思いこみや決めつけが多い日本の韓国報道
昨年(2015年)6月5日、日本の新聞に「韓国が『反日』になった本当の理由をあなたは知っていますか?」というコピーの広告が載りました。フジテレビの番組「池上彰緊急スペシャル」の宣伝です。私はツイッターでそのことを知り、「とうとうここまで来たか」と思わずつぶやいてしまいました。個人的に「韓国=反日」の決めつけが深刻だと考え始めて10年以上になりますが、こうした日本における韓国報道は、そこに在住する筆者の実感とは全く違います。「これは私の住んでいるのとは別の国の話ではないか」と思うこともあるほどです。紹介される事例が全て間違いとは言いませんが、極端なケースからの一般化や、被害妄想に近い曲解が多くを占めているのです。
現にこの池上氏の番組でも、現地女子高生のインタビュー映像に実際の発言内容とは全く正反対の「日本が嫌い」との字幕をつけていたことが、後に大きく問題視されました。なぜこのようなひどいミスが生じたのか詳細は分かりませんが、取材結果をねじ曲げてしまうほど、「韓国=反日」という前提ありきの番組だったことは明白です。この例では不適切な字幕が物証となりましたが、様々な発言の中から「反日的」なものだけを選び出す程度のことは常に行われていることでしょう。
韓国を「反日」と決めつけ、さらにその理由を、韓国の国民性や歴史など、日本とは無関係のところから探してくる解説は、日本人に「安心感」を与えます。日韓間に外交問題が存在する理由も、韓国がやっかいな隣人だからであり、日本はその被害者ということになるからです。また、もともと韓国に対して悪感情がある人は、「自分が韓国人を嫌っているのではなく、韓国人が日本人を嫌っている」と思いこむことで、心理的な負担を少なくすることができます。
今の日本に「韓国人=反日」を強硬に主張する声が大きいのは、それだけ自分の否定的な感情を正当化したい人が多いことの裏返しかもしれません。
時代錯誤な「上から目線」の“韓国通”
残念なことに、「韓国=反日」の構図に寄り掛かっているのは韓国通のジャーナリストや学者も同じです。ここでは一例として、2015年に出版され、同年のアジア・太平洋賞特別賞を受賞した『韓国「反日」の真相』(文春新書)を取り上げてみましょう。著者の澤田克己氏は毎日新聞ソウル支局長を歴任した新聞記者です。同氏は、韓国で現在「反日の暴走」が起きているという前提に立ち、その原因を韓国側の意識の変化に求めます。しかし昔の日本側メディアなら騒がなかったような出来事まで「反日」と書き立てる筆致は、皮肉にも日本側の意識こそ激烈に変化したことを示しています。
さらに同書は、韓国が日本を「兄貴分」として一目置き、不満があっても踏みとどまるしかなかったかつての不均衡な関係こそが、日韓関係のあるべき姿だという意識を隠そうともせず、対する日本側の傲慢(ごうまん)さを見つめ直す視点は欠落しています。なぜでしょうか。その答えは「あとがき」での著者の回顧に見ることができます。
「私は大学生だった1988年、旅行者として初めて韓国を訪れた。その時、観光地の休憩所でジュースを飲んでいると、店を守っていたおばあさんが日本語で話しかけてきた。ほとんどの会話は忘れたが、一つだけ覚えていることがある。「昔は大勢の日本人が半島へ来た。悪い日本人もいたけど、いい日本人もいたね。半島の人も同じだ。いい人もいたし、悪い人もいたよ」と言われたのだ。こうした等身大の日本を知る人は、もう韓国にはいない。寂しいような気もするけれど、それが現実だ。」(『韓国「反日」の真相』)
この文脈で「等身大の日本」は、実際には戦前の日本、朝鮮半島を支配していた大日本帝国のことです。つまり著者は、この特殊な時代についての述懐を「等身大の日本を知る」例とみなして惜しみ、それが失われたことが現在の日韓関係の状況とリンクしているかのように嘆いているのです。
しかし、今の韓国では日本を仰ぎ見る状況下での「知日」韓国人が新たに生まれることはありません。世代交代は、歴史の証言者が失われる損失や、ノスタルジックな感情を別にすれば、新しく真に対等な日韓関係を築く条件が整ったと前向きに捉えるべきことでしょう。新世代の日本人としては、「等身大の韓国」を知ることと、同世代の韓国人に「等身大の日本」を知ってもらうことに努力していけばよいのです。植民地主義の亡霊にとらわれたまま、「上から目線」で不満を正当化する筆者の解説は、相手を対等と認めないための言い訳としか思えませんでした。
韓国人の日本観はフェアになってきた
私は在住期間で17年、最初の訪問から数えるなら20数年、韓国を見てきました。この間、日本や日本人に対する韓国人のまなざしは以前に比べずいぶんとフェアになりました。まず国レベルの問題について、一般の日本人に対し論難をあびせるような人は見かけなくなりました。街で日本語を話すのがはばかられるという雰囲気も消えて久しければ、韓国人が日本語を学ぶことに難癖をつけられるようなこともない。この時代、「日本人に悪い人もいるが、いい人もいる」ことなど、多くの韓国人が当たり前に感じていることで、あえて口に出す必要すらなくなっているのです(むろん、「悪い人といい人がいる」というような二分法自体には、また別の問題があるのですが)。
一個人の皮膚感覚の話では信用できない、と思われる方も当然いらっしゃるでしょう。ではここで、ある世論調査を見てみたいと思います。近年でも日韓関係が特に冷え込んでいた時期と言える昨年の6月1日、韓国・中央日報が掲載した日本経済新聞との日韓共同世論調査です(私の手元にあるのは詳細な韓国語紙面ですが、中央日報の日本語版ウェブサイトでも記事の一部を読むことができます)。
同記事の解説には「韓国と日本のいずれも相手国に対する否定的な感情が急増したのは予想通りだった。しかしその理由についての回答は日韓間で違いがはっきりした」とあります。どちらの国でも否定的な感情の割合が肯定的な感情を大きく上回っているのは同じですが、その理由が大きく異なるのです。
韓国では日本に対し否定的な感情を抱く理由について「歴史問題」を挙げた人が最も多く54.8%に上ったのに対し、日本では韓国に対し否定的な感情を抱く理由について「(韓国の)国民性」を挙げた人が最多でした(22.1%)。ちなみに、韓国では日本に対し否定的な感情を抱く理由について「国民性」を挙げた人は7.3%に過ぎず、むしろ日本に対し肯定的な感情を抱く理由として「国民性」を挙げた人が39.4%と最多を占めました。これは何を意味するのでしょうか。
特集に関わったある日本経済新聞の記者は「韓国人は、日本が嫌いだと回答した人でも、国や歴史の問題と国民などとを別々に捉えているのに対し、日本人で韓国が嫌いと回答した人は韓国に関わるもの全てが嫌い、という傾向があるように見える」と話していました。私もその見立てに同意します。加えてこの結果は、日本人の国民性への評価ゆえに日本を肯定的に見る向きもあるほど、日本人を公平に見て判断している韓国人が一定以上存在していることを示唆していると思います。
他方、日本側に目立つ「問題は韓国の国民性にある」という認識は、正当なものでしょうか。そんな判断が下せるほど、日本人は果たして「等身大の韓国」について知っているでしょうか。メディアはそれをきちんと国民に伝えているでしょうか。私には大いに疑問です。
日本の若者を呪縛するメディアの刷り込み
先日、日本人交換留学生2人と韓国人の日本観について話す機会がありました。2人とも交換留学に先駆けて、(別々の機会に)韓国の提携大学との共同セミナーで韓国の学生と議論したことがあったと言います。彼女たちは、韓国側の日本語専攻の学生について、日本語や日本が好きな子たちのはずだから、日本について否定的な話はしないだろうと思っていたのに、歴史問題で厳しい意見が出たのが予想外だったと語ってくれました。「それでも私たちの話にきちんと耳を傾けてくれる姿勢を感じた」という彼女たち。その後、1年という貴重な時間を費やし、交換留学生として韓国に来ました。