京都左京夢幻日記   (29)

                        村尾 孤舟


第一章  長い一日


(二十九)二月九日(木)その26  


女将に片岡千恵蔵の真似を所望された穴山はスックと立ち上がり、

「ある時は年老いた私立探偵。ガッ、ある時は片目の運転手。ガッ、またある時は気障な中国人。ガッ、またある時はアラブの大富豪。ガッ、しかしてその実態は。ガッ、正義と真実の使徒。ガッ、穴山敏郎!」

と、頬っぺたを震わせてセリフを言い、パンパンと二丁拳銃を撃つ仕草をして見せれば女将は手を打って大笑いした。

「イッヤァッ、大した役者どすな。エライ嵌っとりますえ。昔笑点の皆さんのお座敷に呼ばれたことがありましてな。林家喜久蔵はんがやって見せてくれたんどすけどお顔が似とる分穴山はんの方が迫力ありますわ」

 女将は目から零れた涙を拭いながら言う。

「滅多にやりませんがね。今日は特別サービスです」

「ウチもビデオで観たことあるんどすけど、喜久蔵はんが言わはる通り、ピストル狙わんとも当たるんどすな。それに変装が変装になっとらんのに悪者が騙されるのんも面白おしたな」

 女将は心底楽しそうに笑う。

「そや、カニのミソはどないして食べはりまっか?」 

訊かれて穴山は、そのまま頂きましょうと答え、調理はお仕舞にして飲み食いに専念するよう勧めた。

「いやあ、今夜は最高。人生最高のおもてなしを頂いて本当にありがとうございます。幾らお礼を申し上げても足りません。正に筆舌に尽くし難いおもてなし誠にありがとうございます」

「穴山はん酔わはりましたんどすか。随分と大袈裟なお礼しとれやすけど急なことやったんで有り合わせのモンばっかしなんでどすけど煮凝りが残っとたんとマグロを解凍しておいたんで助かりましたわ。何とのうマグロ食べてみよかいなて思うたんどすけど神様が知らせてくれはったんかも知れまへんな。多分そうなんどっしゃろ」

 女将は穴山が現れたことを本気で神の引き合わせのように感じているようである。女将が本格的に飲み始めるとワインは残り少なくなった。

「ワインもう一本行けますやろ?」

と、言って女将はワイン・セラーから『シャンベルタン』を取り出した。ビンテージは二◯〇九年、作り手はロシニュール・トラぺである。十万円は下るまい。

「『シャンベルタン』ですか。また凄いのを。ナポレオンの気分になっちゃいますね」

穴山のさりげない驚き方に女将はまた相好を崩す。

「穴山はんはシッカリ響いてくれはるから張り合いがありまんな。ええ飲み友達になりそうどすわ。料理でもワインでも何でも同んなじなんやろけど的を得た反応示してくれはるお客はんが一番どす」

穴山の反応は女将を喜ばせる。

「そういう話の分かるお客はんの時は商売しとって幸せを感じるんどすわ。中には知識はのうても感覚の鋭いお客はんもいらはりましてな。そないなお人は商売でも事業でも成功していやはりまんな。穴山はんは知識も持ってはるし頭脳も明晰、凄い潜在能力を持ってはるて感じまっさかいホンマに将来が楽しみどすわ」

女将は穴山が考えてもいない賛辞を口にした。

「将来が楽しみだと仰いますが既に六十五ですからね。あと十年頑張っても高が知れてますよ」

「そないなことあらしまへん。十年は結構長ごおっせ。穴山はんはきっと大器晩成型なんどすわ。サラリーマンにならはったんは道を間違えた言うと言い過ぎになりますやろけどエライ遠回りやったと思いまんなあ。ゆっくりと力を蓄える期間やったんどっしゃろな。今の穴山はんは蓄えられてた能力が存分に発揮出来るようにならはったっちゅう風に観てまんのどすわ。ご贔屓はんでもそういう方結構いらはりますえ。昼行燈みたいでお錆び惚けておった人がお父はんが亡くならはって社長にならはったら人が変わったみたいに力発揮して傾きかけたお店を見事に立て直したとか、そういうお人を何人か観て来ましたさかい穴山はんも十年後には京都で一番の番頭はんにならはりますわ。これウチの予感なんどすけど当たりそうに思いまんな」

 

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