« nimさんの一撃 seven at a stroke | トップページ | [書評]伝わる・揺さぶる!文章を書く finding the alpha blogger »

2004年12月14日 (火)

対話、ネットワーク、そしてマッハの原理 Mach!

やはり、対話のもつ力はすばらしい。どうにも形にならない自分の問題意識が次第次第にいろいろな方とのリアルでの、ネットでの、対話によって形になってくる。自分の書いたことを再引用するのは自己中毒的はなはだ抵抗があるのだが、書きちらしたメモなどを引用してしまおう。まず、時間は前後するがネットワーク思考と既存の学問分野のかかわりのひろさについての問題意識で某所に書いたメモだ。

ネットワーク思考と関係する学問の大々分類を思いつくだけでも、社会学、心理学、認知科学、物理学、数学、統計学、コンピューター学、それから経済学、もしかすると哲学などがあります。それぞれであるべきと想定される研究方法のスタイルはまったく違います。そして、それぞれの分野で「べき乗則」というものの適用、あるいはもう少しひろい範囲でのネットワーク思考の適用ということが、可能は可能なのだと感じます。問題は、学問としての厳密さと対象の定義でしょう。

さすがにあまりに恥ずかしい語句の間違いなどは修正しました。ああ、自分でも露悪趣味だと思います。

新たに立ち上がりつつあるネットワーク思考という、まだ学として確立されてない分野をどう扱うべきかという避けてとおれないいくつかの問題があるということは明白だ。その中でも、私はもともと心理学主専攻だったせいか、意識との関連でその立脚点を問わずにいられない。

前回書いたように、学としてでなく自分の問いとしても、「ネットワーク」という考え方が人間の意識の中でどこまでさかのぼれるのかという問題の根っこは深い。自分自身の生き方としてこれを追求すればnimさんから教えていただいた「遮断」という方法にたどり着く。学として追求すれば....いくつかの到達点がありうるが、ひとつの彼岸は現象学であろう。議論のあるところからもしれないが、竹田青嗣さんのいう「現象学」によれば、「現象学的還元」を行ったあとでも道具立ての単位として「図」と「地」という二者の間の関係が存在しうるという。あるいは、「あかい」とか「まるい」とかいうそれぞれの一定の境界をもった単位といえる意識現象が自分に立ち表われるというときに、それらはひとまとまりのつながりを形成し現象としての対象が認識されるといってもよい。このように意識現象をノードとノードのリンクだとしてと記述できるのではないだろうか、という予想が生まれる。

この地点にたって、言語をネットワークとしてとらえたとき、どのような思考になるかをゴールドマインさんが適切に記述されている。

言語をネットワーク的に捉えると、単語はノード、リンクは意味、リンクすることとは定義することで、クラスターとは親和度の高い単語同士を意味すると考える。(「戦う」と「相手」みたいな)
ノードは他のノードによって定義されている。よってノードの孤立はノードの死を意味する。ノードの死を防ぐにはリンクを増やす必要があるが、リンク先のノードが死に体ではダメだ。リンクをたくさん持つ安定したノードにリンクすることが先決である。よってノードはハブにリンクすることが要求される…

この立脚点において具体的に言語ネットワークを想定した思考実験を行っておられる。ネットワーク思考の根源をとらえる上で私にはかなり興味深い。

しかし、それでも「言語ゲーム」という境界を越えることはできない。私のここまでの思考では、現象学といっても意識を言葉で捉えているためにネットワーク的な表現が可能であるに過ぎないという批判をかわすことはできないだろう。

昨日ある方に一生懸命自分がなにを悩んでいるかを話した。必死に話している内にだしぬけに「マッハの原理とかぁ!」と語っている自分を発見した。会話のあとに、ふともしかしてと思って、ぐぐった。

あった!

認識におけるマッハの原理
Mach's Principle in Perception
(a)  ある物体の質量は、その物体のまわりの全ての物体との関係で決る。他に何もない空間の中では、ある物体の質量には、何の意味もない。(マッハの原理)
(b) 認識において、あるニューロンの発火が果たす役割は、そのニューロンと同じ瞬間に発火している他の全てのニューロンとの関係によって、またそれによってのみ決定される。ニューロンは、他のニューロンとの関係においてのみある役割を持つのであって、単独で存在するニューロンには意味がない。(認識におけるマッハの原理)

引用元:http://www.qualia-manifesto.com/mach-p.html @ 「クオリア・マニフェスト」 by 茂木健一郎さん

これをこう読みかえることはできないだろうか?

ネットワークにおいて、あるノードが果たす役割は、そのノードと同じ瞬間にリンクしている他の全てのノードとの関係によって、またそれによってのみ決定される。ノードは、他のノードとの関係においてのみある役割を持つのであって、単独で存在するノードには意味がない。

かくして私には、覚醒したときのネオのように世の中のことが見えるようになった。つまりは、人間が認識しうる世界だと感じる現象は、すべて多重的にネットワークに組み込まれているのだ。


(via さかまたさん)

■参照リンク
私・今・そして神―開闢の哲学 by 橋本大也さん
脳のなかのワンダーランド by 橋本大也さん
どれだけ勉強すればいいのか? by CANさん

|

« nimさんの一撃 seven at a stroke | トップページ | [書評]伝わる・揺さぶる!文章を書く finding the alpha blogger »

コメント

どうも、ご無沙汰しております。日々の仕事をちょっと休憩して大学に戻ってきております。ところでこれを拝読していて、国際関係理論での議論に、国際関係でのアクターそのものの力関係よりおも、アクターの存在そのものをよく「間主観性」に着目して議論することがあったのを思い出しました。それで最近の国際開発では、まーこれはビジネス書でもよく指摘されていることですが、ソーシャル・キャピタルの議論もありますよね。いずれにしても、関係性そのものに着目し、資源として捕らえるということですよね。

投稿: koh | 2004年12月14日 (火) 21時20分

mixiの紹介ありがとうございました!!
最近思うのですが、色んなスケールフリーネットワークのモデルには色んな種類があって、それぞれ違う性質を持ってて、こんがらがっちゃいます。共通性を発見したと思ったら気のせいだったり。「新ネットワーク思考」のバラバシは凄い!!等と思います…

投稿: ゴールドマイン | 2004年12月16日 (木) 23時09分

kohさん、こんにちわ、

超々遅レスをお許しください。

ソーシャルキャピタルってかなり面白そうですよね。もしかするとSNSってのもその類の「キャピタル(資本、あるいは財産)」の視覚化ということにその意義があるのかもしれませんね。

そうですか、やはりソーシャルキャピタルを考えていると間主観性にたどりつくんでしょうか?それとも、この2つはまったく違う立場の方たちがおっしゃっているのでしょうか?私の思考の経路としては、「ネットワーク → 社会ネットワーク分析 → ソーシャルキャピタル → 現象学」というような感じでした。


ゴールドマインさん、

そーなんですよね。ネットワークの特性をどういう視点でとらえるのかがとても大事だと思っています。統計的なものの見方からみれば、正規分布だのべき乗則なんて形になります。トポロジーだのグラフ理論から見れば、生成の規則や数学的な特性が問題になるでしょう。社会ネットワークとしてみれば、中心性の議論やkohさんがご指摘されているようなソーシャルキャピタルの話になります。web関連で言えば、可視化と生成シュミレーターがポイントでしょう。論壇ブログなんていう問題を議論するなら、ネットワークのダイナミクスとか情報伝播の話になります。個人としてネットワークをみれば、個人と個人の間の信頼関係や具体的な人間関係をいかに構築するか、貨幣のように交換するのかという問題に行き着きます。

そして、私が本記事で示したかったのが、人間の実存そのものにすでにネットワークが多重的に組み込まれているのではないかという仮説です。

投稿: ひでき | 2004年12月19日 (日) 12時10分

はじめまして。

>トポロジーだのグラフ理論から見れば、生成の規>則や数学的な特性が問題になるでしょう

というのはどういうことなんでしょうか。
もしよければ教えてください。
PS:何故か、コメントが書き込んでも消えてしまいます。。。

投稿: kinjo | 2004年12月21日 (火) 23時38分

kinjoさん、はじめまして、こんにちわ、


ブログ読ませていただきました。すばらしいですね。楽しかったです。

正直、私は数学系統の知識があまりに薄いのですが、私の理解ではネットワークを数学者の立場からみれば、どのような「規則」(法則?)でそのネットワークを記述できるか、どのような特性、法則性をそこから引き出せるかということが問題になるのではないかと想像しました。まあ、この辺でかんべんしてください(笑)。

逆にkinjoさんは、最近のネットワークをめぐる知見についてどのような立場から、どのような方向性を目指したいとおもっていらっしゃるのでしょうか?

コメントの件、お手数をおかけしてしまったようで、もうしわけございませんでした。最近、SNSでも、ブログでも結構不調が多いですよね。こういうのも「べき乗則」の関係かもしれないですよね。

投稿: ひでき | 2004年12月22日 (水) 11時03分

こんにちわ!コメントありがとうございます。
忘年会興味あります。時間帯によりますが、よければいってみたいです。と思ったのですが、メールの送り先をよかったら教えてください!(僕のアドは貼り付けました)

自分の立場は、基本的にはネットワークから重要な情報を抽出できるかということです。データマイニングに使えればと思ってます。こうした分野を知って1か月くらいで本当に初心者なため、まだまだついていけませんが...。

投稿: kinjo | 2004年12月23日 (木) 21時35分

kinjoさん、こんばんわ、

データマイニングですか?おもしろそうですね。それは、きっと検索ということでなくネット自体の「形」というかつながりから情報を抽出しようということですか?

kohさんも指摘していらっしゃるソーシャル・キャピタルという考え方も面白そうですよ。

投稿: ひでき | 2004年12月23日 (木) 22時56分

「マッハの原理」にてトラバさせていただきました。

投稿: CAN | 2005年8月10日 (水) 00時01分

CANさん、おはようございます、

トラックバック&コメントありがとうございます。

記事読ませていただきました。パーコレーションと知識のつながりというのは興味深いです。なぜなら、ネットワーク構造体とその上でのダイナミクスの両面からとらえている視点だからです。いままで、どちらかというと概念あるいは言葉を学習することで得られるネットワークという視点と、そのネットワーク上でカウフマンのNKモデルのような情報のやりとりというのは、別に分析されるものだと思い込んでおりました。

ちなみに、以前はやったミュージカル・バトンはパーコレーションで分析可能かなと思っています。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2005/06/post_164e.html

投稿: ひでき | 2005年8月10日 (水) 07時26分

コメントありがとうございます。
私はそのような深遠な思想は持ち合わせていませんでしたが、ある分野の知識の関係性が臨界を越えると理解が非線形的に深まるということは経験的に知っていました。
6割と言うのは、直感的に妥当な数字だと思っています。

投稿: CAN | 2005年8月10日 (水) 22時06分

CANさん、こんにちわ、

そうなんですよね。考えて見れば、ニューロンもネットワーク状だし、知識表現もネットワーク的だし、理解というプロセスがパーコレーション的でおかしくないですよね。

最近、自分の過去への言及が多くていやなのですが、そういえば、こんな駄文を書いておりました。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/12/the_moment_of_a.html

投稿: ひでき | 2005年8月12日 (金) 13時24分

ひできさん、おはようございます

マッハの原理で検索してたら、この記事に遭遇しました。
この考え方素敵ですよね!

直接、貴記事と関係ありませんが、マッハの原理つながりということで、TBさせていただきました。

ひできさん、お忙しそうでなによりです。また、暇を見つけて、わたしのブログに遊びにいらしてください。って、勧誘かよ(笑)

投稿: it1127 | 2005年11月21日 (月) 09時33分

it1127さん、こんばんは、

ありがとうございます。トンデモといわれそうですが、最近「チベットのモーツァルト」という本を再読していて、やはり仏教で見える世界と私がネットワークを通して感じている世界観は近いのではないかと想っています。

投稿: ひでき | 2005年11月21日 (月) 20時49分

ひできさん、おはようございます

そうですね。仏教って、言ってることは、宗教というより、哲学、ものの捉え方、って感じです!

そういう意味で、ものごとのつながりを考える上では、仏教の世界観は有力な手がかりになると思います。

>「チベットのモーツァルト」
いま、わたしがやっている言語執着系の関連で「対称性人類学」を読んでみようかな、などと思っているのを思い出しました。http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0979.html
何かヒントが得られそうです。

投稿: it1127 | 2005年11月22日 (火) 04時51分

it1127さん、こんばんは、

松岡さんの解説を読ませていただきました。私は「対象性人類学」を読んだことはないのですが、中沢新一が取り出そうとしているのは「無意識」ではないように想います。いや、すくなくとも「チベットのモーツァルト」を書いている中沢新一が求めたものは、なんらかの「場」であり、「状態」であり、「なる」ということであるように感じています。

チベットのモーツァルト - 現代思想用語 = 映画版攻殻機動隊 - 漫画版攻殻機動隊

という式を近いうちに証明したいと想っております、はい。

投稿: ひでき | 2005年11月23日 (水) 17時32分

ひできさん、こんばんは

>なんらかの「場」であり、「状態」であり、「なる」
まさに、複雑系、創発、生成の思想ですね!

>という式を近いうちに証明したいと想っております
興味深いチャレンジですね!期待してます^_^;

投稿: it1127 | 2005年11月23日 (水) 21時17分

it1127さん、おはようございます、

まとまりませんが、書いてみました。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2005/11/echo_of_buddhis_5f19.html

自分の力のいたらなさを感じます。

投稿: ひでき | 2005年11月27日 (日) 10時08分

ひできさん、こんにちは。

どうも私は「マッハの原理」ツボみたいです(笑)。例によって、直接関係ないのですが、TBさせて貰いました。

投稿: it1127 | 2005年12月15日 (木) 17時22分

it1127さん、こんばんは、

共通するのは、「触媒」の存在ですね。今回の場合だと、Hiroetteさんですかね。

投稿: ひでき | 2005年12月15日 (木) 17時28分

あはは、そうですね。。。ぴよぴよ(^_-)-☆

投稿: it1127 | 2005年12月15日 (木) 17時32分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 対話、ネットワーク、そしてマッハの原理 Mach!:

» 世界はマトリョーシュカ [とりあえず前向き。なブログ]
ひできさんの記事を読んでいてフト思った事をこの際記事にしておきます。 というかメールを書くつもりがつい長くなってしまい、あちらにコメントかな?なんて思っていたら... [続きを読む]

受信: 2004年12月14日 (火) 19時55分

» システム的ネットワーク論 [ゴールドマインの日記]
「新ネットワーク思考」では適応度という概念を導入していたが、あれはどうもおかしいと思う。 「適応したものは適応度が高い」といってるように聞こえるからだ。それは... [続きを読む]

受信: 2004年12月16日 (木) 22時29分

» どれだけ勉強すればいいのか? [技術士(化学部門)CANのブログ]
以前のエントリーで、「知識を有機的なつながりとして体系的に理解することの重要性」を述べた。 今回は、「知識全体の中で、どれだけ知識を習得すれば、有機的なつながりとして理解できるのか?」について述べる。 その前に、「知識習得におけるマッハの原理」につい... [続きを読む]

受信: 2005年8月 9日 (火) 23時50分

» 森下指数とパーコレーション [技術士(化学部門)CANのブログ]
先日参加したセミナーで、「森下指数」を、ポリマー/フィラー分散系におけるパーコレーションの評価に用いているケースを見た。SEM画像から粒子分散状態を統計的に解析するのに、森下指数が有用であるとのことだった。これにより、SEM画像は一見同じように見える分散系でも....... [続きを読む]

受信: 2005年10月18日 (火) 00時46分

» 【言語と文化】俺ときどき僕ところにより私 [it1127の日記 ]
(工事中) 「俺時々僕ところにより私」というサイトがあるのですが、名前だけお借り [続きを読む]

受信: 2005年11月20日 (日) 23時59分

» 【気儘に】力とは相互作用?あるいは不思議な環 [it1127の日記 ]
 科学的に説明できる力(*)は、重力、電磁気力、弱い相互作用、強い相互作用です。 [続きを読む]

受信: 2005年12月15日 (木) 17時19分

« nimさんの一撃 seven at a stroke | トップページ | [書評]伝わる・揺さぶる!文章を書く finding the alpha blogger »