HONZ記事のアーカイブについてですが、メンバーのレビュー記事はnoteのマガジン機能にアーカイブを残す予定です。なおメンバーそれぞれの任意、かつ個々人のペースでの作業になりますことをご了承ください。
]]>2011年7月15日にオープンしたノンフィクション書評サイトHONZ。本日2024年7月15日をもちまして13年間のサイト運営に終止符を打つこととなりました。
2011年の東日本大震災から、記憶に新しいコロナ禍まで。はたまたFacebookの時代からChatGPTの到来まで。その間に紹介してきた記事の総数は6105本。
発売3ヶ月以内の新刊ノンフィクションという条件のもと、数々のおすすめ本を紹介する中で、様々な出会いに恵まれました。信じられないような登場人物たち、それを軽やかなエンターテイメントのように伝える著者の方たち、その裏側で悪戦苦闘を繰り広げていたであろう版元や翻訳者の皆さま。さらに読者へ届ける取次会社や書店員の皆さま、そしてHONZを愛してくださったすべての皆さま、本当にありがとうございました。
サイトを閉じることになった理由に、明快なものは特にありません。こんなサイトがあったら面白いなとシャレのように始まったものが、シャレのように突然終わる。そういった粋な句読点の打ち方を、数年前からメンバーの多くがそれとなくイメージしていたのですが、機が熟し、今回の決断に至った次第です。
正直、あと数年は続けられる余力があったかと思います。ですが、そこに戻ることはありません。何かを終わらせることで、新しい何かが始まる、そんな未来の可能性に賭けてみたいと思います。
そんなわけで最後の記事は、HONZが活動していた2011-2024という13年間における、最も「◯◯な」一冊というテーマを設定してみました。どうぞ、ご笑覧ください!
東日本大震災の年に産声をあげ、13年経ったHONZは今日幕を下ろす。
この間、人類史に残る事件といえばCOVID-19パンデミックだ。危機管理に無策の政府は、専門家にすべてを委ねた。その最初の1年の対応と政策、専門家それぞれの心中を書き表したのが河合香織『分水嶺ドキュメント コロナ対策専門家会議』だ。
著者は淡々と証言を正確に書き残し、内部の軋轢も赤裸々に記した。日本中枢部のネットや大規模データの情報収集能力はこんなに脆弱だったのかと読んだ時は相当ショックを受けた。同時に、日本の防疫システムを担う保健所のシステムの有効性にも驚いた。この話、たった4年前のことだ。 オオカミ少年のように「やってくる」と言われ続けたパンデミックは本当に終わったのか。
結局のところ、新型コロナウィルスとは、どこから発生してどのように広がったのか、わからないままだ。大きな問題提起をしたと思ったシャーリー・マークソン『新型コロナはどこから来たのか 国際情勢と科学的見地から探るウイルスの起源』はたいした話題にもならなかったし、いまや人々の関心はほとんど無い。
3年に及んだあの自粛は何だったんだろう。詳細な検証の結果は徐々に発表されることだろう。ノンフィクション読みとして期待せずにはいられない。
ノンフィクションという制約があるからこそ、ウソのような話を追い求め続けてきた。メンバー内を見渡せば、「刀根、まさかの留年」や「塩田、驚愕の野グソ」など信じられないような話はたくさんあったが、書籍に限定して考えれば断然『ピダハン』だ。
ピダハンの言葉には数がない、そして左右の概念もない、さらに色を表す単語もないという。また直接体験以外の言葉を表現することが出来ない文法構造となっており、そのおかげで現代社会に蔓延する不安や精神疾患などとも無縁であるというから驚くよりほかはない。
また後に名著となる本を新刊として読み、誰よりも早く書評を書いたことを、今でも密かに自慢げに思っている。ボクは本格的に読書を始めたのが遅かったため、過去の名著の話題についていけない時期も長く、ずいぶんコンプレックスを感じていた。その後、本好きが集まってピダハンの話が出るたびに、ようやく本好きの仲間入りを果たせたと感じ入ったものである。
それにしてもこの本が発売された2012年当時、HONZ内における新刊の書評権に関する争奪戦は本当に凄まじかった。当時のことを懐かしくは思うが、あの頃に戻りたいとは決して思わない(笑)
本ばかり読んでいても教養は身につかない、と坂口安吾は「私の小説」に書いている。確かに、本を読んでも賢くならないと体感した13年であった。世の中の平均よりもかなり本を読んだが、何も変化の兆しがないまま40代ももうすぐ折り返しだ。
では教養とは何なのか。安吾は「教養というものは、生き方の誠実さが根底である」と説いている。何だか格好いいことをいっているだけの気もするし、この一文を何度か口ずさむとそんな気もしてくる。
だが、ちょっと待てよという気もする。批評の神様といわれ、難解な文章で知られた小林秀雄を「何いっているかわからない」と切り捨て、酒を飲んで見ず知らずの人に殴りかかる安吾が誠実なのかと突っ込まれると首肯しがたい。だが、別に安吾自身が誠実とは言っていないよな、などとこの一文に対してだけでも、あれこれ突っ込みたくなるのだが、こうしたどうでもいいことを考えさせられるのが読書の醍醐味でもある。
今、読書より楽しいことなんていくらでもあるし、自分を賢くみせるツールも山ほどある。本なんて読みたければ読めばいいのだ、とHONZは教えてくれたとまとめておけば、十数年のそれっぽい締めになるだろうか。
13年間、定期的にAmazonの検索バーに「雪」とタイピングし、雪本を探してきた。しかし、大体は、スキーやスノーボードの雑誌や観光ガイドばかりだった。違うんだよ、そういうの読みたいんじゃないんだよ。そう思いながら、人知れず、地味な作業を継続していた。そして、出会ってしまったのが、『雪に生きる』である。著者は猪谷六合雄、日本人初の冬季オリンピックメダリスト猪谷千春の父である。赤城山の旅館の息子に生まれ、突如スキーを手作りし滑りはじめた。その後、雪を求め、国内各所を転居した。千島列島・国後島に移住時の春に生まれたのが千春である(次男は千夏である)。
日本スキーの草分けであり、雪まみれの雪バカ人生を歩んだ六合雄は、スキーだけでなく、スキーのジャンプ台も山小屋もスキー用の靴下もセルフビルド。そして、驚くべきことに齢70を過ぎてから運転免許を取得、日本で初めてキャンピングカーをハンドメイド。ここでも草分け的存在で、車中泊生活を楽しんだ。生活すべて、見たもの聞いたものすべてを面白がっている様子が一文一文からビンビン伝わってくる。六合雄のように人生を実験的に生きたい、心の底から憧れた一冊である。
ノンフィクション作品を読む醍醐味は、空間や時代を超えて偉人の歩みを疑似体験できることだ。地球上で全く違う場所に生きる人や、過去の偉人について、読書を通じてその人の吐息が聞こえるような体験をすることができる。そのような作品に出合うと、読了前後で自分の人生が大きく違っていることだろう。
そんな体験をさせてくれるノンフィクション本が『スノーボール・アース』である。主人公のポール・ホフマンという地質学者は、それまで「ありえない」と考えられてきた、地球全体が氷で覆われるスノーボール・アース現象が地球で起きたことを証明。それまでの常識を覆した。彼は反対論を論理的な説明と証拠によって次々とねじ伏せていく。まるでRPGゲームのように、次から次へと強敵(反論)が出てきては、それらを自説で打ち負かしていくのだ。
本書を通して、常軌を逸したアイデアが世の中のスタンダードになる歴史的な過程をおえる。個性豊かな科学者達の信念と信念のぶつかり合い、或いは個性と個性のぶつかり合い、これが科学を進歩させてきた。きっとどこかで同じような闘いをしている人たちが今もいる。HONZという読書文化を通じてそういった偉人(奇人変人?!)に触発される機会を増やせたと願いたい。
幼少の頃、私は足の病気により松葉杖で生活していた。そのため、まわりの小学生が広大な山や野原を駆け回って遊ぶ一方、物事を客観的に見る癖がついた。
大人になってもそういった現実的な側面は残り、本書のような霊とは無縁であった。ただスマホもインターネットも無い時代に時間だけはあったので世の中を観察ばかりしていた。
すると地球が毎日安定して自転していること、ほぼ24時間周期で太陽が毎朝登ることは奇跡的だということを理解しはじめた。
加えて、日常で家賃が払えない時に宝くじが当たったり、間違えれば死亡するような事故も奇跡的にかすり傷になってたり不思議な事も起こりはじめた。この見えざる何かが存在していると意識しはじめたのが、ちょうどHONZの初期メンバーとなった13年前の時期と重なる。
いつしか私も修験道に興味を持つようになり、非科学的だった霊魂も、より身近になった。今ではシャーマン達が伝える事も、完全なるノンフィクションとして理解できる。
この13年間、HONZでどんな本をご紹介したかしらと遡ってみたら、初めの頃は歴史に関わるものが多く、やがて社会問題全般へ。薬膳の研究を始めた辺りからは料理や食に関する本もちらほらと。自身の興味の移り変わりが垣間見えました。
この間にアラフィフから還暦へと歳を取り、このごろは人生の終わりについて考えることが増えました。自分自身乳がんを経験したり、家族や親しい仲間のさまざまな命に関わる戦いと触れることもあり。考えてもわからないけれど考えておかなくてはならない、何か準備をしておきたいと思う、そんな年頃です。
HONZ最終回にあたってご紹介するのは、2020年2月発行、佐々涼子さんの『エンド・オブ・ライフ』です。
「命の閉じ方」をレッスンする。200名の患者を看取った看護師は、自らの死をどう受け入れたのか?
帯にこうありました。命の閉じ方はレッスンできるのだろうか。思わずこの本を手に取ったのです。 佐々さんは2013年から在宅医療や自宅での看取りについて取材を重ねてきました。 きっと行こうねと家族と約束した潮干狩りへまさに命懸けで出かけて、そこで最後の思い出を作り、翌日幼い娘を残して旅立った若い母。 脊髄梗塞を起こし24時間絶え間ない激痛に苦しみ、運命の理不尽にたいするどうしようもない怒りを抱きながら家族とも疎遠になって行く60代の男性。 胃がんを発症し、やがて膀胱も浸潤、神経も圧迫され人工肛門をつけるなどいくつものトラブルを抱えながらも、ひまわりのように明るく生き、最期の時には家族や友人に拍手でおくられた40代の女性。
期限を切られた残り少ない日々を、家族や仲間とホームコンサートを開き、息子たちの掻き鳴らすギターの音色に浸り、「楽しく、楽しくね」と妻と手を握り合いながら逝ったクリスチャンの男性。 こうした人々と、彼らと共に歩もうとする医療者たちの取材を佐々さんは続けていました。が、それはなかなか1冊の本としては結実しません。最後は家で、というがそれは本当に誰にとっても良いことなのか確信が持てない。医療や介護のチームの支援があって家族の負担はやはり大きい。在宅医療を手放しでは賞賛できない、そんな思いを胸に抱いていたのです。
佐々さんがそんな気持ちになるのには自身のご母堂のことがありました。佐々さんのお母様は完全に寝たきりで、それをお父様がたった一人で自宅で介護していたのです。
命の期限と向きあう多くの人々とその家族、友人、医療者たち。そして自分自身の父と母。在宅医療や家での看取りをどう受け止めるか固まらないまま6年が過ぎた時に連絡をよこしたのか、医療従事者の一人として取材対象だった看護師の森山さんでした。多くの人々を看取ってきた彼は、自身がすい臓がんを患ったのでした。がんの中でも予後の良くないすい臓のがん。自分が最後に残す言葉を受け取ってほしい。佐々さんは患者としての森山さんの取材を始めます。
200名もの患者のさまざまな死を看取った経験は、自身が死を迎える時のレッスンたり得るのか。 森山さんにも佐々さんにも思わぬ変化が起こります。そして・・・。
一つとして同じものがない「人生の終わり」。どこまで行っても人の死は「その人だけの経験」なのだという思いが湧き起こります。自分はその時を、どう迎えるのか、迎えられるのか。堂々巡りです。 印象に残る言葉がありました。
人は、生きてきたようにしか死ぬことができない
亡くなりゆく人は、この世に生まれてくる時、天から授かった美質を、この世においていくこともできる。
いつかその日が来るまでの、長くも短くもある時間を費やして答えを出す「宿題」だなと思います。生きている限り日々の経験のなかで、心も移ろいながら、最期まで答えを更新し続けるのかもしれません。読み終えて、そんなことを思いました。多分私も思い続けて行くと思います。この本で佐々さんは大事な宿題をくれました。
HONZでのデビュー作『大村智』以来、12年と4ヵ月、300近いレビューをアップしてきた。平均すれば2~3週に一冊ということになる。この6~7年は毎月27日が当番日だったが、一度たりとも欠けるはおろか遅れたりしたことすらないのが自慢である。どやっ、えらいやろ! 誰も気づいてないと思うから、ここにキッパリと記しておきたい。
この機会に、すべてのレビュー本を見直してみた。レビューしたことすら忘れている本もたくさんあるが、強く記憶に残る本もある。小川さやかさんの『チョンキンマンションのボスは知っている』とか郡司芽久さんの『キリン解剖記』など、新聞やらでレビューされる前にいち早く紹介して後に話題になった本は、とりわけ印象に残っている。このお二人を含め、レビューをきっかけに著者の方と知り合いになれた本がたくさんあったのは、本当にありがたいことだ。
そんな中、自分でいちばん気に入っているレビューは「『おっぱいの科学』にクラクラっ」である。栗下直也に指摘されて、レビューに「おっぱい」という四文字がどれくらい出てくるかを数えたら、なんと15回。子どもの頃はおっぱいが大好きで「おっぱい魔」と呼ばれていた私の面目躍如である。こんな名著が絶版になっているのは、HONZが終わるのと同じくらいに悲しい。
最初に書いた『ケセン語訳 新約聖書』が2012年4月なので、なんと12年以上HONZに参加していたことになる。HONZメンバーとはその間何度飲んだか旅したか、その縁こそ13年間で最も貴重なものだ。感謝しかない。
なんつって、本ですよね。70本近いレビューを見返すと、私が好きなのは人知れず研究したりつくったり、何かしら好きでやらかしている人の本のようだ。その中でも、いちばん不思議な反響があったのは『精神病者私宅監置の実況』だろう。思いがけず手にしたこの本を紹介することで、「実家にも実はあって」という激白もあれば、勤務先への持ち込みも増えた。100年前の座敷牢の調査報告書なのだが、よく調べたものだ。そして、よく出たものだ。面白い人物や出来事をもたらす一冊となった。
たどると、この本を知ったのは、『幻聴妄想かるた』を、かるたなのに無理矢理紹介したから。そもそもは『オオカミの護符』という関東にひっそり息づく山岳信仰の本を2011年に編集して、「かるた」が近づいてきた。このオオカミ、オイヌさまの存在を教えてくれたのが副代表の東えりかさんで、「なに変な本出してるの?」と親しくなったのが成毛眞さん。奇縁を結ぶのは、人のみならず本でもあるのだな、と教えてくれたのもまた、HONZだった。
HONZには「ベストセラーは扱わない」という暗黙のルールがあったが、空気の読まない(読めない)私は無視して、これから売れそうだと思う本を率先して紹介していた。それゆえレビューを振り返ると、のちにベストセラーになっている本がたくさんある。私が紹介しなくても売れていただろうが、13年が経ち、その間に50万部を超える大ベストセラーになっているものがある。本の目利きとしてそれなりには役に立てたのではないだろうか。売れた順にみると、
1位『嫌われる勇気』岸見 一郎 300万部
2位『ざんねんな生き物図鑑』今泉忠明 監修 150万部
3位『伝え方が9割』佐々木 圭一 112万部
4位『言ってはいけない』橘玲 60万部
5位『ゼロ』堀江貴文50万部
数万部でベストセラーといわれる中で、50万部を超える本を5冊、100万部超えが3冊もあるのはなかなか上出来ではなかろうか。数冊でも売り上げに貢献できていれば幸いである。ちなみに『嫌われる勇気』は発売日の4日後、『伝え方が9割』は発売日の3日後にレビューしているので、どれもベストセラーになってから紹介したわけではないことを強調しておきたい。『嫌われる勇気』にいたっては発売から10年が経過するいまも売れ続けている。きちんと調べたわけではないがこの13年の間で一番売れた本ではないだろうか?
これを機に『嫌われる勇気』を読みかえしてみた。本には当時の付箋が貼ったままで、別のところには線が引いてあった。記憶にないが2度は本を読んだのだろう。その個所だけをみても、私はこの本から多大な影響を受けていることがわかった。「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」。HONZではたくさんの経験をさせてもらった。HONZでの経験に「どのような意味」を与えるかは自分次第。『嫌われる勇気』の教えを元にこれからも「いま、ここ」を真剣に生きることを意識していこう。
新刊を三ヶ月以内にレビューするというHONZのルール上どうしてもレビューのタイミングを逃してしまう本がある。そんな本の中で最も心残りだったのがイアン・カーショー著『ナチ・ドイツの終焉1944-45』だ。国防軍は国家の戦争をただ遂行していただけで、ヒトラー率いるナチスとは一線を画していた。戦後語り継がれてきた国防軍神話だが、これは真実ではなく国防軍とヒトラーとはかなり深いレベルで結びついてのではと問いかける意欲作だ。国防軍の忠誠と妄信があったからこそ、ナチ・ドイツはベルリンが灰燼と化しても戦いづづけたのである。多くの民衆を巻き込んで。
ついでに神話崩壊つながりでもう一冊あげるならば『エルサレム<以前>のアイヒマン』も俊逸だ。ユダヤ人虐殺に深く関与しながらもハンナ・アーレントにより「悪の凡庸さ」と評されたアイヒマン。だが彼は本当に上からの命令を忠実に実行しただけの小役人だったのか?
著者は亡命先アルゼンチンでのアイヒマンの活動を追い、彼が亡命ナチグループの中心的な存在であり、ナチ復興にかなり精力的に動いていたことを突き止める。無能な小役人という彼のイメージはエルサレムの裁判でアイヒマンが減刑を勝ち取るために演じた作戦であった可能性が高いのだ。ぜひ、20世紀最大の戦争を起こしたナチ・ドイツの神話の崩壊を目の当たりにして欲しい。
私は悩んでいた。反響とレビューのできなら『八甲田山 消された真実』だろう。しかし今、世に問うなら三毛別羆事件を取材した『慟哭の谷』か。でも『パイヌカジ 小さな鳩間島の豊かな暮らし』も捨てがたい。
そこに、内藤編集長からご宣託があった。「うんこネタで決まり、飛びっきりクサいやつでお願いします、自分を信じてくださいっ! もう失うものなんてナイですから」
ということで、最初から最後まで通奏低音のようにゲロシンコ(ゲ〇とシッ〇とウン〇)にまみれ続けた『冒険歌手 珍・世界最悪の旅』にしよう。朝会で紹介するやメンバーが次々にその場でポチりだし、追いレビューも相次いだ伝説の奇書である。成毛代表のお身内も、本書の影響で会社を辞めて新しい世界に飛び込んだというくらいだから、人生を変える力がノンフィクションにはある!という証明にはもってこいのはず。
改めて過去の記事を振り返れば、その時々に話題になったノンフィクションは、まさに時代を映す鏡。HONZの歩みも、時代そのものの歩みであったと言って過言ではないだろう。関係者の皆様に心からの感謝を。そして何より、ご愛読くださった皆様、ありがとうございました。いつかまたどこかでお会いしましょう!
「HONZでレビューを書かないか」と誘われた時、きっぱりと「いや、ノンフィクションは全く読まないので」と返したのを思い出しました。読まないかわりにデータを使って色々やってみましょう、ということで。
「●●を買っている人はこういう年齢層でこういうものを買っています」だとか
「この本を買った人はこの地域の人が多い」だとか、
「株価と売上が連動している本の話」だとか
そんな歴史を経て「これから出る本」シリーズに落ち着きました。
“ノンフィクション本”ってよく使われる言葉の割には書店での扱い方法は様々なのです。そんなわけで、毎度毎度本の情報を見ながら目検で「これはフィクション、これはノンフィクション」って仕分けしています。
HONZメンバーとつきあっていると「データ上だと世の中でまだ200冊くらいしか売れてないはずなのに」という本を読んだり持ったりしている人が3人いる。などのびっくり事例がしょっちゅう起こるのも面白いことでした。
そんな私が期間内で一番びっくりした売れ行きを見せたのがピケティの『21世紀の資本』でした。安くはないどころかかなり高いあの本が飛ぶように売れたのが「ノンフィクション(を売るの)って面白いじゃん」と思うスイッチになったのでした。そこから今まで「あれを読んだ人はこれも絶対好きだろな」と思いながらの「これから出る本」探しが続いています。
Webの記事はタイトルがすべてといってもいいぐらいにはタイトルが重要だ。
何しろツイッター(現:X)やFacebookなどあらゆる媒体に乗ったときに見えるのは基本的に記事名とサムネだけだから、そこをキャッチーにして「読みたい」と思ってもらいたい。そのため毎回記事名をいろいろ考えるのだけど、うまくいったなと自画自賛するものもあれば思いつかずに適当にすませたやつもある。
今回選んだ記事「とてつもなく変態で、ありえないほど文章がうまい──『動物になって生きてみた』」は本がまずべらぼうにおもしろいのは前提として、それ以上に長い間HONZで書いてきた中でも、もっとも記事名が内容とよくハマったな、と思う記事だ。記事もよく読まれて本も売れ、帯にもなった。
ただ、この記事タイトルを思いついたのをまるで自分の手柄のように語っているが、これは『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(小説&映画あり。原題は『Extremely Loud & Incredibly Close』)のパロディであり、原題を考えた著者&編集者&邦題に関わった方々が素晴らしい、ということは注記しておく。
私がHONZにジョインしたのは、シリアのドキュメンタリー映画の紹介記事がきっかけだった。だから締めくくりの一冊も、映画から生まれた一冊を選びたいと思う。
1994年、1歳に満たない息子を抱えシングルマザーとなった穂子さんは、実家に帰ることも新しい伴侶を探すこともせず、そして、一人で育てることも選ばなかった。代わりに「共同(?)保育参加者募集中」と書いたチラシをまき、育児に参加してくれる人を募った。そうして集まった10人程度の大人たちによる共同保育で育ったのが本書の著者だ。20年以上が経過し大人になった著者は、当時の保育人たちを訪ねていく。
穂子さんが共同保育を選んだのは単に助けが必要だったからではない。母子二人の関係に閉じて追い込まれるのは「まっぴらゴメン」だったからだ。だから、ともするとしがらみになる血縁や地縁に頼るのではなく、多様な人が日常に存在する環境をつくろうとした。
最低限のルール以外、育児の経験は不問、子どもとの関わり方やしつけの基準も人それぞれでOK。そんなテキトウでいいのかと思うかもしれないが、保育を担当した人が申し送りで書き綴った保育ノートや、月に一度の保育会議の記録には、正解のない子育てに皆で悩み、対話を重ねた様子が刻まれている。
子育てや家族という文脈を越えて、多様な価値観が存在する環境のゆたかさを感じ、赤の他人であれ育まれる信頼と愛情に深い安心感がこみあげてくる。「昔だからできた」ところも感じる一方で、「未来にこうあってほしい」が詰まっている一冊だ。同じタイトルの映画と合わせて触れてみてほしい。
そこに示される彼の博覧強記ぶりと大胆な議論。スティーブン・ピンカーの著書は名作揃いであるが、そのなかでも本書こそが彼の最高傑作と言ってよいのではないだろうか。
本書が論じているのは、「暴力が歴史的に減少している」こと。凶悪な犯罪や国際紛争のニュースなどに接していると意外に思われるだろうが、歴史的に見て暴力は確実に減少している。しかも、数千年、数百年、数十年というどの時間尺度をとってもそうなのである。その事実を、ピンカーは説得力のあるデータと豊かなエピソードをもって詳らかにしていく。
引き合いに出されるエピソードがいちいちおもしろい。ご存知のとおり、西洋のテーブルマナーはナイフの使い方などを細かく定めている。そうしたルールが生まれた背景には、中世のヨーロッパでは男たちのいさかいが容易にエスカレートし、ナイフを使った殺傷事件が頻繁に生じていたという事実がある。それほどまでに当時は暴力がそこかしこに転がっていたというわけだ。そんなエピソードを積み重ねつつ、ピンカーは言う。「今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれないのだ」
上下巻あわせて1400頁の大著であるが、開くページにつねに興味深い議論が展開されていて、読んでいてまったく飽きることがない。本書発売からそれほど間をおかずして、わたしは4000字オーバーのレビューを書き上げたが、興奮を覚えながら1日で完成させたのをいまでも覚えている。読んで満足、書いて満足の、わたしにとって極めつけの1冊であった。
HONZを通じて本格的に書評の道に足を踏み入れた。 以来、何百という本の書評を書いてきたが、その中でひとつの真実を悟った。 それは、「書評は引用に如かず」ということである。どんなに文章をこねくり回してみたところで、推薦したくなるような素晴らしい本の原文には及ばない。 爾来、私は書評を書くのをやめて、ひたすら原文の引用ばかりしている。本当は、それの方が楽だという別の理由もあるのだが…。
とにかく、それを痛感させられた一冊がこの『嫌われた監督』だ。 本書を読んで新幹線の中で大泣きした。著書と自分の人生がシンクロして走馬灯のように甦ってきた。 それが以下の文章だ。
社会に出たばかりのころ、私にあったのは茫洋とした無力感だけだった。・・・人生観を変えるほどの悲劇などなかった。・・・もし自分に、他の世代と比べて喪失があるとすれば、それは何も失っていないことだ、と考えていた。・・・社会で出会った人たちは、「戦後は……」「安保闘争は……」「バブルは……」とそれぞれが背負った傷を語った。それを耳にするたび、自分はこの列の後方でじっとしているしかないのだと感じていた。そんな私が、順番を待つことをやめたのはいつからだろう。・・・私は落合という人間を追っているうちに、列に並ぶことをやめていた。・・・落合というフィルターを通して見ると、世界は劇的にその色を変えていった。この世にはあらかじめ決められた正義も悪もなかった。列に並んだ先には何もなく、自らの喪失を賭けた戦いは一人一人の眼前にあった。孤独になること、そのために戦い続けること、それが生きることであるように思えた。・・・無力感は自分への怒りになり、いつしか私は時代を呪うことをやめていた。
本書を読むのに野球の知識は必要ない。むしろ野球の物語と捉えない方がいい。組織に翻弄され、道を見失っているサラリーマンに是非とも読んでもらいたい一冊だ。
有難いことにレビューを読んで実際に本を購入してくれる人も多く、なかでも本書は、歴代マイレビューのなかで購入数ナンバーワンだった。売れるのには理由があるはずだが、本書のテーマは「PTA」。このテーマのいったいどこにみなさん興味をそそられたのだろう。
本書は「PTA会長になってくれませんか」と突然ムチャぶりされた政治学者の体験記である。政治学の理論を駆使してPTAを見事立て直したみたいなカッコいいストーリーとはまったく違う。市井の人びとを前に政治学者は無力で、世間の壁に跳ね返され、打ちひしがれる著者がなんとも気の毒だ。ところが、不条理なシステムを変えようと奮闘する著者の背中を追ううちに、「社会を変える」とは具体的にどういうことか次第にわかってくる。主張や意見が異なる人と手を携え、共通の課題に取り組むための試行錯誤が本書には書かれているのだ。
この1か月、東京都知事選挙の取材に追われていたが、街頭演説で支持候補が異なる者どうしがののしりあう光景をよく見かけた。不毛な対立からは何も生まれない。意見が違う相手を敵認定し、“論破”したなどと喜ぶのは、著者の言う「半径十メートルのミンシュシュギ」の対極にある姿勢である。
本書と出会えたのはHONZのおかげかもしれない。レビューを書いていると、無意識に「まだ紹介されていない面白そうな本」を探してしまう。HONZに参加していなかったらきっと存在に気づかなかっただろう。これからも本書のような良書を紹介していきたい。迷ったり悩んだりしたときにヒントを与えてくれるのは、いつだって本だからである。
HONZに参加したのは2017年だった。産経新聞等に書評を寄稿し始めたのは2015年なので、慣れはあったものの、しばらくおっかなびっくりな気持ちで書いていた。
そんな中で手応えを得たのは、年明け2018年に書いた『日本の伝統の正体』レビューである。掲載後ほどなくしてバズり、後日柏書房編集部からいただいたメールによれば、正月中にAmazonは売り切れ、都内大型書店でも完売し各所から追加注文がぞくぞく来る状態となった。また、編集部のはからいで、追加取材として著者インタビューも敢行した。書評一本で、本の売れ行きが大きく変動する。まさしくレビュアー冥利に尽きる、私の財産となった一冊となった。
歳月は流れ、紆余曲折を経て、昨年より某書店で書店員として働いている。新聞にも引き続き書評を寄せている。裕福な暮らしでは無論ないが、まぁ本に関わるよりほかに生きる道などない運命なのだろう。自分の書いたものを大勢の人に読んでもらうのが10代の頃の夢だったので、だいたい果たされた今、特段の目標がない。請われる限りは、持てる技術と経験を活かし全力で書評を書き続ける所存だけれども。
科学の世界には100年に一度起こるかどうかの劇的なドラマがある。『二重螺旋(らせん)』とは、生命の遺伝を司るDNAが二重に巻いたラセン構造をしていることを示す。この事実を世界に先駆けて弱冠二五歳で発見したワトソン(1928~)が、その経緯を赤裸々に描いた「科学者のドラマ」が本書である。その完全版が2015年に新たに翻訳されたのだ。
著者はこの功績によって1962年にノーベル生理学・医学賞を世界最年少で受賞した。その6年後、発見の過程をリアルに語った『二重らせん』は世界中で大ベストセラーとなった。というのは、サイエンスの現場で繰り広げられた人間模様を、歯に衣を着せぬ表現で大胆に開示したからだ。
たとえば、宿敵のライナス・ポーリング教授との生き馬の目を抜く競争が臨場感をもって描かれる。「ライナスがふたたびDNAの構造にかかりきりになるまで、われわれに与えられた時間は長くて6週間だった」(『二重螺旋 完全版』261ページ)。科学の世界では、最初の発見者以外はすべて負け組になる運命にある。
初版『Double Helix』は世界中の読者の心を鷲づかみにした。本書は、その後に見つかった数多くの書簡とともに、編者が詳細な注と豊富な写真を加えた「完全版」である。二重螺旋の発見から半世紀以上が過ぎた現在、ゲノム解析からiPS細胞の研究まで、世界中が生命の本質を追いかけている。
学問には旬(しゅん)というものがあるが、その端緒を与えたのが紛れもなくワトソンたちの仕事なのだ。ここから分子生物学という新しい学問が誕生し、それまで複雑で混沌と見なされていた生きものが、予測と制御が効く「物質」へと大変身を遂げた。その結果、生物学は神の領域にまで手を出すと同時に、ビジネスと倫理判断の対象にもなった。
かつて私はロンドンの科学博物館に、ワトソンたちが作成した二重螺旋の模型を見に行ったことがある。ガラスケースの中では、ブリキ板で作られた模型が静かに輝いていた。本書に「真理は(中略)美しいだけでなくシンプルでもあるはずだ」(20ページ)と書かれている通りだった。
英国の中学生が周囲に集まり熱心に見ていたのも印象的だった。実は私も理科教師から与えられた本であり、後年、京大の講義で学生たちに毎年推薦してきた科学書である。拙著『世界がわかる理系の名著』(文春新書)でも、ダーウィン『種の起原』やファーブル『昆虫記』とともに紹介してきた。
筑波大附属駒場中1年の猛暑の7月、単行本『二重らせん』(江上不二夫・中村桂子訳、タイムライフブックス、1968年、後に講談社文庫)を読む宿題が出た。夏休みに読み込んで要約を書いてこいと言うものだった。
その後、高校になってから紀伊國屋書店の洋書コーナーでペーパーバックの『Double Helix』を見つけて今度は英語で読み耽った。感動した私のロールモデルが、直ちにワトソンとなった。ちなみに、ロールモデルとは仕事やキャリアを考えるうえで、自分の行動や規範のお手本になる人のことである。
「こんな人になりたい!」と思ったのは、彼が4つの大きな仕事をしたからである。まず若くしてノーベル賞を獲った後、33歳でハーバード大学の分子生物学教授になった。
その後、世界中で使われることになる分子生物学の画期的な教科書を執筆した。37歳で『遺伝子の分子生物学』(Molecular Biology of the Gene)を出版し、その後も続々と改訂版が出ている(1965年初版、1970年第2版、1976年第3版、1988年第4版)。
そして2004年には17年ぶりに第5版が刊行され、現在でも世界中の研究者に読まれている。2024年7月現在の最新版は第7版で、邦訳も出ている(中村桂子監訳、滋賀陽子他訳、東京電機大学出版局、2017年)。
さらにワトソンは経営者としての才覚も発揮した。40歳で請われてポンコツ研究所と揶揄(やゆ)されたコールド・スプリング・ハーバー研究所を、世界トップの組織に立て直したのである。その結果、米国の科学界に大きな影響力を持つこととなった。
また、61歳から世界の医学と生命科学をリードするNIH(国立衛生研究所)のヒトゲノム研究センター長も勤め、生命科学を仕切る重鎮となっている。
遺伝子治療や再生医療が大きな関心を集める現在、『二重螺旋』は科学と社会の関係を考えるうえでも優れた「現代の古典」と言っても過言ではないだろう。内容の素晴らしさに加えて、翻訳を手がけた青木薫氏の見事な日本語が、最後まで一気に読ませてくれる。
これが「科学の古典になった!と思った」所以(ゆえん)である。HONZ読者の方も是非、世紀の発見を一緒に楽しんでいただきたい。
なぜ働いていると本が読めなくなるのか、そしてHONZの記事を更新しなくなるのか。ちょっと時間ができても、SNSをぼうっと見たりしてせっかくの時間を消費してしまうのはなぜなのか。 そんな働く読書家たち共通の疑問を、日本のベストセラーとその読み手であるサラリーマンの歴史から追ったのが、この新書である。
この本では、映画『花束みたいな恋をした』が重要な例として提示される。文化的なものが好きで結ばれたカップルのうち、彼氏が労働をしはじめてからのすれ違いを描いた映画だが、この映画の中で、元サブカル男子だった彼が自己啓発書を手にとるシーンが大変印象的だ。
実はこの自己啓発書も、「なぜ働いていると本が読めないのか」を語る上で外せないと著者の三宅香帆さんは言う。「え、そうなの?」と、編集者という商売柄、ここ数年のベストセラーが自己啓発書がメインだということを知っている身からしても大変おもしろい。
なぜ働いていると本が読めなくなるのか、SNSで時間をつぶしてしまうのか、そして自己啓発書が売れるのはなぜか。 もうみんな気づいていると思うが、その答えは、実は明快で、一生懸命仕事をしているからだ。
ではどうして一生懸命仕事をしてしまうのか、そのくらいの気持ちで、趣味や勉強に時間を費やせないのはなぜなのか。それを考えたい人は、ぜひこの本を読んでほしい。
自分の訳書だが、どうか挙げさせてほしい。トマス・クーン著『新版 科学革命の構造』である。
クーン「構造」の改訳を志して18年。昨年、ついに刊行にこぎつけた。
HONZの誕生間もなく「青木薫のサイエンス通信」を寄稿させていただくようになったが、わたしはこの間ずーっと、『新版 構造』を抱え込んでいたことになる。
『新版 構造』の翻訳では、2023年の日本翻訳家協会翻訳特別賞をいただいた。また、科学史の伊藤憲二先生からは、「今年は科学とその周辺で重要書籍の翻訳がつづいたが、これより重要な本はない」と、ありがたいご紹介をいただいた。(みすず書房編「みすず 読者アンケート 2023 識者が選んだこの一年の本」より。)
『新版 構造』は、『構造』の五十周年記念版を原書としており、イアン・ハッキングによる素晴らしい解説がついている。日本語版が刊行される直前にハッキングが亡くなったのは残念だったが、もしも天国があるのなら、クーンもハッキングも、日本語版の刊行を喜んでくれていると思いたい。
『新版 構造』がついに世に出、HONZが13年に及んだ目覚ましい活動の幕を閉じようとしている今、わたしもまた、新たな一歩を踏み出さなければと思っている。
私は2012年から学生メンバーとしてHONZに参加した。最後まで「私はこう思う」と自我のうるさいレビューを書き続けてきたように思う。当時の疑問や不満を勝手にレビューに交えながら発散していたんだな。いつも背伸びして、自分を大きく見せながらレビューを書いていたのが懐かしい。
私は13年間で1冊選べと言われた時、『井田真木子 著作撰集』以外に思い浮かばなかった。井田真木子に惚れ込んでしまって、何度も巻末インタビューを読み返し、井田真木子本人になりたいと思っていた時期もあったほどだ。
好きな理由を挙げればキリがない。良質な作品を大量に生み出す体力や、文筆業に対するストイックな姿勢。何も考えずに、インプット回路を全開にして取材するスタイルや、被取材者との距離感が非常に密なこと。ルポでは井田真木子の存在感を強烈に感じながらも、まるで透明人間のように色を出さず、被取材者の邪魔をしない。
生きる上で必要なことを、全て井田真木子から学んだと言っても過言ではない。それぐらい影響を受けている。唯一悲しいのは、私は井田真木子とは正反対の性格で、ストイックから程遠いことぐらいか。
マイ本棚の一角に、特に気に入った本だけを集めたスペースがある。たまに気分で入れ替えたりもするが、本書はこの先も長くそこに置き続けたいと思う。
レコードからサブスクの時代まで、テクノロジーの進化が長きにわたり音楽業界を変えてきた歴史がまとめられた1冊だ。
音楽は、技術革新がもたらす影響を先取りする「炭鉱のカナリア」だと著者は言う。ラジオやテレビ、インターネットなどによる「流通革命」の打撃をいち早く受けるのが音楽産業だった。そこから徐々にスライドするような形で、他のジャンルにも同様の波が押し寄せてくる。
コンテンツ流通の変化やメディアシフトの遍歴をただ並べるだけの本ではない。変革の波にのまれて退場を迫られた人たちや、もがきながらも波を乗りこなした人たちが何を考えどう動いたのか、壮大なストーリーとして絵巻のように一望できる。技術の進展が人々の行動を変え、価値観を変え、産業の基盤までをも変えていくターニングポイントの数々を100年以上にわたって追体験させてくれる大作だ。
常に前例のない脅威にさらされてきた人たちの話は、時代を問わず役にたつ。HONZに参加してまる10年、物事が移ろうスピードは速まるばかりだが、これからはもっとわからない。この先も本書はたびたび棚の定位置から取り出して、読み返していくだろう。
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長年サイトを支えてくれたHONZメンバーのみんなに心より感謝しています。それにしても、13年間あっという間でしたね。そして明日から一体どうやって面白いノンフィクションを探していけばよいものだか…。
尚、こちらのサイトはいずれ無くなる予定ですが、noteのマガジン機能にアーカイブを残そうと思っており、現在順次、記事を移行している最中です。
長文にお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。
それでは皆さん、またいつか、どこかでお会いしましょう。バイバーイ!
音楽は好きでも、音楽の話をするのはわりと苦手だったりする。
自分が微妙だと思うアーティストを好きと言われたら返答に困るし、一見好みが近いように見えても実は「良い」と感じているポイントが全然違って噛み合わないこともある。
同じ曲を聴いても、人によってなぜこれほど感じ方が異なるのか。自分が大好きな曲があの人の琴線には触れず、あの人が最高だと言う曲はなんだかピンとこない理由はどこにあるのか。そんな謎を解くヒントを授けてくれたのが本書である。
聴き方の違いとしてときどき目にするのが「歌詞重視かメロディー重視か」問題である。自分の場合は歌詞よりも断然サウンドの方に意識が向きがちで、どんなに歌詞が評価されていようが音が好みじゃない曲はハマりきれない。逆に歌詞が残念だといくら音が良くてもダメという意見もあるだろう。
「歌詞」「メロディー」に「リズム」を加えたこれら3要素のうち何をどのくらい重視するかを、著者は1つのものさしとして挙げている。その曲で突出している要素と自分が重視するポイントが重なると好きになりやすい。たしかにメロディー重視からリズム重視にツボが変わるにつれて好みのジャンルも変わった記憶があり、心当たりのある話ではある。
曲を聴いているときに思い浮かべやすい内容も人それぞれ異なる。本書の共著者2人も、一方は演奏者のパフォーマンスやルックスを思い浮かべがちで、もう一方は面白い形や色など抽象的な模様をイメージしやすいといった具合にタイプが分かれた。それぞれ相性の良い曲やジャンルにも違いが出てくるのは容易に想像できる。
こうした音楽の好みを左右する要素の数々を、本書は「本物らしさ(オーセンティシティ)」「リアリズム」「斬新さ」「メロディー」「歌詞」「リズム」「音色(おんしょく)」の7大要素に分けて解説していく。
これら7つの要素それぞれに、どれくらいの塩梅がちょうど良いか、人によって異なるスイートスポットがあり、その集積が自分だけの「リスナー特性」を形づくる。その曲はなじみ深いか斬新か、歌詞は個人的か一般的か、リズムの規則性は高いか低いかといった特性が、自分のリスナー特性にどのくらい近いか意識して聴くとまた違った印象が生まれるかもしれない。
こうしたマッピングの話に加えて「音楽を聴くとき頭の中で起こっていること」を神経科学の観点から掘り下げているのも特徴だ。
ジャンル問わずさまざまな楽曲を対象に音楽を聴いているときの脳活動を調べた研究によると、被験者たちが評価した好き嫌いと脳の反応には共通する傾向がみられたそうだ。面白いことに、「好き」もしくは「嫌い」と評価したときの脳活動と、「大好き」と評価した音楽を聴いたときの動きは異なるという。
著者らが調査したところによると、大好きな音楽を聴いた時に心に浮かぶもので最も多いのは、自伝的記憶である。心奪われる曲を聴いた時には、記憶に書き込む作業よりも、その曲に関連する人や場所、出来事などを想起する方に脳が働くとの指摘は興味深い。大好きな曲はどこかぼんやり浸りながら聴く感覚があるのも、これが理由かもしれない。
強迫性障害の治療のために脳の報酬系の一部である側坐核に電極を埋め込む療法を受けた患者が、生まれて初めてジョニー・キャッシュの大ファンになった驚きのエピソードも出てくる。好きな音楽を聴いたときのドーパミン放出にもかかわる側坐核を刺激した「副作用」として嗜好が変化したのだ。面白いことに、電極による刺激が止まると情熱が冷め、再開するとまた元に戻ったらしい。心理ではなく生理で音楽の好みが左右される一端がうかがえる、味わい深い逸話である。
けっして小難しい本ではない。著者のひとりは音楽プロデューサーとしてプリンスの『パープル・レイン』や『サイン・オブ・ザ・タイムズ』などの名盤にも関わった経歴を持ち、現在は音響心理学と音楽制作の教授として活躍する人物。聴くことのプロとしてリスナー心理を考え尽くした経験の厚みが、本書のベースになっている。
なぜあの曲に心を奪われるのか。なぜ音楽の好みはこれほど千差万別なのか。100以上の曲を引き合いに出しつつ、多彩な角度から手がかりを授けてくれる。実感に合う話ばかりとは限らないが、自分以外の人がどのように音楽を聴いているのか興味がある人には、新たな発見がいくつもあるだろう。
読めば読むほど、音楽の好みがいかに個人の経験に左右され、バラバラに形作られていくものなのかもよくわかる。そのグラデーションの豊かさ、固有性を理解することで、ひとつひとつの聴き方に優劣などないという当たり前の事実がより一層実感できる。
「おすすめされた曲がピンとこない」のモヤモヤがワクワクに変わる、実にありがたい1冊だ。
]]>2016年以降、イギリスで書店の数が増え続けているという。書店の減少が止まらなかった2010年頃から何がいったい変わったのだろう。コロナ禍が明けた頃、2023年1月6日のBBCニュースは「20年ほど続いた書店の減少に、確実に歯止めがかかった」と報道、この同じ年にイギリスでは51軒の独立系書店が創業したという。
もちろん古い個性派書店も多いお国柄だが、そういう店ほどうまくリセットして再出発している感さえある。そんな新旧19軒の本屋さんを、1996年の渡英以来、書店や出版、カルチャー系を追い続けてきたジャーナリストの清水玲奈さんが、追う。
個性派書店と言っても、当たり前だが紹介される19軒は多種多様で、成り立ちもそれぞれだ。
例えば、LV MHグループの出資を受けた出版社、アスリーンの豪華なビジュアルブックだけを扱う「メゾン・アスリーン」や、ドイツの美術出版社、タッシェン(TASCHEN)による直営店の一つ「タッシェン・ストア・ロンドン」など、大手出版社が背景にいる本屋さんも紹介されている。タッシェン直営店は世界に(と言ってもヨーロッパが多いが)10数店補あり(日本にも一時期あった)、そのうちの一つとなる。タッシェンといえば、豪華本も目立つが、定番のアートブック入門シリーズが有名だ。
また、イギリスならではの老舗本屋さんもいくつか挙げられている。
ケンブリッジ大学のそば、文具店が学生のために書籍も扱うようになったという創業1876年の「ヘファーズ」、そして、それを凌駕する古さ、1581年から経営者は変われど今に至る、「ケンブリッジ・ユニバーシティ・プレス書店」もある。こちらの本屋さん、1992年からはケンブリッジ大学出版局が運営しているのだが、この出版局自体の創業が1534年と古い。イングランド王ヘンリー8世の特許状を経て設立された出版組織で、例えば、英語の文体や表現のその後を変えた奇跡の聖書とも言われる、1611年の「欽定訳聖書」など、歴史を変えるほどの書物を数多く出している。
王立植物園、キューガーデンはロンドンに行くと必ず行きたくなる場所なのだが、そこのギフトショップの書籍部門も紹介されている。「キューガーデンズ・ヴィクトリア・プラザ・ショップ」だ。1772年、このキューガーデン自体は国王ジョージ3世が領地と庭園を統合して始まったそうで、一般公開は1840年、ユネスコの世界遺産登録は2003年だ。書籍スペースは、観葉植物の緑やガーデニング用の木箱がさりげなく置かれて、独特の植物園を舞台にしたかのよう。ポピュラーサイエンスから実用書、写真集まで、所狭しと並んでいて結構広い。
一方で、王道の老舗本屋さんはもちろんお勧めだが、近年イギリスでも人気となっているのが急伸派書店(ラジカル・ブックショップ)だとか。
人種問題やLGBTQ +の権利、気候危機対策などを掲げて、トークイベントなども活発に行い、その問題を議論する場にもなっているようだ。1979年に創立したイギリス最古のゲイの書店、「ゲイズ・ザ・ワード」はその代表格らしい。大英博物館の近く、場所も便利そうだ。
昼間は普通のブックカフェだが、夜になるとメンバーズクラブになるという「カウリー・ブックショップ」は、イギリスでもっともLGBTQ +の人の比率が高いブライトンの目抜き通りに場を構える。会員160人が出資、ボランティアで運営される共同組合だという。こんな形もあるのだなと興味深い。
近年のイギリスで最も成功したした独立系書店と言われる「ジャファ・アンド・ニール」は、書店起業の成功例として有名なようだ。大手書店チェーン、ウオーターストーンの元社員夫婦は、妻の実家だというコッツウオルズへ、とはいえ戻ったのは、観光地ではなく商売に不利そうな街なのだが、2001年に開店する。不利な条件をものともせず、2003年に現在の店舗に拡大、移転してカフェを併設したという。歴史建造物指定されている場を活かして、ハリー・ポッター最終巻刊行時には、発売解禁パーティを開催したとか。仮装したりするんだろうか、行ってみたかった。この店主による「本屋を成功させる10箇条」が本書には紹介されており、意表をつく回答もあるので、知りたい方はぜひ本を。
タイトルにもある「間取り」は、まさに店舗の間取りがイラストで描かれているからでもあり、それぞれの成り立ちや背景を指してもいるようだ。写真も相当数がそれぞれ掲載されており、店長のコメントやその店のお勧め本まで丹念に紹介されている。本好きや本屋愛好家のみならず、書店経営に興味がある人や起業をする人にとっても読み応えがあるだろう。
その土地の住民の個性を生かした本屋さんが多いのも特徴的だが、その中でも個性的なのがウェールズ、ヘイオンワイにある『リチャード・ブース』だ。
ここには私も一家言ある。なにしろ実際に行っちゃったからだ。
その理由は『本の国の王様』(リチャード・ブース、ルシア・スチュアート著、東眞理子訳、創元、2002年)を読んだから。
「神保町が独立宣言したみたいなものか?」と妄想をしていたら、気になってしまい、いつの間にかロンドンに飛んでいたのだ。そのロンドンから、順調でも電車で2時間、ローカルバスで1時間かかるところを、列車が遅れて(民営化してから、イギリスの列車は遅刻が当たり前だと同じ列車の乗客は怒っていた)到着まで5時間近くかかったけれど、やっぱり行ってみてよかった。私には地上の楽園だった。
オックスフォード大学を卒業したブースは、1962年以降、古書店から始めて10軒の書店を街で経営し、ついには1977年に「ヘイ王国」独立を宣言する。そう、独立宣言! 1988年からは夏にブックフェスティバルも開催し、人口2000人足らずの街は30軒ほどの書店が立ち並ぶ本の聖地になった。
『リチャード・ブース』は、ブースが経営していた店の中でも旗艦店で、今残る唯一の店だ。この土地に祖先がつながるというアメリカ人実業家の女性が、2007年に買い取って雰囲気のある現在の店作りに成功した。私が行ったのもこの新しい「ヘイの女王」の代になってからで、周りも含めて訪ね歩いていたら、あっさりと終電を逃した記憶がある。ちなみに私の「X(旧 Twitter)」@homahomahoma のヘッダー画像はずっとこの店の写真だったりもする。
他にも、旅の本屋さんや、船の上にできたお店、風呂が店内にあるお店まで、丁寧に紹介されている。著者の清水さんは「世界で最も美しい書店」『世界の美しい本屋さん』も書かれているが、今回は「美しさ」よりに「間取り」に着目し、書籍化に至ったようだ。
「本屋」といっても千差万別のやり方があり、間取りがある。そして、世界は広くて深い。次の本の旅をまた、始めたくなるというものだ。
]]>「お腹すいたなあ……」
ラーメン店の長い列に並ぶ人たちをぼんやりと眺めながら、つぶやいた。2024年2月、小豆島にあるヤマロク醤油で行われた木桶サミットの会場で、私は本を売る店番をしていた。視線を机に並べた本に落としたその時、すっと横から、真っ白なおにぎりが2つ入った容器が私に差し出された。びっくりして顔を上げると、隣に出店していたお兄さんがにっこりと笑って、元気よく「どうぞ!」。
これが、滋賀県北部、ちょうど琵琶湖の北の端あたりの西浅井を拠点に地域おこしをしているグループ「ONE SLASH(ワンスラッシュ)」代表・清水広行さんとの出会いだった。
ONE SLASHは、清水さんが地元の幼馴染たちと作ったグループで、その活動は『RICE IS COMEDY(ライスイズコメディ)』という本にまとめられている。木桶サミットには、自分たちで育てたお米を振る舞う「ゲリラ炊飯」という活動で訪れていた。
おにぎりのお礼にその場で本を買って、パラっと開いたページに書かれていたのが
「今やってるそれ おもろい?」
ブレたら、原点に戻れ。
あ、いま、自分のなかにある、あえて見ないようにしていた惰性をぶっ刺された。
本によれば、清水さんはプロのスノーボーダーの道を怪我で断念し、地元・滋賀に戻って「大人になったら一緒に何かしよう」と語り合っていた仲間たちに声をかけ、ONE SLASHを結成。それぞれの得意分野を生かして地元を盛り上げようと、農業だけでなく建設、アパレル、不動産なども手掛けている。
じつは先日、この『RICE IS COMEDY』の舞台・滋賀県西浅井に行ってきた。自然豊かな田んぼの風景、おいしい食べ物、こだわりの生産者、個性豊かな地元の人たち……などなど、ポテンシャルの高さは想像をはるかに超えていた。
ONE SLASHのお米生産部隊隊長・中筋雅也さんに、田植えを体験させてもらいながら米作りの苦労話や問題点などもうかがえて、都会育ちの私には目から鱗が落ちるようなことばかりだった。
終始笑顔の中筋さんだったが、『RICE IS COMEDY』では「なんやねんそれ、おもんな、だっさ」「なんやお前こら!」と、久しぶりに再会した清水さんと大げんかになっている。本気でぶつかり合える二人の関係は、ちょっとうらやましくもある。
大きなことを成し遂げ、遠くに行くためには仲間が必要
仲間のことを楽しそうに語る清水さんを見ていて、なるほどなあ……と、本を読んだときにはピンと来なかった言葉が、腹落ちした。
ONE SLASHの活動もすごいのだが、『RICE IS COMEDY』も、やたらとおもしろい。メンバーひとりひとりの歩みや、どうやって地域を巻き込んで盛り上げていったのかが具体的に語られている。ふんだんに使われている写真も、めちゃくちゃカッコいい。ページをめくるごとに文字の組み方やデザインの変化があって、飽きさせない。構成も秀逸で、読者を楽しませようとする工夫が隅々まで行き届いている。
版元は、スタブロブックスという2020年に設立された兵庫のひとり出版社。ONE SLASHのもつ熱量が、そのまま印刷された紙を介して伝わってくる。ひとり出版社で、ここまでできるのか……すごい!
でも、「ひとり出版社だからこそできた」とも言えるのかもしれない。組織あるあるだが、会議などで揉むうちに、予算や納期の都合であれもダメ、売れそうにないからこれもムリと、最初の熱量がどんどん削ぎ落とされて、ついには誰もほしいと思わない無難な商品ができあがってしまうことがある。
仲間がいるからできること、ひとりだからこそできること。新しいことを始めるためにはきっとそのどちらも大事で、それぞれの役割があるのだと思う。ONE SLASHの仲間と活動している清水さんも決めるべきことは自分で責任を持って決めているし、『RICE IS COMEDY』の奥付を見れば、ひとり出版社と言っても執筆、デザイン、写真、イラスト、校正等々、一冊の本を世に出すためにたくさんの人たちが関わっていたことが感じられる。
きっと本づくりの情熱がある人が興した会社なんだろうな、と「スタブロブックス」をネット検索してみたら、社長の高橋武男さんによる設立への思いにつながった(https://stablobooks.co.jp/about/) 。そう、この「熱さ」がある本は、やっぱりわかる。
思い出すのは今年5月に、文学フリマ(文学系同人誌の即売会、といえばイメージがしやすいかもしれない)の会場を初めて訪れたときのこと。2002年に始まった当時はこじんまりした会だったと聞くが、徐々に来客数を増やし、次回はついに東京ビッグサイトに進出するという成長ぶりだ。
商業的な流通はしなくても、一冊入魂の自作本を自分の手で売る人たちと、それを買い求める人たち。「活字離れ」という言葉が信じられないほど会場は熱気にあふれ、売り手と買い手が楽しそうに会話する姿が随所に見られた。そして、次々に本が売れて行く。
インターネットの動画配信がテレビを凌ぐ勢いになったように、既存の出版ムラ社会とは違うところで、活字文化のまったく違う業界が興る可能性もある。いや、すでに育ちつつあるのかもしれない。でもそれは旧来の出版業界を圧迫するのではなく、むしろ救世主にもなり得るのではないか?
日本は世界に先駆けて人口減少と高齢化の時代を迎えていますが、それ自体はネガティブなことではないと思います。日々進化するテクノロジーを使い、人口減少・超高齢化社会に適応した新たな国づくりや地域づくりの在り方を日本が示すことができれば、世界をリードできる可能性があるわけですから。
『RICE IS COMEDY』に出てくる清水さんの言葉に、ふと、木桶サミットを主催している小豆島のヤマロク醤油社長・山本康夫さんと、今年3月に陸前高田で会った八木澤商店社長・河野通洋さんのことが思い浮かんだ(その時の記事はこちら)。
そうだ、この人たちと話していると地方のポテンシャルの高さに気づかされ、未来に希望を感じさせてくれる。もちろん実際に暮らすとなれば地方ならではの大変さはあるけれど、3人とも口だけではなく有言実行して地元を盛り上げ、道を切り拓いているから説得力がある。
将来への不安と沈鬱な雰囲気が漂う日本社会のなかで、西浅井の地域おこしや、ひとり出版社の奮闘、そして同人誌の世界で感じたものを、一言でいえば「希望」。悲観的な話題にこと欠かない地方と出版業界の10年後が不安で仕方なかったが、元気にがんばる人たちに出会い、いま、ちょっとだけ未来が「楽しみ」にも感じ始めている。
本文中に出てくる、八木澤商店の河野道洋さんが東日本大震災で被災した会社を立て直す奮闘を追った本。
本文中に出てくる、ヤマロク醤油の山本康夫さんが絶滅寸前だった巨大木桶を復活させる奮闘を追った本。
]]>山本義隆さんといえば、毎日出版文化賞と大仏次郎賞をダブル受賞した『磁力と重力の発見』をはじめ、『十六世紀文化革命』や『世界の見方の転換』など、浩瀚な科学史の著作がまず頭に浮かぶ。だから、このたびの『ボーアとアインシュタインに量子を読む』も、量子物理学の歴史の本なのだろうと予想して手に取った。
ところがページを開くなり、その予想はハズレたことを知った。山本さんは「はじめに」の冒頭で、こう宣言していたのだ。
本書は、物理学の書です。記述は歴史的でもあり、時に哲学者の言説にも触れていますが、しかし量子力学史ではなく、ましてや科学哲学の書でもなく、基本的には量子物理学の原理的な理解のための書です。
「あ、そうなんだ。物理学の本なんだ」と、わたしは頭を切り替えてページをめくりはじめた。ところが読み進めるにつれ、基本的なことに気づかされた。物理学をきちんと理解せずには、(物理ジャンルの)科学史も科学哲学もないということだ。当たり前だ。しかも山本さんは、「はじめに」の上記引用箇所に続けて、すべての物理は量子物理であり、二十一世紀の今、量子物理学を理解することはすべての物理学の基礎だという。そのとおりだ、とわたしも思う。
つまり、(物理ジャンルの)科学史や科学哲学をやるにも、まずは量子を抑えておかなくてはならないということだ……と、このあたりまでは、わたしも「そうだそうだ、そのとおりだ」と余裕かまして頷いていた。というのもわたしは、量子まわりのことは、だいたいわかっているつもりだったからだ。大学に入って物理学を学び、ポピュラーサイエンスの翻訳の仕事を続けてきてこの半世紀間、量子とはつかずはなれずの関係だった。気心の知れた仲だと思っていた。
ところが、「第一章 量子という概念の誕生」に入るなり、自分の知識にあった大きな欠落を思い知らされることになったのだ。わたしは、前期量子論が立ち上がった頃のことを、おざなりにしていたのである。なぜそうなったかというと、学生時代のわたしには量子力学を使えるようになることが先決だったため、(量子力学が誕生する前の)前期量子論のあたりは、表面をなぞる程度で片付けてしまったからだ--わたしだけでなく、わたしと同世代や、それより若い物理系の人たちは、たいがいそうだと思う。物性物理学者デーヴィッド・マーミンのいう Shut up and calculate(つべこべいわずに計算しろ)のカルチャーにどっぷり染まっていたのである。
だが、前期量子論の時期こそは、それまでの物理学の基本的概念や枠組みが崩れ落ちた時代だ。そのすさまじさを、みなさん、どれぐらい実感しています? 少なくともわたしの理解は、全然甘かった! とくに量子革命の旗手としてのアインシュタインが活躍がすごい。
実はわたしは、『アインシュタイン論文選 「奇跡の年」の5論文』という本を翻訳しているので、アインシュタインの1905年の論文はみな読んでいる。ところが不勉強にして、それ以前の論文は読んでいなかった。しかし、「奇跡の年」以前の論文こそは、アインシュタインと量子革命を理解するためには根本的に重要だったのである。
アインシュタインが1905年、すなわち「奇跡の年」の時点で、すでに統計の達人だったことはわたしなりに知っていた。(ここでいう「統計」とは、「人口統計」などと言うときの統計とは違い、確率の計算の仕方のようなものである。)『アインシュタイン論文選』を訳しながら、実際、「これはすごいな」と舌を巻きもした。しかしそんなわたしも、山本さんの記述を読んではじめて、アインシュタインは、アメリカのジョサイア・ウィラード・ギブスのカノニカルアンサンブルの理論とほぼ同一のものをわずかに遅れて独立に提唱し、事実上の同時発見を成し遂げたことを知った。また、「アインシュタインは統計力学を駆使した」などと言うけれど、その時点で統計力学という学問がすでに存在していたわけではなく、アインシュタインはボルツマンの影響下に気体分子運動論と熱力学を結びつけようとするなかで自力で統計力学を作り出したこと。さらに、アインシュタインはギブスのその先を行き、「ゆらぎ」の重要性と、その検出可能性に着目したことをはじめてきちんと認識した。
以上、あっさり書いてしまったが、今述べたことは、どれひとつをとっても画期的な業績であり、アインシュタインの先見性の賜物だ。そして、アインシュタインが統計力学を作ったこと、とりわけ「ゆらぎ」に着目したことが、その後の彼の量子論への貢献の土台になるのである。
もうひとつ、1905年の特殊相対性理論が、量子論(より具体的には光量子説の提唱)に果たした役割にも目を開かされた。アインシュタインは相対性理論によりエーテルをお払い箱にした。そのことの意味を、山本さんはこう語る。
相対性理論はエーテルを葬り去ることで、光すなわち電磁波という存在を物理的に独り立ちさせたのである。
相対性理論は、アインシュタインが光量子仮説にジャンプするための、いわば踏み切り板だったのだ。わたしは特殊相対性理論をそんなふうに見たことはなかった。(なお、本書には、光量子論を最後まで受け入れなかった物理学者のひとりが、誰あろう、ボーアその人だったことも詳しく書かれている。それぐらい、光量子は「真に革命的」だったのである。)
しかもアインシュタインの量子論への貢献は、光量子説を唱えたことだけではない。ざっくり箇条書きにしてみよう。
・1905年に光量子仮説を導入して量子論の出発点を築いた
・量子論を用いて比熱の問題を解明した(これは当時の大問題だったのだ)
・量子による輻射の吸収・放出を初めて要素的過程の確率事象として扱い、プランクの輻射公式を導き出した(このことの意味は大きい)
・プランクの公式で表される熱輻射のゆらぎを調べることで、光が粒子性と波動性を併せ持つことを疑問の余地なく示した
・ド・ブロイの理論に最初に着目し、波動力学のへの道を開いた
・インドの物理学者ボースの論文を取り上げ、量子統計に着目して理想気体の量子論を初めて作った
あっさり書いてしまったが、どれも根本的に重要な貢献であり、これだけことを成し遂げたアインシュタインは、誰の目にも明らかな量子論のリーダーだったのである。
さて、ここまでは量子革命勃発の頃のアインシュタインの重要性について書いてきたが、本書のタイトルが『ボーアとアインシュタインに量子を読む』であることからも察せられるように、量子に関しては、アインシュタインより遅く登場した若手のボーアが大きな存在感を放ったのは誰もが認めるところだろう。そして本書におけるボーアの扱いの充実ぶりは、凄いのひとことだ。さすが『ニールス・ボーア論文集』を編訳された山本さんである。(と言いながら、わたしは不勉強にして、二巻からなるこのボーアの論文集は読んでいません….)
アインシュタインは、知らない人でも知っている超有名人である。だが、ボーアは違う。ボーアの名前を知っているのは理系人に限られるだろうし、その理系人にとっても、ちょっとわかりにくい人物だ。ボーアは人柄も素晴らしく、業績も重要であるには違いないのだが、この人の書くことや語ることは、とにかくわかりにくい。論旨明晰、文章明快なアインシュタインとは対極的で、単語レベルでもわかりずらいうえに、文章がひどくまどろっこしい。そのため、わたしのように心が軟弱な人間は、ボーアの文章をきちんと読んで徹底的に理解しようという気力がなかなか湧かないのである。たとえ理解したいという気持ちはあったとしても、「読書百遍」でわかるなら苦労しないよ、というぐらいの難物なのだ。
ところが、山本さんの記述を読むと、そんなボーアの言いたいことが普通に(!)伝わってくるのである。山本さんは、ボーアと同時代の物理学者や後年の科学史家たちの証言や研究を援用しつつ、ボーアのindividualityは「個別性」ではなくラテン語のin+dividoで「不可分性」だとか、ボーアのdefine はむしろditectだとか、ボーアのいう「因果的記述」とはエネルギー運動量保存のことだとか、ボーアの「客観性」とは「間主観性」だ、等々、単語レベルから概念レベルまで、痒いところに手が届く説明をしてくれる。その結果として、山本さんの訳で読むボーアは、まるで別のボーアを読むように、言わんとすることが伝わってくるのである。
とにかく、山本さんは資料の読み込み方がすごい。ボーアとアインシュタインはもちろんのこと、同時代の科学者たちの論文や記事を集めまくり、徹底的に読み込んでいる。「あとがき」にあるように、山本さんは40年にわたりお茶ノ水の予備校で物理学を教えてこられた(そのあたりの事情をご存知の方も多いと思う)。そして距離的に近いことから、ほぼ毎週のように神田の古本街を眺めて歩いたという。二十年ぐらい前までは、1920年代から30年代の原子物理学や量子物理学の冊子や論文が、店頭で目についたそうだ。おそらく量子力学が確立する前後のその時代に、西欧、とくにドイツに留学した人たちが買い込んできた本を、その方たちが亡くなったあとに、遺族の方が売り払ったものだろう、と山本さんは推測する。そういう本や冊子を使って物理学の勉強する者はもはやいない。けれども山本さんはあるとき、もしかしたら、そういう資料が非常に重要なのではないかと思い、無理をしても買い集めてきたのだという。
歴史の証言とも言うべきそうした文章を読み込んできた山本さんの記述の説得力は、はんぱない。単に、ボーアの言ってることがわかるようになるというだけではない。ボーアの考えが時間とともに変わって行く様子や(変わるのは当然なのだ)、ボーアが何を言い、何は言わなかったのかまでも、圧倒的説得力で論じられているのだ。
とりわけその威力が発揮されるのは、第七章の「Bohr-Einstein 論争」である。巨頭ふたりだけでなく、周囲の物理学者(パウリ、ハイゼンベルク、ディラック、ボルン、ド・ブロイ、シュレーディンガー、等々)の生の声もふんだんに引用しつつ示される成り行きは圧巻だ。本書にヒューマンドラマはないが、物理学のドラマは、息を詰めて読んでしまうほどの迫力だ。
この第七章では、当然ながら、いわゆる「EPR(アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼン)」の論文をめぐる論争が重い扱いになっている。
わたしは大学に入学後(一回生の終わりから二回生になる頃に)、自分なりに真剣に読んだ最初の量子力学の教科書がディラックの『量子力学』だったため、物理的状態というのはヒルベルト空間のベクトルで、重ね合わさっているもの、というのが頭にインプットされてしまった。そのせいで、EPR論文を初めて読んだときは、アインシュタインが何を問題だと言っているのかわからず、うろたえた。というのも、ディラックの教科書の観点(スタンダードな量子力学の観点だ)からは、アインシュタインが問題視したいわゆる「EPR現象」は、謎でもパラドックスでもなく、当然起こるべくして起こることのように思えるからである。わたしは、アインシュタインの問題意識を理解できない自分は、何かが欠落しているのではないかと、ちょっと不安になった。
今にして思えば、あのとき感じた「え? アインシュタインは何にこだわっているの?」というわからなさは、トマス・クーンのいわゆるパラダイム・シフトの前後に起こることの一種だったのかもしれない。わたしはディラックの教科書の世界観を吸収しようと懸命だったし、量子力学を使うこなせるようになることしか考えていなかった。個体物理学者デヴィッド・マーミンのいう Shut up and calculate(つべこべ言わずに計算しろ)のカルチャーに染まっていたのである。
だが、山本さんによれば、そのディラックが1975年に(わたしが大学に入学した年だ!)、こう語っているのだという。「私は、最終的にはアインシュタインが正しいことになると思います。量子力学の現在の形を最終的な形と考えるべきではないからです」
最終的には、どうなるのだろう? この問題は未解決なのだ。もちろん、山本さんも言うように、天秤がストレートにアインシュタインのほうに傾くとは考えにくい。けれども、
より高いレベルで、Bohr とEinsteinの論争の両者の主張は歴史的なものとしてともに相対化される日が来る、という蓋然性は決してゼロではないであろう。
これが本書の結びの言葉である。さて、あなたは、どう思います?
ところで、本書には数式がふんだんに出てくる。しかしそれらは基本的に百年前の物理数学だ。今日の物理学のように、抽象度の高い数学の概念や道具立てはなにひとつ出てこない。これには隔世の感がある。アインシュタインは学生時代を振り返り、「数学の中でも高度な部分は、贅沢品だと思っていた」と語っている。物理学をやるなら、そんな贅沢をしている暇はない、というニュアンスだ。のちに一般相対性理論を作るために数学と格闘するなかで、アインシュタインは学生時代のその判断を後悔することになるのだが….。ともあれ、本書で扱われる「量子」まわりの数学に、アインシュタインの言う意味での高度さはない。
で、何が言いたいかというと、「数式、恐るるに足らず!」ということだ(笑)。山本さんは「あとがき」で、ふんだんな引用と数式を盛り込んだ本書は、とても贅沢な本だという。そして山本さんが存分に贅沢した本は、読み手にとっても、とびきり贅沢な本なのである。百年前の物理数学にビビらず(笑)、きちんと「量子」に向き合ってみたい人は、ぜひともこの贅沢を味わってほしい。
]]>本書はベルギー生まれの日本学者、ミュリエル・ジョリヴェが著した一冊だ。フランス語圏の読者に向けて出版したものを、逆輸入で日本語に翻訳し発刊された。日本の伝統的なシャーマニズムに焦点をあてており、現代社会においてシャーマンと呼ばれる存在がどのように変遷してきたかを説明している。
タイトルに「最後の」とあるのは、実際に彼女達(ほぼ女性)が生きている世代が今で最後となっているからだ。師弟関係や代々巫女として受け継がれてきた文化は、著者曰く最後の世代となった。著者はイタコ・カミンチュ・ユタなど霊魂を扱うシャーマンを次々と訪れ、その役割や儀式など信仰の背景を調査し実際に体験していく。そしてカミ(名前はそれぞれ違う)を降ろす技を目の辺りにする。
本書にも登場する最後のイタコ、松田さんは人生相談などアドバイスもする。ただアドバイスされた人は、そのまま何もしない人が多いそうだ。それだけならばまだ良いのだが、中には見当違いな質問をする人もいる。
・今朝、私が食べた朝食は何でしょう?
・行方不明になった息子を探してください。
イタコはこの世とあの世をつなぐ役であり、お祓いや神事を行なうことはしても、行方不明者を探したり、亡くなった動物と交信することは役割に入っていないことを伝える。松田さんの観察によると、ここ10年ほど、人々はどんどん楽な方法を求めているそうだ。
「自分の考えを持たず、イタコにすべてを委ねようとする人、自分は何もしなくても、お手軽に悩みが解決すると勘違いしている人が増えているように感じます。そんな人は、もし望んだ結果が出なければ、『イタコのアドバイスのせいで失敗した』と責任転嫁をするでしょう」
著者はイタコの中にも、これは偽物だろうという人達にも会っている。そうした人達は、基本的な導入部分、たとえば遠い所をよく訪ねてくれた~から、先祖や亡くなった霊は貴方を今でも感謝して見守っている~などの〆に至るまで形式的な答えしかない場合がある。少なからずこうした人達がいるおかげで、スピリチュアルというと胡散臭いという印象も強くなるそうだ。ただ本物のイタコは、絶対に他人が知らないであろう個人的エピソードをはじめから言い当ててくる。
翻訳もさることながら、著者ジョリヴェの描写が秀逸だ。そのためシャーマンたちの儀式の一つ一つが光景として目に浮かぶ。また日本のシャーマンたちがどのようにして霊と対話し、精神的な世界と交信してきたかが本書を通じて体感できる。その話には実生活に使えるトリビアも多い。神社や寺にはカミの時間帯があること。5時以降はお化けの時間だから入らないほうがいい。家族関係の修復には、先祖供養がいちばん効果的だということ。降臨する存在も、先祖の霊から、日本古来の神、仏、ガネーシャなどインド系もいる。ヨーロッパの悪霊は、エクソシストに代表するように悪魔の力が強く凶悪で、比較すると日本の悪霊払い(動物霊や幽霊など)は簡単だそうだ。
シャーマンたちは厳しい生活や儀式から生まれるものでもあり、一方で最初から能力を持って生まれ対応する方もいる。霊魂が入る写真も豊富に掲載されているので、根拠でありながら視覚的にも楽しめる内容だ。沖縄や北海道など地域別に章ごとに区切られているので、その違いも明快である。なにより自然から霊魂を感じる感覚は、スマホに依存している現代人が見過ごしてしまうような発見がある。
シャーマニズムやスピリチュアルに興味がある人だけでなく、こうした事実を含め世界を知りたい人、現代における精神的な豊かさを求める人々にとって有益な一冊だ。
]]>天正10年(1582年)、甲斐の名門戦国大名・武田家が織田信長の軍に攻められ、今まさに滅亡しようとしていた。追い詰められた武田勝頼に、律義にも暇乞いに来た足軽大将がいた。
最後まで殿の供をするのが武士の務めではあるが、もはや歩けない。勝頼は豊後の姿を見て、その気持ちだけで十分であるぞ、と涙を流していたわった。これが水腫脹満を記録した最古の文献と考えられている。
その足軽大将・小幡豊後守の腹部は膨れ上がっていた。「水腫脹満」とは古くから農民を中心に甲府盆地の人々を悩ませてきた、太鼓腹になってやせ細り、やがて死に至る病であった。
しかし次第に、これに似た病が日本全国に点々と存在することが明らかになってくる。本書はこの奇病を克服しようと原因にせまり、その原因を断つべく奔走し、治療法を拓こうと奮闘した人々の、何世代にもわたる軌跡を徹底的に調べ上げた驚くべき労作である。
現在の広島県福山に近い片山という地域にも、「片山病」と呼ばれて昔から恐れられた病があった。江戸末期の1840年代、連日患者を診察していた若き漢方医・藤井好直は、原因不明のこの病を世に問おうと書物にしたためた。この書物を要約すると、「土地の者が水に入ると湿疹が出る。やがて嘔吐、下痢、発熱などの症状を起こし、腹が膨れあがってやせ細り、死に至る。原因がわかれば治療もできるが成功した例はなく、まことに悲しく残念である。広く諸国の医師の力を借りたい」。
だが、藤井の願いも虚しく「片山病」の原因はその後もわからぬままであった。やがて、原因究明に取り組む医師が現れる。藤井より20歳ばかり年下の窪田次郎である。窪田は新聞に投書するなどして全国の医師に意見を求めたが、他の地域にこの病を知られることを恥とした人々からの反発を招いてしまう。
結局、藤井も窪田も、「片山病」の原因を知ることなく世を去った。
じつは窪田が亡くなるよりも前、明治22(1889)年に佐賀、明治26(1893)年に福岡からも同様の奇病が報告されていたのだが、これらの病が広島と山梨と同じものではないかと提唱されるには、まだ何年もの時を要することになる。
一方で、明治を迎えて「甲斐」から「山梨県」となった甲府盆地も、変わらず奇病に悩まされていた。いつしかこの病は、「地方病」と呼ばれるようになっていた。
転機が訪れたのは、明治30(1897)年。「地方病」に冒され余命を悟った杉山なかという50歳を超えた農婦が、主治医・吉岡順作に自分が死んだら解剖して病気の原因を究明するよう申し出たのである。死後に解剖されたなかの内臓からは、大量の寄生虫卵が発見された。成虫こそ見つからなかったものの「地方病」が寄生虫による病であることが、これでほぼ明らかになったのだった。本書で意訳された
私は穏やかなる明治の世で数十年生きてまいりましたが、学問がないことから、未だに世の中に何の恩返しもできておりません。
から始まる杉山なかの『死体解剖御願』には、善良でしっかりとした人柄がにじみ出ていて、長年この地で真面目に生きてきた人たちが数多くこの病に苦しみ、命を落としてきたことに思いを馳せずにはいられない。
なかの献体から7年が経った明治37(1904)年。山梨を訪れた岡山医学専門学校(現・岡山大学医学部)の病理学教授・桂田富士郎は、地元の開業医・三神三郎から「地方病」に冒されてもはや救われる術のない飼い猫の提供を受ける。「姫」と名付けて11年間家族の一員としてかわいがってきた愛猫を解剖に差し出した三神は、逡巡する桂田に、地方病解明を願って死んだ杉山なかの例を出して説得した。――そしてついに、その三神の愛猫から、未知の寄生虫の成虫が世界で初めて発見されるのである。
この頃広島では、藤井と窪田の遺志を継ぎ、「片山病」に取り組む若い医師が現れていた。明治34(1901)年に開業した吉田龍蔵は、「片山病」を寄生虫によるものと考え、死亡した患者の遺族に懇願して解剖を繰り返していた。「腹切り医者」と陰口を叩かれ生活に苦しむようになりながらも、京都帝国大学医科大学の病理学教授・藤浪鑑と共に片山病患者とみられる殺人事件被害者の遺体を解剖し、こちらもついに未知の寄生虫を発見する。山梨の猫から寄生虫が発見された、わずか4日後のことだった。
何百年以上も病に苦しみ、原因の解明に取り組み始めて何十年、何人もの医者がバトンを渡しながら同時多発的に各所で研究を進め、やっとたどり着いた小さな寄生虫。今ならSNSにあげればあっという間に「身近に似た症例がある」とつながることもできるだろうし、精度の高い顕微鏡や解析技術などで、より迅速に原因にたどり着くことができただろう。本書でこの謎の寄生虫――日本住血吸虫が発見されるまでの気の遠くなるような経緯を見ただけで、医学の進歩がいかに困難で時間のかかるものであったか、そしてそれがテクノロジーの進歩に伴って加速度的に早まっていることを実感させられる。
でも……、ここで紹介したのは、病を克服するための、ようやく入り口に立てたところまでにすぎない。まだ、日本住血吸虫の生態を解き明かし、感染経路を確定し、感染を防止し、治療薬を開発するという、気の遠くなるような試練を乗り越えなければならない。
本書『死の貝――日本住血吸虫症との闘い』はその過程を克明に記録し、この病の撲滅に挑んだ人々の生きた証を、おそるべき重厚さで私たちに伝えてくれる。本書を手にする人たちは、なぜこの寄生虫に感染するのか? どうやって撲滅するのか? その謎解きの緊迫感と、生物たちのつながりの複雑さに打ちのめされながら読書することになるだろう。
ひとつだけネタバレをするなら、それは本書のタイトル『死の貝』である。日本住血吸虫が人体に感染するのには、発見者の名前をとって「ミヤイリガイ」と命名され新種として発表された、小さな巻貝が関与している。
もし日本住血吸虫症の感染源探しよりも前からミヤイリガイが研究され、すでに生態が明らかにされていたら、感染経路の解明はもっと迅速に進んでいたかもしれない。マイナー生物の研究によく投げかけられる「それ、何の役に立つんですか?」という質問があるが、このミヤイリガイの例は、日ごろからの基礎研究の重要さについても考えさせられた。
そして本書では、さまざまな手段でミヤイリガイを根絶しようとする様が述べられているのだが、勝手に寄生虫に利用されているだけで、貝自身に罪はない。この貝が生息しないように溝渠のコンクリート化も徹底して行われたが、これは現在の生物多様性を重視する価値観に慣れた身には衝撃だった。本書でも、山梨県内から出たというこんな意見が紹介されている。
環境問題が広く問われる世の中で、ミヤイリガイを殺せ、と殺貝剤を撒いた結果はどうだったか、と。小川という小川、水田の中を走る小さな流れもコンクリート化したことで、春の風物詩のメダカもいなければ、オタマジャクシも見られない。
もともと人の暮らしは、野生生物とそれが媒介する病との闘いの歴史でもあった。最近では「野生生物との共生」や「自然豊かな町づくり」といった言葉がよく使われる。それは「良いこと」として受け入れられるし、実際、良いことであるには違いない。ただ……
新型コロナウイルスも野生動物が媒介したと言われているし、昨今はクマやマダニによって人が命を落としたニュースを耳にすることも増えた。だからといって、人間に不都合な生物をすべて滅ぼせば生態系は崩れ、そのしっぺ返しが待っていることは想像に難くない。いや、それ以前に、生物たちが人為によって存続できなくなるような状況自体に心が痛む。でも……
自然や生物に人一倍関心をもってきたつもりだったのに、一筋縄ではいかない自然との関わり方に頭を抱え、自分の視野の狭さに気づかされて圧倒的な敗北感に打ちのめされながら、「読んで、良かった」と心から思った本。『死の貝』は、忘れられない読書となった。
Wikipedia三大文学とされる「地方病 (日本住血吸虫症)」、「八甲田雪中行軍遭難事件」、「三毛別羆事件」。図らずもこの『死の貝』のレビューで、そのすべての関連書をHONZで紹介したことになる。過去2作はいずれも反響の大きかったレビューだが、執筆にあたって小説は史実とは違うことを改めて実感させられた。小説と共にノンフィクションの方も、ぜひ読み比べてみてほしい。
『八甲田山 消された真実』レビューはこちら。
『慟哭の谷』レビューはこちら。
「自然豊かな町づくり」が、「町の真ん中にクマが出る」につながってしまった事例が本書でも紹介されている。レビューはこちら。
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新型コロナパンデミックのころ、通常では救命困難な重症呼吸不全患者のためECMO(体外式膜型人工肺)を装着した姿がニューズ映像となった。あんなにも大規模な装置でなれば救命できないのか、と驚かされた人も多いだろう。命を助ける装置の開発は困難を極める、ということは想像に難くない。
本書は先天的な心臓の難病を抱えて生まれた娘を持つ、本来医療とは無縁の町工場の社長と家族が、その命を支えるため、人工心臓の開発を目指した23年間の記録である。
筒井宣政と陽子夫妻が1968年に授かった次女の佳美は「三尖弁閉鎖症」という、血液が体内に正常に流れない難病に侵されていた。さらに彼女の身体には欠陥箇所が7か所も発見され、手術は不可能。このまま温存すれば10年ほどは生きられるかもしれない、と医師から言われる。
宣政は、名古屋市にあるビニール樹脂をホースやロープなどに加工する町工場の二代目だった。傾きかけた工場を立て直すための起死回生のアイデアがアフリカで受け、二千万円を超える預金をつくり、これを佳美と治療に使うつもりだった。
だが世界中探しても、彼女を手術で救える病院は見つからない。
ある日、東京女子医大病院の心臓外科から、新しい治療法として「人工心臓」の研究を一緒にやらないか、という誘いを受ける。頭に浮かぶのは鉄腕アトムが胸の扉をパカっと開けて見せる、あの心臓だ、
宣政は人工心臓の開発に邁進することを決意する。母の陽子、長女の奈美、三女の寿美は、佳美の生活を全面的に支え続ける。
だが医療用の器械は認可されるためのハードルは高い。苦難は続くが、町工場の社長の矜持がそれを支えた。
本書は6月14日に公開された映画『ディア・ファミリー』の原作だ。厳格で一途な父親を大泉洋がどう演じているか楽しみである。(6月29日現在 公開から16日間で観客動員数61万人、興行収入8億4000万円)週刊新潮6月27日号
]]>文庫化されたら世界が滅びる、とまで言われていた『百年の孤独』の文庫版発売に世が沸き返っています。この大作が話題になったことで、読書案内や読書術の本にも注目が集まっているようです。ではノンフィクションジャンルの6月はどうだったのでしょう。まず押さえておきたいのがジャック・アタリの新作
もともと種の保存のために行われた「知識の受け渡し」。歴史の中では、一神教による知識の独占があったり、権力の教育への干渉(これは昨今も世界的な大きな問題になっています)があったりし、現代ではひとりひとりが知識を育てる時代になった。とアタリは説いています。
AIの登場で歴史の先はどうかわるのか、未来シナリオが描かれていきます。
それでは、この他6月新刊から気になる本を何点か紹介していきます。
発売前からわくわく待っていた1冊でした。著者、ジョシュア・ハマーは『アルカイダから古文書を守った図書館員』という作品も書いているジャーナリストです。彼が今回追うのは野鳥の闇取引犯です。野鳥の闇取引というのが大きな闇ビジネスになっており、その裏側には稀少種のコレクター、鷹狩りの愛好家、そしてハヤブサレースを行う中東の富裕層などが存在しているのだそうです。そういった「完璧な鳥」を求めた犯人の足跡を追うノンフィクション!
“猫を飼っている人は猫からの癒しを得ている”。なんてことは、猫の家族にとっては当たり前の話ではあるのですが、近年そういった癒し効果の科学的検証が進んでいることも話題です。
そばにいるだけでポジティブになる、だとか猫のゴロゴロは血圧を下げる効果がある、など商品の紹介文には驚異的なにゃんこパワーとその効果が並んでいます。
こういった科学的な秘密から、猫との付き合い方まで網羅された猫好き必読本。
本のなかでもしばしば出会う共感覚という言葉。音や文字に色がつく、味わいに形を感じる、などの感覚を持つ人たちのことで、人口の4%もの人がそういった感覚を持っているのだそうです。
著者は自らが「ミラータッチ共感覚」という感覚を持っています。この感覚を持つことで、患者の痛みや苦しみを自らの身体で感じることができるのだそう。それで神経科医をやっているのは大変な苦難もありそうですが、自らの臨床体験を通じて脳の不思議に向き合うノンフィクション。
世界最古のアートはネアンダルテール人が描いたと言われていますが、それくらい太古から存在してきている「アート」。人がアートを生み出すのは「アートの本能」があって、進化してきたからなのか?ということに真っ向から挑んだ本です。アートは生きる上で必要不可欠なのか、そうでないのか。脳科学、神経科学、心理学など様々な視点から迫ります。
芸術作品だけではなく、言葉や数字、食事や風景といった「美」についても考える事ができそうです。身の回りのものに対する感覚を点検する意味でも面白そうな作品です。
夏休みが近くなり、大型の図鑑も続々発売されています。子ども向け図鑑といえば鉄板の一つが『恐竜』、恐竜に関しては新しい発見も多いため、発売したら全部買う!という熱心なお子さん(+大人ファン)も多いのです。
そんな“恐竜のシーズン”に登場したのがこちら。
世界最多の恐竜種発見の国であり、恐竜研究史の塗り替えを先導する国である一方で、盗掘や密売も横行している、というのが中国です。発掘するにも研究するにも「国家」を避けて通れぬ中、これからの恐竜研究はどうなっていくのでしょう?
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ながらく“これから出る本”“先月出た本”をやってきましたが、発売前からワクワクする本、発売後、読んだ人の感想を見たからこそ面白さが急上昇する本などそのあり方は様々です。
出版業界ではよく「本に出会ったときがその人にとっての新刊」という事を言われます。年間に発売される本は約7万点。書店が立て続けに閉店し、身近な存在でなくなりつつ今、その中の1冊との出会いも奇跡的な事になってきています。だからこそ、いろいろな作品をいろいろな形でお伝えしていきたいな、とそんなことを改めて考えています。
]]>この『1兆円を盗んだ男』は、『マネー・ボール』や『最悪の予感』などで知られるマイケル・ルイスの最新作。今回彼がテーマに選んだ人物は暗号資産取引所FTXを立ち上げ莫大な富を築き上げた後、2022年に逮捕されてしまった男サム・バンクマン=フリードだ。
マイケル・ルイスといえば複雑な題材であっても見事な一本筋の通ったストーリーに仕立て上げるノンフィクションの名手だ。しかし、本書ではさすがにそうもいかなかったらしい。最終的には年間で10億ドルもの利益をあげるようになり、20代で長者番付にも名を連ねた暗号資産の若き天才に幼少期から迫る──というプロローグながら、マイケル・ルイスの取材中にFTXは破産。
その後、サムはFTXの破産と関連した詐欺やマネーロンダリングを含む7つの罪で有罪の判決が出て、禁錮25年、110億ドル(約1兆6600億円)の資産没収が言い渡されてしまうのだ。時代の寵児として取材を開始したなのに、1、2年したら結末は犯罪者で終わったわけで、これで見事なストーリーを紡ぐのは無理がある。
とはいえ、サムは一人の人間としては興味深い人物だ。18歳の頃までに友人はほとんどおらず、たとえどれほど金を稼ぎ誰もが彼にかしずくようになっても彼は人と話すときはビデオゲームをやりながら片手間で話していた。FTXと彼のもう一つの会社アラメダ・リサーチは何十億ドルもの利益をあげているにもかかわらず秩序はなく、一度もその業務をやったことがない素人に広報などあらゆる仕事をやらせ、適当な肩書をつけ、組織図もなく、破産後調査が入っても、従業員が何人いるのかすらも誰にもわからなかったという。
世間一般的に彼は凄まじい金額を私利私欲のために用いたペテン師と捉えられているが、効果的利他主義者を自称し、自分が稼いだ金の多くを寄付し、人類全体の幸福度を増すために莫大な金を稼ごうとした人物でもあった。本書を読むとサムが(世間一般で言われているような)私利私欲目当ての極悪人だとはとても思えないが、かといって良い人間であるとも思えない。効果的利他主義がどこまで本気なのかもわからないし、変人エピソードの数々についても「馬鹿な凡人が考えた天才の真似事だ」とストレートに批判する人もいる。
いったい彼は、なんだったんだ? というマイケル・ルイスのとまどいが伝わってくるような一冊だ。しかしそうした戸惑いこそがサム・バンクマン=フリードという男とFTXをあらわしているようであり、その過程がそのまま綴られていく本書は抜群におもしろい。
まずサムがどういう人物なのかに触れておこう。一言でいえば先に書いたような変人であり、取材が開始した2021年時点ではベンチャーキャピタリストたちからは数億ドルの投資を受け、投資家たちの間からは「一兆ドル単位」の資産を持つアメリカ史上初の男になると目されていた。FTXの収益スピードは恐ろしい勢いで伸びていて、2019年には2000万ドル、翌20年には1億、2021年には10億ドルにも達している。
だが、マイケル・ルイスがサムに向かって「FTXを売って他の何かをするとしたらいくらなら満足か」と尋ねると、その最初の答えは「15000億ドル」で、無限のドルでもその使い途はあると付け加えた(本書の原題は『GOING INFINITY』)。何に無限の金を使うのか? といえば、それは彼の思想である「効果的利他主義」と関係している。
これは人類社会をよりよくする上で、効率とインパクトの最大化を目的とする考え方のことだ。より多くの金を稼ぎ、それを必要で最も効率よく運用してくれる場所に寄付をすることで人類のために貢献する。飢餓や病気のような明確な不正義を潰していくのも必要だし、隕石の衝突やAIによる世界の崩壊のリスクなど、まだみぬ脅威への対策も必要になってくる。そうすると、金はいくらあっても足りない。
サムは最初トレード会社の大手ジェーン・ストリートに就職し、そこでの給料の多くは寄付に使っていた。しかしすぐに暗号資産を扱えばもっと金を稼げると思い、効果的利他主義者たちを中心に採用して独立を決意。2017年に暗号資産トレード会社アラメダ・リサーチを設立することになる。
本題となるFTXはアラメダ・リサーチに続いてサムが2019年に立ち上げた会社だ。「寄付するために金を儲ける」彼の目標の額に通常のトレードでは到底追いつかないので、次なる手段として用いたのが、自分で暗号資産取引所を開設することだった。
FTXは暗号資産取引所としていくつかの特徴があり(利益の3分の1をFTXのトークンであるFTTを買い戻すために使うなど)、FTTと呼ばれるトークンがFTXに上場し一般公開されるとトークンの価値はすぐに何十倍にもなって莫大なお金を生み出すようになった。立ち上げから2年で、2021年のピーク時には100万以上のユーザーを抱え、取引量にして世界第3位の暗号資産取引所にまで上り詰める。
そんなに盛り上がっていたのになんで破産したのか? といえば結局はよくある取り付け騒ぎが原因とはいえる。2022年の11月2日にFTXの姉妹会社であるアラメダ・リサーチの財務の健全性を疑問視する報道があり、その後ライバル暗号資産大手取引所のバイナンスのCEOがFTXの資産を精算するとツイートした。当時FTXには150億ドルの顧客資金があったが、報道を受けて11月の頭から一週間で50億ドル以上が流出。膨れ上がる顧客の要求に耐えられる現金が存在せず、FTXは破産してしまう。
サムが最終的に詐欺容疑で告訴された理由はいくつかあるが、そのひとつは100万人の顧客から集めた150億ドルのうち約半数にあたる88億ドル(160円換算だと1兆4000億円以上)を最初に設立したアラメダに貸しつけていて、FTXには実態の資産があまり存在しなかった点にある。アラメダの金でサムが政治献金をしたり不動産を購入したり損失を補填したり(アラメダの)返済にまわしたりと勝手にいろいろな投資・用途に使っていたので「1兆円を盗んだ男」という邦題に繋がっているわけだ。
これ(FTXの資産がアラメダに流れていた)についてサムの言い分は、FTXは開業当初、暗号資産との関連がある企業なので米国の銀行口座を開設することができず、21年末までドル建ての入出金を受け付ける直接的な手段を持っていなかった。そこで、預かったドルは口座を持つアラメダに置き、そのまま放置されていた(そして必要に応じて使っていた)という。他にもアラメダはFTX内でトレードの流動性を高めるために例外的に無限の損失が許容されていて、それが(アラメダの)巨額の損失に繋がっていたなど、アラメダとFTXは実質的にほぼひとつの企業のように運営されていたのだ。
この事件が不可解なのは、結局取り付け騒ぎが起こる前にいくらでもFTXとアラメダは関係を精算し破綻を免れていたはずという点だ。21年末にはFTXも米国で口座を開設できているので、その時点でのアラメダの信用があれば、200億ドルは暗号資産金融機関からのローンを使えたといわれている。早期にそうした手を打てていたなら、アラメダの破綻にFTXを道連れにせずに済んだはずなのだ。
本書を読んでみえてくるサムとFTXの実態は、とんでもない金額を扱いながらも細かいことを誰も把握していなかったせいで破綻した、というしょうもない姿である。会社の資産がどこにどれだけあるのかも把握していないから、破産申請後もその全貌を把握するためにはかなりの時間がかかったほどなのだ。
そんなしょうもない人々であっても、彼らは破綻する数週間前に、22年には3億ドル、23年には10億ドルを寄付する壮大な夢を立てて、現実にする一歩手前までいっていた。どこに寄付を行うのが良いのか、その選定をどうやるのが最も効率的なのかの検証も行っていた。しかし、それは実施できなかったのである。
夢のあまりの壮大さとしょーもなさからくる失墜、その激しい落差を堪能できる一冊である。
]]>1793年にグレートブリテン王国(イギリス)とスペインとの間に「ジェンキンスの耳戦争」という海上の覇権を争う戦争が勃発した。ローバート・ジェンキンスという商船の船長がスペイン当局に拿捕され耳を切り落とされるという事件への報復という名目で、イギリス側が宣戦布告したためにこのような名前で呼ばれるようになった戦争だ。
この戦争はやがてオーストリア継承戦争にまで拡大することになるのだが、本書ではそのあたりの歴史は一切関係がない。本書『絶海』が扱っているのは、この戦争のさなか秘密の任務を与えられたジョージ・アンソン代将率いる小艦隊の物語だ。ジョージ・アンソンは貴族階級出身の海軍士官ではあるが出世のペースは遅かった。高い能力を持ちつつも有力者のコネやゴマすりを良しとしない性格のためだ。そのためにアンソン旗下の士官たちも不遇を託っていた。しかし、ジェンキンスの耳戦争はアンソンとその配下の士官たちに大きなチャンスをもたらす。彼らが海軍から与えられた任務は数隻からなる小艦隊を率い秘密裏に大西洋を横断。そこから南米大陸を南下しホーン岬を周回して太平洋側に入り、スペインの財宝を運搬するガレオン船を拿捕し財宝を分捕るというものだ。任務成功のあかつきには末端の船員にいたるまで、かなりの分け前が与えられることが示唆されていた。
一攫千金のチャンスにひときわ大きな希望を見出している男がいた。デイヴィッド・チープ一等海尉だ。彼は地方の名家出身だが貴族階級ではない。実家は裕福な家であったのだが、異母兄の現当主が後妻の子であるデイヴィッドらに所定の年金を払わないことが多く争いが絶えなかった。とにかく自活の道を探るしかなくなったデイヴィッド・チープは商店で働き始める。たが生活レベルを落とすことができずに、膨大な借金を作ってしまう。彼は人生の再起を目指すべく、海軍に入隊しアンソンの元で勤務にまい進してきた。その能力は高く評価され、今ではアンソン艦長の右腕として活躍している。デイヴィッド・チープ今回の作戦で手柄をたて借金の完済と艦長への昇進を目指す。
債権者に追われるデイヴィッド・チープは一刻も早い出航を目指していたが、艦隊の出航は遅れに遅れていた。当時の木造帆船はその優美な姿とは裏腹にかなり厄介な代物だ。船の材料は大半が耐久性に優れたオーク材だが、それでも海水や嵐といった自然の力の浸食を受けやすく、フナクイムシ、シロアリ、シバンムシなどに食い荒らされ、甲板やマスト、船室の扉にいたるまで穴だらけになってしまう。当時の軍艦の平均寿命は14年ほどで、航海から戻った後は数か月にわたる補修工事が必要だった。アンソン艦隊の旗艦センチュリオン号も大幅な補修工事が必要だが、遅々として工事は進まない。デイヴィッド・チープは海軍省に何度もセンチュリオン号の補修を催促する手紙を書いている。しかし補修工事を待つ間にも、最初に補修した箇所がフナクイムシに食い荒らされボロボロになってしまうという有様であった。
さらに輪をかけて深刻なのが乗員の確保だ。すでに多くの兵が主力艦隊に割り振られていたために、アンソンの小艦隊では乗員の不足が深刻化していた。海軍省は乗員の確保のために悪名高い強制徴募隊を街に繰り出す。彼らの多くはギャングやならず者でこん棒を片手に街に繰り出して、過酷な船上生活に耐えられそうな男を見つけるや取り囲み、力ずくで徴兵するという拉致まがいの行為を繰り返すのだ。というのも当時の船上の生活は辛酸を極めたために徴兵逃れが横行していた。船内には常に水が染み込むため、船の下層部は腐った水が溜まり悪臭を放ち、その上にゴキブリやネズミが大量に繁殖し船員の足元をはい回る。航海中は入浴もままならず垢にまみれで生活することになる。航海も日数を重ねれば壊血病や腸チフス、熱帯性の熱病など致死率の高い病気が蔓延するが治療法は皆無とくる。さらに戦闘や事故でケガを負えば、傷口は壊死し麻酔のない状態で切断手術が行われるのだ。細菌の研究が進む前の時代だ。手術道具は未殺菌のままで、切断手術を受けた者の多くがそのまま死に至る。このような過酷な生活を余儀なくされるため、男たちの多くが海軍に徴兵されるのを恐れたのである。
拉致同然でアンソン艦隊に連れてこられた男たちも隙を見せれば逃亡してしまう。1日で30人ほどが姿をくらます。それだけではない、従軍牧師として派遣された神父も逃亡し、自分たちも徴兵されてはかなわないと強制徴募隊の面々までもが最後には逃げ出す始末。人員確保に失敗した海軍はチェルシーにある「王立病院」から傷病兵500人を強制的に徴兵する。この病院は「王国に仕えた老齢者や障がい者、病気」を抱えた年金生活が暮らす施設で、入居者の多くが60歳から70歳でリウマチや手足の痙攣、視覚障害などを抱えていた。若い時に王国のために戦い、老いて病に苛まれ病院で余生を過ごしていた老人たちを再び船上へと徴収したのである。最もポーツマスに向かう途中で歩くことの出来る者のほとんどが逃亡し、船に乗せられたのは立って歩くとができないものがほとんどであったという。もはや「艦隊」などと呼べる代物ではない。人生の再起をかけたデイヴィッド・チープの目にこのような状況がどう映ったかは分からないが、長い遅延の果てに艦隊はついに動き始める。
航海の詳細は本書に譲るが、予想通り辛酸を極める。出航後しばらくして壊血病と熱病が猛威を振るい多くの死者を出してしまう。艦隊のほとんどのものが熱病や壊血病に罹患し、健康な者が一人もいないという惨状である。そのために南米大陸の港で艦長のひとりが体調不良を言い訳にして逃亡。また小艦隊で最も有能で多くの将兵に信頼されていたパール号のダンディ・キッド艦長が熱病で死亡してしまう。艦長二人の欠員により、デイヴィッド・チープはウェイジャー号の艦長へと図らずも昇進する。
しかし運命は時に厳しい試練を人々に与える。チープ艦長も例外ではない。度重なる嵐と戦いながらホーン岬を周回し太平洋側へと抜けた艦隊であったが、ここでも嵐に見舞われ、チープ率いるウェイジャー号はチリ沖の浅瀬に座礁、難破してしまう。乗員の多くは小型艇で近くの無人島に漂着するのだが、この島は全くの不毛の島で、手に入る食料はごくわずか。すぐに飢餓が漂流者たちを苦しめる。また島を囲む海は年中荒れており、一年を通して冷たい雨風が吹き付ける最悪の島であった。彼らはここで、人肉食すら辞さない過酷なサバイバル生活を余儀なくされる。
本書の魅力は何といっても著者デイヴィッド・グランの徹底した調査に基づいた文章にある。著者はこの航海に参加した人々が書き残した膨大な日誌や回想録、さらには海軍に残された記録などを丹念に読み込み、乗員一人一人の人生や苦悩を生き生きと描き出す。デイヴィッド・チープのやや独善的な性格は過酷な漂流生活の中で反目を生み、やがて反乱を招くことになる。反乱勢力のリーダーで准士官である掌砲長のバルクリーは庶民下級出身で、本来ならば歴史に埋もれてしまいがちな人物なのだが、本書では彼自身が書き残した手記をベースに本人が語り掛けてくるかのよなリアルさで描き出されているのだ。他にも英国の貴族の中でも名家であるバイロン家の子息で16歳という若さで士官見習いとしてウエイジャー号に乗船していたジョン・バイロンの葛藤などは目の前に本人がいるのではと錯覚すら覚えてしまう。本書は上半期一番の興奮を覚えたノンフィクション作品である。
]]>本読みは人がどんな本を読んでいるかを気にする。同様に本好きは、自分が読んでいない名著が気になって仕方がない。おそらくHONZの読者もそうだろうが、私はブックガイドと見れば直ちに購入してしまう。そして本書は「定年後に読む」と名打っているのだ。
「人生100年時代」と言われ始めて、寿命が100歳前後まで伸びる話が現実味を帯びてきた。人生を教育・仕事・老後の3ステージで区切ってみると、平均寿命80年そこそこの時代は、教育20年、仕事40年、老後20年のスパンだった。
それが100年時代になると、老後が仕事と同じ何と40年まで延びてしまう。つまり、現役時代に匹敵する時間をどう過ごすかが、大きな課題となってきたのである。
私も24年教授を勤めた京都大学を3年前に定年となり、定職のない「毎日が日曜日」の生活にも慣れてきた。そこで「名著200選」と言われれば読まずにいられない。まさにピッタリの本ではないか!
本書は読書という切り口で、定年後に豊かな人生を送る方策を授けてくれる。文藝春秋社の月刊誌と季刊誌に紹介された本の目利きによる名著200冊を、簡潔な紹介文とともに紹介する。
第1章(定年後に読みたい30冊)では時間がなくて読めなかった文学作品が目白押しだ。「魔の山」(トーマス・マン)、「アブサロム、サブサロム!」(フォークナー)、「阿部一族」(森鷗外)、「晩年」(太宰治)、「セヴンティーン」(大江健三郎)など書名を知るだけの名作について、読み手の人生に即したエピソードを交えながら読書の楽しみを蘇らせてくれる。
第2章(世界遺産に残したい「不滅の名著」100冊)では「詩学」(アリストテレース)、「神曲」(ダンテ)、「君主論」(マキャヴェッリ)、「パンセ」(パスカル)、「昨日の世界」(ツヴァイク)、「風姿花伝」(世阿弥)、「武士道」(新渡戸稲造)など定番の名著が並ぶ。
「学問のすすめ」(福沢諭吉)について藤原正彦氏は「140年後のいま読んでも内容が新しい。新自由主義による改革に浮かれた人々は、この本を熟読した方がいい」(87ページ)と喝破する。
第3章(定年後を支えてくれる古典10冊)には「荘子」「論語」「墨子」といった中国古典のほか、理系古典として名高い「科学の方法」(中谷宇吉郎)と「確実性の終焉」(イリヤ・プリゴジン)も入っている。
「第二次世界大戦」(ウィンストン・チャーチル)は昨年から全6巻にわたる完訳版の刊行(伏見威蕃訳、みすず書房)が始まったので、本書を呼び水に世界を広げていただきたい。
第4章(わが心の書23冊)では、マニアックだが知る人ぞ知る好著が選ばれる。「暗号名イントレピッド」(ウィリアム・スティーヴンスン)、「なぜ私は生きているか」(ヨセフ・ルクル・フロマーティカ)、「ニイルス・リイネ」(イェンス・ペーター・ヤコブセン)、「ラフォルグ抄」(吉田健一)など、私も全くご縁のなかった本だが、私たちが虜になった理由がじんじん伝わってくる。
さて最終章の第5章(縦横無尽に面白い時代小説50冊)は、文字通り面白くて読み始めたら止められない小説をめぐる縦横無尽の対談だ。私自身、これまで趣味として読む事はなかったが、老後の40年かけて読んでみたいと目が開かれる思いをした。
本書は定年後に読む良質のブックガイドだが、何を読んでいいのかわからない若者にも役立つだろう。むしろ定年を待たずと若い時にこそ出逢って欲しい本ばかりだ。
ちなみに私もこれまで何冊か出してみた。『座右の古典』(ちくま文庫)はビジネスパーソン向け、『理学博士の本棚』(角川新書)は中高生向け。そして理系の古典を集めた『世界がわかる理系の名著』(文春新書)と本の苦手な理系人向けに『使える!作家の名文方程式』(PHP文庫)。実はその流れでHONZにたどり着いたという次第である。
書籍はどんなものでも、人生で起きる得がたい大切な邂逅ではないかと思っている。パラパラ読み進めていくと未知のジャンルの書物が出没する。
ちょうどリアル書店で偶然出会った本によって世界が広がるように、目利きの読み手が知的好奇心の扉を大きく開いてくれる。本書のような優れたブックガイドは、ライフコースの見直しを迫られた人にもぜひ薦めたい。
]]>小林照幸『死の貝 日本住血吸虫症との闘い 』(新潮文庫)が注目されている。4月24日に上梓されて以来、現在4刷、累計2万6千冊のスマッシュヒットだ。26年前の1998年に出版された本が、なぜいまこんなに注目を浴びているのか。以前より小林照幸の本を”激推し”してきた東えりかと、医学者・仲野徹が話を聞いた
仲野 『死の貝』は昔読んだ記憶があったけれど、文庫化されたのも20年以上時間が経ってからだし、こんなに注目されることってある?と不思議になりました。どうして突然文庫化されたんですか?
小林 それは新潮社さんからご説明頂きましょうか。
編集部 もともと新潮社の営業部と未来屋書店で、月に一回、情報交換の定例会議をしています。そのなかで女性書店員さんが「そういえば『死の貝』という幻の本があるんですよね」と話し始めたんです。ここ数年、熊が出没し暴れるニュースがあると必ず“三毛別羆事件”が取りざたされ、吉村昭『羆嵐』が評判になると。
そのたび「Wikipedia 3大文学」と呼ばれるWikiで読み応えのある項目がSNSで注目され、“三毛別羆事件”と同時に“八甲田雪中行軍遭難事件”の新田次郎『八甲田山死の彷徨』と“地方病(日本住血吸虫症)”が話題になっていたと聞きました。でも、“地方病(日本住血吸虫症)”の主要参考文献である『死の貝』の本だけが手に入らない。古本市場でも1万円を超える高額で、出版から時間が経っているので図書館にない場合も多い。読みたい人が多いのに読めないというのです。
ならば、『羆嵐』も『八甲田山死の彷徨』もある新潮文庫で、文庫化できないか、それで3冊同時にフェアみたいなのをできないだろうか、という提案を貰ったのがきっかけでした。営業部から連絡があり、編集長と私が親本を読んで「これはいい」と結論を出し、小林さんに打診をしたのが去年の10月。快諾をいただき、問題なく新潮文庫にはいることになりました。
東 小林さんはこの「Wikipedia 3大文学」に日本住血吸虫症が入っていて、『死の貝』が話題に上っていることは知っていたんですか?
小林 2016年にWikipedia日本語版が15周年を迎えたとき、それを報じた共同通信の記事では、Wikipedia日本語版における「秀逸な記事」として専門家も高く評価している例には“地方病(日本住血吸虫症)”がある、と注目して紹介していました。その時には既に「Wikipedia 3大文学」として話題になっていた、と思われます。
東 それにしても吉村昭氏も新田次郎氏も、いわば日本の文豪ですよね。そこに小林照幸氏という若いノンフィクション作家が入っている、というのは面白いですよね。多分、いまでも小林さんってすごい老人だと思っている人がいるかもしれませんよ。だって『死の貝』がでたころ、まだ小林さんは20代だったんじゃないですか?
小林 『死の貝』の親本は98年7月に出ました。私が30歳の時です。同じ98年の4月に『朱鷺(トキ)の遺言』(中央公論新社・中公文庫・文春文庫)を上梓していて、刊行直後に『朱鷺の遺言』を東さんが『本の雑誌』で激賞してくれて、本当にうれしかった。『朱鷺の遺言』の作業と並行して『死の貝』の作業も進めていたわけですね。
東 小林さんが『毒蛇』(TBSブリタニカ・文春文庫)で第1回開高健賞の奨励賞を取った時が薬科大学在学中の23歳。そこからフィラリアや日本住血吸虫の本が出て、私は面白いと思ったけど一般には受けないよなあ、と感じていました。
でも『朱鷺の遺言』は絶対に受けると思った。日本の自然保護の嚆矢となって“ニッポニア・ニッポンの絶滅への過程”が、克明に記録されたんですよね。読後に感じた絶望感といったらなかったもの。まさかね、そのあと20年経って、中国から入れたトキの繁殖が成功して、いまや佐渡の空を飛びまわっているなんてこと、想像もしませんよねえ。日本住血吸虫症については、医学界では有名な話だったんですか?
仲野 医学部の授業で習いますからね。昔の病気ですが、中間宿主のミヤイリガイの発見者でもある宮入慶之助の名前はむちゃくちゃ有名ですからね。(参照:宮入慶之助記念館 )
小林 中間宿主のミヤイリガイを絶たねば日本住血吸虫症は克服できない、ということでこの貝を、死をもたらす存在「死の貝」として研究者や住民は根絶するための諸々の対策を行うしかなかった。安全性の高い治療薬もなかった時代だったゆえに、貝をコントロールするのが有効手段だったわけです。そして、日本は世界で初めて「日本住血吸虫症」を克服した国となりました。現在は感染の恐れはなくなったにせよ、甲府盆地の一部にまだミヤイリガイは生息していて絶滅危惧種に指定されています。毎年、甲府盆地で採集して研究室で飼育している医学部はあります。
東 どうも小林さんの書かれる作品は、根絶とか、滅亡とか、無くなってしまったモノに対する作品が多いですよね。
小林 最先端を追いかける人は多いし、先達者もたくさんいます。でも日本が誇る医学的な事柄で、病気の原因をさぐり、「今は昔」の安心感をもたらした公衆衛生の金字塔の秘史をきちんと残したいと思ったんです。それは最初に調べ始めた、奄美・沖縄のハブの血清づくりに取り組んだ医師を描いた『毒蛇』からで、フィラリアやマラリアのことを調べ始めてもいました。
フィラリアはマラリア同様に蚊が媒介して、マラリアと比べれば、生命への直接的な危機はないけれども、手足や陰嚢が大きく膨れ上がり、ズボンはおろかパンツも履けない、移動も不自由になることで心身に多大な苦痛を与えてきました。それも、世界的に見ても特筆すべき大流行地だったのが奄美・沖縄をはじめとした日本の南西諸島でした。「醜い」ということで家族や地域での差別も強くありました。フィラリアをどうしても描きたい、マラリアの現場も見て回らねば、と思い、薬学部を中退して物書きの道に進んだわけです。中途半端には出来ないな、と思ったんですよね。
東 だって『毒蛇』で第1回の開高健賞の奨励賞を取ったのは23歳でしょ? 驚いたものなあ。
小林 日本で戦後、日本住血吸虫、フィラリアはじめ多くの寄生虫の対策に取り組み、克服に導いたレジェンド的な研究者の先生がまだまだご存命で、その方々のそばで見ていられる、直接話を聴く機会を逃したくないと思ったのですね。
たとえばマラリアの研究をしようと思えば、外国で数カ月滞在が必要になる。学生でその場にいることは難しかった。それに1992年2月に第1回の開高健賞の奨励賞を頂き「どんなことがあっても、書く道に進まねばバチが当たるぞ」と思いました。第1回目は正賞が出なかったのですが、プロ・アマ問わず、国内外25カ国から776作品も集まった上で最終選考が7作、その1席でしたから。
選考委員は50音順に大宅映子、奥本大三郎、椎名誠、立松和平、谷沢永一、C・W・ニコル、向井敏の先生方で、開高先生が亡くなられて2年半にも満たない中、開高先生ともゆかりのあった先生方の厳しい選考も経たことで「これは学生をやりつつ、取材して文章を書くなんて生半可な気持ちじゃダメだな」と思ったんですよね。
贈賞式で開高夫人の牧羊子先生、賞の運営委員のお一人で、賞の協賛企業でもあるサントリーの佐治敬三会長にお目にかかれ「期待していますよ。頑張りなさいよ」と激励されました。単なる激励であったかもしれないけれど、23歳の自分には「書く道以外に進むことは許されない」と直立不動で真剣に受け止める以外、感じようもなかったわけです。若気の至りでしたけれども「開高先生の賞を頂いたのは責任重大。とにかく書かねば」と熱くなりました。
仲野 あの時代が寄生虫の専門家に話を聞けた最後のチャンスだったと思いますね。いまは多くの方が亡くなられてしまったけど、若い小林さんが話を聞いたことで現在に残ったことがたくさんあります。きちんと世に残されたことが素晴らしい。
小林 ありがとうございます。当時、寄生虫の根絶に関わった1940年代から60年代に活躍した先生方は、いまではもう伝説です。そういう先生方にじかにお会いでき、さらに気軽に会いに行けるほどかわいがってもらったというのは、いま思うと財産です。手書きの資料や文献、開くとバラバラになってしまうような本もずいぶん見せてもらいました。
仲野 小林さんが調べていた80年代終わりから90年代半ば、寄生虫学がもうダメというか、ほとんど免疫学教室に替えさせられ先が無いと思われた時に、聞きに来てくれたことが嬉しかったでしょうなあ。
小林 知りたいことはたくさんあったので、会いに行くときに開高健賞奨励賞の『毒蛇』の本を名刺代わりにすれば、皆さん、快く話をしてくださったんですよ。一般向けに書く、ということも協力してくださった理由でした。学者ではない書き手がサイエンス・ノンフィクション(当時、そういう言い方はなかったと思いますが)書くことが、珍しかったのかもしれません。寄生虫根絶の先達者に話を聞きたい、という思いがすごく強かったですね。
東 私は『毒蛇』からずっと小林さんの本を読んできて、このジャンルは絶対に必要だと確信していたんです。まさかに二十数年経ってこんなに注目されるとは思わなかったですけど。
まだフィラリア根絶の『フィラリア 難病根絶に賭けた人間の記録』(TBSブリタニカ 1994年)にしてもミバエ根絶の『害虫殲滅工場 ミバエ根絶に勝利した沖縄の奇蹟』(中央公論新社 1999年)にしても、文庫化されてないでしょう?これを出そうっていう気概のある出版社ないかしらね、新潮社さん!
小林 あの時代の寄生虫研究室からは二世代ほど経っていますが、医学部内で大きな編成を経て看板を変えたところもあります。でも、今でも寄生虫に携わる研究者は熱い人が多く、拙著を読んで下さる方も少なくない。だから学会などで現在、現場に居られる研究者にお目にかかると、僕が日本のフィラリアの根絶対策の土台を作った佐々学先生はじめ寄生虫学のレジェンドの先生方に多く会っていたことで、どんな人だったか、どんな話をしたのか、とたずねられたりします。人によっては僕のことを佐々先生の弟子の一人と見てくださっていて、本当にありがたいと思います。
編集部 昨今、寄生虫ブームというのが続いていて、その関係の本は割と売れるんです。目黒寄生虫館もかなり人が入っているそうですし。
小林 90年代半ばに大ベストセラーになった『笑うカイチュウ』の著者の藤田紘一郎先生にもずいぶん取材させてもらいました。
東 私が初めて小林さんにインタビューしたのは『朱鷺の遺言』のときだったけど、あの日本産最後のトキ「キン」を見守った佐渡の方々が小林さんをとても可愛がっていたでしょう?
小林 今でも息子さんや娘さんとつながりがありますよ。御縁は繋がっています。1999年4月に『朱鷺の遺言』が大宅賞の受賞作品に決まったときは、皆さん、本当に喜んで下さいました。
仲野 新潮社さんの書籍PR誌『波』で『死の貝』書評を頼まれたとき、いろいろ経緯はあるにせよ、こんなに難しい本が売れるんかいな?と疑問に思ったんですが、いや、日本人は勉強したい人がまだまだいるんだ、捨てたもんじゃなないって思いましたね。だから、他の本もきっと読んでくれる人は多いと思いますよ。この本、書きあがるまでどれくらいかかってるんですか?
小林 日本住血吸虫症について書こうと思ってから資料集めをして、取材して、書きあがるまでは2年くらいかかっていますか。同時期、新潮社さんからの『床山と横綱 支度部屋での大相撲五十年』や『闘牛の島』、中央公論社(現・中央公論新社)さんからの『神を描いた男・田中一村』なども並行してやっていました。
東 私ね、この本を一般に読めるようにしてほしいなあ。『進化と深化 能美防災100年のあゆみ』(文藝春秋企画出版部 2015年)。古書でみつけたんですが、防災に特化した会社の私家版の社史なんですけど、大正時代から火災の防災装置を工夫していたってすごいですよね。面白かったんだけどなあ。
小林 文藝春秋企画出版部で、エレベーターの保守管理、空調設備をはじめとしたビルメンテナンス大手の三菱ビルテクノサービス株式会社の60年社史もお手伝いさせて頂きましたが、インフラ系の会社の歴史を調べると、科学技術の歴史そのものを体感できて、勉強になりました。私たちの暮らしを支えている当たり前の技術には、日本初、世界初のものも少なくなかったのだなあ、それは今も続いているのだなあ、と。それにしても、能美防災の社史も東さんがお読みになられていたとはびっくり、です。恐れ入りました。
仲野 小林さん、次に何を書きはるんですか?医学系でなんか調べてますか?医学関係の素養があって、興味をもっていることが何か気になります。
小林 2016年に中央公論新社さんから刊行させて頂いた日本におけるツツガムシ病の歴史を描いた『死の虫 ツツガムシ病との闘い』を今年の秋、中公文庫で刊行させて頂く予定です。
つきましては、仲野先生にこの文庫の解説を是非、お願いしたいと思います。ツツガムシ病の病原体を追い求める日本人医学者の研究では、仲野先生のご著書『なかのとおるの生命科学者の伝記を読む』(『生命科学者たちのむこうみずな日常と華麗なる研究』と改題され文庫化)で紹介された医学者が何人も登場しますので。
仲野 喜んでお引き受けいたします。
小林 ご快諾を賜り、ありがとうございます。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。東さんには刊行後、書評を是非、お願い申し上げます。
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コロナの流行初期に読むべき本として私が挙げた本。
この本から11年後に本当にパンデミックが来るなんて、読んだときには思いもしなかったなあ。
]]>この本を読み終えたら、きっと「あぁ面白かった」と思われるはずです。「勝手なこと言うな、なんでそんなことがわかんねん!」とお叱りを受けるかもしれませんが、まずはその理由を。
この本の企画は出版元である左右社の編集者・梅原志歩さんからいただいた企画書に始まります。そこには、
「西洋医学と東洋医学の専門家が『不調と病気との付き合い方』について徹底問答! 西洋医学と東洋医学はなにが違うのか、また違うに思えて実は共通するところも(あるのかどうか)? からだとはなにか、病気とはなにか、なおるとはなにか。両者の立場から自分の体を見つめることで、自分のからだの心地よい状態、そこそこ健康な生き方を考える」とありました。
さらに、「・自分のからだについて異なった視点から知ることができる ・気楽に医学について学べる ・西洋・東洋どちらかについて扱った本はあるが、両者を?較した本はおそらく初!」が「この本の目的・ポイント」としてあげられていました。
おもろそうやん。そんな本があったら、自分でも読んでみたいやん。でも、東洋医学代表の良き対談相手が必要です。これはもう若林先生しかありません。というのは、五年ほど前になりますが、「“ほどほどの健康”でご機嫌に暮らそう」というタイトルで対談をしたことがあったからです。初めて知る内容が面白すぎて、初対面だったにもかかわらずむちゃくちゃに楽しい対談でした。そんな経験がありましたので、たっぷり対談したら絶対、役に立つしおもろい本になるに違いない。そう考えて打診したら、快諾。こうして出来上がったのがこの本です。
五回にわたる対談は予想以上の爆笑に次ぐ爆笑で、本当に楽しいことでした。脱線に次ぐ脱線だったのを、梅原さんとライターの新原なりかさんが実にうまくまとめてくださったのは感謝しかありません。でも、きっと難しかったのでしょう。最初のゲラが送られて来るまでにそこそこの時間が過ぎました。あまり記憶力がよろしくないので、楽しかったこと以外、対談の内容をすっかり忘れていたのですが、読んでびっくり。むっちゃおもろうて役に立つやん! というような事情だったので、みなさんにもきっとそう思っていただけたに違いないと確信しているのであります。
初対面の対談は2019年の1月だったのですが、その年の夏にインド最北部のラダックへ行きました。この本の中でも触れていますが、ラダックというのはチベット文化の色濃いところで、インドではあるものの宗教はチベット仏教、そしてチベット医学も盛んにおこなわれています。そこでチベット医学の施術者・アムチのウルギャンさんと丸一日を共にしていただきました。高度4千メートルあたりの信じられないくらい美しい景色の中で一緒に薬草を摘んだりして、一生の思い出になる素敵な一日でした。
チベット医学は中国由来の漢方とは成り立ちも考え方も違うのですが、やはり治療に使われるのは薬草と鉱物です。ウルギャンさんは、採ってきた植物を乾燥させて薬研(やげん)で轢いて自分で薬を作っておられて、診察室には瓶詰めにしたものが数十個並んでいます。お腹の調子が悪いという患者さんがやってこられたのですが、脈診と舌診をして、薬を調合して渡しておられました。治ったのかどうかは知る由もありませんが、面白い経験でした。
そのときに、ラダックでのチベット医学事情を聞いたところ、一時期は圧倒的に西洋医学が優勢になったけれど、それだけでは不十分だということで伝統医学が盛り返してバランスのとれた状態になったということだったのです。あぁなるほどと、すごく腹落ちしました。ふたつは役割が違うんや、と。このことと、数少ないとはいえ自分で経験した漢方薬の効果が、対談の企画を喜んでお引き受けした大きな理由です。
私見ですが、人間は理解できないことがある時、二通りの極端な対応をしがちです。ひとつは受け入れてしまう、もうひとつは拒絶してしまう。しかし、どちらも決して正しくないでしょう。少しでも理解しようと試みる、それが正しい、あるいは、合理的な態度ではないかと考えています。
東洋医学がどうして効くのか、わかったとは言いません。でも、どうしてそれがわからないのかはよく理解できました。え~、その程度なんかと言わないでください。なにもわからなかったことから考えると、ものすごく大きな進歩です。もしかしたらプラセボ効果みたいなものもあるかもしれません。でも、それでもまったくかまわない。なにしろ、そのメカニズムを知りたいのです。何千年もの間、効果があるからと生き残ってきた方法です。そこには何らかの原理があるはずなのですから。
たとえば慢性疼痛です。慢性疼痛というのは、痛みの原因がなくなってからも痛みを感じ続けるような状態です。これは脳の中にそういう回路ができてしまっているためと考えられているのですが、鍼灸が効果をあげる例のあることが報告されています。これなどは、最新の脳科学研究の技術を使えば解明が一気に進む可能性があるのではないかと期待しています。漢方薬については成分が多すぎて、完全に理解することは難しいのではないかという印象です。とはいえ、所詮は有限個の化学物質なのですから、いずれ効果がでるメカニズムのわかる日が来るかもしれません。
東西の医学を比較することによって、西洋医学だけでは見えにくい、別の角度からの医学リテラシーを身につけてもらえたら、というのも、この本の大きなたくらみです。面白かっただけじゃなくて、勉強になったわ。と、思っていただけたら望外の喜びです。みなさま、よろしくお願い申し上げます。
『医学問答』 あとがき(仲野徹)を改変
「宿帳」である。旅館やホテルでの宿泊では記入が義務づけられているとはいえ、最近はネットで予約しがちなので、印刷されたものにサインするだけのことが多い。昭和とはいえ、はて宿帳なんかが本になるのかと思って読み始めたが、宿帳そのものの本ではなかった。
全24話、そのほとんどが昭和の大スターと馴染みの旅館の関係についてのお話だ。当然のことながら、ああええなぁと思えるエピソードばかりである。ただし、唯一、どの宿でも「素顔をさらさなかった女王」がいる。美空ひばりだ。しかし、これは、ご当人がというよりは、一卵性親子とまで言われた母親の考えによるものらしい。そのプライバシーの守り方は常軌を逸している。
NHKドラマ「夢千代日記」の撮影で宿泊した時の話。人のいない時間を見計らってスナックのママと連れ合って大浴場に行く樹木希林を、吉永小百合は「いいな~、大浴場に行けて」と見送ったという。超のつく大女優になると人目を気にするレベルも尋常ではない。それでも深夜には源泉の荒湯にいって三人で洗濯をしたという。娘・也哉子のズック靴を岩の上で洗う希林。その横で同じように吉永小百合がごしごし洗ったのは、なんとシルクの下着。「こんなにぼろぼろになったわ~」って、あたりまえやろ!大スターはやっぱりレベルがちがいますな。
これは第3話『夢千代たちがはしゃいだ深夜の洗濯 - 樹木希林、吉永小百合と湯村温泉「浅野家」』に紹介されている思い出話だ。このような出来事ばかりではなく、それぞれの温泉の来歴や優れた点も紹介されていて、ちょっとしたガイドブックにもなっている。夢千代日記は被爆者を描いたドラマなので、ロケ地のイメージが悪くなると尻込みする温泉地が多かった。そんな中、どうして観光協会会長だった朝野家(当時は湯村観光ホテル)の社長が私財を投げ打ってまで撮影隊を呼んだのか。24話のすべてに、ほぉ~と思わず声に出したくなるいい話が詰まっている。
志村けんがとてもフレンドリーだったというのはわかるけれども、高倉健、大林宣彦、北大路魯山人や松本清張といった、ちょっと怖そうなイメージの人たちでさえ、温泉で見せる素顔はとても優しい。本来がそういう人なのを世間が違うイメージで見てしまっているのか、温泉という場のなせる業なのか、それとも両方なのか。いずれにしても、それぞれの旅館のホスピタリティーの素晴らしさがあってこそのエピソードが満載なのだ。
唯一、ふたつの話で登場するのが志村けんと石原裕次郎率いる石原軍団がひいきにしていた、あわら温泉の「べにや」。この名旅館、再建されたとはいえ、以前の建物が焼失したというのは悲しいことだ。他に登場するスターは、西城秀樹、松田優作、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、田中邦衛らである。個人が主役の話が多いのだが、いくつかは、逆に旅館が主役であり、そこに有名人が色を添えるというパターンだ。その代表格が第16話『スターたちを圧倒した荘厳な大浴場 -「法師乃湯」を愛した人々』である。年配の方はみな覚えておられるだろう、高峰三枝子と上原謙が二人で入浴しているJR東日本「フルムーン」のポスター写真もここで撮影された。
お風呂の撮影では高峰さんのおっぱいがぽよよよよんって浮かんできては、撮影を止めておっぱいをお湯の中へ沈める。また撮り始めては、浮かんでくる。その繰り返しでしたよ
という大林宣彦監督の談話が笑える。ホンマかいな、おっぱいってそんなに比重が小さいんか。
他にも、与謝野鉄幹・晶子夫妻、お忍びで夏目雅子、勝新太郎・中村玉緒の一家、さらにはフジロックの前泊に忌野清志郎が法師の湯に泊まりにきたという。温泉旅館でやたらとサインの色紙が貼ってあると興ざめすることもあるけれど、こんな人たちが泊まった旅館なら行ってみたくなってしまう。
昭和の湯宿とは、日本人にとってそういう素の自分をさらけだせる場所だったし、宿もそれを受け止めたことで、濃密な人間関係ができあがった
と、著者の山崎まゆみさんは書く。ただし、この本に出てくるエピソードの多くは30~40年前のものである。当時は、有名人でなくとも、馴染みの旅館があって贔屓として通っていた人たちもたくさんいたのだろう。しかし、今や、温泉旅館の立ち位置はずいぶんと変わってしまっているのではないか。
昭和の頃は、温泉地の名旅館の主はその土地の名士であり、経済的にも恵まれていた。だから作家や芸術家を支援するという土壌があった
温泉旅館の衰退が叫ばれている。家族経営が多く、収益性が高くないかららしい。生き残れるのは2割程度でしかないのではないかとさえ言われている(「温泉旅館で何が起きているのか?~このままでは絶滅危惧種入り」 中村智彦・神戸国際大学経済学部教授)。たとえ生き残れたとして、インバウンドが跋扈するような状況では、かつての風情は保たれまい。来年は昭和100年、温泉旅館に多くを望む時代は「遠くなりにけり」なのかもしれない。
嘆いていても仕方がない。本の内容に戻ろう。旅館を出立する時、女将さんや仲居さんにお見送りしていただくことがある。慣れないので、なんだか面はゆいのだが、そういった際に強烈な印象を残された二人のエピソードが紹介されている。古湯温泉「鶴霊泉」で、体調不良をおしながら「男はつらいよ」の撮影を終えた渥美清。そして、東日本大震災の被災地激励の私的旅行で穴原温泉「吉川屋」に宿泊された上皇后陛下。旅館を後にする時、どのようなことをされたのか。この心洗われる二つのエピソードだけでも、本書を読む価値は十分にある。ええ本、読ませてもらいましたわ。
]]>最近の世の中は、なにかにつけ“○○パフォーマンス”と言われるようです。みんなそんなに急いで何になろうとしているのかしら…と思ったりしつつ、ぼーっとするのが何よりの楽しみです。出版業界においても「本の返品」という壮大なムダがあり、それを巡っていろいろな人が苦闘をしています。「ムダ」はこんなに嫌われるのに、どうして減っていかないのか。という悩みに答えてくれそうな本が出てきます。
ムダがなくなったら世界はどんな姿になるのか?ということを著者が考えていきます。フードロスはもちろん、ゴミも出ない、時間も無駄にならないような世界。字に書いてみると美しくも見えますが、想像するとちょっとディストピアっぽくも感じます。
「ムダ」について真剣に考えてみるノンフィクション、興味深いです。
このほか7月発売予定の新刊から、いくつか紹介していきます。
「数値化」や「計測」が世界を変えてきた、という本はたくさんあります。正確な数字化があったからこそ、技術は進歩してきたはずです。が、今の世の中は「過剰な数値化」によりゆがんだ一面も持っています。X(旧Twitter)が「いいね」の可視化をやめたことで大きな話題になりましたが、それによる効果もあったのだとか。これもこの本が指摘する数字による支配の一つの事例なのかもしれません。目標を数値化するとやる気が失われる、とか脳は無意識に数字に反応してしまう、など数字についての新事実が明らかになります。
早川書房といえば『マッキンゼー CEOエクセレンス』がちょっと前に話題になっていたなぁ。と思い出していました。今回は真逆。名実ともに世界を動かす存在となったコンサルティング会社、マッキンゼーの裏の顔を暴くというノンフィクションです。著者はニューヨーク・タイムズのジャーナリスト。環境、倫理への配慮も行っているイメージの会社にもかかわらず、各地において様々な問題を抱えているということが暴かれていきます。特にオピオイド危機の中心にいたことなども報じられていました。そんな裏の顔が明らかになっていく衝撃の1冊。
音楽から社会を読み解く「音楽社会史」
校歌というのは日本独自の文化だそうです。この世界に類を見ない文化はどうやって生まれ、育ってきたのでしょうか。全国の効果やその歌われ方を分析した気になる作品。
今もまだ話題の校歌が産み出され歌われるようになっていますが、明治から現代までの校歌をめぐるドラマが満載です。自分の学校が出てくるかどうか?というのも気になりますね。
日本で『ソフィーの世界』が刊行されたのは1995年のこと。「哲学」というテーマにもかかわらずたちまち話題となり、国内でも200万部を超える(各版あわせ)ベストセラーになりました。こちらは著者、ヨースタイン・ゴルデルの自伝的哲学エッセイ。これまでの作品の中で伝えたかったこと、伝えられなかったこと、今この時代に思う事を詰め込んだ作品です。
『ソフィーの世界』から30年となる今、改めて読み直してみるのも良いかもしれません。
最近、小説ではホラーがちょっとしたブームになっています。なぜ、人は怖い話に惹かれるのでしょうか。こちらは映画の話になりますが、ホラー映画を見るときに私たちの脳や心はどうなっているのでしょう。
脳科学や心理学という科学的な視点から恐怖の仕組みを解き明かしていきます。何を恐怖に感じるのか、そもそもなぜホラーを求めるのか。
人を怖がらせるものを作りたいというクリエイター必読の作品でしょう。
夏休み時期に入るため、恐竜・虫・動物に関する本も盛りだくさん。その中でも大人にこそ薦めたい2点をご紹介
ナショナルジオグラフィックが贈る虫大全!
こちらも壮大です。3億年前に爬虫類に進化しなかったグループが哺乳類として我々人類に至るまでの歴史が描かれています。
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そろそろ雨の季節です。今年は梅雨入りも梅雨明けも遅そうな気配ですが、どうなるでしょう。雨の季節は読書の季節。素敵な本との出会いがありますように!
]]>「明鏡止水 武のKAMIWAZA」というNHKの番組をご存知だろうか。格闘家でもある俳優の岡田准一が司会を務め、武道各流派を率いる一流の武術家たちが集結し、真髄を語り秘儀を披露していく。録画をして繰り返し観るほど私の好きな番組だ。
『シャーロック・ホームズの護身術バリツ:英国紳士がたしなむ幻の武術』には技の説明のため120点を超える写真が掲載され、中には袴を穿く人物が登場している。動いている姿を見てみたいという欲望が沸き上がる。この番組で実演してくれないだろうか。
「バリツ」という格闘術が一般に有名になったのは、ひとえに〈名探偵シャーロック・ホームズ〉シリーズの「空き家の冒険」で、宿敵のモリアーティ教授の死闘を回想したこのシーンからだ。
―崖っぷちから落ちかけたぼくたちは一瞬ふたりそろってよろめいたんだ。でもぼくは日本の格闘術であるバリツを少々かじっていて、何度もそれに救われたことがあってねー
コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』(延原謙・訳 新潮文庫)
ホームズが身につけた日本の格闘術のバリツとは、1899年にイギリス人で冶金学の専門家であるエドワード・ウィリアム.バートン=ライトが編み出した「新しい護身術」の「バーティツ(Bartitsu)」ではないか、という説がある。
鉄道技師の父親とともに世界中をまわったバートン=ライトは、数年間、滞在した日本で嘉納治五郎から柔術を学んだ。帰国後、ヨーロッパで初の柔術の指導者となり、その後、柔術にボクシング、サバット、ステッキ術などを組み合わせたバーティツを作り上げた。
本書は1899年から1900年に《ピアソンズ・マガジン》に掲載された記事と写真をそのまま紹介した本邦初翻訳である。
バーティツは「てこの原理」を使って、相手のバランスを崩し、相手が体勢を立て直して身構える前にしかけ、必要とあらば、首、肩、肘、手首、膝、足首などに解剖学的にも力学的にも相手が抵抗できなくなるような負荷をかける技だ。素手だけでなく杖を使って防御するのはイギリス人らしい発想だと思う。
相手の攻撃を素手でうけ、さらにその力を使って投げたり抑え込んだりする技は合気道に近いのではないかと思う。先に紹介したテレビ番組「明鏡止水」で披露された技を彷彿とさせる。
多くの武道や剣豪の小説を書き続けた作家・津本陽は、晩年、合気の達人「佐川幸義」に魅せられ、評伝『深淵の色は 佐川幸義伝』(実業之日本社)を書き上げている。その佐川幸雄が常々語っていた「合気とは不思議な力でなく理論である」という言葉が、このバリツという本の中に生きている。
本書の監修者である新実智士は「ファイト・ディレクター(殺陣師)」として2009年に映画『シャーロック・ホームズ』に参加した折、そのスタントメンバーから習ったという(映画で使われているのは中国武術だそうだが)。
バーティツの基本精神は日本の柔術に流れる「自他共栄の心」。日本の精神がホームズの心に宿っているのだ。(ミステリマガジン2024年7月号)
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剣豪小説の大家、津本陽の遺作ともいえるノンフィクション。私のレビューはこちら
]]>2015年8月、衝撃的な写真が新聞に掲載された。北アルプスのライチョウがニホンザルに捕食されている姿が初めて撮られたのだ。ライチョウの生息数は激減している。そこに新たな天敵としてサルが加わることは大きな脅威となる。
世界的なライチョウの研究者で信州大学名誉教授の中村浩志は緊急記者会見を開き、マスコミを使って警告した。このままでは絶滅すると。
信州大学農学部卒の著者、近藤幸夫は当時朝日新聞長野総局の山岳担当記者。この記者会見までそれほどライチョウに興味を持っていたわけではない。 だがここで会った中村の熱い思いに圧倒され、取材者の立場を越えて、スタッフとなり、早期退職をしてしまうほどのめり込んでいく。
「鳥の気持ちが分かる」と中村は言う。幼い頃から鳥に興味を持ち、カッコウの研究では世界のトップレベルにあった。中村の恩師である羽田健三から引き継いでライチョウの研究を継続したのも自然のことだった。
2018年7月、環境省信越自然環境事務所に中央アルプスの木曽駒ケ岳で発見されたメスのライチョウの写真が持ち込まれた。半世紀以上前に絶滅が確認された場所にまだ生息しているとなると、早急に対策を考えなければならない。
後に「飛来メス」と名付けられたこの一羽によって、国を挙げての「ライチョウ復活プロジェクト」が動き始める。羽田と中村、ふたりの鳥類学者が長い年月をかけて開発した機材と方法を使った繁殖と、野生復帰までの道のりは、気候変動や環境破壊、思わぬ天敵の来襲などで阻まれる。
その難題を解決するのも、70歳を超えても、鬼気迫るほどの情熱で山に分け入っていく中村だった。
私は動物ノンフィクションでも鳥に関する作品は外れがないと確信している。研究者のキャラクターが飛びぬけて強烈なのだ。本書も期待に違わぬ面白さだった。人間を恐れないというライチョウを観に行きたい。(週刊新潮5月30日号)
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11年前に出版された中村浩志が書いたライチョウ本。HONZで私が紹介している。レビューはこちら
]]>みぞれまじりの空の下、車窓から鉛色の海が見えた。いかにもリアス式海岸らしい入江になっていて、風があるのか波が高い。「この先、津波浸水区域」と書かれた道路標識を、私たちを乗せたバスは通り過ぎて行く。あれから13年。
「広田湾だ! 高田だー!!」山側の座席にいたはずの竹内さんが、海側の席に移ってきて、はしゃいでいる。彼女は何度も通った道だが、私が陸前高田を訪れるのは初めてだ。きっかけは、1冊の本だった。2016年11月に刊行された『奇跡の醤(ひしお)』。
陸前高田に200年続く老舗醤油蔵・八木澤商店は、2011年3月に起きた東日本大震災で津波にのまれ、社屋も設備のすべても失った。『奇跡の醤』は、誰もが「終わった」と思ったその状況から、会社と地域と人々の心を再生させていく過程を丹念に描いたノンフィクションである。
3月の陸前高田はまだ寒く、駅――といっても鉄道は震災で被害を受けたので、BRTというバスによる運行になっている――まで、八木澤商店の河野光枝さんが車で迎えにきてくれていた。光枝さんは現在の9代目社長・通洋さんの母で、竹内さんと再会を喜び合っている。まるで久しぶりに実家に戻ってきた娘を迎えるようなあたたかい雰囲気に、竹内さんの取材姿勢を垣間見るような気がした。
2017年の年明け、私は書店で偶然『奇跡の醤』を目にし、本に呼ばれたような気がして買って帰った。読み始めたら、止まらなかった。これほど引き込まれる本は、人生でそう何冊も出会えない。たくさんの人に知ってもらいたくてHONZで紹介したのだが、あまりうまくレビューを書けなかった。「この本は、もっともっと、すごい本なのに!」そんなもどかしさと己の力不足を感じていたとき、職場で1通の手紙を受け取った。差出人は、竹内早希子。『奇跡の醤』の著者だった。
手紙にはレビューのお礼、そして、新たに書きたい本の構想が綴られていた。当時私は中高生向けの新書の編集部に所属していたので、時間はかかったが2023年に小豆島の醤油蔵・ヤマロク醤油を舞台にした竹内さんの著書『巨大おけを絶やすな!』を一緒に出すことができた。つまり竹内さんは著者先生ではあるものの、竹内さんのせいで木桶醤油にはまってしまった私にとって、いまや「醤油沼の先輩」的な存在になっている。
だから、「来月、久しぶりに陸前高田に行くんです」と竹内さんから聞いたとき、「私も連れて行ってください」とお願いしてしまった。あの『奇跡の醤』の八木澤商店に行ってみたいのはもちろんだったし、大学時代に陸前高田にユースホステルがあるのを見つけて「泊まってみたいなあ」と思ったまま訪れる機会がなかった、いわば「長年のあこがれの場所」でもあった。
光枝さんの車に乗せていただき、海の方へ。でも、海は見えない。なぜなら震災のあと、海辺には巨大な防波堤が築かれていたからだ。かつては海と松原が目の前に広がる、風光明媚な町だったと聞く。
津波伝承館の前に車を停め、竹内さんと私は少し歩いて「奇跡の一本松」へと向かった。奇跡の一本松は大津波にのまれながらも1本だけ残った松の木で、当時の希望の象徴のような存在だった(残念ながら枯れてしまい、現在は再現されたレプリカが立っている)。そのすぐ脇にあるのが、当時ニュースに一本松が映し出されるたびに背景に映っていた、津波で激しく破壊された陸前高田ユースホステルだった。
ユースホステルは、「震災遺構」として、被災した姿のまま遺されていた。鉄筋コンクリートの頑丈そうな建物が、ぐにゃりと曲がって水に浸かっている。「行ってみたかった場所」を、こんな形で訪れることになるなんて。
すぐ横の堤防にのぼると、海が見えた。その手前には、まだ若い松の苗木が育っている。時折青空ものぞき、きらきらと光る広田湾は穏やかで、この海があの日牙を剥いたということがにわかには信じがたい。献花台には花束が供えられ、ユリの花のあまい香りが漂っていた。
ふりかえると、草原が広がっている。ここにあったすべてを、津波が洗い流してしまったのだろう。遠くに、道の駅だった建物だけが、ぽつんと残されている。そこにあったはずの町並みを想像してみたが、うまく思い描けない。陸前高田の中心部だった高田町では、じつに6人に1人の命が喪われたと『奇跡の醤』には記されている。
再び車で移動して、高田の商業施設「アバッセたかた」に立ち寄った。ここは本が出た平成28年当時にはまだ建設予定となっていたが、現在は書店や図書館、八木澤商店のカフェも入っていた。
竹内さんと光枝さんがカフェで話し込んでいる間、図書館をぶらぶらしてみた。木の内装が心地よく、蔵書も児童書から読み物、資料的な価値のあるものまで、充実している。震災関連の書籍の棚はひときわ大きく場所をとっていて、「震災を知らない世代へ引き継いでいこう」という気概を感じた。震災直後に切実に必要とされたのは、食料や水や衣類だった。でもこれからは、本だから果たせる役割がある。
夜は八木澤商店会長の河野和義さん・光枝さん夫妻に、リンゴ農家の吉田司さんも交え、5人で会食した。震災の日、たまたま東京に出張していた和義さんが家族や社員の安否もわからないままテレビで町の様子を知り、茫然自失となる様子が『奇跡の醤』には記されている。
これが……本当に……陸前高田か?
震災の話はほとんどせずに楽しい時間を過ごしたけれど、この町の人たちの多くは13年前の壮絶な体験を経て、言葉には出さなくても大きな喪失と痛みを心の底に抱えている。『奇跡の醤』によれば、和義さんと光枝さんの息子で現・社長の通洋さんも、社員の家族の遺体確認に何度か付き添っている。
人のつながりの強い地域だ。大切な誰かを失わなかった者はいない
たくさん、死にすぎた……
民宿へ向かうタクシーで2人になったとき、竹内さんが、ぽつりぽつりと語り始めた。食品の品質管理の仕事をしていた関係で震災後の八木澤商店の奮闘ぶりを知り、まだ一度も本を書いたこともなく、出版のあてもないのに、突き動かされるように取材をお願いする手紙を書いたこと。手紙を投函したあと、恥ずかしさと申し訳なさで、ポストごと燃やしたくなったこと。震災後の大変な時期にもかかわらず八木澤商店のみなさんにあたたかく迎え入れてもらって、時には東京から小さな子どもを3人抱えて、20回近く取材に通ったこと。出版がなかなか決まらず苦しかった時期にも、「本にならなくても、あのことを書いて残してくれただけで末代までの宝です」と言ってもらえたこと。本が出たあと、何年も再訪できなくてとても心苦しかったこと。今回久しぶりに来られて、どれほど嬉しかったのか――。
時折声を詰まらせながら話す竹内さんに、バスではしゃいでいた姿が思い出されて、「本当にここに帰って来られた!」という万感の思いがあったことを改めて感じた。それと同時に、「ノンフィクションを書く」ということの凄み――誰かの人生を他者に伝える責任を背負うことへの覚悟や責任の重さを、痛切に実感させられた。
郊外の民宿に着いてタクシーを降りると、身を切るような冷たい風。そして見上げた空には、息をのむほど無数の星が瞬いていた。3月って、まだこんなに寒いんだ。きっと、あの津波の夜も……。明かりの消えた町からも、こんな満天の星空が見えていたのだろうか?
翌朝、和義会長自ら車で迎えに来てくださって、八木澤商店のショップやレストランが入る商業施設「CAMOCY」まで送っていただいた。ここで、東京のイベントから戻ってきたばかりの通洋社長にもお会いすることができた。
『奇跡の醤』の主人公的存在の通洋さんは、私の想像していたとおり、朗らかでエネルギッシュな方だった。廃業やむなしの状況から、社員を解雇せずに必死で立て直し、「まだ借金を返すのは大変」と笑いながら、新しい事業への希望も語ってくれる。
「日本は少子化だって悲観的になっているけど、人が減れば一人当たりが使える資源だって増えるんだから、豊かにやれるはずなんだ」
その奥では、通洋さんと一緒にイベントから戻ってきた従業員の阿部史恵さんを、和義会長が「ほんとうに、おつかれさんだったなあ」と労っていた。阿部さんは無理を重ねて体を壊して退職し、通洋さんが「俺のせいだ」と自分を責める場面が『奇跡の醤』に出てきていたが、今は八木澤商店に復帰していた。
「ここの人たちは、すごいですよね。前にひとりひとり自分はこの先こういうことをやりたい、と夢を語り合ったことがあって、まだ震災後の悲惨な状況のときで難しいんじゃないかなと思うようなことでも、いま、みんな、その夢をほぼ実現させている」
感無量という表情でそう言った竹内さんに、この土地やここの人たちにどうしようもなく惹かれて書かずにはいられなかった気持ちが、私にも少しだけわかったような気がした。そしてまた、この取材する側とされる側のあたたかな関係は、取材する側の誠実さ――つまり、竹内さんは八木澤商店さんの乗り越えてきた道のりを、決して「感動の美談ネタ」として「消費」しなかったから成り立っているのだということも。
午後、陸前高田の木挽き(こびき。この辺りの言葉で「きこり」を指す)で、昨年89歳で亡くなった佐藤直志さんを追ったドキュメンタリー映画「先祖になる」(池谷薫監督)の追悼上映会に参加した。
佐藤さんは東日本大震災で長男を亡くし、自宅も大きな被害を受けた。しかし仮設住宅には入らず、自ら山の木を切り倒し、家があった場所に再び自分で家を建てた。その過程を淡々と追った本作は、世界的にも高い評価を受けた。
600席ほどある会場はほぼ満席だった。上映前に客席がにぎやかなのは、観客同士がよく知る間柄だからなのだろう。この地域の人々のつながりの濃さが感じられた。 映画の主役である佐藤直志さんも、『奇跡の醤』にしばしば登場している。
陸前高田には、先祖代々受け継がれてきた山々があり、気仙杉をはじめとした良質な木材がたくさんとれる。自分たちでコメや野菜をつくり、山のもの、海のものが物々交換で手に入る。多くの金がなくても、豊かに暮らしてきた。(中略)今泉の木挽き、佐藤直志や仲間たちはがれきを取り除きながら田植えをし、ソバの種を蒔いた。自分の力で生きていくための営みを止めなかった彼らの姿は、被災した人々の間で、静かな尊敬を集めた
おそらく映画のタイトルにも影響したであろう、日本民俗学の父・柳田国男の『先祖の話』という本がある。太平洋戦争末期に多くの人命が喪われるなかで柳田が記した本書には、日本人の死生観や先祖への信仰が読み解かれている。この作品で繰り返し説かれるのは、「人は死後、霊は永久に国土に留まり、遠方へは行ってしまわない」「みたまは愛着の深い子孫の社会を、眺め見守ることが出来るようになる」とする思想である。
ご先祖様の霊は愛着深い故郷にとどまって、その地の人々の営みを見守ってくれている。80歳も近くなって、もとの家と同じ場所に自分で新たに家を建て、そこで生きていこうとした佐藤さんは、きっとこの土地で「先祖になる」ことを実践した人だったのだろう。
映画には、震災直後の陸前高田も映し出された。昨日、私は草原が広がるかつて町のあった場所を見て「津波がすべてを洗い流した」と感じたが、それは浅はかな間違いだった。津波は「洗い流した」のではなくて、すべてを「破壊した」のだ。瓦礫だらけの町を、人々は少しずつ片付けて、ただ捨てるのではなく、ご遺体がないか、誰かの思い出の品が混ざっていないか、ひとつずつ確認しながら、片付けて、片付けて、今の風景になったのだ。
上映後、新しい八木澤商店の社屋の裏にある、「お諏訪様」と呼ばれる神社に案内していただいた。神社は急階段の上にあり、八木澤商店の人たちはここを駆け上がって津波を逃れた。目の前で社屋が流されるのを、どんな思いで見ていたのかと思うと胸がつまる。
凍てつく夜だった。強い風が吹き付け、容赦なく雪が降った。体の底まで染み通る寒さで、燃えると思えるものをすべて燃やしても、いっこうに暖まらない
『奇跡の醤』にそう記されていた痕跡が炭化した切り株となって、13年経った今も境内に残されていた。「あの夜は津波の水が引かなくて。暗くなって、この向こうの少し離れた高台で火が出たのが水面に映って、こっちに向かって燃え広がって来るように見えて恐かった」と、通洋さんは言っていた。
夕食は、和義さん、光枝さん夫妻、通洋さんと妻の千秋さんに娘の千乃さん、通洋さんの妹のひろみさんと彼女の仕事仲間の濱野さんという賑やかな席になった。
ひろみさんは昔、アフガニスタンに用水路を掘る活動で知られる医師の中村哲さんの著書『アフガニスタンの診療所から』を読み、医療器具もないところで愚直に命と向き合おうとする姿に感銘を受け、同じく中村さんの著書『医者井戸を掘る』や講演会を通じて、彼の活動に強く惹かれていったそうだ。そして、中村さんに会う機会があったときに「自分も中村さんのような活動をしたい」と伝えたとき彼に言われた言葉が、「まず、自分の足元をよく見てからにしなさい」。それで陸前高田の医療の不十分さに気が付いて、医療で故郷に貢献しようと、濱野さんと奔走中ということだった。
お昼に聞いた竹内さんの「ここの人たちは、口にした夢をほぼ実現させている」という言葉を思い出す。きっと数年後には、ひろみさんの夢も現実になっているのだろうなあ。
和義さんが私に「映画はどうでしたか?」と話を振った。まだうまく消化しきれていない私は、「みなさん地域に根を張って生きている。きっと大変なこともあるだろうけれど、近所に誰が住んでいるのかもよくわからない東京の私にとっては、うらやましいような気持ちもあります」とあまり本筋ではないことを答えてしまった。すると、和義さんがさらっとこう言った。
「東京には、文化がないからね」
小学生から大学を卒業するまで東京に住んでいた和義さんだ。東京を知らないわけではない。一般的には、東京は美術展や各種の公演、講演会などが多く行われ、「文化的」と言われる。この和義さんの「東京には、文化がない」という言葉の意味を、私は東京に帰ってからも、ずっと考え続けている。
本当の限界集落っていうのはな、何も生み出せない都会のことだ
八木澤商店はもともと、醤油や味噌を配達していたので地理に詳しく、どの家でどんな家族が避難生活を送っているか、だいたい見当がついたのである。これは、とても喜ばれた。「さすが八木澤さんだね」「ありがとう」声をかけられ、社員たちに笑顔が戻ってきた(中略)「働く、って、いいなあ……」
『奇跡の醤』に出てきたこれらの言葉から、3.11のあと、買い占めにあってガラガラになった東京のスーパーやコンビニの棚が目に浮かぶ。都会の生活は、地方からの物流が止まれば成り立たない。そしてまた、災害が起きたとき、近所の子どもやお年寄りを助けに動くにはあまりにも情報不足だし、危険を冒してまで私を助けに来てくれる人もいるのだろうか?
今もときどき、映画『先祖になる』のワンシーンを思い出す。気仙町に900年伝わる「けんか七夕」という祭りは、一台だけ残った山車で震災の年にも行われた。町内会の解散が検討され、祭りの存続が危ぶまれるなか、映画にはやんちゃそうな強面のお兄さんが祭りで号泣しながら「町内会解散なんていわねぇでけれ、俺たちは諦めてねぇんだ!」と絶叫し、周りにいた同じく強面のお兄さんたちも号泣。直志さんや和義さんたち大人がそれを見守る映像だった。
地域の長い歴史のなかで、生身の自分自身がその一部となって主体的に受け継ぎ、さらにそれを自らの血肉からつくり出し、次の世代の人々に受け渡していくもの。都会のもつ「文化」とはまた違う、むしろ都会人のインテリには発揮しえない底力で、この人たちだから成し遂げられることもきっとあるのだろう。そういうつながりを自ら受け継いでいく力、もしかしたらそれが「先祖になる」ということであり、それが和義さんの言う「文化」、なのだろうか。
ノンフィクションって、すごい!
陸前高田の旅を終えて、改めてそう感じた。本に出てくる人たちは実在していて、実際に会えることだってある。そして、その人たちの物語は、本の最後のページからさらにまた進んで、新しいストーリーが喜怒哀楽とともに続いている。「non-fiction」なのだからそれは当たり前のことのようだが、「fiction」ではなくきちんと「non-fiction」として描かれることの難しさやそれを背負う書き手の覚悟を、その舞台を自分の目で見たことで、肌で感じることができた。
『奇跡の醤』という一冊のノンフィクションが連れてきてくれた、陸前高田。著者である竹内さん、この本に出てきたすべての人たち、出版に携わった方や本書と出会わせてくれた書店、そしてまた、竹内さんとの直接の出会いの機会をくれたHONZという場があったことにも、心からの感謝を伝えたい。
塩田のレビューはこちら。
『奇跡の醤』著者、竹内早希子さんの著作。酒や醤油を仕込む巨大木桶をつくれる職人がいなくなると知って一念発起、自ら日本最後の桶屋に弟子入りして桶づくりを学び、その輪を全国に広げた小豆島のヤマロク醤油・山本康夫さんに長期取材をした、渾身のノンフィクション!
「サイエンス&テクノロジーの面で考えさせられる好著」青木薫のレビューはこちら。
「波乱万丈、艱難辛苦。ハラハラしっぱなし」東えりかのレビューはこちら。
「プロジェクトに関わった人たちの麗しき桶愛に伝染してほしい」仲野徹のレビューはこちら。
塩田のレビューはこちら。
塩田のレビューはこちら。
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