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「普通の人なら」「普通の老後」のフツーを求めることの意味

SPAにこんな記事が乗っていました。

婚活女子が言う「フツーの男」は平均以上のスペック

結婚はほぼあきらめていると書いておきながら、やっぱりこういう記事を読んでしまうんですよね。以前、「人生の落伍者」でも書きましたが、「普通でいい」の「普通」のハードルを自分で勝手に上げすぎて、理想に近い「普通」を追い求めて終わりのない旅を続けてもたどり着けないのが「普通」なんじゃないでしょうか。

この記事は他の似たような記事から目新しさはあまりないのですが、一つ気になるところがありました。

 西口氏が指摘するのは、「『普通』という言葉は思考停止ワードのひとつ」だということ。

「同質社会なら『普通』という言葉は共感を高める効果がありますが、今の時代、普通の前提をすり合わせないと議論は先に進まない。それは、婚活だけの話ではない」


なるほど、「普通」といっておけば、具体的に何が「普通」なのか説明しなくても、なんとなくみんなが同じようなものを想像するという期待が話者にあるということですね。その「普通」が何なのか具体的に明らかにしていくと、実は客観的な中央値的なものとはだいぶ乖離している場合があるということ。

それ以上に、なぜ「普通」を求めるのかという問題があります。婚活については「まわりに負けたくない」という意識が働くようですが、周りと比べて自分の相手を決めるのは、「幸せ」を求める道においては良い戦術ではないと思います。相対的な優位などすぐに変わってしまうものですし、しかもそれを自分の外に求めるのは責任から逃れたいだけなんじゃないかという気がします。まさに思考停止。

この話は婚活だけでなくて、例えば「普通の老後生活に必要なお金はXXX円!」みたいな話もよく聞きますが、重要なのは、自分にその「普通」が必要なのかどうかということです。そういった数字は一つの目安にはなりますが、思考停止してそれを鵜呑みにしてしまうと、終わりのない袋小路に入ってしまうんじゃないでしょうか。「老後にはXXXX万円必要だと言われてるのに、全く足りない!不幸だ!」的に。

主観的な「普通」、客観的な「普通」、どちらもそれを求めるようなときは、本当は自分が何を必要としているのか十分に考えていないと思う方が安全ですね。何かしら必要だから求めている(結婚相手、老後の生活費など)のでしょうが、実際は「普通」が必要なわけではないのに、何が本当に必要なのか考えるのが面倒でとりあえず「普通でいい」なんて言ってしまうわけです。

そんな重要じゃない問題ならそれでもいいんでしょうけど、結婚相手や老後の資金の問題をそんなんで片付けて良いんでしょうかね。

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コメント

Re: タイトルなし

>smさん

結局「普通」は自分の妥協できる線なんじゃないでしょうか。
妥協できる最低限よりはいい、みたいな。

Re: こういう文脈での「普通」は

>観楓さん

限られた一地域で通用する常識も他にでると非常識だったりしますもんね。海外に行ったりするともっとそうですし。

結婚は・・・まあしてない自分が言えることはあまりないかもですw

私は普通よりは

上にいたい

願望はある

普通の基準が

分からないが

こういう文脈での「普通」は

議論しているときに出てくる「常識」という言葉と同じくらい注意が必要ですね。

自分が「常識」だと思っていても相手がそう思っていないことがままあって、全然話が噛み合わないという。

特に結婚は、言葉では表せない身に染み付いた個人の価値観や生活習慣が影響するので、相互理解が難しそうですが。

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