東京都が「ホームレスの自立支援等に関する東京都実施計画(第5次)(案)」を取りまとめ、3月1日まで都民からの意見を募集しています。
「ホームレスの自立支援等に関する東京都実施計画(第5次)(案)」について御意見を募集します
https://www.fukushi.metro.tokyo.lg.jp/seikatsu/rojo/5thplan_public-comment.html
私からは、以下の8点について意見を提出しました。
ぜひご参考にしていただき、それぞれ意見を出していただければと思います。
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東京都は2014年12月に発表した「東京都長期ビジョン~『世界一の都市・東京の実現を目指して』」において、「全てのホームレスが地域生活へ移行」を2024年度までの政策目標として掲げていました(「政策指針17」)
「ホームレスの自立支援等に関する東京都実施計画(第4次)」でも、「平成 36 年度末(2024 年度末)までに自立の意思を持つ全てのホームレスが地域生活へ移行するという目標」への言及がありました。
しかし、今回の第5次計画(素案)では、この政策目標への言及が一切ありません。
この政策目標は当初から実現可能性が低いこと、東京五輪の開催を名目に「ホームレス」当事者の自己決定権を尊重しない施策が強行される危険性があることが指摘されていましたが、東京都が「PDCAサイクル」(P46)を重視すると言うのであれば、一度掲げた政策目標について言及しないのは誠実な態度とは言えません。
政策目標を撤回あるいは目標年次を延期するのであれば、その旨を明記してください。また、当初の目標設定に実現可能性がなかったこと、目標設定のプロセスにおいて当事者や支援団体との対話を経なかったことへの反省も明記してください。
目標を目指したのにもかかわらず、達成しなかったと評価するのであれば、従来の支援策の何が不充分であったのか、検証してください。
「女性のホームレス」、「性的マイノリティのホームレス」、「路上生活者の家族」に対しての配慮が盛り込まれたことは評価します。
その一方で、多様化する相談者に対して、都区行政が施設入所を前提とした支援を続ける限り、当事者のニーズから遠ざかる一方です。
東京都として、従来のパターナリズム的な支援のあり方を転換し、「住まいは基本的人権である」という理念のもと、利用者の自己決定権を尊重する「ハウジングファースト」型の支援へと舵を切ると明言すべきだと考えます。
また、「支援付地域生活移行事業」については、路上生活の当事者から利用方法や入居後の流れがわからないという声が寄せられています。どのような事業規模、受付方法、支援プログラムで実施するのか、明記してください。
「身元信用保証事業」が効果的に実施されるための具体策を明記してください。
また近年、就職活動のために携帯電話の確保が必須になっています。通信手段を確保するための支援策についても盛り込んでください。
無料低額診療事業を実施する医療機関は少なく、その要因として医療機関の財政負担が大きいことが指摘されています。東京都として無料低額診療事業施設の「効果的な活用を図る」だけでなく、同事業を実施する医療機関への支援策を実施してください。
第4次計画では、この項目において、東京都が平成30年 1月に発表した「住居喪失不安定就労者等の実態に関する調査」の結果が記載されていましたが、都はその後、同様の調査を実施せず、今回の計画(素案)では調査への言及が一切なされていません。
繰り返しになりますが、東京都が「PDCAサイクル」(P46)を重視すると言うのであれば、定期的に「住居喪失不安定就労者等の実態に関する調査」を実施することを計画に明記し、その結果をもとに施策の効果検証をおこなってください。
2021年以降、ホームレス支援に取り組む各民間支援団体に、仮放免状態の外国人の相談が増えています。つくろい東京ファンド、北関東医療相談会、ビッグイシュー基金の3団体が実施した「仮放免者住居調査報告」では、仮放免者の22%が「路上生活の経験あり」と回答しました。
また、2022年以降は新規に入国をしたばかりの難民認定申請者がホームレス化する事例も増えており、新聞等でも大きく報道されています。中には、子ども連れや妊婦で路上生活になってしまっている人もいます。
現状では、在留資格がない外国人や短期の在留資格しか持たない外国人は、自立支援センター等のホームレス支援施策を利用することができません。
外国人のホームレス化という問題を人道問題として捉え、緊急的な援助(特に宿泊・医療)を早急に検討・実施してください。
路上生活者の高齢化が進んでいますが、その中には生活保護制度にまつわる誤解やスティグマにより申請をためらっている人が少なくありません。東京都がウェブサイト、ポスター、ラジオCM等、様々な手段を用いて、「生活保護は権利」との広報を積極的におこない、誤解やスティグマ、偏見の解消に努めるべきです。
また、生活保護法では施設入所の強制は禁止されていますが、実際には都内の多くの福祉事務所で施設入所前提の対応が行われています。都として違法対応がないか調査をおこない、各区市に対応の改善を求めるべきです。
コロナ禍の初期では、住まいのない状態からの生活保護申請者が東京都の「協議ホテル」を一時的な宿泊場所として利用することができましたが、「協議ホテル」が実質的に終了した2022年10月以降、都内の各自治体で生活保護を申請しようとした人が千葉または埼玉の「山奥にある無料低額宿泊所に入るしかない」と言われ、申請を断念させられるという事例が続出しています。背景には、東京都内に安心して暮らせる個室の宿泊施設が圧倒的に不足しているという問題があります。
「協議ホテル」事業を再開する等、東京都が率先して生活保護申請者が安心して滞在できる宿泊場所の確保に努めてください。
以上
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「中野区健康福祉総合推進計画(案)」へのパブリックコメントが2月26日(月)まで募集されています。
「中野区健康福祉総合推進計画(案)」に係るパブリック・コメント手続を実施します
https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/kusei/public/tetsuzuki/bosyu/0237285120240201100711455.html
私は、「健康福祉総合計画(案)」に含まれる「地域福祉計画」について、以下の3つの意見を出しました。
パブリックコメントは、中野区内に在住・在勤・在学の方や中野区に関わりのある方なら提出することができます。
ご参考にしていただければ幸いです。
****************
該当箇所:P40
【意見】
「1 多様性を認め合う気運の醸成」及び「3職員向け人権研修の実施」において、区がヘイトスピーチ解消法に基づき、ヘイトスピーチ解消に向けた啓発・研修に取り組んでいることを明記してほしい。
【修正理由】
中野区内でのヘイトスピーチに不安を抱く人も多いことは区議会やタウンミーティングでもたびたび指摘されています。不安解消のためにも計画の中で区の取り組みを明記していただくことが重要だと考えます。
該当箇所:P42
【意見】
「9 多文化共生社会の推進」において、UNHCRが呼びかける「難民を支える自治体ネットワーク」に中野区に参加したこと、区として同ネットワークへの参加をどう計画に反映させていくのか、今後、検討していくことを明記してほしい。
【修正理由】
世界的に難民危機が広がる中、日本に逃れ、中野区に暮らす難民の方も増えています。具体策については議論が必要かと思いますが、検討を始めるということだけでも盛り込んでいただければと考えます。
該当箇所:P58・60
【意見】
「生活保護に対する偏見や差別意識といったスティグマの解消に向けた施策を講じる必要があります」「生活保護制度の意義や必要性について、区民に分かりやすく、かつ正確に届くよう継続的に周知します」との記載が盛り込まれたことを高く評価します。
【修正理由】
他自治体の地域福祉計画の模範ともなる記述なので、ぜひこのまま残してください。
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2021~2023年に受けた主なインタビュー記事や対談をまとめました。
ご参考にしてください(全文を読むのに有料登録が必要な記事もあります)。
【2021年7月24日】(フロントランナー)一般社団法人「つくろい東京ファンド」代表理事・稲葉剛さん:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/DA3S14984155.html
【2021年9月8日】Radio Dialogue ゲスト:稲葉剛さん「ホームレス支援の現場から」(2021/9/8) | Dialogue for People @dialogue4ppl
【2021年9月10日】生活困窮者支援・稲葉剛さんの原点にある体験 ~コロナ禍で問われる命の重み[前編] – 記事 | NHK ハートネット
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/541/
【2021年9月10日】生活困窮者支援・小林美穂子さんの原点にある出会い~コロナ禍で問われる命の重み[後編] – 記事 | NHK ハートネット
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/542/
【2021年11月12日】“住まいは人権” 生活困窮者への居住支援に取り組む 一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事・稲葉剛
https://dot.asahi.com/aera/2021110900066.html
【2021年11月16日】若者や女性、子ども連れも炊き出しに――みんなの生活保護 制度の実態や問題点とは【特集】命と生活を支える(1) – 記事 | NHK ハートネット https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/557/
【2022年2月22日】BIG ISSUE LIVE 特別企画「ボブについて語ろう」 https://www.youtube.com/live/iX6oo_rT52Q?feature=share
【2022年3月1日】生活支援団体が語るコロナ後の変化(Yahoo!ニュース オリジナル Voice)
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa60b418d8e8c5cd4aaef8d156cd8d2beddf4427
【2022年4月11日】稲葉剛「“貧しさは自己責任”という偏見と差別が路上生活者の命を奪う」|みんなの介護
https://www.minnanokaigo.com/news/special/tsuyoshiinaba/
【2023年3月31日】「老害化前に集団自決」発言で考える世代間対立 標的になるのは 貧困の高齢者
https://dot.asahi.com/aera/2023032700019.html
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※初出:朝日新聞「論座」サイト 連載「貧困の現場から」 2023年3月24日
――突然のけがや病気で、医者からは数か月間の静養が必要だと言われている。所持金が尽きかけているので、仕事を探しているが、今の自分の体調だと雇ってくれるところがない。生活保護だけは絶対に受けたくないので、何か他の方法があったら教えてほしい――
生活困窮者支援の現場では以前から聞く話だが、今年に入り、このような相談をされる機会が増えてきている。そのたびに私たち支援者は、就労が見込めない状況で活用できる制度は生活保護しか存在しないこと、生活保護の利用は権利なので遠慮する必要はまったくないことを伝え、「せめて療養期間だけでも一時的に利用しませんか」と説得を試みているが、それが功を奏することは極めて稀である。
病を押して働けば、病状が悪化するのは火を見るよりも明らかだ。民間団体で当面の宿泊費や食費を支援することもできるが、その場しのぎにしかならない。ご本人が生活保護の申請を拒み続ければ、医療にもかかれなくなり、近い将来、生命に関わる事態に陥ることも容易に想像できる。
最近も、そのことを心配していると伝えた人がいたが、その相談者から返ってきた言葉は「生活保護は遺体になっても嫌」というものだった。私は二の句を継ぐことができなくなってしまった。
なぜ極限の貧困状態に至っても、生活保護の申請を拒むのか。
要因はさまざま考えられるが、特に私が生活に困窮する人たちと接していて感じることが二つある。一つは、生活保護利用者に対する「スティグマ(周囲から否定的な意味づけをされ、不当な扱いをうけること)」が大きな心理的ハードルになっていることであり、もう一つは扶養照会(生活保護の申請者・利用者の親族に行政が援助の可否を問い合わせること)が制度的なハードルとして存在していることである。
そして、その二つは相互に作用することで、制度利用を妨げる巨大な障壁となっている。生活に困窮している人は、スティグマゆえに行政が親族に連絡することを怖れるし、行政による親族関係への介入というプロセスを組み込んでいる制度であることがスティグマを増幅させるからだ。
スティグマをなくすために、行政が率先しておこなうべきことは「生活保護の利用は当然の権利である」ということを住民に周知する広報だ。
2020年12月、厚生労働省は公式サイト上に「生活保護を申請したい方へ」という特設ページを開設し、「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください」との発信を始めた。以来、厚労省の公式Twitterアカウントでも同内容のメッセージが何度か流され、SNS上でも話題になった。
地方でも、この厚労省サイトの文言を使って、住民への周知活動に乗り出す自治体が出てきている。
京都府京丹後市は「生活保護の申請は、国民の権利です」というタイトルのチラシを作製し、2度にわたって市内の全世帯(約2万400戸)に配布した。この取り組みは朝日新聞の記事にも取り上げられた。(「『生活保護は権利』自治体が全世帯に配ったチラシ、なぜ画期的なのか」朝日新聞デジタル)
京丹後市のように住民に生活保護の利用を促す広報をおこなう自治体は、この2年間で少しずつ増えてきているものの、全国に900以上ある福祉事務所設置自治体のうち、チラシやポスターを作製し、積極的な発信をしているところは1~2%程度にとどまっている。
すべての自治体が「生活保護は権利」との広報に力を入れ、多様なツールを使って発信していけば、スティグマが低減していくのは間違いない。問題は自治体にその気があるかないかだ。
もう一つの大きなハードルである扶養照会については、2年前に動きがあった。
申請者本人が親族への照会を拒む場合、その意思を尊重することを求める運用に変えるよう求める署名活動や申し入れ等が行われた結果、2021年春に運用が一部改善されたのだ。
厚生労働省が2021年の2月と3月の2段階にわたって発出した通知では、照会の範囲を援助が見込める親族に限定することや、DVや虐待のある場合には照会をしてはならないことが明確となり、本人が照会を拒む時には援助が期待できない場合にあたる事情がないか、丁寧に聞き取ることを自治体に求めている。
この運用改善を踏まえ、厚労省への申し入れをおこなった2団体(法律家らでつくる「生活保護問題対策全国会議」と、私が代表を務める「一般社団法人つくろい東京ファンド」)は、生活保護の申請者が自分の意思を書面で表明できる「扶養照会に関する申出書」と、個々の親族との関係をチェック式のシートで説明できる「添付シート」を作成し、これらの書式のPDFをネットで公開した。生活保護の申請を検討している人が、扶養照会を止めるためのツールを入手できるようにしたのである=生活保護の扶養照会の運用が改善されました!照会を止めるツール(申請者用、親族用)を公開しています(つくろい東京ファンド)。
私たちのもとには、この2年間、実際にこれらの書式を用いて、扶養照会を止めることができたという声が何人もの当事者や各支援団体から届いている。だが、その一方で、改善されたはずの扶養照会の運用指針が現場レベルでは守られていない、という声を聞く機会も多い。
昨年12月27日、東京都江戸川区は扶養照会の文書を照会の対象ではない未成年者の中学生に誤って送付した事実があったことを認め、中学生と保護者に謝罪文を送ったと発表した。区は、戸籍謄本で対象者の生年月日を確認する作業を怠り、チェックが不十分だったとして、「今回の事態を受け、ご心配をおかけいたしました関係の皆さまにお詫び申し上げます。今後、このような事態が発生しないよう管理体制を再度見直し、再発防止の徹底を図ってまいります」という担当課長のコメントを公表した。
問題発覚後の江戸川区の対応は迅速であったが、本来、照会の対象から外されるべき親族にも機械的に照会文書を送付している例は他自治体でも枚挙にいとまがなく、今回の件は氷山の一角だと思われる。
つくろい東京ファンドのスタッフで、扶養照会に関する全国各地からの相談を一手に引き受けている小林美穂子は、明らかに親族に援助する見込みがない場合にも福祉事務所が照会しようとするケースや実際に照会してしまったケースをいくつも見聞きしてきたと語る。
「親が超高齢だったり、難病を患っていたりしている場合にも扶養照会をかけて親族に精神的負担を著しくかけたケースがありますし、亡くなっている親に照会をしたケースもあります」
「DVやストーカーの被害者で、住民票の閲覧制限をかけている人が生活保護を申請した際、福祉事務所の担当者が『やってみなければ、わからない』と加害者に照会しようとした悪質なケースもありました。異常なまでの執念を感じます」
厚労省の2021年春の通知は、「丁寧な聞き取りというプロセスを踏みさえすれば、本人の意思を飛び越えて自治体が親族に照会できる」と解釈される余地を残す内容であった。
小林は通知が「玉虫色」だった影響もあり、扶養照会の運用をめぐって、自治体の姿勢が大きく二つに分かれてしまっていると指摘する。
「生活に困窮して、生活保護を必要としている人たちに対して、まずはその人の安全と生活の再建を重視して、制度を使ってもらおうという姿勢の自治体と、『お前の嘘を暴いてやる。まんまと制度を使えると思うなよ』という姿勢の自治体の二つに大きく分かれてしまっています。後者は本人が『援助の見込みがない』と親族との関係や経済状況を説明しても、それをはなから信じてくれず、書面で説明しても、口頭でさらに詳しく説明しても、『調査しないと、わからない』と言って、困窮者を執拗に追い詰めています」
扶養照会の運用に地域間の格差が生じているという問題は、国会でも何度か取り上げられている。
昨年11月9日の衆議院厚生労働委員会では、宮本徹議員(日本共産党)が自治体によって親族への照会を実施する割合に大きな差が出ていることを指摘し、運用の見直しを求めた。
これに対し、加藤勝信厚生労働大臣は「照会率によって、適切な運用が行われているかどうか、これを一概に判断するのは難しい」としつつも、「現行の扶養照会の取扱いについて周知徹底を図りたい」と答弁した。
この点を踏まえ、今年3月17日に開催された厚労省社会・援護局関係主管課長会議では、厚労省の担当課が2021年の通知について改めて説明した上で、「こうした改正点も含めた扶養照会に対する考え方について、面接相談において相談者に誤認が生じないように努められたい」「各実施機関において丁寧な相談支援に努められたい」との注意喚起を各自治体におこなった。
今年2月28日には、衆議院予算委員会の総括質疑において、森山浩行議員(立憲民主党)が生活保護制度を「入口は入りやすく、出口は出やすい」仕組みにすべきだと述べた上で、「扶養照会の副作用の大きさ」を指摘し、さらなる見直しを求めた。
この追及に岸田文雄首相は「自治体の運用について絶えず現実に合っているのか等を検討する中で、扶養照会のありようについて関係者の中で考えていきたい」と答弁している。
岸田首相は具体的にどういう場で検討するのかについては述べなかったが、「関係者で考える」と言うなら、ぜひ厚生労働省の社会保障審議会の中に扶養照会のあり方を検討する専門部会を設置することを私は提案したい。
検討にあたっては、生活保護の利用者、利用経験者、利用を希望したが扶養照会ゆえに断念せざるをえなかった人々の声も反映されるべきである。
コロナ禍での貧困拡大を踏まえ、厚労省や一部の自治体が「生活保護は権利」との広報を始めたことは大いに評価できるが、生活保護を申請する人がどれだけ拒もうとも、行政が本人の意思を飛び越えて、親族関係に介入することができるという仕組みが残っているままでは、制度利用が実質的な権利として確立されているとは言うことはできない。
政府は、さらなる改善に向けた議論を早く始めてほしい。
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※初出:朝日新聞「論座」サイト 連載「貧困の現場から」 2022年7月27日
高くて厚い「壁」が前途に立ちはだかっている。「壁」の向こう側にいる人たちと対話を試みようにも、言葉が届かない。
生活困窮者を支援する活動を進め、国に貧困対策の拡充を求める中で、そのように感じることがたびたびある。
例えば、生活保護の利用に伴う扶養照会の問題がある。
扶養照会とは、生活保護を申請した人の親やきょうだい等の親族に対して、福祉事務所が援助の可否を問い合わせることである。私たち支援団体は以前から、扶養照会が生活に困窮する人々が生活保護を利用する際の最大のハードルとなっていると問題視し、改善を要望してきたが、国は聴く耳を持とうとしなかった。
2012年5~6月には、当時、野党だった自民党の片山さつき参議院議員らが芸能人の親族の生活保護利用を「不適切」だとするキャンペーンを展開。このキャンペーンが発端となり、テレビや週刊誌では連日、事実に反して生活保護の不正受給が蔓延しているかのような印象を与える報道が垂れ流され、「生活保護バッシング」が吹き荒れた(注1)。私たちが緊急で開催した電話相談会には、生活保護の利用当事者から「テレビを見るのも、外に出るのも怖い」といった悲痛な声が多数寄せられた。
2012年12月に政権復帰した安倍政権は、生活保護利用者に厳しい対応を求める「世論」を追い風に、翌2013年、生活保護基準の引き下げと生活保護法の「改正」を強行した。この法「改正」によって、福祉事務所は民法上、扶養義務のある親族に対して「報告を求める」ことができる等、従前以上に圧力をかけることが可能となった。
時代に逆行する法制度の変更に反対の声が高まる中、政府は国会での審議において、親族への報告の要求は「極めて限定的な場合」に限るとトーンダウンする答弁をおこなった。しかし、その一方、扶養義務者の収入や資産の調査にマイナンバーを活用するのかという質問への答弁では、その可能性を否定しなかった。
生活保護基準を引き下げて貧困対策にかける予算を削減しつつ、家族による支え合いを推奨し、時に強要する。「絆」を強調することで国の責任を後退させようとする安倍政権の姿勢を私は「絆原理主義」と呼んで批判していた。
2013年当時、私は自民党と宗教勢力とのつながりに着目していたわけではないが、格差・貧困の拡大や家族関係の希薄化といった日本社会の現実と向き合うのではなく、現実の方を自らのイデオロギーに合わせて都合よく解釈し、改変しようとする自民党の動きを「原理主義」的であると感じたのだ。
政治学者の中島岳志氏は、常々、保守とは本来、「人間は不完全だ」という考え方に基づき、急進的な変化を避けて「永遠の微調整」を目指す思想であると指摘されてきた。
だが、安倍政権以降の自民党は社会の現実と向き合って微修正を続ける姿勢を捨て、自らの考える「あるべき家族」像や「あるべき国家」像を押し付ける傾向が強まっていると私は感じている。
そうした自民党の「絆原理主義」的性格が最もよく現れているのが2012年に発表された改憲草案である。
この改憲草案の問題点は多々あるが、貧困への悪影響が最も懸念されるのは、憲法24条(家庭生活における個人の尊厳と男女平等)1項に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」という条文を追加するという提案である。
もし、「家族は、互いに助け合わなければならない」という趣旨の条文が憲法に記載されることになったら、親族の扶養義務はさらに強調されることになり、生活保護利用のハードルは今以上に上がってしまうだろう。それは憲法25条に定められた生存権保障の規定が空文化してしまうことを意味している。
近年の改憲論議では24条の改正についてはあまり語られなくなっているが、警戒を怠ってはならない(注2)。
安倍元首相のUPF(天宙平和連合)でのビデオ演説(2021年9月)は、数々の違法行為や人権侵害を重ねてきた旧統一教会系の団体にお墨付きを与えてしまった、という一点だけで非難されるべきであるが、同時にそこで語られている中身も「もはや原理主義者であることを隠さなくなった」と言えるショッキングな内容であった。
安倍氏は演説で「UPFの平和ビジョンにおいて家庭の価値を強調する点を高く評価します。世界人権宣言にあるように家庭は世界の自然且つ基礎的集団単位としての普遍的価値を持っています。偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう」と語っていた。
UPFのホームページによると、同団体は「One Family Under God(神の下の一家族)」をビジョンとして掲げており、家庭については「家庭は『愛と平和の学校』である」との基本理念を掲げている。
こうした家族観を共有する安倍氏にとって、選択的夫婦別姓や同性婚を求める動き、生活保護の扶養照会撤廃を求める動きは「偏った価値観を社会革命運動」として否定すべき対象であったのだろう。
安倍氏は世界人権宣言に言及することでUPFの掲げる家庭の価値の協調が普遍的な理念であるかのような印象づけをしている。「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」との文言は自民党の改憲草案の中にも出てきている。
しかし、世界人権宣言の第16条3項に書かれているのは「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」という条文である。これは特定の家族のあり方を押し付けるものではなく、「社会及び国の保護を受ける権利」を保障することを求めるものである。
例えば、日本の入管政策では難民認定率が低すぎるという問題があり、難民申請を却下された人の家族が分断され、親だけが強制送還されてしまうケースも出てきている。世界人権宣言が各国に要請しているのは、こうした家族の「保護」である。
安倍氏の演説は、自民党の改憲草案同様、都合よく条文を切り取っており、国の責任を捨象したものである。
旧統一教会の家族観をもっと具体的に語っている人物がいる。旧統一教会の「賛同会員」であることを認めている井上義行氏だ。
第1次安倍政権で首相秘書官を務め、今年7月の参議院選挙で自民党候補として2期目の当選を果たした井上氏は、選挙期間中、性的マイノリティへの差別発言を繰り返し、大きな批判を浴びた。
井上氏は6月22日の参議院選挙初陣式にて、同性愛者差別発言とともに自身の家族観について下記のように語っている(注3)
「今私は分岐点だというふうに思っています。なぜ分岐点か。それは今まで2000年培った家族の形が、だんだんと他の外国からの勢力によって変えられようとしているんです。昔は皆さん、考えてみてください。おじいちゃんおばあちゃんやお孫さんと住んだ3世代を。その時は社会保障そんなに膨れてこなかった。でも核家族だ、核家族だ、個々主義だ、こういうことを言っている」
家族の「絆」を強調することで社会保障費を抑制するという「絆原理主義」の典型とも言える言説である。「3世代」への言及は、安倍元首相が2015年に提唱した「三世代同居」推進策を念頭に置いたものなのであろう。
ジェンダー論を専門とする京都産業大学の伊藤公雄教授は、日本の家族をめぐる政策について、「旧来の国家秩序の基盤としての家族の保護という視座がいまだに維持され、かつ、(国家が本来担うべき)福祉領域の多くを家族に依存し、国家の負担を家族に押し付ける形で展開してきた」と分析。戦後日本の家族政策は「政府の福祉負担をできるだけ軽減させる(実際の家族へのサポートを回避しながら、ケア領域の責任を家族=女性に押し付ける仕組み)ために実行されてきた一方で、秩序形成の場としての精神論的家族イデオロギー(「家族は助け合うべき」はその典型だろう)だけが強調されてきた」と指摘している(本田由紀・伊藤公雄『国家がなぜ家族に干渉するのか』青弓社、2017年、P164~165)
多様な家族のあり方を認めず、政策的に家族を支援することにも後ろ向きだが、「精神論的家族イデオロギー」は強調する。
貧困や災害、少子高齢化等、私たちが直面する様々な社会課題に正面から向き合うのではなく、「家族の絆、地域の絆を昔のように強化しさえすれば、全ての問題は解決する」と言わんばかりの言説を振りまく。
私は政治学や宗教学を専門とするわけではないので、貧困の現場から対策を求める中で感じた印象論に過ぎないが、社会の現実との対話を拒絶する「絆原理主義」的な傾向は安倍政権以降、特に強まってきたと私は考えている。
自民党などの保守派が「伝統的な家族観」に固執しているのは今に始まった話ではないが、この30年間、人々の家族観やジェンダー/セクシュアリティに関する意識は大きく変容した。それは選択的夫婦別姓や同性婚の導入に肯定的な世論が多数派を占めるようになったことからも明らかである。また、DVや児童虐待など家庭内での暴力・支配の実態や抑圧が生まれるメカニズムについても、支援現場で働く人々や研究者の尽力によって広く知られるようになり、家父長制的な家族観の弊害も社会全体で共有されるようになってきた。
「伝統的な家族観」に固執する自民党と社会意識との乖離は年々、広がってきた。しかし、その隙間を埋めるため、人々が生きる現実と対話をおこない、「微修正」を続けていくという道を自民党は取らなかった。
その代わり、旧統一教会や神道政治連盟など「精神論的家族イデオロギー」を信奉する宗教勢力との癒着を強め、「絆原理主義」政党へと変質をする道を選んでしまったのではないか。
専門家やマスメディアには、ぜひそのプロセスを解明してほしいと願っている、
2020年、コロナ禍の経済的影響によって生活に困窮する人が急激に増加するという社会的な危機が生じ、生活困窮者を支えるセーフティネットの脆弱さが露呈した。私たちは扶養照会の運用改善を求めるネット署名に取り組み、短期間で5万7千人を超える人が署名に賛同してくれた。
こうした声に押され、厚生労働省は2021年春、2段階にわたって扶養照会の運用を改善する通知を全国の自治体に発出した(注4)。その内容は、照会の対象を援助の見込みがある人に限定し、本人が照会を拒む場合には、その理由について「特に丁寧に聞き取りを行い」、照会をしなくてもよい場合にあたるかどうかを検討することを自治体に求めるものである。
また、DVや虐待などの背景がある場合は親族に直接連絡をしてはならない、という点も初めて明確に禁止された(この点については、それまで明確に禁止されていなかったことが恐ろしいことだと私は考えている)。
運用変更は厚生労働省の事務方の判断で変えられる範囲内にとどまっており、この改善に政治がどのように関わったのか(あるいは関わっていないのか)はわかっていない。
しかし、「政府は貧困に対する公的な責任を果たせ」という声が広がった結果、生活困窮者支援の現場で長年の懸案だった問題が一歩、前進したのは事実である。
ようやく厚い壁に蟻の一穴が開いた。そう感じたが、運用改善から1年4ヶ月が経っても、未だに私たち生活困窮者支援団体のもとには、「親族に連絡をするのはやめてほしいと伝えているのに、役所が応じてくれない」という相談が全国各地から寄せられている。
厚生労働省の新通知は扶養照会を拒む人に丁寧な聞き取りをおこなうことを自治体に求めているが、自治体によってはこれを曲解し、「話は聞いたが、決めるのは自分たちだ」と言わんばかりの対応を続けているところもあるのだ。
実際には親族に照会しても援助につながる事例は非常に少ないことは厚生労働省の調査でも明らかになっている。「百害あって一利なし」の扶養照会自体をやめるべき時なのではないか。
私たちはそう主張しているが、国会でこの点を問われた岸田首相は、「扶養義務者の扶養が保護に優先して行われることは生活保護法に明記された基本原理であり、扶養照会は必要な手続きではあります」と繰り返すのみであった。
またしても、厚い壁に前途を阻まれた印象である。
同じような「壁」の存在を選択的夫婦別姓制度の導入を求めている人たちも、同性婚の実現を求めている人たちも感じていることだろう。
「壁」の向こう側で、イデオロギーに凝り固まっている人たちに私は言いたい。
人々の生きている現実を直視せよ。現実と対話をしない人間に政治家を務める資格はない、と。
(注1)生活保護バッシングの最中、生活保護問題対策全国会議と全国生活保護裁判連絡会は、「生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明」と「扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために」と題した見解を発表している。
(注2)24条改憲の問題点については、下記の記事や「24条変えさせないキャンペーン」のサイトを参照していただきたい。多様な家族を認めない「憲法24条」改憲案。育児や介護の負担増、結婚・離婚も不自由になる?!― 山口智美さん
(注3)「同性愛とか色んなことで可哀想だと言って…」自民比例・井上義行候補の発言に波紋
(注4)扶養照会の運用改善について詳しくは下記の記事を参照のこと。
]]>2022年6月24日、東京地裁において生活保護費の減額処分の取消しを命じる勝訴判決が言い渡されました。
6月24日、東京地裁で全国3例目の原告勝訴判決が言い渡されました!(判決要旨・全文を掲載しています)
https://inochinotoride.org/whatsnew/220624_tokyo
全国29の都道府県で続けられている「いのちのとりで裁判」では、2013年に第二次安倍政権が強行した生活保護基準の引き下げの違憲性・違法性が問われてきました。
これまで11の地裁で出た判決のうち、原告が勝訴した判決は、2021年2月22日の大阪地裁判決、2022年5月25日の熊本地裁判決に次ぐ全国3例目となります。
6月27日には厚生労働省に控訴をしないこと、引下げ前の基準に戻すことを求める緊急要請が行われますが、すでに始まっている参議院選挙(7月10日投開票)でも、過去の基準引下げの不当性など、生活保護制度のあり方が争点になることを期待します。
生活保護に関する論点はさまざまありますが、特に生活困窮者支援の現場で問題になることの多い「生活保護基準」、「水際作戦」、「扶養照会」という3点に絞って各党の公約を調べてみました。
すると、大きく3つのグループについて分けられることがわかりました。
1. 各論点について改善案を明記している政党:立憲民主、共産、れいわ、社民
2. 各論点に触れず、生活保護制度について抽象的に記述している政党:自民、公明、NHK党
3. 生活保護制度そのものについて何も記述せず、ベーシックインカム等の別制度を提案している政党:維新、国民民主
私としては、私たちが支援の現場から問題提起をしてきたことを正面から受け止めている政党に議席を伸ばしてほしいと願っています。
ぜひ投票のご参考にしてください。
※「生活保護基準」、「水際作戦」、「扶養照会」に関する各党の公約
◆立憲民主党「立憲民主党政策集2022」
https://elections2022.cdp-japan.jp/static/downloads/2022_seisakushu.pdf
生活保護・⽣活困窮者⽀援
●健康で⽂化的な最低限度の⽣活を保障できる⽣活保護基準を検討し、必要な措置を講じます。
● ⽣存権保障を強化する観点から、⽣活保護法のあり⽅を⾒直します。
● 児童扶養⼿当は⼦ども1⼈当たり⽉額1万円を加算し、ふたり親低所得世帯にも⽉額1万円を⽀給します。
● ⽣活保護が適正に運⽤され実施されるよう、体制整備、⾏政処分のチェック機能の強化と⼈材育成、権利擁護を強化します。
● 親族による扶養は⽣活保護の要件ではないこと、⽣活必需品である⾃家⽤⾞の保有を認めることなどを運⽤⾯で周知徹底します。
● 福祉事務所の実施体制について抜本的な⾒直しを⾏い、総合相談体制の強化と正しく法の解釈と運⽤がなされる環境を確保します。
● 貧困が命に関わる危険な状態を招く事例も少なくありません。⽣活保護受給資格の要件を分かり易く提⽰し、要件を満たした場合は適切に受給資格を付与するとともに、受給資格があるにもかかわらず給付を受けない事態が放置されないように対応します。
●就労インセンティブを損なわないようにするために、⽣活保護の収⼊認定や⽣活保護の各扶助を単独で⽀給することの是⾮等について検討します。
● 2017年に⾏われた⽣活保護の基準の検証に⽤いられた⽔準均衡⽅式を⾒直して必要な措置を講じるとともに、その間、要保護者に不利な内容の保護基準を定めないようにします。
◆日本共産党 2022参議院選挙政策
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2022/06/202207-bunya06.html
日本共産党は、生活保護を、必要とするすべての人が利用できる制度にするため、以下のような改革案をかかげています。
―――自公政権が行った生活保護費削減・生活扶助費の15%カットを緊急に復元し、支給水準を生存権保障にふさわしく引き上げる。
―――保護申請の門前払いや扶養照会をやめる。自動車保有やわずかな預貯金などの「資産」を理由に、保護利用を拒む運用を改める。
―――名称を「生活保障制度」に改め、権利性を明確にし、生存権保障にふさわしい制度に改革する。
私たちはこの立場で、生活保護制度を、国民の命・くらし・人権を守る制度として改善・強化していきます。
◆れいわ新選組 れいわ社会保障政策
https://reiwa-shinsengumi.com/reiwa_newdeal/newdeal2021_04/
3 新しい生活保障制度(生活保護・年金制度等)
○「生きる権利」としての生活保護制度の拡充と、名称を「生活保障法」とするなど「受けやすい」制度への改革
○「最低保障年金制度」の慎重な検討(1)最後の砦としての生活保護制度の保護基準の見直し
(中略)
(1)最後の砦としての生活保護制度の保護基準の見直し
生活保護は生存権保障の最後の砦です。憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」とは、具体的にどの程度の金額なのか、保護基準額が恣意的に決められないよう、その決定プロセスを透明化し、民主的コントロールを導入するために国会の議決で行うことにします(日弁連「生活保障法」提言)。
安倍政権で実施された根拠のない生活扶助基準の引き下げを白紙に戻し、「健康で文化的な最低限度の生活」にふさわしい保護基準を新しく定めます。生活保護基準は、就学援助、住民税非課税限度額、最低賃金の基準にも連動し、国民生活安定の基礎であり、決定プロセスには利用者の意見を反映させる仕組みを新設します。
(2)水際作戦の禁止と支給漏れをなくす
生活保護の申請は国民の権利であり、いろいろ理由を付けて保護の申請を受け付けないのは違法です。自治体の水側作戦を禁止し、他の社会保障制度のように、生活保護申請の手引きを窓口に置き、誰でも申請できるような環境をつくります。
また、申請をためらわせる要因となっている扶養照会(親族への照会)については、問題になっている通知を廃止します。
生活保護の「濫給」は非常に厳しくチェックするのに、「漏給」に対しては鈍感で、生活保護が必要な状態の人が実際に受給できているかの捕捉率を行政はなかなか公表しません。憲法で定められた生存権保障が実現できているのかどうか、捕捉率の算定方法を研究協議し、定期的に調査・公表する仕組みをつくり(イギリス参照)、現状の2割から大幅に高めます。相談・申請受付・調査・決定のプロセスにかかわる、相談員、ケースワーカー(都市部では1人で100世帯を担当)も慢性的な人員不足で、申請抑制の原因となっています。専門性をもった人員を増員します。
◆社会民主党「参院選2022 選挙公約」
https://sdp.or.jp/political_promise/
13)生活保護申請を抑制する「水際作戦」や扶養照会をやめさせ、必要な人が当然の権利として利用しやすい制度に変えます。
社会の底が抜けたかのように生活困窮者が増えています。最後のセーフティネットである生活保護制度を権利として活用できるよう行政に徹底します。各市町村の福祉事務所窓口で生活保護申請者を追い払ったり、申請書を提出させないよう誘導する“水際作戦”を止めさせます。“水際作戦”をなくすために、生活保護制度のオンライン申請の導入を検討しすすめます。
また、自治体が申請者の扶養義務者(民法上)に対して扶養できるかどうかを問う照会が、生活保護申請をためらわせる一番大きなハードルです。扶養照会を避け、申請を躊躇し栄養失調や病気、自殺に至るケースも少なくありません。生活保護法上、扶養は生活保護の要件ではないことを行政に徹底し、親族へ連絡されたくないという申請者の意向を尊重します。申請者の同意がなければ扶養照会をしてはならないという通知を各自治体に出すよう厚生労働省へ働きかけます。また、この間引き下げられてきた生活扶助費を引き上げます。
◆自由民主党「総合政策集2022J-ファイル」
https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/pamphlet/20220616_j-file_pamphlet.pdf
368 国民の信頼に基づく生活保護制度の実現生活保護が、真に必要な人に行き渡るよう情
報発信を強化するとともに、制度に対する国民の信頼と安心を確保し、納税者の理解の得られる公正な制度にします。
◆公明党「参院選政策集Manifesto2022」
https://www.komei.or.jp/special/sanin2022/wp-content/uploads/manifesto2022.pdf
1 経済の成長と雇用・所得の拡大
◎生活保護制度について、コロナ禍で最後のセーフティネットとして機能しているかを検証し、関係機関による計画的な支援などにより、入りやすく出やすい制度へと見直します。
◆NHK党「NHK党の公約について」
公約10 年金・社会保障
https://syoha-senkyo.jp/policy/010/
生活保護の受給が必要にも関わらず様々な事情で受給が困難な方々に対して、党として相談体制の整備を進める(制度としては既に導入済み)。
◆日本維新の会「政策提言維新八策2022」
https://o-ishin.jp/sangiin2022/ishinhassaku2022.pdf
174.「チャレンジのためのセーフティネット」構築に向けて、ベーシックインカムまたは給付付き税額控除を基軸とした再分配の最適化・統合化を本格的に検討し、年金等を含めた社会保障全体の改革を推進します。
◆国民民主党「政策パンフレット」
https://new-kokumin.jp/wp-content/uploads/2022/06/aa56be5ada4f88075e277df648acde2e.pdf
政策4「日本型ベーシックインカム」創設
〇給付と所得税の還付を組み合わせた新制度「給付付き税額控除」を導入し、尊厳ある生活を支える基礎的所得を保障します。
※各党の生活保護に関する考え方については、昨年の衆議院選挙の際、生活保護問題対策全国会議が各政党におこなった公開質問状の回答も参考になります。
「生活保護制度改革に関する公開質問状」回答(自民党、立憲民主党、社民党、れいわ新選組、共産党、国民民主党)
]]>この記事は、震災支援ネットワーク埼玉(代表:猪股正弁護士)で起こった性暴力事件を踏まえた上で、社会運動団体における性被害対応の問題点について対話形式で考察したものです。
この事件について被害者の女性が書かれた下記のブログ記事をまだ読まれていない方は、必ず先にお読みください。
震災支援ネットワーク埼玉事務局長による性被害について
https://imherekoko.blogspot.com/2022/01/blog-post.html
震災支援ネットワーク埼玉HP掲載文書と私の要望について
https://imherekoko.blogspot.com/2022/03/hp.html
この事件に対する団体の対応について、つくろい東京ファンドスタッフで、私のつれあいでもある小林美穂子が下記の記事を書きました。
震災支援ネットワーク埼玉で起きた性暴力、その対応がダメなわけ(小林美穂子)
https://maga9.jp/220223-2/
以下は、小林が記事の中で問題視している「事件が起こった後の団体の対応」のあり方について、小林と私が対話した記録です。
稲葉 「震災支援ネットワーク埼玉」で起きた性暴力の問題で、被害者がブログでの告発に踏み切らざるをえなかったのは、団体の代表が組織として対応をずっとネグレクトしてきたからだよね。スルーしていれば、逃げ切れるという考えがあったのでしょう。
団体のホームページに謝罪文のPDFがアップされたけど、団体や代表のSNSアカウントでは一切、このことに触れないまま。世間が忘れるのを待っているのか、と情けない気持ちになる。
小林 「良いことのためには多少の犠牲は仕方ない」という発想なんだと思うけど、説得力ないよね。目の前の一人を助けらないのに、どんな多くの人を助けられるんだと。
稲葉 社会運動への影響を考えてしまうのだろうね。僕もこういう問題が起こった時に、反射的に社会運動への影響を考えてしまう傾向があるので、被害に遭った方の尊厳を最優先に考える、という立ち位置からぶれてしまわないよう、気をつけないといけないと思っているけど。
被害者のブログのタイトルにもなっている“I’m here”という悲痛な声に応答しなければ、という思いで、団体の代表に対して被害者に真摯に向き合うことを求めてきたけど、その一方で、反貧困運動への影響ということについても考えたのも事実。代表は生活困窮者支援運動における中心的な法律家の一人でもあるから。
僕としては社会運動をバージョンアップしていくためには内部で起こる問題にも向き合っていく必要があると考えて、発言をしているけど、それは「社会運動にプラスかマイナスか」という判断基準での発想に過ぎないという限界も感じている。短期的にはマイナスになると考えて、この問題で沈黙をしてしまう人の気持ちも理解できてしまうところもある。
生活保護の問題でも他の問題でも、制度や政策を変えていくためには、社会運動が必要で、社会運動の主体としての組織というのはどうしても必要になると思っているので、こういうことが起こった時に「社会運動の力が削がれることは避けたい」という意識がどうしても頭をもたげてしまうんだよね。そういう「運動ファースト」の意識が、社会運動団体で問題が起こった時に内部の人や近しい人が沈黙してしまい、被害者を孤立させてしまう構図を作ってしまっている。自戒を込めて。
こういう時に、積極的に発信する人はフリーランスなど、立場的に独立している人がほとんどで、組織に属しながら発信している人はほとんどいないのだけど、美穂子さんはなぜ言えてるの?
小林 「野良」活動家だからじゃない?つくろい東京ファンドで、それぞれ考え方の違う個人がみんなバラバラに動き回っているような中にいるからこそ、こうやって別のところで起きている性暴力やハラスメントに対して言いたいことが言える立場を担保できている。つくろいではそういう発言を止める風潮も特にないし。しかも、このネットワークで私が孤立しようとも、私は「活動界隈」外の友達がいるので、そんなに損害を被らないというのもあるし、活動の中でも他の人と協力しないとできないということをやっているわけでもない。すごく独立した立場にいるから言えるのであって、これが別の団体にいたら、たとえ性暴力やセクハラ・パワハラは絶対にいけないと思ったり、被害者に心を寄せたいと思ったとしても、まず組織の中で「それはやめてくれ。うちの組織に不利益になるから」と言われてしまうから、そこで発言や行動を制限される。言われなくてもそういう空気ができ上がる。活動界隈で働きにくくなったり、完全に孤立して総スカンをくらったりするのを怖れて、沈黙するんだろうね。
稲葉 これまで他の社会運動団体でも問題が起こった時に、被害者に真摯に向き合おうとしなかったり、関係者が沈黙して隠ぺいに加担したり、ということが何度も繰り返されてきました。どの団体でも共通の問題だよね。
小林 社会活動をしている団体は「正しくあらねばならない」、つまり自分たちは「正しい」「正しいはずだ」と勘違いすることから問題は始まっているんじゃないかね。
稲葉 無謬性の神話だよね。「間違ってはいけない」という前提で動いているから、「そんな自分たちは間違っていないはずだ」と思いこんでしまう。
小林 そこに全てのシナリオを押し込んでいくんだよね。都合の悪いことがあると、排除することで「解決」をはかる。良いことをしている団体でもいろんなことが起こるわけで、私たちはどんなに正しくあろうとしても、いくらでも間違いをする生き物なんだから。その時に間違いに向き合えなくなるのは、結構、危うい状態なのに、それがもう当たり前になっているという。それはとても恥ずかしい状況なのだと他人を見ていて思うけど、とはいえ、問題が自分に降りかかってくるのは明日かもしれない。その時、自分はどんなふうに対応するのか。もしかしてすごく恥ずかしい、そこから逃げてしまうということをするかもしれないんだけど、一回、反射的に逃げてもまた戻ってこれるかどうか。そこにかかっているのかなと。
間違いは犯すんだし、もしかして一回は逃げるかもしれないけど、逃げ続けるのか。逃げ続けるために相手を悪者にし続けるのか、とか。ちゃんと向き合って、「問題は私にあった」と言えるのか。そういうのが常に自分に問われているよね。試され続けるよね。
稲葉 「間違えたら、自分が間違えたと言える」というのは大切だね。鶴見俊輔が「まちがい主義」ということを言っているけど…。
小林 また難しいことを言って。
稲葉 「自分たちは間違うことがあるんだ」ということを前提にした方が良いという話で。
小林 そりゃそうだよ。どんだけ傲慢なん。
稲葉 どの組織でも間違いうるんだという前提に立つ必要があるということだよね。本当は再発防止を徹底して、性暴力やハラスメントが起こらないようにするのが一番なんだけど、それでも起きてしまうという現実があって。それでも起きてしまった時にどうするか、ということをあらかじめ考えておく、というのが重要だよね。
小林 自分がやってしまった時、あるいは自分の所属する団体のスタッフがやってしまった時、あるいは活動を進めていく上で関わりのある第三者が加害者になった時とか、世話になっている人が加害者になった時とか、そういうのを全て想定して考えて、「その時、自分はどう考えるべきなのか、どう動くべきなのか」を常にシミュレーションしたり、考えたり、想像力を広げていくのが必要だね。加害者、被害者が誰であるのか、自分とどういう関係にある人なのかによって、心の微妙な動きは絶対に変わるので。その動きがどういう感情によって引き起こされているのか、とか、それが被害者にとってフェアであるのか、ないのかとか。そういうことをつぶさに観察しないといけない。
稲葉 今回の自分の立場というのを改めて考えてみると、僕は被害者の女性や団体の代表はよく知っているけど、加害者の男性とは面識がなかったんだよね。もし、これが逆に加害者側をよく知っていて、被害者側とは面識がない、という立場だったら、どうふるまったのだろうか、ということも考えるけど、その場合は沈黙していたかもしれない。
小林 常に自分を観察して振り返るのは大変な作業なのだけど、それをしないのなら、「人権」とか口にしてはいけない。政治家とかで、プライベートと政治的手腕は別だという言い方をすることはあるけど、「人権」とか「社会の不平等をただす」と言って活動をしている人たちの集団は、「自分が人としてどうあるべきか」から逃げてはいけないと思う。
稲葉 でも、そこで潔癖であることを求めてしまうと、最初から「正解」を求めてしまうのかも。ストイックに「正解」を求めていって、一回、「正解」を手にしたと思ったら、もう自らを省みることをやめて、「私は間違えていない」という発想になってしまうのかなと。
小林 なるほど。逆説的!それが今の現象ということ?
稲葉 「間違いがありうる」ということを念頭に置きながら、間違ったら、いったん立ち止まって、謝罪し、改める、というプロセスが大切なんだけど、自分も含めて、それが難しいなと。男性ジェンダーの問題なのかもしれないけど。
それが集団になると、「仲間をかばう」というホモソーシャル的な「かばい合い」の文化が作られていって、ますます修正が利かなくなる。
小林 なんで仲間がやらかしたことを隠蔽することで一致団結するのかね?なんで、それが「仲間意識」と思っているのかね?
稲葉 一緒に活動している仲間をリスペクトすることと、その人の犯してしまった間違いを見て見ぬふりをするということが同一線上になってしまうんじゃないかな。
小林 それで、整合性を取るために、無理矢理、被害者の方に非があるようなストーリーにして、自分もそれを信じ込んでしまう、ということでしょ。それはひどくアンフェアだし、極悪やで。リスペクトと批判は共存できるし、全然矛盾しないことなのに。つーか、間違ったことを指摘されて怒るような人は未熟な人だと思うけど。
稲葉 被害者も「仲間」なんだけど、栗田隆子さんが『ぼそぼそ声のフェミニズム』で指摘しているように、いつも被害者の側が活動から離れざるをえない、組織を出ざるをえない、という状況に追い込まれていって、被害者が離れてしまえば、「丸く収まった」という話にされてしまうんだよね。なんだろうね、この組織文化は。
小林 それは、日本社会に根深い「個よりも組織が大事」という文化でしょ。自分は「個」だけではなくて、その団体を支える駒の一つなんだろうね。みんなで重たい「組織」を背負っていて、その中で一人が他の人の言動に異を唱えると、「組織」の歩みが乱されると考えるのだろうね。そういう「調和を乱す」「和を乱す」人は許されないんだよね、日本では。だから村八分にして、出て行かせる。だけど、さすがに今の時代は昭和と違って、露骨に村八分にはできないから、その人の非をあげつらったり、でっち上げたりしてイメージを低下させて「空気」を作って、出て行かざるをえないようにする。それは本当にテンプレのように巧妙化していて、どこの団体でも行われてる。
それって小学校、中学校の時にあったいじめと全く同じ構図で、それが洗練されて、アップグレードされて、大人の組織でも行われている。この国には「いじめはいけない」と子どもに言える大人なんて誰もいないのではないか、と思うくらい、大人の世界の方が苛烈。でも、巧妙化しているから分かりにくくて、やられた方は、黙っていなくなるしかない。
発言や抵抗をすることで、どういう仕打ちを受けるかということを女性はよーく知っている。あるいは弱い立場にいる男性もそうだと思うけど、身をもって知っていたり、見てきたりしているわけだから。「次は自分がターゲットになる」というのは、いじめの中ではあまりによくあるシナリオだよね。被害者を守ろうとすると、今度は自分がターゲットになる。本当によくあるシナリオなので、それをみんな学習してきているので、言えない。
稲葉 疑問を持っても、沈黙を強いられる構造があるんだよね。どこから変えていけばいいか、わからなくなるね。
小林 わからないよね。黙るよね、みんな。個が確立していないから、自分の意見を主張する自由が約束されていないから、まぁ、黙りますよ、みんな。私は黙ってしまう心理的メカニズムや社会構造も理解はできるし。私自身、これまで支援団体で起こる性暴力について、事情がよくわからない場合、おもてだって批判せずに黙ってしまったという時があったからね、あの時どうして私は黙っていたのかなっていう自問自答は続いている。
だけど、全ての人が、どの立場にあっても、組織の中にいても「私はこう思う」と言えるようにならなければ、おかしいのよ。「私はこの組織に属しているし、この組織で頑張りたいと思っているけど、これには反対だ」ということを言える環境にしていかないとダメだと思うのね。組織も個人も成長をしない。失うものばかりだと思うんだけどね。退化!
稲葉 組織の中で一人ひとりが空気を読まずに異議を唱えるということを習慣化していくこと、組織の中での「居心地の良い」人間関係を相対化する視点を常に持つことが大切だよね。特に男性は組織と自分を同一化してしまう傾向があるので、気をつけないと。
この問題では、自分の考えをなかなか言語化できないでいたので、あえて対話という形を取ってもらいました。ありがとうございました。
※この記事を作る上で、以下の記事・文献を参考にさせていただきました。
ウネリウネラ「良きもの」の中の性被害について
https://uneriunera.com/2020/12/04/yokimono/
ウネリウネラ「震災支援ネットワーク埼玉」の性被害対応について
https://uneriunera.com/2022/02/04/seijitsunataiouwo/
栗田隆子『ぼそぼそ声のフェミニズム』(作品社、2019年)
星野智幸『だまされ屋さん』(中央公論新社、2020年)
]]>※初出:朝日新聞「論座」サイト 連載「貧困の現場から」 2022年1月25日
「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるので、ためらわずにご相談ください」
厚生労働省が公式サイトに特設ページを作り、生活保護制度の利用を積極的に呼びかけ始めたのは2020年12月。それから1年以上が経過したが、制度の利用はそれほど進んでいない。
今年1月5日に公表された2021年10月の全国における生活保護の申請件数は1万8726件(前年同月比0.6%増)である。前年比で申請件数が増加したのは6ヶ月連続となっているが、いずれの月も微増にとどまっている。
制度を利用している世帯の数を見ると、昨年10月時点での世帯数は164万1917世帯となっている。コロナ以前の2019年10月は163万7637世帯だったので、コロナ禍での2年間の伸び率はわずか0.26%。誤差と言える範囲にとどまっている。
厚生労働省が発表している生活保護世帯の数の推移を示すグラフも、ほぼ横ばいが続いている。グラフだけを見ていると、「コロナ禍による経済的影響は存在していないのか?」と錯覚しそうになるほどだ(厚生労働省「被保護者調査(令和3年10月分概数)」参照)。
現実には、コロナ禍による経済的影響は生活困窮者支援の現場に深刻な影響を与え続けている。
この年末年始に東京・四谷の聖イグナチオ教会で開催された「年越し大人食堂2022」には2日間(12月30日と1月3日)で、20代から80代までの計685人が来場した。
「大人食堂」というネーミングでの取り組みは今回が4回目となるが、集まった方の数では過去最多であった。
年明けも、東京都内の各支援団体が定期実施している食料支援に集まる人の数は増え続け、現在は450~550人という規模にまで拡大している。
民間団体に支援を求めて集まる人は増え続けるのに、生活保護の制度利用は進まないという状況は、コロナ禍の初期からずっと続いている。
「年越し大人食堂」の現場には各党の国会議員がボランティアとして参加してくれたが、そのうちのお一人、福島みずほ参議院議員(社民党)は2022年1月21日、参議院本会議で岸田文雄首相に対する代表質問に立ち、現在の生活保護制度は「憲法25条が規定する『健康で文化的な最低限度の生活』を保障する役割を果たしていません」と厳しく批判した。
福島議員は、生活保護の申請時や利用中に福祉事務所が親族に援助の可否を問い合わせる扶養照会が制度利用のハードルになっているとして、岸田首相に対して「生活保護の現場で扶養照会をやめるよう徹底すべきではないですか」と質問した。
これに対して岸田首相は、「扶養義務者の扶養が保護に優先して行われることは生活保護法に明記された基本原理であり、扶養照会は必要な手続きではあります。他方、自治体に対し要保護者が扶養照会を拒んでいる場合には、その理由について特に丁寧に聞き取ることを求めており、こうした扶養照会の弾力的運用について周知徹底に努めてまいります」と答弁した。
岸田首相が言う「扶養照会の弾力的運用」とは、昨年春に出された厚生労働省通知による運用変更のことを指している。
親族への照会が制度利用を阻んでいる状況を改善するため、昨年1月、私たち支援関係者は、扶養照会の運用の抜本的見直しを求めるネット署名を開始した。「困窮者を生活保護制度から遠ざける不要で有害な扶養照会をやめてください!」と題したネット署名は、大きな反響を呼び、6万1千人以上が賛同した。このキャンペーンは、その年に最も社会に影響を与えたネット署名活動の一つとして、署名サイトであるChange.orgの「チェンジメーカー・アワード2021大賞」に選出された。
こうした声を踏まえ、厚生労働省は昨年3月末、扶養照会の範囲を「扶養義務の履行が期待できる」と判断される親族に限定すること、生活保護の申請者が扶養照会を拒んだ場合は、その理由について「特に丁寧に聞き取りを行い」、照会をしなくてもよい場合にあたるかどうかを検討することを自治体に求める通知を発出した。
本人に「聞き取り」をおこなった結果、親族との関係が良好でなく援助が見込めないと判明した場合や、照会をおこなうことが適切でないと判断した場合は、親族に連絡をしない、ということが明確になったのである。この運用変更によって、扶養照会は本人が拒めば実質的に止めることができるようになった。
しかし、残念ながらこの運用変更はあまり一般に知られていない。
つくろい東京ファンドが「年越し大人食堂」に集まった人たちに実施したアンケート調査では、回答者435人のうち、「生活保護制度に伴う扶養照会が、2021年4月から本人の意思が尊重されるようになり、実質的に止められることになったのを知っていますか」という問いに対して、「知っている」と答えた人は31%(134人)にとどまった。
「大人食堂」でのアンケート実施は、来場した方々に「扶養照会は実質的に止められるようになった」ということを知ってもらうという意図があった。実際、このアンケートに答えたことで扶養照会を回避できる方法があると知り、生活保護の申請を決断した男性もいた。
つくろい東京ファンドでは、扶養照会を回避するためのツールをネットで公開しているので、ご参考にしていただきたい。
※「生活保護の扶養照会の運用が改善されました!照会を止めるツール(申請者用、親族用)を公開しています。」のリンクはこちらから。
運用変更に関する周知が進まない理由の一つには、各地方自治体の姿勢もある。
生活困窮者支援に取り組んでいる小椋修平さん(足立区区議会議員)ら、首都圏の自治体議員のグループは、昨年(2021年)9~12月、東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県で福祉事務所が設置されている全自治体から「生活保護のしおり」を入手し、扶養照会がどのように説明されているかを精査する調査を実施した。
「生活保護のしおり」とは、各自治体が住民に対して生活保護制度の概要を説明する際に活用している資料で、自治体のサイトに「しおり」のPDFがアップされているところも多い。
この調査は、「生活保護のしおり書きっぷり調査」とネーミングされ、今年1月21日に参議院議員会館で開かれた記者会見で結果が報告された。記者会見には、石橋通宏参議院議員(立憲民主党)も参加した。
調査結果によると、1都3県の157自治体で作成されている「しおり」のうち、扶養照会の対象となるのは「扶養義務の履行が期待できると判断される者」である、という点が記載されていたのは、3.8%(6自治体)にとどまっていた(東京3.8%、神奈川10.0%、千葉4.8%、埼玉0.0%)。
この6自治体のうち、岸田首相の言う「弾力的運用」という言葉を使って「扶養が期待できない方への照会は行わないなどの弾力的な運用を行っていますので、担当者にお問い合わせください。」と「しおり」に明記していたのは、1自治体(神奈川県海老名市)だけであった。
また、暴力・虐待の問題がある場合には親族に照会しないことになっている、という点の記載も、157自治体中、28.7%(45自治体)にとどまっていた(東京14.8%、神奈川45.0%、千葉31.0%、埼玉36.6%)。
調査を実施した議員グループは、厚生労働省の通知により照会の対象となる親族は「扶養義務の履行が期待できると判断される者」に限定されているにもかかわらず、そのことが「しおり」に記載されていないことで、相談者に「例外なく扶養照会が行われる」という誤解を抱かせ、申請を躊躇させている可能性があると指摘している。
また、自治体によっては厚生労働省の通知に従わず、実際に例外なく扶養照会を実施している可能性を否定できないと述べている。
昨年春以降、私たち支援団体のもとには、運用が変更になっているにもかかわらず、担当者に扶養照会を拒否したいという意思を伝えても聞き入れてもらえなかった、という相談が複数寄せられている。つくろい東京ファンドでは、相談者の同意が得られた場合、ご本人の意思を尊重して照会を止めるよう各自治体に働きかけをおこなっているところだ。
全国の自治体の中には、昨年春の厚労省通知に従わないだけでなく、法律を捻じ曲げてまで親族による扶養を強要する自治体もある。
2021年4月、奈良県生駒市は、生活に困窮した一人暮らしの50代女性がおこなった生活保護の申請を却下した。その理由は、別居する70代の母親から扶養の意思を確認できたからというものであるが、母親は年金生活者で認知症を患っており、明らかに「扶養が期待できない」状態にあった。女性は同年7月に再申請したが、同じ理由で却下された。
明らかに扶養が期待できない親族に対して扶養照会を実施しただけでも大問題だが、親族による援助が実際に行われていないにもかかわらず、「意思を確認した」というだけで申請を却下するのは、法律を無視した生存権侵害以外の何物でもない。
生活保護法では、親族による扶養は生活保護の「要件」ではなく、保護に「優先」するとされているが、それは、親族から仕送りがあれば、その分、保護費を減額するという意味に過ぎないからだ。
女性は申請却下に対して奈良県に不服審査請求をおこない、県は市の決定を「適正と認められない」として、同年12月14日付で市の却下処分を取り消す裁決をした。これを受け、市は4月にさかのぼって保護開始を決定し、市の担当者が女性に謝罪した。
生駒市の小紫雅史市長は、今年1月18日の定例記者会見で、女性への謝罪の言葉を述べるとともに「困っておられる方に寄り添った適切な対応が取れるよう体制の強化にしっかり取り組みたい」と表明した。
生駒市のように扶養を理由に申請を却下しなくても、申請の前の相談段階において、親族に扶養してもらうように誘導したり、「申請をすると、親族に連絡することになりますよ」と言って申請をあきらめさせたり、という「水際作戦」の手口は依然として各地で見られるものだ。
岸田首相の答弁は、扶養照会を「必要な手続き」と位置付けて、「原則」として維持しつつ、制度利用の妨げとならないよう「例外」としての「弾力的運用」を周知徹底していくので問題はない、というものである。
だが、各自治体現場での運用を見ると、「原則」に固執するあまり、「例外」に目配りができていない自治体の方が大多数であると思われる。
もともと、扶養照会は法律に基づいて実施されている行為ではない。
生活保護法には、親族による扶養が保護に優先されるということは明記されているが、法律のどこにも、親族に問い合わせをしないといけないということは書かれていない。照会は法律ではなく、厚生労働省の次官通知や局長通知に基づいて実施されているに過ぎないのだ。
つまり、法律を改正しなくても通知を変えれば、「原則」と「例外」を逆転させることができる。
生活保護問題対策全国会議はすでに通知の改正案を独自に作成し、昨年2月に厚生労働省に提出している。
※「扶養照会に関する実施要領等の改正案」PDFのリンクはこちらから
昨年(2021年)春の厚労省通知は確かに一歩前進であったが、自治体間の格差が広がっている現状を踏まえると、扶養照会そのものの撤廃へとさらに歩みを進めるべきだと私は考える。
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※初出:朝日新聞社「論座」サイト 連載「貧困の現場から」 2021年12月28日
2021年の年末が近づいてきた。この年末年始も全国各地で生活困窮者支援団体による食料支援や医療・福祉相談会などの緊急支援活動が開催される予定であり、急ピッチで準備が進められている。
こうしたコロナ禍の支援現場では、生活に困窮した日本人だけでなく、多くの外国人が支援を求めて来ることが常態化している。その多くが、難民認定の申請中で、在留資格のない状態にある外国人だ。そのため、長年、ホームレス支援を続けてきた団体と外国人支援団体が連携して、相談対応にあたる場面もコロナ以前に比べて格段に増えている。
その外国人たちの今後を左右しかねない発表が、12月21日、出入国在留管理庁(入管庁)によって行われた。入管庁が「現行入管法上の問題点」と題する資料を公表したのだ。
その資料を見た私の感想を率直に言わせてもらうと、「2021年にもなって、まだこんな使い古された手法を使うのか」というものだった。
「法令違反」(入管法の違反も含む)を強調する入管庁資料
資料において入管庁は、「不法残留等により摘発等された外国人の多くは,出入国在留管理庁における強制送還等の手続の結果,国外に退去(出国)しているが,中には退去強制令書が発付された(行政手続上の退去強制手続が確定した)にもかかわらず退去を拒む外国人(送還忌避者)が存在」していると指摘した上で、昨年(2020年)12月末時点の「送還忌避者」3103人のうち994人が法令違反で有罪判決を受けている、という点をことさらに強調している。
また、「送還忌避者」の中には「難民認定制度の誤用・濫用が疑われる事案」があるとして、難民認定申請中の4人の犯罪歴についてわざわざ個別に説明をしている。
その上で、入管庁は「送還忌避者」を国外退去させる上で、難民認定手続中は送還が一律停止されるという「送還停止効」などがネックになっていると主張。こうした「法の不備等」を改めるべきだと結論づけている。
「政策ありきの証拠づくり」
先日、別のテーマが議論されたあるシンポジウムで、「近年は、霞が関でも『エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング』(客観的な事実や証拠に基づく政策立案)ということがよく言われるが、実際は『ポリシー・ベースト・エビデンス・メイキング』(政策に合わせた証拠づくり)が行われているのではないか」とお話されている方がいて、言い得て妙だと感心したが、入管庁が公表した資料はまさにこの「政策ありきの証拠づくり」という表現がぴったり来るものであったと思う。
人権問題てんこ盛りの入管法改定案、成立見送らせた市民社会
今年(2021年)2月、政府が国会に提出した入管法の改定案は、難民認定の申請が3回目以降は本国に送還できるという「『送還停止効』の例外」を認める規定や、送還を拒む非正規滞在者に刑事罰を設ける規定が盛り込まれる等、人権上の問題点がてんこ盛り状態になっていた。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も今年4月、「送還停止効」の例外規定は難民条約に違反する恐れがあるとして「重大な懸念」を表明する等、国内外から法案の問題点を指摘する声が多数寄せられた。
3月には名古屋入管の収容施設で、スリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさんが十分な医療を受けられないまま死亡する事件が発生した。この事件の真相究明に消極的な政府に批判が集中し、他にも多数報告されている施設内での人権侵害の真相究明を行わないまま、入管庁の裁量権だけをさらに強める法改定をおこなうことへの反対運動が全国に広がった。
国会周辺では連日、法案に反対する集会や座り込み等の抗議行動が行われ、SNSでも強行採決の阻止を呼びかけるメッセージが拡散。その結果、今年5月、政府・与党は入管法改定案の成立を見送るという決定に追い込まれたのである。これは市民社会の大きな勝利だった。
だが、政府はあれだけ批判を受けた「送還停止効」の例外規定を盛り込んだ入管法の改定案を再度、国会に提出する準備を進めている。今回の入管庁の発表はその布石として実施されたものであるのは間違いない。
法改定は「無理筋」、高裁判決に服した国が提出する論理矛盾
長年、入管問題に取り組んできた児玉晃一弁護士は、「送還停止効」の例外規定を設ける法改定は「無理筋」だと指摘している。
難民申請中の送還停止の例外規定を封じた東京高裁判決~入管法改定案再提出は無理筋–論座(2021年12月17日)
今年(2021年)9月、東京高裁は、難民申請が退けられて強制送還されたスリランカ人男性2人が国に賠償を求めた訴訟において、国が裁判で争う時間を与えることなく2人を送還したのは「憲法が保障する裁判を受ける権利を侵害した」ものであるとする判決を言い渡した。これは、在留資格のない外国人にも憲法に基づく基本的人権を保障することを明確にした画期的な判決として、関係者の間で話題になった。
児玉弁護士は、この訴訟において国側が最高裁に上告しないまま、判決が確定したことの意味は重いと指摘。政府が難民申請中でも送還を可能にする入管法改定案を国会に再提出しようとしていることについて、「司法審査を受ける機会どころか、出入国在留管理庁内部の審査すら受ける機会を与えないで強制送還することを可能とする入管法改定案は、はなから論外」と断じている。東京高裁判決に服したはずの国が、判決内容と矛盾する法案を国会に提出するのは論理矛盾だというのだ。
論理破綻の政策を押し通そうとマスメディアを使う手法
論理的に破綻した政策をどう押し通すのか。古今東西の政権が幾度となく活用してきたのが、マスメディアを使って人々の感情に訴える手法である。
12月21日に入管庁が発表した資料が、どのように報道されたのかは、各メディアのニュースの見出しを見れば、一目瞭然である
送還拒否の外国人、3割に犯罪歴…難民認定申請悪用も -読売新聞オンライン
産経新聞は入管庁の発表より3週間早い11月29日に「独自」と銘打った以下の記事を配信している。おそらく、入管庁から事前の情報提供があったのだろう。
<独自>送還拒否の3分の1に前科 改正法再提出へ –産経ニュース
入管庁は、「有罪」、「犯罪」、「前科」という言葉が「外国人」、「難民」に結び付けて報じられる効果を熟知し、それを期待した上でプレスリリースをおこなったのであろう。一部の人たちにマイナスイメージを付与することで、自らが実現したい政策を後押しする方向に世論を誘導するのは、古典的な手法である。
情報の恣意的運用で差別・偏見を助長、マイナスイメージ拡散
入管庁の発表に対して、国内に逃れてきた難民への法的な支援や生活・就労の支援等をおこなっている認定NPO法人 難民支援協会(JAR)は12月22日、「難民申請者への偏見を助長しうる入管庁発表資料に対する意見」という意見書を発表した。
JARは入管庁の資料について「犯罪歴がある方による難民申請や、難民申請の誤用・濫用の可能性を強調するなど、情報が恣意的に引用されており、難民申請者を含む外国人に対する差別や偏見を助長しうる内容」となっていると批判し、そもそも「庇護を求める者に対して退去強制令書が発付されてしまう現行制度こそが、『法の不備』として見直されるべき」と指摘した。
また、資料において難民申請者の一部に犯罪歴があることが強調されている点についても、「保護を求めて逃れた者に対する偏見を助長するもの」として強い懸念を示し、「罪歴と関連付けることは、入管庁による印象操作と言わざるを得ません」と批判している。
「人道上の問題」を生じさせているのは入管行政の側だ
私が驚いたのは入管庁の資料の中に、「在留資格のない不法残留者は、就労することができず、十分な行政サービスも受けることができないなど、社会的地位が不安定であり、人道上の問題が生じ得ることに加え、社会不安を増大させかねない」という文言は入っていたことだ。
だから送還を容易にする法改定が必要だという結論を導くための記述だが、そもそも日本の難民認定率は諸外国に比べて極端に低く、申請期間中の生活や住まい、医療を保障する公的支援もほとんど行われていないため、私たち民間団体が食料や住居を提供している実態がある。
「人道上の問題」を生じさせている側がこうした表現を用いるのは、「排除ありき」の政策を押し通すための強弁でなくて、何であろうか。
「使い古された手法」―30年近く前のイラン人を巡る事件
私が入管庁の発表を「使い古された手法」だと感じたのは、今から30年近く前に起きたある「事件」を思い出したからだ。
1980年代後半から90年代初頭までのバブル景気の時期には、アジア各国から多くの外国人が来日して、各地の工事現場など「3K」(「きつい、汚い、危険」の3語の頭文字をとった俗語)と呼ばれた職場で働いていた。当時はパキスタン、バングラディシュ、イラン等からのビザ無しでの観光目的の入国が認められていたため、外国人労働者の多くはビザ無しで渡航し、オーバーステイ(超過滞在、非正規滞在)の状態で就労していた。当時、人手不足だった現場からは外国人の労働力を歓迎する声が多く、政府も事実上、その存在を黙認をしていた。
オーバーステイの外国人は1993年には30万人を突破したが、バブル経済崩壊の影響で日本経済が不況に突入すると、その存在は急に治安問題として認識されるようになっていった。まず目を付けられたのが、毎週日曜日の東京の代々木公園や上野公園に集まって、交流をしていたイラン人たちだ。
※関連記事:公園を埋め、そして消えたイラン人 あの波は日本に何をもたらしたか(朝日新聞)
私が思い出した「事件」とは、1993年2月、代々木公園で露店を出していたイラン人2人が恐喝容疑で逮捕された事件である。逮捕された2人は友人が怪我をして入院をしていたので、入院費用のカンパを集めていただけだと主張したが、聞き入れられることはなかった。
メディアは「不法」と報じ治安問題化、一斉摘発で国外退去に
2人の逮捕が警察により発表されると、一部週刊誌は「日本人を恐喝するイラン人マフィア」といった言葉を用いて恐怖を煽り、他のメディアも「不法滞在」のイラン人たちが毎週日曜日に公園に集まっていることについて、「不法」や「不良」という言葉を用いて、治安問題として報じるようになっていった。
これらの報道の中には、警察からの情報提供を受けていると推察されるものも多かった。当時の警察白書には、「代々木公園等では、特定の外国人が多数い集」(警察庁『平成5年版警察白書』)、「犯罪の温床となった不法滞在者のい集」、(『平成6年度版警察白書』)といった表現が記載されていた。「い集」という聞き慣れない言葉は、イラン人たちを「自分たちとは別の存在」、「脅威を与える存在」として印象づけるのに効果的な言葉であった。
この「恐喝事件」の後の93年4月、東京都はイラン人たちが集まっていた代々木公園の一角を「植栽工事」の名目で閉鎖した。それでも集まってくるイラン人たちには入管が一斉摘発をおこない、収容の上、国外退去処分にした。
公園に集まるイラン人たちの存在が治安問題として社会に認識されるきっかけとなった「恐喝事件」は立件されず、処分保留のまま、2人は釈放された。そのうちの1人、Aさんは入管の収容施設に移されたが、施設内で職員の暴行を受け、重傷を負わされた。入管職員の暴行に対して、Aさんは後に国家賠償請求訴訟を起こし、その訴えの一部は認められた。
イラン人排除の「政策」が先にあり、ストーリーが作られたと考える
私はAさんたちが加害者とされた「恐喝事件」自体が、警察によるフレームアップだったと疑っている。以前、Aさんから直接、話を聞く機会を持つことがあったが、Aさんによると「恐喝事件」の被害者とされた日本人は、日本国籍を取得したアフガニスタン出身の露天商仲間で、最初は好意的にカンパをしてくれていたが、途中から急に連絡が取れなくなったとのことだ。
不法行為が問題となって排除が行われたのではなく、バブル崩壊で労働力需要が低下する中、イラン人たちを公園から排除し、国外退去させるという「政策」が先にあって、その「政策」を世論の抵抗なく進めるためのストーリーが作られたのだと私は考えている。
特定のグループを「悪魔」に仕立てあげる「モラル・パニック」
特定のグループの人々を「社会に脅威を与える存在」と見なし、多数の人々が激しい怒りや侮蔑などの負の感情をぶつける現象は、「モラル・パニック」と呼ばれている。「モラル・パニック」において、攻撃の対象となるグループには「不法」、「犯罪」、「逸脱」といったレッテルが貼られる傾向がある。
イギリスの社会学者、ジョック・ヤングは、「モラル・パニック」を起こし、移民を「悪魔に仕立て上げる」プロセスについて、1999年に出版した書籍で下記のように記述している。
“そのとき、移民たちがおこした犯罪がどんなものであれ、マスメディアでおおげさに問題視されていく。そして「不法」という属性こそが、かれらが犯罪者であることを示す「最大の特徴」とみなされていく。そのために、ありとあらゆる犯罪がかれらのせいにされるようになり、「かれらが不法な犯罪者になるのは当然だ、それはかれらが不法移民だからだ」というトートロジーがまかり通るようになる。”(『排除型社会』P288~289)
政策を押し通すため人為的に起こされることも
「モラル・パニック」のターゲットとなるのは、外国人や民族的なマイノリティだけではない。生活保護など福祉制度の利用者や障害者、性的なマイノリティ、公務員などもターゲットになることがある。
これまで何度も批判してきたことだが、2012年には一部の自民党の国会議員が芸能人の親族の生活保護利用を「不適切だ」と非難したことをきっかけに、多くのメディアを巻き込んだ「生活保護バッシング」が引き起こされた。
生活保護の利用者の間に、「不正受給」や「不適切受給」がまん延しているかのような印象操作が行われ、翌13年には生活保護基準の引き下げと扶養義務者への圧力強化を可能とする法改定がおこなわれた。この一連の流れも、生活保護費の削減や管理強化という「政策」が先にあり、その「政策」を押し通す「根拠」を作るために、「モラル・パニック」が人為的に引き起こされたと捉えることができる。
コロナ禍で社会連帯意識が人権を支えてきた~来年はモラル・パニックに警戒を
昨年(2020年)春以降、コロナ禍の影響で生活に困窮する人が増加したことが社会問題として広く知られるようになり、人々の間で生活保護制度の重要性は以前よりも認知されるようになってきている。制度利用者へのバッシングは鳴りを潜め、今年8月に人気ユーチューバーが生活保護利用者やホームレスの人々を酷い言葉で差別する暴言を動画で発信した際にも、彼の発言を非難する声が、擁護する声を圧倒した。
コロナ禍はさまざまな分断と混乱を社会にもたらしたが、そこに希望があるとしたら、「生活困窮者も、外国人も含めて、どの人もみな同じ社会に生きる一員である」という社会連帯の意識が(まだ一部にとどまっているにせよ)以前に比べて広がったことにあると私は考えている。
社会運動が政策に影響与えた1年、政治家は社会をないがしろにできぬ
今年(2021年)は、入管法の改定が阻止されただけでなく、生活保護の扶養照会の運用も改善される等、マイノリティの人権に関わる社会運動が政策に大きな影響を与えた一年であった。それらの社会運動を支えたのは、社会連帯意識の広がりである。
イギリスでは昨年(2020年)、ボリス・ジョンソン首相が「社会というものがまさに存在する」と発言したことが話題になったが、日本でも岸田首相が「新自由主義からの転換」を政策の柱として掲げるという状況になっている。こうした変化は、新自由主義を推進してきた政治家や政党であっても、コロナ禍での社会意識の変化に対応せざるをえなくなったということを示している。
たとえポーズであったとしても、政治家が「社会」をないがしろにすることは許されず、「社会といったものは存在しません」(1987年のサッチャー首相の発言)といった発言はできない状況に追い込まれているのだ。
排外主義の扇動や、緊縮路線と自己責任論を復活させようとする動きが出てきた
しかし、来年(2022年)にはこうした流れを反転させるバックラッシュをもくろむ人たちによって「モラル・パニック」が意図的に引き起こされるであろう。バックラッシュは、すでに排外主義の扇動や緊縮路線と自己責任論の復活、ジェンダー規範や「伝統的」家族観の強化など、さまざまな分野で見られている。その主体もさまざまだが、今回の入管庁のような官製の扇動もまた現れるであろう。
「モラル・パニック」を引き起こすきっかけとなる情報は、「就労意欲のない若者が生活保護を受けて、モラルハザードが起こっている」というニュースかもしれないし、「外国人が不正受給をしている」というニュースかもしれない。
ごく一部の事象が針小棒大に報じられるだけでなく、実際には起こっていないことが事実であるかのように語られることもあるであろう。
「使い古された手法」の手口を学び、扇動に気をつけよう
外国人や生活保護利用者など、マイノリティの人々の人権を守るため(いま以上に人権が侵害されないようにするため)、私たちは「使い古された手法」の手口を学び、警戒する必要がある。
一年の最後にこんなことを言わなければならないのも残念だが、2022年は「モラル・パニック」の扇動に気をつけよう、と呼びかけたい。
]]>生活保護ケースワーク業務の違法な外部委託に続き、中野区でまた大問題が発生しました。
中野区が区役所の新庁舎などの整備に関する計画案を発表し、9月1日(水)までパブリックコメントを募集しています。
その中で、新庁舎には生活保護担当課だけが入れず、道路を隔てた社会福祉会館(すまいる中野)に移されることが明らかになりました。
中野区区有施設整備計画
https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/101500/d030169.html
中野区区有施設整備計画(案)(PDF形式:6,990KB)
https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/101500/d030169_d/fil/8.pdf
区有施設整備計画(案)のP45に以下の記述があります(画像参照)
● 多様化・複雑化する生活相談に対応するため、生活相談・自立支援窓口は区役所新庁舎に配置し、庁内窓口や社会福祉協議会、すこやか福祉センター等との連携強化を図る。
● また、生活保護受給者の増加に伴うケースワーカーの増員に対応するため、生活保護窓口は社会福祉会館に配置する。
この計画案では、生活保護の手前で生活困窮者への相談支援をおこなう生活困窮者自立支援制度の窓口は新庁舎に設置されるものの、生活保護の決定後の相談や保護費の支給などは新庁舎ではなく、社会福祉会館で行なわれることになります。
生活保護の担当課だけが新庁舎から排除される理由は「ケースワーカーの増員に対応するため」とされていますが、「生活保護利用者には新庁舎に来てほしくない」という差別的な意図があるのではないかと私は疑っています。
この計画案を止めるため、9月1日(水)までにパブコメを送っていただくことをお願いいたします(メールでもOKです)。
以下は、私が送ったパブコメの文章ですので、ご参考にしてください。「修正理由」は短くても構いません。
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「中野区区有施設整備計画(案)」に係るパブリック・コメントの募集について
https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/101500/d030940.html
中野区区有施設整備計画(案)へのパブリックコメント
*氏名:稲葉剛
*ページ番号 区有施設整備計画(案)のP45
*意見
2-2 「社会福祉会館・区役所新庁舎における生活援護機能の再編」について、生活保護担当課のみ区役所新庁舎ではなく社会福祉会館に移すという計画を撤回し、生活保護担当課も新庁舎内に移してほしい。
*修正理由
・計画案では、生活困窮者自立支援制度の担当課は新庁舎内に設置され、生活保護の担当課は社会福祉会館に移されることになっていますが、厚生労働省は各地方自治体に対して、この2つの制度は相互に連携して運用するように求めています。2つの担当課が別々の建物に設置されることになれば、両者の連携が取りにくくなり、結果的に利用者にしわ寄せがいくことが懸念されます。区役所の現庁舎同様、この2つの担当課は同一フロアに設置されるべきです。
・中野区は「新しい区役所整備基本方針」(2014年1月)において、「ワンストップ・クイック型サービスの充実」により区民サービスを向上させるという方針を提示しており、「新しい区役所整備基本計画」(2016年12月)では「新しい区役所は、障害のある方、高齢の方、お子様を連れた方、外国の方など、来庁したすべての方が不自由なく手続きや相談ができる、利便性の高い区役所とします。」という基本的な考え方が示しています。生活保護を申請した人は保護の決定後も、担当ケースワーカーと相談しながら、住民票手続きをおこなったり、高齢者福祉、障害者福祉、子育て支援等の相談をおこなうこともありますが、こうした場合、利用者は車道を隔てた2つの建物を行き来せざるをえなくなります。生活保護世帯の約8割は高齢者世帯及び障害者・傷病者世帯であり、移動により多大な不便を強いられることになります。言うまでもなく、生活保護利用者も区民であり、区のめざす「ワンストップ・クイック型サービス」を利用できるような設計にすべきです。
・生活保護担当課のみを新庁舎から排除するのは、差別の意図の有無にかかわらず、生活保護制度への社会の偏見や無理解、制度利用者への差別を助長しかねません。コロナ禍で生活困窮者が増加していることを踏まえ、厚生労働省は昨年から「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください」という広報を強化しています。中野区が生活保護担当課のみを別の場所に移すという方針を強行すれば、「中野区は生活保護利用者を新しい庁舎に入れたくないと考えている」という憶測が広がることになり、その結果、生活保護利用者が今以上に肩身の狭いをしたり、困窮している人が申請をためらう事態になることも想定されます。早急な見直しを求めます。
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※パブコメは、「中野区に住所、勤務先、通学先のある方、中野区に事業所や事務所のある個人又は団体、案件に直接利害関係を有する方(利害関係を有する理由を記入していただきます)」が送ることができます。
上記にあてはまらない方は、「中野区に事務所がある一般社団法人つくろい東京ファンドを応援している市民」という記載でも大丈夫です。
急な話ですみませんが、ご協力よろしくお願いいたします。
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