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2024年6月28日 (金)

メディアの暴走など

 石破 茂 です。
 前通常国会会期末の6月19日、国家基本政策委員会 衆参合同審査会において、現内閣になって初めての党首討論が開催されましたが、この開催頻度の少なさと時間の短さは一体何なのでしょう。総質疑時間はわずか45分で、立憲民主党が26分、維新の会が12分、日本共産党が4分、国民民主党が3分という時間配分、これでまともな討論になどなるはずがありません。
 国家基本政策委員会は2000(平成12)年に国会法第41条によって衆・参両院に設置された常任委員会で、委員長・委員部職員・委員長室・委員長車等も他の常任委員会と同様に割り当てられています。それなのに一国会に一度も開かれないで、これを税金の無駄遣いと言わずして何と言うのでしょう。せめてひと月に一回は開催し、総質疑時間として最低二時間は充てるべきものですし、総理大臣の負担が過重になるというのであれば、その分、予算委員会などの総理の出席回数を減らせばよいと思います。「党首討論」と称しながら、あくまで対総理質疑という形式を採っているのですが、質問者側からの事前の詳細な質問通告もなく、官僚の手による答弁書もないために、まさに総理と野党党首の資質と知識、質問力と答弁力が問われるのであり、この絶好の機会は最大限に活用されるべきです。

 「令和の政治改革」で積み残した議論として、「さらにおカネのかからない制度をどのように設計するか」「政党の統治の仕組み(ガバナンス)を定めた『政党法』をどのような内容とし、条文化するか」「現行の『小選挙区比例代表並立制』のデメリットをどのように改めるか」という三点がありますが、国会閉会後、自民党内で議論が始まる気配がありません。いや、議員の中には問題意識をもってこれに取り組もうとする動きがあるのですが、その認識や現状に対する危機感が党内で共有されているのか、疑問なしとしません。この議論こそ、自民党が率先して取り組み、野党との相違を国民に示すべきなのですが、「車座対話集会」において全国の地方組織から出された意見の集約や類型化、分析の作業はどこまで進捗しているのでしょう。「言いっ放し、聴きっ放し」では「単なるガス抜き」との批判を免れず、ましてや「この機会を利用して顔と名前を売る」などと言われるようなことがあっては、ますます地方の信頼を失うことになります。執行部の適切で早急な対応を、引き続き総務会などで強く求めて参ります。

 総裁選を9月に控えて、自民党内外が何やら騒がしくなりつつありますが、「日本の課題は何か」「それらにどのように対処するのか」という議論が全く欠落したままに「誰と誰が会った」「誰が誰に激怒している」といった活劇風の報道ばかりが伝えられて、心底嫌気がさします。
挙げ句、明らかに何らかの意図を持ったとしか思えない記事までが見られるようになりました。本日の朝日新聞の朝刊などがまさしくその典型で、何の根拠もないままに「27日、石破氏は総裁選に出馬の意志を周囲に伝えた」などと書いていますが、何故27日で、「周囲」とは一体どこの誰なのか、私には全くわかりません。意志を伝えるのならまず家人、信頼するスタッフ、40年にわたって支えてくれている選挙区の後援者や有権者であって、その順序を飛ばすようなこともありえません。
 私はかねてより、「民主主義には健全なメディアの存在が不可欠で、権力とメディアが癒着や結託をすれば国が亡びる」との意見を持っていますが、権力と癒着や結託をしなくてもメディアの暴走はあり得るのであり、これもとても恐ろしいことです。

 円の下落が止まる気配がありませんが、これは「円安」ではなく「円弱」が本質のように思います。もっとも円が強かった(高かった)のは2011年の1ドル=75円32銭だった時で、今の160円台後半の水準は、その時の半分以下になっています。日本の輸出がGDPに占める割合は18%程度で、ドイツの47%、韓国の44%に比べてもともと相当に低いところ、円安による「半額大安売りセール」的な商売がいつまでも続くとはとても思えませんし、世界のマーケットにおいて安さを売り物にしつづけるのは自らの首を絞めるようなものでしょう。「同じものを、安く、大量に作る」というかつての日本で成功したモデルから脱却し、いかに品質で勝負するか、高付加価値を価格転嫁するか、それが「成長と分配の好循環」にも必要なことなのではないでしょうか。

 本日夕刻は札幌市において、高木宏壽復興副大臣の政経セミナーで講演の予定です。高木代議士は防衛大学校→慶大法学部→米国ウエスタンワシントン大学→北海道拓殖銀行→北海道警→北海道議会議員→衆議院議員、という異色かつ多彩な経歴の持ち主で、自民党ラーメン文化振興議員連盟の実質的な設立者でもあり、日頃より畏敬の念を持ってお付き合いさせていただいている同志です。

 梅雨に入り、東京都心は不順な天気が続いておりますが、皆様の地域はいかがでしょうか。
 どうかご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2024年6月21日 (金)

第213回国会閉会など

 石破 茂 です。
 第213回国会(令和6年通常国会)も大きな混乱もなく本日閉会となりました。最初から最後まで主要なテーマが派閥のパーティ券問題に端を発した「政治とカネ」であったこと、会期末に成立した政治資金規正法改正案が多くの国民の理解を得ることも出来ないまま終わったこと、どちらも残念なことでした。
 民主主義にコストがかかるのは事実ですが、選挙区の事務所やスタッフの数に上限を設けるなどの改善はもっとできるはずですし、政党のガバナンス(統治プロセス)を規定する「政党法」の制定に向けて、議論を始め、早急に結論を得るべきです。党の綱領、党内意思決定の組織とプロセス、代表選出方法等々、もちろんその内容は各党によって異なって当然ですが、少なくとも定めるべき事項を明示し、有権者に対して明らかにできるようにしなければなりません。
 本来は、憲法に政党を明確に位置づけ、政党法の憲法上の根拠を定めることが望ましいと考えます。
 平成24年に党議決定された自民党憲法改正草案はその第64条の2において、「国は、政党が議会制民主主義に不可欠の存在であることに鑑み、その活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない」「政党の活動の自由は、保障する」「前二項に定めるもののほか、政党に関する事項は、法律で定める」としているところ、この議論が自民党内で等閑視されているのが残念でなりません。
 「令和の政治改革」は今国会で法律が成立したことをもって、事成れり、なのではありません。政治活動の基本的なルールが揺らいでいると言わざるを得ない状況も出てきています。東京都知事選においてN党が大量の候補者を立候補させ、立候補していない人でも同党に寄付をすれば掲示板にポスターを貼る(内容は自由)スペースを提供する、という選挙法が予想もしていない盲点を突く形のビジネスを展開しているのも、その一例でしょう。専ら選挙妨害のみを目的としたとしか考えられない「つばさの党」の活動も同様です。政党の活動に権力が不当に介入してはならないのは当然ですが、だからと言って何をやってもよいのではありません。何が必要とされ、何を守らければならないか。そもそも論からの議論が必要だと考えます。

 

 東京都知事選挙は過去最多の56人が立候補する異例の事態となりました。都知事選なのですから候補者が「もっと住みやすい東京に」「もっと魅力的な東京に」的な公約を掲げるのは当然ですが、東京への一極集中がもたらしている多くの課題についても語られるべきだと思います。地方からの人口流出が加速し続けることは、東京にとって望ましい姿なのか。立ち止まって考えることも必要なのではないでしょうか。
 その一点において、前安芸高田市長の石丸候補の公約は、人口が急減する日本において東京と地方の共存を目指すリ・バランスを訴えており、注目には値すると思います。
 また、三期目を目指す小池候補が公約の中で「他国からの攻撃に備えたシェルターの整備」「富士山噴火の際の降灰対策」を掲げたことには強く共感しております。

 

 時節柄、と言うべきなのでしょうか、ここのところ一週間に20冊程度の本と30冊程度の雑誌が送られてくるのですが、能力的にもとても全部は読めませんし、ましてや咀嚼して自分の言葉に直すことなどほぼ不可能です。これに加え、二週間に一度は書店で何冊かの本を買い求めるのですが、それすら読み切れず、一種の飽和状態になりつつあります。「せっかく送った本を読んでいないのか」とのお叱りは甘んじて受けねばなりませんが、そのような事情もご賢察頂ければ幸いです。

 

 イタリアでのプールア・サミットにおいて、現在凍結しているロシアの資産を活用してウクライナの支援に充てる枠組みが決定され、今後細部を詰める作業が行われます。おそらくこれは世界で初の試みで、国際法的にも相当精緻な理論を構築しなければならないのでしょうし、ロシアから対抗措置が取られるリスクも勘案しなければなりません。
 サミットでは、恐らく日本から「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」との問題提起がなされたのでしょうし、これはウクライナを台湾に、ロシアを中国に置き換えての議論に違いないのですが、そうであればなおさら、「そもそも何故ロシアに対する抑止力が効かなくなったのか」についての検証をスキップしてはなりません。NATOの集団安全保障と集団的自衛権を(意図的に?)混同したような議論も散見されますが、一見シンプルでわかりやすい議論にも注意が必要です。

 

 昨20日、党本部において自民党鳥獣食肉利活用推進議連(ジビエ議連)、鳥獣捕獲緊急対策議連、自民党鳥獣被害対策特別委員会の共催によるジビエの試食会が開催され、今までにない盛況ぶりでした。「ジビエにしては美味しい」ではなく「ジビエは美味しい」ことを実感したひとときで、ご尽力いただいた日本ジビエ振興協議会の藤木会長(レストラン・エスポワールオーナーシェフ)をはじめとする皆様に、心より厚くお礼申し上げます。

 

 そういえば昨日、議員会館の玄関で中国の最高級車「紅旗」を見かける機会があったのですが、その洗練されたデザインには驚きを禁じ得ませんでした。同車はすでに日本国内でも販売されており、やがては日本車の強力なライバルになるのかもしれません。
 最近の日本車のデザインには「優美さ」が乏しくなっているように感じるのですが、これも時代の流行なのでしょうか。かつてのクラウンツードアハードトップや初代マークⅡハードトップ、日産の初代ローレルハードトップやセドリック4ドアハードトップなどは本当に美しくて、うっとりしていつまでも眺めていたい誘惑にかられたものですが、これも古い世代の郷愁なのかもしれませんね。

 

 東京も遅い梅雨入りとなりました。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2024年6月14日 (金)

各党間の信頼関係など

 石破 茂 です。
 今国会会期末まであと一週間となりましたが、緊張感もないままに日々が過ぎていくように思います。
 調査研究広報滞在費(旧・文書交通費)の使途の公開と残金の返納を義務付ける立法措置を講ずることで、5月31日に自民党・岸田総裁と維新の会・馬場代表との間で合意を見たはずなのですが、この立法措置を講ずる期限が合意文書には書かれていなかったため、自民党が「今国会中の立法は時間的に困難」(浜田国対委員長)としたのに対して、維新の会が「信用してほしいと言ったから合意文書に期限を入れなかったのに、騙された思い。嘘つき内閣だ」(馬場代表)と猛反発、総理は「早期に結論を得たいとの思いは変わらない。今後も誠心誠意対応していく」と述べられて事態の鎮静化を図ろうとしており、仮に維新の賛成が得られなくても、会期の延長のないままに政治資金規正法改正案を成立させることになるのでしょう。内容はともかくとして、せめてこの法案を成立させなければこの国会の意義そのものが問われることになります。今後維新との関係がどのようになるのか、現時点では全くわかりませんが「言った」「言わない」「誠心誠意」「嘘つき」などという、まるで子供の喧嘩のようなやり取りの光景が展開されていること自体に、国民は相当に嫌気がさしているように思われます。

 今国会では見送りとなることがほぼ確実となっている「緊急事態における衆議院議員の任期延長についての憲法改正の条文化」もそうなのですが、課題解決に向けた丁寧で充実した議論を可能とする、各党間の信頼関係が最近随分と希薄になっているように思えてなりません。与党、野党と立場は異なっても、共に国家の将来を思って国会議員になっているのですから、互いの立場を尊重して、理解と信頼を深めることは十分に可能なはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのか。違いを殊更に強調し、侮蔑的な言辞を弄してひたすら憎悪を煽るような政治的な手法は厳に慎まなければなりません。断定はできませんが、もしこれが小選挙区制の特性なのだとすれば、制度そのものをもう一度見直さなければならないのかもしれません。

 会期末が迫り、内閣不信任案の提出、解散の有無などが取り沙汰されていますが、いつも申し上げているとおり、衆議院の解散は内閣不信任案の可決や信任案の否決など、内閣と衆議院の立場の相違が明確となった場合に限り、内閣が主権者である国民の意思を問うために行われるべきものであって(憲法第69条「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」)、単に天皇の国事行為を定めたに過ぎない第7条を根拠として「今解散すれば勝てる」とばかりに衆議院を解散することは、国会を「国権の最高機関」とする憲法第41条の趣旨にも反することになるのではないでしょうか(私は政治的美称説には立っておりません)。
 すべての衆議院議員の身分を瞬時に失わせる解散権の行使は総理の権力の源泉とも言えますが、選挙に不安を抱える衆議院議員がこれに恐れおののく、という姿が、国権の最高機関の構成員の姿として正しいとは思えません。二院制を採る我が国においては参議院議員も三年に一度改選されるため、概ね二年に一度の頻度で国政選挙が行われているのが実情ですが、これでは国政が安定するのは困難でしょう。このテーマは憲法の議論の中でももっとクローズアップされるべきであり、私もより深く考えてみたいと思っております。
 かつて保利茂・衆議院議長は、衆議院の恣意的な解散を厳しく戒めた「解散権について」と題するメモを認められ、これは没後の昭和54年に公表されています。小泉総理の郵政解散の際に議論されたものの、最近はほとんど聞くことがありません。偉大な先輩の知恵を学ぶことの重要性を強く思う昨今です。

 16日日曜日は、自民党衆議院高知県第1選挙区支部の総会で南国市、17日月曜日は、自衛隊援護協力会の講演会で新潟市へ参ります。
 高知龍馬空港のある地には、かつて航空要員の養成を任務とする帝国海軍高知航空隊が所在し、戦争末期には練習機「白菊」も特攻機として用いられました。時速180キロの低速で、武装もほとんど搭載されていない同機は、護衛機も随伴しないままに沖縄特攻作戦に参加、夜間の特攻で戦果を挙げたものの、搭乗員の多くが還らぬ人となりました。
 先週末に地元鳥取市で出版祝賀会が行われた小河守氏の「平和への祈り-出征兵士と家族の記録」を読んだ時も思ったことですが、戦争は人の理性を失わせる狂気の所業であること、そして日本において数々の人命軽視の政策が遂行されたことを、我々は今一度認識し、その背景や理由を深く検証しなければなりません。

 先週より読み始めているのですが「エヴァンジェリカルズ アメリカ外交を動かすキリスト教福音主義」(マーク・R・アムスタッツ著・加藤万里子訳・橋爪大三郎解説・太田出版・2014年)は訳文もかなり難しくて、悪戦苦闘しております。大統領選挙を控えたアメリカのこれからを少しでも理解するために、何とか読了し、理解しようと思います。
 東京は梅雨入りも間近のようです。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2024年6月 7日 (金)

大学ゼミ講義など

 6日木曜日、政治資金規正法改正案が衆議院で可決されて参議院に送付され、今国会中の成立が確実となりました。「抜け穴だらけの欠陥法案」と世の中の評価は散々ですが、一歩前進ではあると思います。ただ、これで事成れりなのでは決してなく、事務所数やスタッフ数の制限など「よりカネのかからない政治活動」のあり方、政治資金パーティの開催頻度や非常識な利益率の制限などの「資金集めの適正化と透明化」、政党の公的な存在を明確にし、ガバナンスを律する「政党法の制定」、主権者の意思をより尊重する「選挙制度の改革」等が議論され、結論を得なくてはなりません。
 今回の政治改革が国民の関心も共感も呼ばなかったのは、最初から最後まで「政治家の論理」でしか議論されず、国民には「どうせカネに執着する薄汚い政治家たちが自分たちに都合の良い制度しか作ろうとしていない」としか映らなかったからでしょう。
 パーティ券の公開基準の引き下げに自民党が最後まで消極的だった理由は、「公開基準を現行の20万円から5万円にまで引き下げてしまえば、名前が表に出ることを嫌う企業や個人がパーティ券を買わなくなり、集金力の弱くなった議員がますます党に頼るようになって、その自立性が失われる」というそれなりに理屈の通ったものだったのですが、これはプロの政治家や関係者には理解されても、国民にはほとんど共感されないものだったように思います。

 

 これは憲法改正も同様で、憲法改正の機運が国民に全く盛り上がらないのも、テーマを「衆議院が解散された際に、有事や大規模災害が発生して、衆議院議員選挙の実施が困難になった場合、特例的にその任期を延長する」という、重要ではあっても極めてテクニカルな、かつ現行憲法に定めのある「参議院の緊急集会」との整合性が問われるものに絞ったため、国民には一体何のことだか全くわからない内容になったことによるものだと考えています。
 国民ウケを狙えばよいというものではないのはもちろんですが、主権者の共感を呼ばない「改革」は決して成功しない、ということをもう一度再認識する必要があると痛感しております。
 憲法改正については、衆議院の自民・公明・維新・国民で条文化の作業を行い、百人以上の賛成を得て改正原案を発議すべきとの議論もあるようですが、発議した後の展望が全く開けないまま、ただ痕跡を残すとのことであれば、あまり賛成は出来ません。くどいようで誠に恐縮ですが、「衆・参いずれかの四分の一の賛成で要求された際の臨時国会の召集期限を20日とする」という憲法改正であれば、すべての党の賛成が得られ、次回の総選挙においても直ちに国民投票が可能となるのではないでしょうか。「憲法改正は実際に出来るのだ」という体験を国民に共有して頂くことがまず第一だと思っています。併せて、憲法改正の発議は国会のみならず内閣も出来る、という点を再確認することも重要で、これは「憲法改正は専ら国会が決めること」との政府の傍観者的な姿勢を正すことにも繋がります。

 

 最近、大学のゼミ生を対象とした講演に呼ばれる機会が多く、昨6日は明治大学・政治経済学部の西川伸一教授の国会での「郊外ゼミ」でお話をして参りました。同教授の著書「城山三郎『官僚たちの夏』の政治学」(2015年・ロゴス刊)、「最高裁裁判官国民審査の実証的研究 『もうひとつの参政権』の復権をめざして」(2012年・五月書房刊)、「覚せい剤取締法の政治学」等を、この機会に大変興味深く、とても面白く読みました。自分の知らないことのいかに多いことか、今週もまた思い知らされたことでした。

 

 ゼミといえば、さる1日、大学時代のゼミナールの指導教授であった新田敏・慶大名誉教授(民法)の卒寿(90歳)のお祝いの同窓会に出席して参りました。1期生から30期生まで、参加者が200人を超える盛況で、昔と全く変わらぬ頭脳明晰ぶりの先生のお元気な姿に接してとても嬉しく思ったことでした。
 新田ゼミは指導の厳しいことで有名で、毎週1回、A4の用紙に出題される課題についてのレポート提出が義務付けられていたのですが、これが大変な難作業で、毎週ゼミの前夜は艱難辛苦、地獄の苦しみであったように記憶しています。当時はワープロもパソコンもなく、質の不足を量で補おうとばかりに鉛筆で小さな文字を書き連ねて提出していたのですが、先生はあの出来の良くないレポートを丁寧に添削してくださり、「ここは論理が飛躍している」「この部分の記述は説得力がある」等々のコメントを付して、A゜(エーマル)、A、A⁻(エーマイナス)からⅭ⁻(シーマイナス)まで評価を付けて翌週返却してくださいました(Ⅾ評価はなく、何も書かないで返却された場合は「評価に値せず」という意味だったそうです)。我々学生も大変でしたが、あれを毎週十数枚、丹念に読まれて評価される先生の方が何倍も大変なことだったろうと思います。多少なりとも論理的に物事を考えられるようになったのは、先生のご指導の賜物と心より感謝しております。卒業後45年が経ちましたが、学生時代に戻ったような久々に楽しいひとときでした。白寿(99歳)、百寿に至るまで、先生がご健勝であられますことを心より祈っております。

 

 本日は午後8時より、BSフジ「プライムニュース」で先崎彰容・日大教授と派閥の意義について討論します。先崎教授は見識の高い若手の論客で毎回学ばされることが多く、議論を楽しみにしております。
 明8日は鳥取市で、かねてより敬愛してやまない地元八頭町の自動車整備・販売会社の経営者である小河守氏の「平和への祈り 出征兵士と家族の記録」の出版記念会に参加する予定です。平和への願いと戦争の悲惨さが切々と綴られたこの小冊子が、広く鳥取県民の皆様に読まれることを願っております。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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