[書評] べき乗則、ウェブログ、そして、不公平さ
[書評] Power Laws, Weblogs, and Inequality by Clay Shirky
■べき法則とは?
It1127さんの記事からリンクをたどって標記の記事にたどりついた。オリジナルは2003年の2月に書かれたということなので、1年と少し前になる。米国において、いや英語圏というべきかもしれないが、ブログがどれぐらい日本よりも先行して流行していたのか知らないが、その成熟の過程において急速に追いつきつつあるという感触をもった。
「Power Laws」とは、日本語でいえば「べき乗則」といわれるものだ。本ブログや、it1127さん、山口浩さん、あるいはそれ以外のブログの記事で多く取り上げられているので、すでに知られている概念であろう。この記事の言葉を借りれば「勝者がすべてをとる」、「2位は1位の半分、3位は1位の3分の1しかアクセスやリンクが得られない」、といったことだ。これは、こまで議論してきたように、かなり広範囲の現象において観察される「法則」である。数学的には、パレートの法則も、ジップの法則も、20:80の法則も、同じ事をいっているという論文もある(*1)。ただ、気をつけなければならないのは、この法則は極めて経験則的な法則であり、その背景で動いている真のメカニズムは、常に別な力である可能性があることを留意すべきである。
本記事が指摘するように、この法則が観察されるケースにはいくつかの共通する背景がある。本記事ではウェブログに問題を限定して論じるで、できるだけ具体的に書くようにする。
・選択の自由:参加者には広く、かつ自分の意思に基づいた、アクセス、リンクの選択権がある。
・大数の法則:ある程度、すくなくとも数万以上の参加者の数が必要となる。数がすくないうちは、逆に局所的なバランスが観察されうる。
・時間の経過:何度かの選択が繰り返され、お互いに影響し合う過程が必要である。「ランダムドットステレオグラムとランダムドットキネマトグラムからの発想」でさわりを述べたが、私がシュミレーションした「網膜モデル」にm_um_uさんが名付けてくれた言葉でいえば、ノードとレイヤーが必要だということだろう。
■なぜべき法則か?
昔学校でならった正規分布(平均点を真ん中にした逆にしたつりがねの形)になぜウェブログのアクセス、リンクなどがならないか?平均的なブログは、平均的なアクセス数をとり、非常にアクセスが多いあるいは、アクセスが極端にすくないブログは、少数しか存在しない、ということにならないのか?本記事はいくつかのポイントを指摘している。
主要なポイントとしては(*2)、バラバシの「新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く」、ワッツの「6次(の隔たり)」、フバーマンの「ウェブの法則」などによれば、社会的なシステムにおいて、多くの人が多くの選択肢に対して、自分好みを表明する場合、べき法則が観察されるという。当初、偏りが比較的すくなかったブログの普及期、創成期においては、リンク、アクセスの偏りは、比較的少なかった。しかし、ほんのすこし多くのブログがAというブログよりも、Bというブログに対してリンクを多くはったとすると、それを参照したCは、その「好み」に影響されてAよりもBのブログを選ぶ可能性が高い。この「積極的なフィードバック」が繰り返され、Bが非常に多くのリンクやアクセスを得るのに対し、Aがその数分の1のリンクやアクセスを得る、という結果になる。
Clayは、私は非常に米国人(ですよね?)らしいと思うのだが、この傾向が「公正か?(fairness)」という問いを立てている。そして、新しいブログを立てるコストの安さ、ブログが毎日の活動であることなどをあげ、これは公平なことなのだと結論づけている。
■そして、ブログはメディアになる
こうして、急速にアクセス数の「不平等」が形成される。これは極めて自然なことなのだ。基本的に、この傾向を止めることはウェブログの選択の自由をゆがめることになる(*3)。この傾向の先には、たぶん切込隊長さんのブログや木村さんのブログがそうであるように、もはやコメントやトラックバックのひとつひとつに対応する対話の機能を果たすブログというよりも、メディアに近い存在になる。ブログの作者が一方的に語り、それに対して読者層が勝手にコメントをつけていくという、書き手と読み手が大幅に不均衡な状態になる。
あるいは、たぶん、私のこのブログがそうであるように、本記事のClayの言葉を借りれば「夕食のテーブルの会話」のように少数のごく親しい仲間の間でお互いにお互いのブログで語りあうこじんまりしたブログ群を形成することになる。あるいは、この「メディア」となるブログと「会話的」なブログの間に、多くのブログが位置することになる。そして、ブログが普及し、ベキ法則が支配的に観察されるようになるにつれ、以前よりもアクセス、リンクなどが減っていく。
■ではどうすべきか?
たぶん、日本のブログの運営会社、はてなやココログなどは、こうした傾向をすでに熟知して、対応策をとっているのだろう。はてなが「おとなり」を強調する策も、ベキ法則的傾向を拡散するために有効だし、逆にココログがリアルでも非常に名前が売れている人のブログを設定することも、メディア的傾向を加速し、多くのアクセスを集めることになる。
私個人としては、この記事を読んだ後でも、以前からいろいろな記事で述べてきたように、自分のビジョンなり、魂なり、命なりによって形成される、「麗しい澤」を目指したいと感じている。それが、アクセス数の増加などにつながらないとしても、私にはこれが一番納得性が高い。
おまけとして、レイヤー、時間の経過、ノードの相互作用、といったことを視覚的にあらわすために、自分の作ったシュミレーションの生成過程について、連続する3Dのグラフをここにプレゼンしよう。これは、急速にブログにおいて、アクセス数やリンク数の「不平等」が生成されるさまをシュミレートしたものと解釈してもらってもかまわない。
<アニメーションGIF化画像>
<各レイヤー画像>
・レイヤー0:初期設定
・レイヤー1
・レイヤー2
・レイヤー3
・レイヤー4
・レイヤー5
・レイヤー6
・レイヤー7
・レイヤー8
・レイヤー9
・レイヤー10
・レイヤー11
・レイヤー12
どのようなメカニズムでこのグラフが形成されたかは、↓のエクセルのファイルを紐解いて欲しい。ごく簡単な加減乗除しか使っていない。
以上のグラフを、近傍で相互作用を持つリンクの時間的な変化の経過、とみるのが、一番納得性が高いと思われる。以前の記事で触れたように、私の経験した中でいえば、網膜から大脳皮質へつながる初期視覚処理の過程に一番近い。it1127さんがおっしゃっているように、「大脳はもともと複雑系がお好き」なのかもしれない。
■注記
*1
これを書いてから、ランチェスターの法則の大半も、この定義でいえば、べき法則の時間的な展開であると気が付いた。近いうちにべき法則のマーケティングへの応用について書きたい。
→ 約束通り書きました。「べき乗則とランチェスターの法則」平成16年10月4日
*2
私はまだ、この辺の著作を読んでいない。読まないでいることを楽しんでいる。
「わーい、まだ読んでない癖にエラそうな口きくんじゃねぇ。」とネタバレにならない程度にからかってやってください。
*3
"Rank Hath Its Privileges "(階級は特権を持てり)とか、元記事はとても英語として成熟した表現が多かった。書き手の人柄が伺えるようだ。うれしい。
■参照リンク
・Power Laws, Weblogs, and Inequality by Clay Shirky
・ベキ法則って? by it1127さん
・[書評] 都市経済、 テクノロジー、 クラスタ、 そして、 べき乗則 (HPO)
・エージェントスミス的なもの、草薙素子的なもの、あるいは、ネットは世界をつなげるのか? (HPO)
・curated consumptionから連想するもの (HPO)
・「blogに関する中央と周縁」と改めて言われると by MAOさん
・ネットワークという視点で深まる世界観 を読んで。 by 徳力 基彦さん
・[ITトレンド] MIT講義「Power Laws: Hype or Revelation?」 by 梅田さん
■ソーシャルブックマーク
・http://del.icio.us/tag/power_laws
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ひできさん、こんばんわ
>it1127さんがおっしゃっているように、「大脳はもともと複雑系がお好き」なのかもしれない。
わぁ~い!it1127をfeaturingして頂き、ありがとうございます。ただ、アニメーションは面白いけど、意味がまだ掴めませんが(笑)
>この「メディア」となるブログと「会話的」なブログの間
この表現気に入ってます!
>「麗しい澤」を目指したいと
ぼくもそう思います。リンク数の多い少ないは「会話的」ブログを指向する限り、問題にならないですね。リンク数の多い巨人サイトが、リンク数の少ないサイトの存在を脅かしているなら問題ですが、そういうことはないわけですし、この限りにおいて、この不均衡は問題にはなりませんね。
それから、一連の複雑系にまつわる話ですけど、いろんな研究を知るにつけ、知(痴)的好奇心を大いに満足させてくれます。それがどうした、といわれればそれまでですけど、自己満足でぼくは十分満足です。
投稿: it1127 | 2004年6月 7日 (月) 01時44分
it1127さん、おはようございます、
べき乗の法則について調べれば、調べるほど、考えれば、考えるほど、結構これはエライことだなと感じております。繰り返しますが、多分背景で働いている力はそれぞれ異なるはずなのですが、べき乗の法則(Power Laws)は境界がなくなった世界、場面において、いろいろな形で観察される現象のようです。
コミュニティーとか、経済の分野では、べき乗の法則は「澤」を作る力だと当初私は予想していたのですが、その予感ははずれのようで、「澤」を破壊する力の振る舞いを記述しているようです。脳の構造についての記述や、ブログの記述であれば、別にたいした問題にはならないように感じますが、経済学的な振る舞いや、マーケティングにおいて、べき乗の法則で記述される現象が多く起こるとしたら、大変です。少なくとも、私はご飯を食べていかれなくなります。ほんとうにちょっとした会話から始ったこの流れですが、私には大きな意味を持ち始めたように感じます。
まあ、考えているうちにはきっと私には真理はこないのだと一方で感じておりますが...
投稿: ひでき | 2004年6月 7日 (月) 11時34分
ひできさん、こんにちわ
ぼくの漠然とした、イメージなんですけど
成長のある現象--不均質--ベキ乗分布--相手を選ぶ --束の間--うつろい--不安定--生
成長のない現象-- 均質-- 正規分布--相手を選ばない-- 永遠 -- 不変 -- 安定--死
あぁー、だから、持てる奴はどんどんもてる。生きるってことは大変だぁ~。
投稿: it1127 | 2004年6月 7日 (月) 14時23分
ベキ乗の法則ですが、やはり「ネットワーク」ってことと大きく関わるように思います
その場合、ネットワークってのがどういうものなのかっていう定義が必要なんですが...
(・・楽しちゃおうw)
(以下、いまのところのリソース↓)
---------------------------------------------
▽「階層構造」を持ち、場所の制約を伴う物理的媒体
(ヒト、モノ、エネルギー、情報を運ぶ)
--
林紘一郎 1998 「ネットワーキング 情報社会の経済学」NTT出版
(28-29)
「ネットワーク」とは「ヒト、モノ、エネルギーまたは情報を運ぶために形成され、階層構造を持ち、場所の制約を伴う物理的媒体」を言う
(1)先に述べたように、私はネットワークが情報のみを運ぶためのものである、との考え方はとらない。運ばれるものはヒトやモノであったり(輸送産業のケースと考えていただければよい)、エネルギーであったり(電力、ガス、水道などのネットワーク)、情報であったりする。
(2)ネットワークは形成されるものである。これには、あらかじめ何らかの形成意図があって作られるもののほか、インターネットのような自然発生的なものも含まれる。
(3)階層構造を持つのがネットワークの特性の1つである。リンクとノード、スポークとハブなどの概念で呼ばれるものが、その基本構造である。こうした階層化を欠いているものは、ネットワークとは呼ばない。したがって、ネットワークを構成する要素または単位は3以上であり、それらの間になんらかの階層的機能分化を伴うものをイメージしている。
なお、この点については「ネットワークというからには、階層構造を排除した点にこそ特徴があるのではないか」との反論もあり得よう。たしかにhierarchyに対置した意味でnetworkというときには、階層構造の欠落が強調されることもあった。しかし、インターネットのような非構造的ネットワークの典型例ですら、サーバーという階層がなければ成り立たなかったことは、私の定義の正しさを証明してくれているようだ。
(4)ネットワークは場所の制約を伴う。言い換えれば、一括した相当額の投資(lumpsum investment)を要し、その投資物件は通常他に転用不可能である。もっとも端的な例は電力の発電所、航空輸送における滑走路などの空港設備、電話事業における局者や地価ケーブル、洞道などである。これらは通常「サンク・コスト」(「転用不可能な固定費用」)を形成するが、そのことをもってただちに、当該ネットワーク全体の自然的独占性を導くものではない。
(5)ネットワークは物理的媒体である。まず、それは物理的に存在するものであり、仮空のものであってはならない。ソフトウェアの集合体だけのものは除外されるが、ソフトウェアを内在していることはあり得るし、その比率が相当に高いケースもあろう。
第二にそれは媒体であって、運ばれるものの本質を変えるものであってはならない。たとえば電気通信についていえば、VAN(Value Added Network)のように「内容不変・形式可変」の付加価値をつけるところまでがネットワークの限界で、運ばれる情報の中味(内容)までも変えるような仕事はネットワークの役割ではない(林[1984a])。それは情報処理という他の分野の仕事であって、ネットワークの機能はあくまでも「モノや情報をそのままの内容で引き渡す」ことにある。
------------------
▽「実体」として見るよりは「関係」として見たほうがいい
--
林紘一郎 1998 「ネットワーキング 情報社会の経済学」NTT出版
※ネットワークを「実体」としてみるのではなくて(なにか主体を設定するのではなく)、「関係」としてみる
(cf.「帝国」)。以下マゴ引きだけど・・・
(10)
いわゆる「ネットワーク組織論」は、こうした変化と過程を重視する考え方で、ネットワークを「実体」と見るよりは「関係」と見る点で第一の方法論を越えた点がある。たとえば、この分野の権威者の一人である今井健一のネットワークの定義は次のとおりである(今井[1986])。
ネットワークとは、抽象的には、ある「関係」の下にある程度まで継続的に「連結」されている「諸単位」の統一体として定義される。そうすると、まず第一にその連結される「単位」のレベルをどこに設定するかが問題となる。つまり、個々の人間のつながりと考えるのか、それとも個人の集団ないし組織を単位としてその連結を考えるのかという問題である。
(中略)
ネットワークという概念を用いることの有効性は、特に組織間の関係を統一体として捉えるときに発揮される。
(中略)
言い換えれば、組織の集合を捉えることがネットワーク組織という概念の特色となる。
---------------------------------------------
んで、さらに言っちゃうと、国際政治経済関係もネットワーク的になってきてるみたいなんですね
つまり、相互依存的関係ってやつですが
(んで、一国の意志ってのがあいまいな感じになってきてる。テロとアメリカの関係なんかそんな感じみたいです。「支配」っていうか...「相互依存的世界を救うための行動」って感じみたいですが..(アメリカ的には))
実は「<帝国>(Empire)」の主眼ってここだと思います
---------------------------------------------
▽ネットワークとしての<帝国>(グローバルな政体構成)
--
(マイケル・ハート/長原豊, サブ・コーソ訳 「帝国を超えて 偏在する反乱」現代思想2003年2月号(第31巻第2号) 「特集『帝国』を読む」, pp46-93)
(71)※ネットワーク的構成の中で。アメリカ=ひときわ大きなハブ、ってこと?
ネットワーク形態というものは一つの中心をもつことはありえないのです。それは、いくつもの媒介的な結び目(ノード)が相対的な自立性を保ちながらコミュニケートするものなのです。そうはいっても、すべての結び目が平等になっているというわけではありません。そこには階層序列がありうるのです。またその階層序列は、合衆国のみに統制されているのではなく、ヨーロッパや日本も統制しているでしょう。この階層性を語るにはいくつものやり方があるでしょう。しかし私にとって重要なのは、ネットワーク概念の変化です。車輪のようにすべての端末が中心に集まるようなネットワークでなく、むしろインターネットのようにすべての端末が、別のものと繋がっているようなタイプです。トニと私がここまでこのようなモデルにこだわる理由の一つは、反米主義という自明のおそらく不可避な反アメリカ帝国主義的戦略はもはや有効ではない、と考えているからです。
---------------------------------------------
ただ、
ハートにせよネグリにせよ、それへの対処法はまだ見出せてないみたいですが...
(2人ともIT関連弱いみたいなのでw)
投稿: m_um_u | 2004年6月 7日 (月) 14時29分
it1127さん、こんばんわ、
そのイメージ共感します。たまたま、例のシュミレーションで、ランダムなデータでやってみたら、どうなるか試してみました。
加算モデル:
http://homepage2.nifty.com/hhirayama/sim_sum_mode_RND.jpg
乗算モデル:
http://homepage2.nifty.com/hhirayama/sim_multi_model_RND.jpg
網膜モデル:
http://homepage2.nifty.com/hhirayama/sim_retina_model_RND.jpg
たんに端が切れているからというだけの問題だと思うのですが、加算モデルはどこまでいってもランダムな形にしかならないのですが、後の2つ、特に網膜モデルでは、中心化がどんどん進んでいきます。
あとで、アニメーションにしようかな...
全然お返事になってないですね。すみません...
投稿: ひでき | 2004年6月 7日 (月) 19時12分
m_um_uさん、こんばんわ、
少々お腹が減っているので、分析が荒いですがお許しください...
林さんのネットの定義は、商業的なネットワークというか、インターネット以前のネットワークの仕方というか、ちょっと私たちが問題にしている事態に立ち向かうには、固定的、物理的にとらえすぎているように、私には感じられます。
今井さんの定義は、わかる気がします。どこかで書きましたが、ノードをどの単位で定義するかで、ネットワークの定義が変ってくるように思います。人ととるのか、会社とみるのか、国とみるのかで、ネットワークの仕方は変ってくるわけですね。
国際関係とネットワーク論が接点をもつというのは、かなり私にとって斬新な考えです。あ、でも「距離、時間、そして統治と戦争」とヴィリリオは、その延長線上にあるのでしょうか?
直感的に思ったのは、ローマ帝国の最大のテクノロジーは、道路であった、それもネットワーク化された道路であったということです(塩野七生さんのうけうり)。帝国内の拠点だけでなく、周辺国、属国の拠点を加え、しかも拠点相互にも張り巡らされた道路は、物資の流通ということだけでなく、軍事ネットワークに組み込んだということをも意味します。
それで、もし国際関係がネットワークであり、しかもべき乗の法則で記述可能なノード、リンク、レベル、相互作用などをもっているのだとすれば、ますます米国のunilateralな世界が拡大していくことを意味します。
しかし、昨日、DVDで攻殻機動隊を見て感じたのですが、もしネットで全能に近い存在がいたら、きっと最小限したネットに介入しなくなるという予感を持ちました。ですから、どうしても米国が最大のハブであるような国際関係がネットワークということに抵抗を感じます。
ヴィリリオがどんどん近づいているのを感じます。
それこそ、m_um_uさんは攻性防壁をはって、私をそちらの方向に追い詰めていませんか?私は2501かいなって?(ああ、お腹が減って思考力ありません...)
投稿: ひでき | 2004年6月 7日 (月) 19時32分
ひできさん、こんにちは。インターネット革命以降、この社会の構造は大きく変わりつつあると思います。情報の流れの多様化と情報量の爆発的な増加は当然、ベキ乗則のような現象を生み出しますが、もうひとつ重要な特徴として「予測不可能性」があげられると思います。初期値敏感性と予測不可能性がカオスの特徴ですが、これからの社会と特徴として「先が読めない」、「ちょっとした変化が社会全体を変化させるきっかけとなりうる」ことがあげられると思います。それはわくわくすることでもあり、怖いことでもあります。…と考えますが、ひできさんはどう思いますか?
投稿: ykenko1 | 2004年6月 7日 (月) 22時46分
あ・ちょっと順番抜かししてコメントですが..
国際関係とネットワークの関係
これはうちの師匠筋だと「関係性」って言ってます
それは、単純な軍事力の大きさだけで国際関係が決まっていく(>リアリスト的国際関係観)わけではなく、それ以外にもいろいろな関係が絡まって国際政治ってやつが展開されていく、って感じの考えなんですが...
ぼくはこの辺りまだマスターしてません
せっかくなのでそのうちきちんとマスターして、自分なりの考えを身につけようかと思ってますが..
いまは、時間がぁ・・・・・(笑)
あと、
ヴィリリオをインストールした後のひできさんの思想展開、楽しみにしてます
(それが見られるなら攻性防壁はるのもいいかも♪)
投稿: m_um_u | 2004年6月 8日 (火) 13時07分
ykenko1さん、こんにちわ、
お返事遅くなり失礼いたしました。
私にとって一番身近な予測不可能性というと、女心ですね。冗談みたいに感じられるかもしれませんが、この前BigLoveさんの記事を読ませていただいていて感じたのですが、2つ以上の異なる構造、異なる言語、異なる主義、異なる考え方をもつ、システムが境を接するときに起こる予測不可能性って結構悲劇だなと思いました。まして、それが男女のようにお互いが同じ行動をしていても、こころの中で動いているプロセスは全く違うということは、悲劇だと感じます。
http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040601#p2">http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040601#p2
http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040604#p1">http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040604#p1
当初、世界にネットワークが緊密性を増すことは、よいことだと思っています。単に距離とスタンスの取り方のの問題だと...いまは、緊密すぎて起こるべき乗法則のような、文明の衝突のような状態を見ると、少々薄ら寒くなってきています。
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/03/post_13.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/03/post_13.html
いろいろ考え方を交換させてください。お互いに理解可能な、ネットワーク化された、ノードのシステムチックに生みださる知をそれでも信じています。
投稿: ひでき | 2004年6月 8日 (火) 15時31分
m_um_uさん、こんにちわ、
その「関係性」の話しは、フクヤマの考えに近いように聞こえます。いろいろ教えてやってください。
その前に、ヴィリリオですかね。
へへ、「攻殻機動隊」についてお誕生日記念で書きました。気分は、2501です。
投稿: ひでき | 2004年6月 8日 (火) 16時03分
ウェブを回っていたらこんなものに行き当たりました。
http://www.election.co.jp/news/2004/news0622.html
これもべき乗の法則、なんですかね?
投稿: 山口 浩 | 2004年6月24日 (木) 10時01分
>http://www.election.co.jp/news/2004/news0622.html
>これもべき乗の法則、なんですかね?
うわっ!ほんとですね!
すごいです。
やっぱり世の中ってべき乗で成り立っているのでしょうか。。。うーん。すごすぎます。
投稿: Hiroette | 2004年6月24日 (木) 14時19分
山口さん、Hiroetteさん、こんにちわ、
グラフを書いてエクセルで近似式を計算させてみました。
y=60% × x^-1.58
R2=0.91
ここで、y:予想支持率、x:ランク、です。
だそうです。回帰係数が.91というのは結構高いほうだと思います。ただ、この式だと1位の民主党は、60%くらいの支持率であってもおかしくないということになってしまいます。
これの結果は比例区だということは注目に値する前提だと思います。
投稿: ひでき | 2004年6月24日 (木) 15時41分
ここにも登場。べきじょう?って、要するに他人が「いいわ」って言うと、そうかなぁと「じゃ、私も」ってなんにでも群がってしまう、極めて日本人的な主体性のなさというか、「自分の五感を信じない」、そういうものが根底にあるのですか?
私がひできさんにぷぷぷと思ったのは、女心が予測不可能というところです。私は今朝悟りました。私の弱点は「男」だということを。弱点でもアリ、上手くすればパワーにもなる。諸刃の刃的存在です。なので座禅でもしてみようかと思ったわけです。
投稿: ぶんぶん | 2004年6月25日 (金) 14時16分
ぶんぶんさん、こんにちわ、
そーゆー、文脈なのですか???
うーん、うーん、まず「べき乗の法則」は例えば英語圏の人気ブログのリンクの数などにもあてはなることが指摘されています。ええと、どこぞにm_um_uさんから教えてもらった写真付のブログのリンクがあったはず...
「ぷぷぷ」???
あ、あの?それは、私が女性のこころが全然わかっていないという意味でしょうか?お陰さまで大分苦労させていただいておりますが、いまだに女心は私にとって神秘のままです。詳しくは、岩崎あたりに聞いていただけますと、私がどれくらい苦労したか語ってくれると思います。もう15の年から深い仲ですから、彼とは...
やっぱり、「ファウスト」あたりに書きましたが、男にとっても女というおは、弱点でもあり、パワーでもあるんですよ。
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/05/faust_the_last_.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/05/faust_the_last_.html
男と女というのは本当に表面的な欲望を追い越して、かなり深いものだと感じます。昨晩、ある方があるブログで語っていらっしゃいました。お許しをいただいていませんが、あまりにも私のこころにつきささった言葉なので、あえて引用させていただきます。
「人生の後半期に思うことは、できる限り、純金を求めることだ。通じないことは通じない。そういうものだ。
人生の前半に訪れる恋愛というのもそういう超越的な比喩なのかもしれない。」
ちょっと前後をはっしょっているので、わかりにくいかもしれません。私には、この2つの相関はファウストの第1部の小世界と第2部の大世界のように感じられました。
ちなみに、座禅はいいですよ、座禅は(笑)。
投稿: ひでき | 2004年6月25日 (金) 19時47分
こんにちは、はじめまして。
以前からお名前はfinalventさんのところなどでお見かけしていました。
今回はじめてこちらのサイトを拝見しましたが、よりぬき記事のいくつかに触れ、ファウストをちゃんと読んでみたくなりました。
実態として、べき乗の法則は広く存在すると感じます。
では、どうすべきか?
頂点に押し上げられる対象/少数の大きな存在/上位2割を、より望ましいものにする、あるいはより望ましいものを上位に押し上げるという不断の努力が必要なのではないか、と昔から漠然と考えています(拙い表現ですが)。
“降りてしまわない”というか。
また、そのような不均衡な構造があるからといってそれにあまり拘泥せずに、好ましいものを個人的にささやかに愛する、という態度も同時に必要なのだろうと思います(決して、社会に対して閉じてしまうという意味ではなく)。
投稿: summercontrail | 2004年8月 2日 (月) 11時52分
summercontrailさん、はじめまして、こんばんわ、
最近、べき乗ネタおさぼりしていましたが、そろそろ再開したいですね。この前の参議院選挙の選挙区であてはまらないかやってみましたが、さすがに恣意的すぎるのか当てはまりませんでした。
http://homepage2.nifty.com/hhirayama/house_of_councillris_2004.xls">http://homepage2.nifty.com/hhirayama/house_of_councillris_2004.xls
ちなみに、べき乗の法則の支配下においてどのように生きるかについては個人的に同意見です。なんというか、小さな信頼し合えるつながりを確認しあえる仲間が大切かと感じます。昔の記事ですが、お読みいただければ幸甚です。
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/05/post_6.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/05/post_6.html
ちなみに、summercontrailさんのブログへいったら、ゲド戦記のタイトルをキーワード登録したくなってしまい、二巻目と三巻目のキーワード登録しました。あ、ちなみに私もゲド戦記大好きです。
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/02/post_10.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/02/post_10.html
ああ、summercontrailさんも宮沢賢治に興味をもっていらっしゃるのでしょうか?ぜひいろいろ教えてください。私はにわか宮座賢治ファンです。
投稿: ひでき | 2004年8月 2日 (月) 22時32分
ひできさん、こんばんは。
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/05/post_6.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/05/post_6.html
は既に拝見していましたが今読み直してみて、交流は大事だな、と思いました。所与の条件の下で、個人としてできることには限界がありますし、他から学ぶことは本当にたくさんありますもんね。
ゲド戦記はまだ一巻目を(2度)読み終わったばかりのところなので、今後二巻以降のレビューを掲載する際に題名がキーワードとしてリンクされるのが楽しみです。
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/02/post_10.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/02/post_10.html
も参考になりました、ありがとうございました。
一巻も、おそらくユングとの関係とは別の、多様な経路から読み解くことができるのだろうと思ってゆっくり温めています。
宮沢賢治については、率直にいって、お恥ずかしいのですがほとんど知りません。
(はてなでの私の回答は、
http://d.hatena.ne.jp/summercontrail/20040729#p2">http://d.hatena.ne.jp/summercontrail/20040729#p2
にも書きましたが、
引用部分のみに再会して思いついた視点を書いてみたようなものです)
もちろん賢治の作品やかんたんな批評はいくつか読みましたが、それらもほぼ忘却の彼方といったところです。
今回を機にまた少し興味を持ったので、こちらこそ色々教えて頂きたいと思っています。
とりあえず作品群をまたしっかりと読み返してみたいのですが、時間的な問題としてなかなか難しいですね…。
投稿: summercontrail | 2004年8月 4日 (水) 00時23分
summercontrailさん、おはようございます、
私がいま直感的に感じているのは、べき乗の法則の悪い面をいかにださせないようにするかというのは、文化というものの力かなと感じています。
そのモデルとして、江戸時代に非常に興味があります。この辺、ハーデスさんの解説が詳しいです。
http://www.ops.dti.ne.jp/~makinoh2/edo/menu.html">http://www.ops.dti.ne.jp/~makinoh2/edo/menu.html
あーん、もっと書きたいのですが、じ、時間なので一旦失礼いたします。
投稿: ひでき | 2004年8月 4日 (水) 07時33分
最近ネット業界では、long tail とか言われてますけど、「べき乗」のほうが、難しそうですね。
投稿: ryutanagai | 2005年9月20日 (火) 15時41分
ryutanagaiさん、おはようございます、
コメントありがとうございます。あの、釈迦に説法かもしれませんが、売上のべき乗則が現れたしっぽの方をロングテイルと一般にいわれているのだと想います。商品を売るときに売上順にアイテムを並べると、急速に減衰していくのですが、途中からあまり減らなくなってくるという性質があるので、長いしっぽなんですね。この辺が、正規分布などとは違うところです。
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2005/03/long_tail_and_p.html
ロングテイルといわれる現象は、アマゾンやグーグルなどごく限られた分野でいわれていますが、砂山の砂の崩れ方から、生物の発生と絶滅、ネットワークの集中までべき乗則はかなり広範囲で観察されるように想います。
投稿: ひでき | 2005年9月21日 (水) 10時37分