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巨乳主義の精神とプロテスタンティズムの倫理

人が巨乳に惹かれるのは本能ではなく文化である。
その大きさから歴史の重みを感じ取ってもらいたい。

犬山あおいに蹂躙されたオタク

『ゆるキャン△』の犬山あおいが強い。

『ゆるキャン△』2話

一時期、Twitterを見ていると彼女のイラストが頻繁に流れてきた。今期アニメで一番注目を集めているキャラと言っていいだろう。

しかし、最初から人気があったのではない。アニメの放送がスタートしたのは2018年1月4日からであり、彼女が本格的に登場したのは2話からだ。4話までの彼女は、メインキャラなので登場シーンは多かったが、注目を集めていたのは主人公である志摩リンと各務原なでしこの両名だった。

情況が一変したのは2月に入って5話が放映されてからである。

『ゆるキャン△』5話

乳に打たれたオタクは「エッッッ」と言って倒れた。

これ以降、pixivの閲覧数はうなぎ登りとなる。

「犬山あおい」タグがついたpixivの作品閲覧データ
犬山あおい (いぬやまあおい)とは【ピクシブ百科事典】

ちなみに主役の志摩リンと各務原なでしこは執筆時点で共にmaxで55k以下*1*2だ。

この現象についてどう感じるだろうか。「オタクちょろいなー」とか「でかいのは正義」とか言いたくなるのではないかと思う。しかしこれは歴史的に見ると、決して当たり前の出来事ではない。多くの文化的・技術的な要素が積み重なった結果、この犬山ブームが発生したのである。

本記事では、現代における巨乳礼賛の原点について書き記す。

巨乳暗黒時代

巨乳を求めるというのは本能ではない。これは文化的なものだ。

かつての日本では巨乳は決して主流派ではなかった。この価値観は戦後に欧米から輸入したものである。以前は小ぶりな胸が良しとされてきた。それどころか明治の頃までは乳房そのものが性的なものとして扱われていなかった。これは春画で描かれた性器と乳房を見比べてるとよく分かる。

Katsushika Hokusai - Fukujuso.jpg
By Possible source: http://www.kobijutsu.co.jp/sumisho/r-7E.shtml, Public Domain, Link

着色され、シワまで描かれた性器に対し、乳房はざっくりとした輪郭しか描かれていない。このやる気なさから分かるように、日本における乳房はあくまでも肉体の一部に過ぎなかったのだ。「豊乳は富であり絶対」は江戸しぐさである。

では裸を求める欧米において巨乳礼賛は伝統的なものであったのか。これも答えは否。人体に美を見出した古代ギリシアにおいて、美しい乳房とはリンゴのように「小さく」「固く」「締まっている」ものだった。この嗜好は中世・ルネッサンスと続いていく。巨乳は悪しき乳房、これが近代より前のヨーロッパにおける主流派の見解だったのである。

このように洋の東西を問わず、長きに渡って巨乳は求められていなかった。その価値観に変化が生じたのは17世紀のオランダである。ここから豊かな乳房に価値が生じ、その文化が広がっていったというのが最も有力な説となっている。なぜオランダなのか。それを知るためには時計の針をさらに巻き戻す必要がある。

改革の始まり

1517年10月31日のドイツにて、一人の男がヴィッテンベルクの城教会の門に文書を貼り付けた。彼の名はマルティン・ルター。全てはこの男から始まった。

Martin Luther by Cranach-restoration.tif
By Lucas Cranach the Elder - This file was derived from:  Luther46c.jpg , Retouched version of faithful photographic reproduction, (from source file), Public Domain, Link

ルターが貼り付けた「九十五ヶ条の論題」、これは教会が行っていた免償符の販売を批判した文章である。

キリスト教においては罪を犯した場合、罪は反省して告白することで赦されるが、それとは別に「償い」をしなくてはいけない。その「償い」が免除されるのが免償であり、その一つとして教会への献金・施しがあった。免償符とはその領収書である。

始められた当初は「償い」を減らしてあげるという、信徒に対する善意によるものだったとしても、金を刷るかのような行為を自制できるはずがない。免償符の発行は教会の金策として位置づけられるようになる。

Jeorg Breu Elder A Question to a Mintmaker c1500.png
By Pvasiliadis - Own work, Public Domain, Link

とはいえ免償符はその性質上、一人が何度も購入するものではない。そこで免償符の効力は死者の魂にまで及ぶとなった。これならば信徒が先祖の分まで購入してくれるというわけである。

生真面目なルターはそれが許せなかった。教会を支える行為だからといって、それは救済に繋がらない。魂の救済は福音への信仰のみによるものだ。このような意見を叩きつけたのである。

これが、バズった。

活版印刷

この展開はルターも想定していなかった。ルターとしては、ローマ・カトリック教会全体を批判したつもりはないし、民衆を扇動しようと画策していたわけでもない。だから門前に貼り付けたとはいえ、それは学者しか読めないラテン語で書かれていた。

それに「聖書に帰れ」という批判はルターが初めてではない。既にジョン・ウィクリフやヤン・フスという先駆者が存在したが、そこまで大きな事件とはならなかった*3。ではルターと彼らは何が違ったのか。それは活版印刷の存在である。

The Caxton Celebration - William Caxton showing specimens of his printing to King Edward IV and his Queen.jpg
By The Graphic, June 30, 1877, p617. Retrieved from old-print.com, Public Domain, Link

ルターが教会に意見書を叩きつけるより70年ほど前、ヨハネス・グーテンベルクが活版印刷技術を発明した*4。このテクノロジーは情報の複製を容易にする。誰かが文章をドイツ語に翻訳した結果、ルターの主張は進歩しつつあったメディアによって、燎原の火のごとくヨーロッパに広まったのである。

こうなると対立は徹底的なものになり、ルターは教皇庁と戦わざるをえなくなる。そこでルターは活版印刷をフル活用する。「九十五ヶ条の論題」の解説や「聖書のドイツ語訳」など、彼の筆はとどまることを知らない。1519年、1520年のドイツで出版されたドイツ語の書籍の内、およそ半数がルター作*5というのだから驚くしかない。

このようにしてカトリックと抗議する者(プロテスタント)の戦いは始まった。戦いが広まるに連れ、他の地域でも独自のプロテスタンティズムが生まれてくる。次の舞台はスイスである。

カルヴァン参戦

スイス最初の宗教改革者はフルドリッヒ・ツヴィングリだが、彼のことは置いておく。この記事はキリスト教史ではなく巨乳史の記事である。乳房観に影響を与えたのはその次に現れたジャン・カルヴァンだ。

John Calvin by Holbein.png
By formerly attributed to Hans Holbein - http://library.calvin.edu/hda/node/2384, Public Domain, Link

カルヴァンが重要なのはその思想が商工業とマッチしていたことである。そして彼が活動していたジュネーヴは商工業の中心地であった。

カルヴァンの思想は金儲けを否定し、禁欲的であることを求める。しかし、労働に勤しんだ結果の利益は信仰心の証明となった。なぜならば労働は神が与えたものであり、その利益は良きサービスを提供した対価として頂いたものだからである。その結果、カルヴァン派は良き信徒であることを証明するため、勤労と蓄財を追求する集団となり、力を付けていく。

また、ジュネーヴは商工業の中心地であるだけあって、国際色が豊かな都市であった。何しろ人口の約1/3が亡命者だったという。この事実は二つのことを示している。一つはカルヴァン派はスタートの時点で国際性を持っていたということ。もう一つはそれだけ国を追われた人が多い時代だったということだ。

そう、戦いは人々の移動を発生させるのである。

ディアスポラ

プロテスタントは力を付けてきた、とはいえ既存勢力はあくまでもカトリック。プロテスタントは迫害される立場であり、戦争で土地を追われることもある。そうして彼らは安住の地を求めて移住を余儀なくされたのである。

下の図は主なプロテスタントであるルター派とカルヴァン派の伝播経路である。カルヴァン派の主な行き先はイングランドとネーデルラント(オランダ)であった。

福井憲彦『興亡の世界史 近代ヨーロッパの覇権』 (講談社学術文庫)より

商人は必要とあれば異教徒・異端者と取引することもいとわない。ネーデルラントの商業都市であるアントウェルペンは宗教的に寛容的な都市であり、プロテスタントの拠点となった。

しかしそのアントウェルペンの支配者はカトリックであるスペインである。スペイン王フェリペ2世はネーデルラントの統制のため、カトリックの強制を求めた。当然プロテスタントは反抗する。こうしてオランダ独立戦争は始まった。

残念ながらアントウェルペンは陥落してしまったが、同じプロテスタントであるイングランド*6が無敵艦隊を破ったこともあり、北ネーデルラントは独立に成功する。そして第二の商業都市であったアムステルダムにプロテスタントと商人が集結することになった。

Amsterdam - Rijksmuseum - panoramio - Nikolai Karaneschev.jpg
By Nikolai Karaneschev, CC BY 3.0, Link

プロテスタント主導の、宗教的に寛容な国家が誕生したのである。

母乳を与えよ

そろそろおっぱいが恋しくなってきた頃だと思う。ようやく背景の説明が終わり、巨乳の話に移れる。

オランダにおける巨乳の価値を説明する前に、そもそもヨーロッパで貧乳が良しとされた理由について簡単に書こう。

まず古代ギリシア・ローマにおいては巨乳というより、垂れた乳房が醜いと考えられていた。小さいほうが形が崩れにくい。ゆえに小さく引き締まっていたのが望まれたのだ。

Venus de Milo Louvre Ma399 n14.jpg
By Unknown - Jastrow (2007), Public Domain, Link

中世に入ると、キリスト教の影響により善悪二元論の発想が乳房観にも影響を与える。つまり良い乳房と悪しき乳房という発想が生まれる。さらにそこへ階級が結び付けられた。

当時、上流階級の女性の役割は子どもを育てることではない。子どもを産むことである。そして授乳期間中は性行為を控えるべきだとされ、しかも母乳が作られると受精が難しくなると考えられていた*7。結果、上流階級の女性は授乳すべきではなく、乳母に任せるべきという風潮となった。

ルネサンス期になって乳房に性的な意味が加わった時、それは子どもを産むための若々しさを感じられる、小さい胸に対してのことだったのである。

ゆえにオランダ独立時のヨーロッパの乳房観は、以下のようにまとめる事ができる。

サイズ 美醜 属性 階級 役割
小さい 美しい 善 上流階級 性的
大きい 醜い 悪 下層階級 授乳

17世紀のオランダが違ったのは「授乳」に対するイメージである。この母親は授乳するべきではないというのは、あくまでも夫の論理だった。聖職者は母親による授乳を肯定的に捉えていた。むしろ、自分で子育てせず乳母に任せるのは罪深い行為であるとしていた。

ここでオランダに集まったのがどのような人達であったか思い出してもらいたい。プロテスタントの中でも厳格なカルヴァン派である。夫は聖職者の指導に従った。自らが救われるに値する人間であると示すため、妻に母乳育児を求めたのである。

さらに最新の医学知識も母乳育児を後押しした。母乳は血液から作られる*8、ならば乳母に授乳させては子どもに乳母の血が混ざってしまうではないか*9、と。

このようにして授乳の属性は「善」へと転じた。授乳こそが愛となったのである。

Pieter de Hooch - Woman and Child with Serving Maid - Google Art Project.jpg
By Pieter de Hooch - PwEM1bzSv2ImXw at Google Cultural Institute maximum zoom level, Public Domain, Link

それに伴って授乳をイメージさせる巨乳も「善」となり、美しいと称されるようになった。ここに現代的な巨乳礼賛の文化が誕生したのである。

黄金期の背景

既存の価値観と相反する文化を拡めるためにはある種のパワーが必要である。もしオランダにパワーが無ければ、異端者どもが悪しき乳房を崇めている、で終わっていたかもしれない。しかし当時のオランダにはそのパワーがあった。

この時のオランダはまさに黄金期と言ってよかった。アムステルダムは世界で最も裕福な都市であり、交易と証券取引の中心地となっていた。ではこの繁栄を支えたものは何だったのか。一つ一つ説明すると長くなるため主な要素を箇条書きにしよう。

  • ディアスポラをきっかけとした国際的な商人ネットワーク
  • 禁欲的に労働と蓄財に励むカルヴァン派
  • ヨーロッパの胃袋を支えたバルト海交易*10
  • ポルトガルから奪ったコショウ貿易
  • 活版印刷による商業の均質化

巨乳史において特に重要なのは最後である。

活版印刷によって書類の形式は定められ、価格表は印刷されて各地へと送られていく。結果、商業慣行および商業情報がヨーロッパで均質化していったのだ。当然、ルール制定に近い者ほど有利になる。ゆえにヨーロッパ各国の商人はゲームの中心に近づこうと、アムステルダムへと訪れざるを得ない。

そして感銘を受けたのだ。オランダの巨乳に。

巨乳の勝利

時代が進み、イギリスに覇権国家の座を奪われても、胸が豊かというオランダ女性の評判は消えなかった。それどころか国家主権を国民が持つという意識が生まれるに連れて母親による授乳が求められ、100年前のオランダと同様に巨乳は善となった。

後はインフレが進むだけである。その後も貧乳が求められることが無かったわけではないが、それでも長い目で見ると、求められる乳房は肥大化していると言える。

これはダウ平均株価のグラフ By Delphi234 (Own work) [CC0], via Wikimedia Commons

その結果、諸君らも知っての通りである。

終わりに

20世紀末にアメリカのライフ誌がアンケートを行った。
「過去、1000年間に起きた最大の出来事は何か」
トップ3は以下となった。

  1. グーテンベルクによる活版印刷の発明
  2. コロンブスのアメリカ大陸到達
  3. ルターの宗教改革

なぜ活版印刷や宗教改革をアメリカ人はここまで重視するのか。今ならその理由が分かるだろう。アメリカ人は巨乳好きだからである。

これまで述べたように、巨乳が今の地位を獲得するに至るまでには、様々な要素の積み重ねがあった。活版印刷が発明されていなければ宗教改革は起きず、巨乳は悪しき乳房のままであったかもしれない。ルネサンスで裸体に美を見出さなければ、そもそも乳房に視線を向けなかったかもしれない。

従ってこう言えるだろう。

巨乳派はテクノロジーとリベラルアーツの交差点に立っている、と。

参考文献

代表的なのをいくつか紹介する。

おっぱいの本

乳房に関する本を一冊選べと言われたらこれ。


日本のメディアにおける巨乳史ならこの本。

ヨーロッパ覇権史の本

ヨーロッパ覇権史関係は絞るの難しいが分かりやすさなら『興亡の世界史』だろうか。
一番個性的なのは最後の。

キリスト教史の本

ヤクザじゃないキリスト教史。
宗教改革だけならヨーロッパ覇権史系の本を読むだけでも十分な気はするが。

関連記事

オランダが我が世の春を謳歌していた頃、北海の向こう側ではプロテスタントの一宗派であるクエーカーが迫害されていた。
彼らは生き延びるため、都市部で商工業を営むことになる。

そして19世紀、力を付けたクエーカーは労働者のために立ち上がった。

歴史的には今回の記事の次の次あたり。

歴史よりおっぱいに興味がある人はこっち

*1:志摩リン (しまりん)とは【ピクシブ百科事典】

*2:各務原なでしこ (かがみはらなでしこ)とは【ピクシブ百科事典】

*3:ウィクリフは異端として墓を暴かれ、フスは火刑になった程度。

*4:正確には、ヨーロッパにおいて活版印刷を発明した人物とされる。

*5:1519年は50/111が、1520年は133/208がルター作。

*6:正確に言えばイングランド国教会。プロテスタントに分類されるが、カトリック的儀礼・教義を残している。

*7:これは科学的に正しい。吸乳刺激によって血中プロラクチン濃度が上昇すると、生殖機能が抑制される。また吸乳刺激は卵胞を発育させるゴナドトロピンの分泌も抑制させるため、排卵が起きず、無月経となるためだ。

*8:これは正しい。

*9:これは間違い。

*10:当時のヨーロッパは食糧と木材が不足しており、それをバルト海から輸入していた。それを牛耳っていたのがオランダである。