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金曜日, 9月 15, 2006

嗚呼!負け犬の遠吠え日記さん情報提供の作品(はあ?)

引用先URLは以下
b=10#comment
http://moon.ap.teacup.com/komichi/101.html?


投稿者:TANAKA    2006/9/13 15:56

言論の自由をうたうあなたが人権擁護法にまるで無関心だった件について。

あなた方の目指すものは「(自分たちだけが)言論の自由(にあずかり好き勝手言える権利)」ですものね。

ネットの暴力って何ですか?
その暴力を取り締まるために発言を封じることを認めろと?
それって「言論の弾圧」じゃないですか?

けっきょく自分にとって都合のいい言論空間を作りたいだけじゃないですか。

まぁ詐欺師も「あなたを儲けさせます」といって「相手の財産を奪う」のですからね。
「言論の自由を守る」と言って「言論を弾圧する」ことはあり得ますわな。

(まで)

事情がわからないから推しはかると……

TANAKAさんが、「言論の危機と言うなら人権擁護法案が○○な法案なのに知らないのか。藁 」てえようなコメントをつけてきた。
○○の中は、法案批判だと思うけど2種類考えられます。(いい法案だといって提起することは可能性が低い)
(1)人権擁護法案は、青少年健全育成関連法、個人情報保護法、とともに3点セットと呼ばれたメディア規制法案。また労使交渉での使用者側委員が人権侵害を申し立てるように、労働運動弾圧、市民運動弾圧にも利用可能で危険。
(2)人権擁護法案は、差別表現などを人権委員会が規制できるという。人権委員会に解放同盟や民団、総連などが入れば、差別糾弾の名のもとに勝手なことができる。2チャンネルなどのカキコだって危ない。

で、わたしは(2)の可能性が強いと思う。

(1)にしろ(2)にしろ、自分のブログのコメント欄についたコメントを削除するのは開いた人の自由。その削除によって、その人がどういう人か推しはかられ論評されるだろうけど、全ての意見を残しておく義務はない。

トリビアルな場合で考えて、例えば、嫌がらせに「あ」だけのコメントが何十ってついたら、スクロールが不便で他の閲覧者のためにも削除するほうが合理的と考えられます。
当節、一部で流行の罵詈雑言愛国(??)コメントコピペだって、読むに耐えないといってブログ開設者が削除方針をとるか、数例は参考資料で残しておくか、その判断は「ブログ編集権」といえるでしょう。

違う意見だったら排除するかどうか、というのは、ブログ開設者の判断だけど、書きぶりやそのコメントがエントリー及びコメント欄を閲覧することで享受されている多数の人の利益にかなうかどうかで決めればいい。女性で下ネタ大嫌いと言う人が、少しでも性的なものがあろうと、右も左もばっさり切ったって、それはその人の人格なのだから、はたからとやかく言うものではない。「さばけない人だなあ」という感想を持ったっていいけど、それを「言論弾圧」といいたい人、いますかー。

コメントをつけ得るということはパソコンでインターネットをしているのだろうから、自分でいくらでも発言はできるわけです。あるブログのコメント欄が、主宰者が「あらし」認定して削除するのが、言論弾圧だとすると、ネットそのものが成り立たないんじゃない? 意見の違うところに「ワロス」とか「工作員必死だな」とか「ドウヨ逝ってよし」なんてコメントが吹きすさんで、どのコメント欄も閲覧するのに40も50もスクロールしてまともなコメントを探すとなったら、すごく時間をとるよ。
これは社会資源の浪費でもあります。

ブログというツールで自由闊達に意見交換しようと思ったら、延々と反対粘着コメントを読まねばならないとしたらかなりな消耗。こういう消耗は言論の自由にとってマイナスと判断しても普通でしょう。

他にもいろいろ例示は考えられるけど、リンクタグってのを試しておしまい。

http://moon.ap.teacup.com/komichi/102.html#readmore

2 件のコメント:

うちゃ さんのコメント...

これに関しては、こっちにエントリー立てました。
なんでこう、「言論弾圧」なんて簡単に言えちゃうんだか。本当の言論弾圧がどんなものか、わからんのだろうか?

kuroneko さんのコメント...

うーむ。自動翻訳したワロがほんまに中学程度の、それもぼーっとして成績もあがらん可哀相なガキやったとしたら、ハムニダの姉御もきつい仕置きやけどな。
しっかし、ヘイコメ好きな奴は、そういうの「ジコセキニン」ゆうの違うか?

2チャンにたむろしているのは、右左に関わらず「痛い奴」ってのを探し回って晒そうとしている、ってとこも考えさせるなあ。

(関西語は難しい)

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