箱形のスカイライン)」「ケンメリ(ケンとメリー)スカイライン」の一連の広告はとても美しく印象的で大好きでした。
 当時から川又社長、塩路労組委員長を軸とする日産の企業体質は問題視されていましたが、いいクルマと素敵な広告があった頃の日産を懐かしく思い出します。牧歌的で夢のあった昭和のいい時代だったのかもしれません。

 韓国駆逐艦による海自哨戒機に対する射撃管制レーダー照射事案については、そもそもあの駆逐艦はあの海域で一体どのようなオペレーションを行っていたのかが事の本質であると考えております。
 韓国駆逐艦の行動は国際ルールに明白に反するものですが、「遭難した」とされる北朝鮮の「漁船」の正体は何なのか。そして、何故救難信号を韓国だけがキャッチしたとされているのか。
 かつての中国艦による同種の事案の際も、民主主義国とは異なる中国において文民統制はどのように機能しているのかが問題となりましたが、今回の一連の不可解極まる韓国側の対応についても、その視点を持って見ていかなくてはなりません。

 尾崎行雄記念財団が、2018年「咢堂ブックオブザイヤー」の中の一冊に拙著「政策至上主義」(新潮新書)を選んでくださいました。有り難いことです。
 著書や論文は未来永劫にわたって厳しい評価に晒されますので、書くことにはいささかの躊躇いもあるのですが、文章にして自分の考え方を世に明らかにするのも政治に携わる者の責務ではないかと考えております。

 週末は札幌、倉吉、米子、薩摩川内、鹿児島での講演、座談会、選挙応援日程が入り、来週17日にはシンガポールにおいて開催される日経フォーラム「イノベーティブ・アジア」でパネルディスカッションに参加した後、講演する予定です。
 大寒に向かって寒さが厳しくなる折、皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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