638 ク・ビョンモ 「破砕」
- 2024/12/26
- 08:52
「破果」で活躍した老境の女殺し屋「爪角(チョガク)」の、若き訓練の日のエピソード。
後に全幅の信頼を寄せ合う、師であるリュウと爪角が、「信」の字を不器用に作り始めている姿が見えた。
銃身を通過した弾丸が引き起こす回転の感覚が、肘を走って螺旋状に移動する。
肩を揺さぶる振動に耐えながら、彼女は動かない。
・・・とりあえずつかえないとまずいから練習するだけで、
仕事でこれを手に取るケースは多くないと彼は言う。
いい始まりだ。
爪角(本著では「彼女」)が、この稼業を始めざるを得なかった生い立ちは、
「破果」で触れられているから割愛しよう。
ただ冒頭で一言、リョウ(本著では「彼」)は爪角に尋ねている。
この車に乗ったら最後、お前の身体は、一から十まで作り変えられる。
頭から始まって手足、胴体、内臓まで、一度全部取り外して付け直しだ。
平気か?
リョウの指導は、どこまでも実践的で細部に至っている。
山小屋の中で、何を利用してもよい立ち回りをした後のこと。
爪角が投げた椅子を、リョウが持ち上げて落とす。
ー持ち上げてから投げるまでに多少時間がかかっていた。わかってるよな。
ー相手によける時間を与えちゃダメだ。そういう時は、ああいうヤツ
食卓に置かれた鉄瓶を指した。
ー水がどれくらい入ってるか分からない。それでもこの椅子より軽い公算は大だ。
持ち上げるのも楽だよな。相手に隙を与えずに、アレを一発目に投げつける。
人中か眉間に当たれば、一瞬目が開かなくなって、さらに一秒稼げる。
そうして、二発目がコレ(椅子)。重いヤツ。
ーだが、実際この程度なら、投げるより盾にするほうが使える。
たとえば、お前は丸腰で相手がナイフを持って振り回している場合、
そういうときはコイツ(椅子)で一、二度かわしてから、飛びかかって押さえつける。
ー考え続けてもいい。
だが、考えに溺れちゃダメなんだよ。
細部に神の姿がチラッと見えたようだった。
プロはこうなるよね。
内容は書かないが、訓練は過酷を極めている。
単にキツイだけでなく、終りのイメージを持たせた上で、そのイメージを簡単に壊す。
これはキツイ。
精神的な限界は、肉体的限界よりも離れたところにあると、高校の部活で知った。
どう奮い立たせても、足が思うように出ない、運ばない。
でも、頭の方は「まだまだ、クソッ」と前を向いていて、顔からだんだん下へとまた立てるようになる。
部活でも、時折鬼軍曹が来てイメージをカラリと壊していく。
頭の中のダメージは身体よりキツイのだが、ここも訓練されるようで、
そうこうしていると「頭の方の限界が上がっている」ことに気づいて驚く。
爪角の卒業のタイミングで、二人は大きなハプニングに巻き込まれる。
師弟ではなくチームメイトとして動かざるを得なくなる。
リュウから「ダメだ」と指示された事を、
爪角は一瞬考えて・・・行う。
考えに溺れない判断、なかなか良いラストだ。
あとがきでク・ビョンモは本著に至る経緯を一通り書いたあとで、こう記している。
そして私は、彼女(爪角)が完璧でないから好きです。
健全でない思考と有害な感情を抱きうる人間だから好きです。
そうこなくっちゃ、いけないよね。
解説は深緑野分(既に、ク・ビョンモと交流している由)。
雑誌のインタビューで「破果」のシリーズ化に水を向ける問いに返した彼女のことば、
「作家であれば、楽に座れる椅子に腰を落ち着かせず、
立ち上がって他の椅子を探し回るものでしょうから」を引用して、
『最高にかっこいい、痛快な小説家である』と言い切っている。
(2024/12/18)
PS 巻末のインタビューで「この作家のファン」と思えるくらい好きな作品は?、と問われ、
シルヴィー・ジェルマンの「マグヌス」
オリヴィア・ローゼンタール「絶対的な状況での生存のメカニズム」を挙げている
PPS 次作の予定を問われ、期近の短編集について述べたあと、こう言っている。
現在執筆中の小説の重要なモチーフは、「幻滅」と「嫌気」です。
にほんブログ村
後に全幅の信頼を寄せ合う、師であるリュウと爪角が、「信」の字を不器用に作り始めている姿が見えた。
銃身を通過した弾丸が引き起こす回転の感覚が、肘を走って螺旋状に移動する。
肩を揺さぶる振動に耐えながら、彼女は動かない。
・・・とりあえずつかえないとまずいから練習するだけで、
仕事でこれを手に取るケースは多くないと彼は言う。
いい始まりだ。
爪角(本著では「彼女」)が、この稼業を始めざるを得なかった生い立ちは、
「破果」で触れられているから割愛しよう。
ただ冒頭で一言、リョウ(本著では「彼」)は爪角に尋ねている。
この車に乗ったら最後、お前の身体は、一から十まで作り変えられる。
頭から始まって手足、胴体、内臓まで、一度全部取り外して付け直しだ。
平気か?
リョウの指導は、どこまでも実践的で細部に至っている。
山小屋の中で、何を利用してもよい立ち回りをした後のこと。
爪角が投げた椅子を、リョウが持ち上げて落とす。
ー持ち上げてから投げるまでに多少時間がかかっていた。わかってるよな。
ー相手によける時間を与えちゃダメだ。そういう時は、ああいうヤツ
食卓に置かれた鉄瓶を指した。
ー水がどれくらい入ってるか分からない。それでもこの椅子より軽い公算は大だ。
持ち上げるのも楽だよな。相手に隙を与えずに、アレを一発目に投げつける。
人中か眉間に当たれば、一瞬目が開かなくなって、さらに一秒稼げる。
そうして、二発目がコレ(椅子)。重いヤツ。
ーだが、実際この程度なら、投げるより盾にするほうが使える。
たとえば、お前は丸腰で相手がナイフを持って振り回している場合、
そういうときはコイツ(椅子)で一、二度かわしてから、飛びかかって押さえつける。
ー考え続けてもいい。
だが、考えに溺れちゃダメなんだよ。
細部に神の姿がチラッと見えたようだった。
プロはこうなるよね。
内容は書かないが、訓練は過酷を極めている。
単にキツイだけでなく、終りのイメージを持たせた上で、そのイメージを簡単に壊す。
これはキツイ。
精神的な限界は、肉体的限界よりも離れたところにあると、高校の部活で知った。
どう奮い立たせても、足が思うように出ない、運ばない。
でも、頭の方は「まだまだ、クソッ」と前を向いていて、顔からだんだん下へとまた立てるようになる。
部活でも、時折鬼軍曹が来てイメージをカラリと壊していく。
頭の中のダメージは身体よりキツイのだが、ここも訓練されるようで、
そうこうしていると「頭の方の限界が上がっている」ことに気づいて驚く。
爪角の卒業のタイミングで、二人は大きなハプニングに巻き込まれる。
師弟ではなくチームメイトとして動かざるを得なくなる。
リュウから「ダメだ」と指示された事を、
爪角は一瞬考えて・・・行う。
考えに溺れない判断、なかなか良いラストだ。
あとがきでク・ビョンモは本著に至る経緯を一通り書いたあとで、こう記している。
そして私は、彼女(爪角)が完璧でないから好きです。
健全でない思考と有害な感情を抱きうる人間だから好きです。
そうこなくっちゃ、いけないよね。
解説は深緑野分(既に、ク・ビョンモと交流している由)。
雑誌のインタビューで「破果」のシリーズ化に水を向ける問いに返した彼女のことば、
「作家であれば、楽に座れる椅子に腰を落ち着かせず、
立ち上がって他の椅子を探し回るものでしょうから」を引用して、
『最高にかっこいい、痛快な小説家である』と言い切っている。
(2024/12/18)
PS 巻末のインタビューで「この作家のファン」と思えるくらい好きな作品は?、と問われ、
シルヴィー・ジェルマンの「マグヌス」
オリヴィア・ローゼンタール「絶対的な状況での生存のメカニズム」を挙げている
PPS 次作の予定を問われ、期近の短編集について述べたあと、こう言っている。
現在執筆中の小説の重要なモチーフは、「幻滅」と「嫌気」です。
にほんブログ村