メーガン妃はなぜ、嫌われてもなお血気盛んなのか?
たとえば、メーガン妃。歴史においてこれほどまでに多くのアンチを持ってしまったプリンセスはいないだろう。もちろん英国王室には歴史的に“悪女”とされたプリンセスが少なくない。ヘンリー8世の正妻の侍女だったのに、いつの間にか王妃の座を得て、かのエリザベス1世を産んだアン・ブーリン。エドワード8世に王位を捨てさせたウォリス・シンプソンも、メーガン妃と同様に大きな批判を浴びた人だし、ある意味ダイアナ妃から現在のチャールズ国王を奪ったカミラ王妃もその一人……。ただ現代のような緻密な報道もSNSもなかった時代、世論や誹謗中傷は本人の耳に入らなかったはずだ。あくまでも歴史のドラマが彼女たちを悪女にしていった訳で、やっぱりメーガン妃ほどのリアルな炎上プリンセスはいないのである。
でも、そんなメーガン妃ですら支持者がいる。世論調査機関が行う調査でメーガン妃の好感度は約20%と少し。嫌いと答えた人が6割近くいたものの、彼女のファンはまだまだ2割以上はいるのである。逆に、ウィリアム皇太子とキャサリン妃はともに70%以上の支持を得ている。
実はこの数値には、“262の法則”というものが働いている。知っていただろうか。世の中の仕組みとして、どんな組織でもデキる人2割:普通の人6割:デキない人2割に分かれるという法則。この2:6:2という人間分布が、あらゆる場面において共通して見られ、人間関係においても成立する法則だとされるのだ。
メーガン妃も2割程度は自分を好きと言ってくれるファンがいるからこそ、自分のブランドを出すなど、今も血気盛んなのだろう。今の彼らにとっては味方が2割いればもう充分なのだ。
しかも“普通の人”とされる中間層は、好き、嫌いどちらにでも転ぶ可能性を持っている。それによって人の評価の大逆転も起こり得るのだ。先頃の兵庫県知事選で、驚くべき大逆転が起きたのも、パワハラ疑惑の真っ只中でも、おそらく2割程度の潜在的な支持者がいたということなのだろう。そしてどちらにでも転ぶ6割のうちの半数以上が、SNSで意識をひっくり返されたということ。怖いけれど、充分起こり得ることなのだ。
要は、どんな逆境に置かれたとしても2割の味方はどこかにいるということ。どんなに嫌われても、2割の人は好感を持ってくれているということ。それは逆に、どんなに頑張って“いい人”になっても、やっぱり2割から嫌われる事実を意味している。誰からも好かれる人にも、妬みも含めて“彼女は八方美人”と快く思わない人がいるということなのだ。ただそれが社会の仕組みなのだと思えば、不安も消え去るはず。
そう、“262の法則”は日頃のストレスを軽減するためにも大いに役立つもの。つまり、どんなコミュニティーにもどんな組織にも、自分とは相いれない人間が2割はいるのだと知っていれば、傷つくことも、嫌な思いをすることも少なくなるはず。嫌われることも嫌いになることも20%の確率で起こり得るのだと思えば、いかなる理不尽もギリギリ納得できるはずなのだ。
仕事の場で、自分は“262”のどこに位置するのか?
さらにそれは仕事の能力にまつわるストレスの軽減にも役立つことになる。この法則が持つ元々の意味、2割はよく仕事をし、2割はあまり仕事をしない……。
それが社会の常ならば、仕事をよくする人間は、仕事をしない人間に腹を立てる場面が多々あるはずだ。一つの職場において、“あいつの分も自分が稼いでやっている”という感覚を持ってしまうことって少なくないはずだから。
実はこの“262の法則”、アリの生態をヒントに生まれたもの。一つのコロニーにおいて、よく働くアリは2割、働かないアリも2割、残りの6割は“普通に働く”という割合をアリたちは常にキープしている。逆に言えばそれが、まとまりのよい効率的なコロニーをつくることになる地球の摂理なのだろう。どんな環境でどんなコロニーができても、必ずその割合になってしまうというのだから。
そして仮に、2割の働かないアリを排除したとしても、いつの間にか、残りのアリからまた2割の“働かないアリ”が生まれてきて、元の“262”の分布になってしまうというのだ。
これは人間社会でも同じ、2割の下位層をクビにしたとしても、しばらくすると残りが2割の下位層をつくってしまうという。逆に、よく仕事をする2割がごっそり抜けたとしても、しばらくすると2割が“よく仕事をする上位層”をつくってしまうとか。もっと極端な話、上位層2割だけで組織をつくっても、またちゃんと、中間層6割と、下位層2割が現れる。でもなぜそうなるのだろう。
実は2割が働かなくなる要因は、近頃話題の反応閾値(はんのういきち)にあるという。これは、人が動き出すまでの反応を意味する言葉。能力そのものにさほど差がなくても、すぐやるか、ぐずぐずしていてなかなか動き出さないか、その違いで仕事量に差が出てしまう訳で、反応閾値に時間がかからない人はフットワークが軽く、人より先に動き始めるので、結果として他の人が出遅れて、“働かない人”にカテゴライズされていく。日々その繰り返しならば、働く人と働かない人に分類されてしまうのは当然のこと。
さぁ、あなたの場合はどうだろう。あなたが今いる組織の中で、自分はどのカテゴリーに入るのか、自覚はあるだろうか。
仮に下位層2割に自分がいるかもしれないと感じても、落ち込むことはない。のんびりした2割がいなければ、職場は激しく競い合うだけの殺伐とした組織になるだろうし、下支えする人がいなくなる。自らの努力によっていくらでも下から上っていけるという希望を持てる人たちでもある。2軍、3軍があってこそ、最前線に立つ喜びもひとしお。だから自分のポジションが今は不本意なものであっても、腐る必要などまったくない。いろんな個性があってこそ、組織はまるく収まるのである。ましてやすべてはバランス。部署を変わるとか、上司が変わるとか、新人が入ってくるとか、ちょっとした変化で分布図のメンバーも不思議に大きく変化するのだから。
そして今の時代、がむしゃらに1番を競って仕事をするなんて嫌、きちんとやることはやるけれど、あんまり目立たない存在でありたいと常に思っている人は少なくないわけで、そういう人は普通の6割、または下位層2割に自ら逃げているのかもしれない。それも含め、多くの経営ルールは、下位で支える2割こそが“会社の宝”なんていう言い方もしている。今の社会の考え方が、下位層2割が頑張ることで全体が活性化する……だから下位層2割を大切にしてこそ会社は繁栄すると。彼らはデキないのではなく、ゆっくりなだけ。または消極的なだけ、なのだからと。
しかも下位層って結構楽しい。デキる人のサポートにまわったり、丁寧に準備してチャンスを待ったり、そういう自分に喜びを感じる人もいるはずだ。むしろ自分らしさを生かせるカテゴリーに位置していることが重要なのだ。もちろん仕事ができるに越したことはない。でも今の職場では下位層に入ることもやむなしという時期も、人生にはあるということ。いつかは上位層に、そう思えばいいのだ。
一番かっこ悪いのは、実は下位層2割なのに、自分が仕事を動かしているようなつもりになってしまうこと。またそんな下位層を、上位層2割が蔑むこと。やはりそこは“262の法則”をよくよく理解して、自分のペースで粛々と仕事に臨むこと。自分のポジションも自覚して、上にいきたいならば、素早く仕事をこなす努力をする、それだけのことなのだ。
ともかく人間関係においても仕事に向き合うのでも、“262の法則”はかなり決定的なもの。常にそれを意識しながら生きると、ストレスを抑えつつ、いろんな希望を持てて、きっとイキイキと人生を組み立てられるはず。ぜひ、やってみて。
撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳
Edited by 加茂 日咲子
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