社会面接
「えー、それではまずあなたがどういう人間か教えてください」
「私の定義ですか?困りましたね、私とは実定的なものではなく他者との関係性の中から浮かび上がってくるものではありませんか?」
「そんなことはみんな知っていますよ」
「えっ・・・・・・知っていてきくのですか?」
「まぁ、今の時点ではそれで構いませんよ」
「今の時点では?」
「この面接は同時に説明会も兼ねているということです。そのうえで最終的にはあなたに自由に選択していただくと」
「しかしこれはあくまでも面接ですよね?」
「さっきの質問ですが、知っているけど知らないこととして、そうでないけどそういうこととして、そうできないけどそうできることとして、尋ねているわけです。つまり我々と一緒にやっていく覚悟をするかどうかの一点なんですよ。こちらでは、言語で表現されたということはイコール現実、イコール可能、したがってあれこれ意識するまでもなく応えることができる、覚悟があれば」
「いったいどんな覚悟をすればよろしいのですか?」
「言葉の世界で生きていく」
「はぁ、しかしもう既に言葉の世界で生きて・・・」
「大切なのはあなたが我々の同志になれるかどうか、互いが互いのスクリーンになれるかどうか。私はあなたの視線(アタマ)の中で私を定義し、あなたは私の視線(アタマ)の中であなたを定義する、おっと大正解!あなたの言う通り!」
「これって皮肉ですよね?私が間違っていたということですか?」
「そう難しく考えるまでもなく、息をするような自然さでできるかどうかなんです。要はそういう信頼関係を築けるかどうか、という意味で“同じ”になれるかどうか」
「どうすれば“同じ”と認めていただけるのですか?」
「社会人の条件を満たすことですな」
「社会人の条件とは?」
「さあ?それが何かは私にもわかりませんが、しかしその何かが何か違うかどうかはわかる、まぁそういう何かですな」
「さっきから何なんですか!私のようなひねくれた人間はいらないということですか?」
「いいえ、条件を満たしさえすればどんな人間でも社会の中で必ず割り当ては得られますよ、たとえば“評論家”とか“アーティスト”とか“ドリーマー”とか」
「人間性の問題でないのであれば、どういう条件なのですか?」
「まぁ「“同じではない”ではない」ですかね」
「“同じ”と認めてもらうためには社会人の条件を満たす必要があり、それは「“同じではない”ではない」という・・・・・・」
「大切なのは円の外に出ないことです。それも、意識して円の中にとどまるのではなく、無意識のうちに、それ以外ありえないから、努力をするまでもなく、そんな気を起こすこともなく、円の中にとどまるのです。円があるいじょう円の外もあるはずですが、我々にとって外は“ない”のです。“ないのと同じ”ではなく、そういうことになったら文字通りの意味で“ない”のです。“ない”のですから当然話題にすることはできない、“ありえない”わけです」
「なるほど、言葉の世界は常に綺麗に保っておかねばならないということですな」
「おっしゃる意味がよくわかりませんが、“言葉の世界”を指摘した時点で“同じではない”とみなされますので」
「しかしあなたが最初に・・・」
「現実は矛盾だらけなので」
「つまり矛盾や不条理に耐えられるかどうかが・・・」
「“矛盾”や“不条理”を指摘した時点で“同じではない”とみなされますので」
「だからいじわるはやめてくださいよ!やっぱり私はいらないということなんですか?“同じ”にはなれないということなんですか?私だって社会に居場所がほしいんですよ!みんなと、みんなと“同じ”になりたいんだ・・・・・・」
「“同じ”であるためには「“同じではない”ではない」でなければなりませんが、「“同じ”になりたい」と思った時点で“同じではない”とみなされますので」
「・・・・・・“同じ”になりたいとか、“普通”になりたいとか、そうやって前のめりになればなるほど遠ざかるのが“同じ”であり“普通”なわけですね」
「ようやく落ち着いてきましたね。我々は目の前の生存という非常に地味でリアルな動因で社会参加を志すわけですから、そういう方向で前のめりになっている余裕はないのですよ」
「実質的に選択肢がないのだから・・・」
「そういう指摘をしたら“同じではない”とみなされますので」
「あぁしまった!申し訳ありません」
「いいえ、しかし着実に進歩していますよ」
「ありがとうございます。要するにそういうわけで言葉・・・・・・そういう世界が大切になってくるわけですな」
「そういうことです。正直言って、カネ稼ぎも、ビジネスも、社会貢献も、革新を起こすことも、興味ないでしょ。能力とか才能以前に興味ないでしょ。称賛や羨望を向けるのは大金や名声という結果に対してであって、もっと言うとそれがもたらすだろう解放に対してであって、手に入れた人と同じ状況に身を置きたいとは思わない。本気になってみようとしても、実際には興味がないんだからいまいちしっくりこない。でも、それでも何かやらねばならない。我々はそんな人生を主体的にやっていかねばならない。“自由”という建前の実態がこれですから、前のめりの方向はちゃんと選ばないといけないわけです」
「“同じ”であると同時に“違う”でなくてはならない、“違う”であると同時に“同じ”でなくてはならない」
「みんなで快適に円の中で生きましょう、という合意なんですよ」
「わかります、わかります。あぁ~これで覚悟が・・・」
「たとえば、成功し続けてきたエリートに「君は頭がいい」と承認されるのと、知的障害者に「君は頭がいい」と承認されるのと・・・・・・これはイケナイコトですが、だからそういう言葉が悪口として成立するわけで、何が言いたいかわかりますね?」
「えっと・・・・・・いきなりどういうことでしょうか?」
「あえて機械化せず、補助金や助成金を使って、できる仕事を用意し、それをやって生きがいを感じてもらう。どうです?苦しくなりませんか?そういえば小学校の行事とかでもありますよね、みんなに役割を与えましょうと。それでピラミッドのような構図ができる。さて、惨めに這いつくばる底辺は必要でしょうか?自分たちの有能性を疑わない上層は必要でしょうか?必死に居場所を守る中間層は必要でしょうか?優越と劣等に一喜一憂するこの空間は必要でしょうか?こんなものを現出させるシステムは必要でしょうか?みんな多かれ少なかれ“同じであり違う”というだけの単純な話ではないのでしょうか?“同じではない”なんて快適な円を占拠しておくために誰かを外に押しやる線引き切り捨てではないのでしょうか?」
「つ、つまりそういった人たちをも包摂し、互いに互いを認め合い、相手の立場にたって対等な目線から支援を充実させ、やりがいのある仕事を通して社会に参加して自立して生きることに誇りと喜びを持ってもらえるよう・・・」
「“我々(しゃかい)”へようこそ!あなたの覚悟はよくわかりました」
「・・・・・・な、なるほど!これこそがまさに息をするような自然さ!イコール現実の本質!」
「その通り!」
二人「わっはっは」

「私の定義ですか?困りましたね、私とは実定的なものではなく他者との関係性の中から浮かび上がってくるものではありませんか?」
「そんなことはみんな知っていますよ」
「えっ・・・・・・知っていてきくのですか?」
「まぁ、今の時点ではそれで構いませんよ」
「今の時点では?」
「この面接は同時に説明会も兼ねているということです。そのうえで最終的にはあなたに自由に選択していただくと」
「しかしこれはあくまでも面接ですよね?」
「さっきの質問ですが、知っているけど知らないこととして、そうでないけどそういうこととして、そうできないけどそうできることとして、尋ねているわけです。つまり我々と一緒にやっていく覚悟をするかどうかの一点なんですよ。こちらでは、言語で表現されたということはイコール現実、イコール可能、したがってあれこれ意識するまでもなく応えることができる、覚悟があれば」
「いったいどんな覚悟をすればよろしいのですか?」
「言葉の世界で生きていく」
「はぁ、しかしもう既に言葉の世界で生きて・・・」
「大切なのはあなたが我々の同志になれるかどうか、互いが互いのスクリーンになれるかどうか。私はあなたの視線(アタマ)の中で私を定義し、あなたは私の視線(アタマ)の中であなたを定義する、おっと大正解!あなたの言う通り!」
「これって皮肉ですよね?私が間違っていたということですか?」
「そう難しく考えるまでもなく、息をするような自然さでできるかどうかなんです。要はそういう信頼関係を築けるかどうか、という意味で“同じ”になれるかどうか」
「どうすれば“同じ”と認めていただけるのですか?」
「社会人の条件を満たすことですな」
「社会人の条件とは?」
「さあ?それが何かは私にもわかりませんが、しかしその何かが何か違うかどうかはわかる、まぁそういう何かですな」
「さっきから何なんですか!私のようなひねくれた人間はいらないということですか?」
「いいえ、条件を満たしさえすればどんな人間でも社会の中で必ず割り当ては得られますよ、たとえば“評論家”とか“アーティスト”とか“ドリーマー”とか」
「人間性の問題でないのであれば、どういう条件なのですか?」
「まぁ「“同じではない”ではない」ですかね」
「“同じ”と認めてもらうためには社会人の条件を満たす必要があり、それは「“同じではない”ではない」という・・・・・・」
「大切なのは円の外に出ないことです。それも、意識して円の中にとどまるのではなく、無意識のうちに、それ以外ありえないから、努力をするまでもなく、そんな気を起こすこともなく、円の中にとどまるのです。円があるいじょう円の外もあるはずですが、我々にとって外は“ない”のです。“ないのと同じ”ではなく、そういうことになったら文字通りの意味で“ない”のです。“ない”のですから当然話題にすることはできない、“ありえない”わけです」
「なるほど、言葉の世界は常に綺麗に保っておかねばならないということですな」
「おっしゃる意味がよくわかりませんが、“言葉の世界”を指摘した時点で“同じではない”とみなされますので」
「しかしあなたが最初に・・・」
「現実は矛盾だらけなので」
「つまり矛盾や不条理に耐えられるかどうかが・・・」
「“矛盾”や“不条理”を指摘した時点で“同じではない”とみなされますので」
「だからいじわるはやめてくださいよ!やっぱり私はいらないということなんですか?“同じ”にはなれないということなんですか?私だって社会に居場所がほしいんですよ!みんなと、みんなと“同じ”になりたいんだ・・・・・・」
「“同じ”であるためには「“同じではない”ではない」でなければなりませんが、「“同じ”になりたい」と思った時点で“同じではない”とみなされますので」
「・・・・・・“同じ”になりたいとか、“普通”になりたいとか、そうやって前のめりになればなるほど遠ざかるのが“同じ”であり“普通”なわけですね」
「ようやく落ち着いてきましたね。我々は目の前の生存という非常に地味でリアルな動因で社会参加を志すわけですから、そういう方向で前のめりになっている余裕はないのですよ」
「実質的に選択肢がないのだから・・・」
「そういう指摘をしたら“同じではない”とみなされますので」
「あぁしまった!申し訳ありません」
「いいえ、しかし着実に進歩していますよ」
「ありがとうございます。要するにそういうわけで言葉・・・・・・そういう世界が大切になってくるわけですな」
「そういうことです。正直言って、カネ稼ぎも、ビジネスも、社会貢献も、革新を起こすことも、興味ないでしょ。能力とか才能以前に興味ないでしょ。称賛や羨望を向けるのは大金や名声という結果に対してであって、もっと言うとそれがもたらすだろう解放に対してであって、手に入れた人と同じ状況に身を置きたいとは思わない。本気になってみようとしても、実際には興味がないんだからいまいちしっくりこない。でも、それでも何かやらねばならない。我々はそんな人生を主体的にやっていかねばならない。“自由”という建前の実態がこれですから、前のめりの方向はちゃんと選ばないといけないわけです」
「“同じ”であると同時に“違う”でなくてはならない、“違う”であると同時に“同じ”でなくてはならない」
「みんなで快適に円の中で生きましょう、という合意なんですよ」
「わかります、わかります。あぁ~これで覚悟が・・・」
「たとえば、成功し続けてきたエリートに「君は頭がいい」と承認されるのと、知的障害者に「君は頭がいい」と承認されるのと・・・・・・これはイケナイコトですが、だからそういう言葉が悪口として成立するわけで、何が言いたいかわかりますね?」
「えっと・・・・・・いきなりどういうことでしょうか?」
「あえて機械化せず、補助金や助成金を使って、できる仕事を用意し、それをやって生きがいを感じてもらう。どうです?苦しくなりませんか?そういえば小学校の行事とかでもありますよね、みんなに役割を与えましょうと。それでピラミッドのような構図ができる。さて、惨めに這いつくばる底辺は必要でしょうか?自分たちの有能性を疑わない上層は必要でしょうか?必死に居場所を守る中間層は必要でしょうか?優越と劣等に一喜一憂するこの空間は必要でしょうか?こんなものを現出させるシステムは必要でしょうか?みんな多かれ少なかれ“同じであり違う”というだけの単純な話ではないのでしょうか?“同じではない”なんて快適な円を占拠しておくために誰かを外に押しやる線引き切り捨てではないのでしょうか?」
「つ、つまりそういった人たちをも包摂し、互いに互いを認め合い、相手の立場にたって対等な目線から支援を充実させ、やりがいのある仕事を通して社会に参加して自立して生きることに誇りと喜びを持ってもらえるよう・・・」
「“我々(しゃかい)”へようこそ!あなたの覚悟はよくわかりました」
「・・・・・・な、なるほど!これこそがまさに息をするような自然さ!イコール現実の本質!」
「その通り!」
二人「わっはっは」

