今後の破壊屋は破壊屋ブログで続けます。hakaiya.comは企画用として残します。
今後の更新は破壊屋ブログにて
3月 23rd, 2014花見やります、3月29日土曜日、上野公園
3月 23rd, 2014今年も破壊屋の花見をやります!あとこれがhakaiya.com最後の更新かも。
日時 | 3月29日 土曜日 朝っぱから初めて夕方前には撤収。みなさんは好きな時間に来て好きな時間にあがってください。 |
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場所 | 上野公園 |
参加条件 | 誰でもOKです。お子さん連れや破壊屋を知らない人なども毎年来てますぜ、みんな大歓迎! |
参加費 | 特に無いけど、俺のリア友には買出しをお願いすることになります。持ち込みは大歓迎。ゴミの持ち帰りも大歓迎。 |
俺がまだ持っているBootleg在庫があるので、買いたい方は事前に教えてくれれば持っていきます。
参加したい方はツイッターのDMやリプライ、メールフォーム、メール([email protected])のいずれかで連絡をください。人数を大体把握したいだけなのでドタキャン&ドタ参加はOK。
『明日、ママがいない』の悪影響はもう出ている
2月 2nd, 2014- 少女ポストが捨てられた理由
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『明日、ママがいない』を擁護する人たちの意見で「ドラマを責めるのはお門違い、実際に悪いのは子を捨てる親だ」というのがある。一般的な意見だけじゃない、複数の有名人たちが言っている。
こういう意見が出ること自体が恐ろしい!何で恐ろしいのかってドラマの中で芦田愛菜演じるヒロイン:ポストが捨てられた理由はまだ判明してないのに、最初から親が非難されているのだ。「最後まで観てから文句言え」「フィクションを真に受けるほうがおかしい」ってそれはどっちの話だ。
- 『明日、ママがいない』の最終回予想
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『明日、ママがいない』の設定は以下の通りだ。
- ヒロインは幼い頃に母親に捨てられ、母親の顔を知らない。
- 母親をとのつながりを自らタチ切るためにポストと自分から名乗るようにようなる
この設定から予測できる『明日、ママがいない』のオチは
- ヒロインの母親はやむを得ない事情で娘を病院に預けた。
- ヒロインはそのことを受け止める。ヒロインはそれでも母親を許さないが、母親が自分に与えてくれた本名を名乗るようになる。
- 名前を捨てた少女たちも最終回で自分の名前を取り戻す。
- 三上博史演じる魔王は子供たちによってトラウマを救われれることで、『クリスマス・キャロル』のスクルージのように改心する。
- 「あの子たちは将来子供を育てるだろう、あの子たちは明日のママなのだ」って三上博史が解説する。
これは俺のテキトーな予想だ。でもドラマを盛り上げるために「やむを得ない事情で娘を捨てた」という設定はやると思う。少なくとも「親が悪い人だから娘を捨てた」という簡単なオチにはならないはず(悪い人オチだったらゴメンなさい、現実には「こうのとりのゆりかご」を使って赤ちゃんの財産を奪う事件もあります)。でも多くの視聴者が「少女を捨てた親が悪い」と非難している。
一応補足しておくと、第一話では別の少女「ドンキ」が酷い親に捨てられる描写があるので、それで「親が悪い!」と言っているのなら何の問題もない。ただ擁護している人たちは「施設に悪評が出る」という懸念に対して「悪いのは施設じゃなくて親」という反論をしているのがほとんどだ。
- 虐待する親をかばう人たち
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虐待する実親が叩かれる風潮については『明日、ママがいない』に抗議している全国里親会が放映前からを懸念していた。全国里親会は既に去年の時点で日本テレビに嘆願書を出している。嘆願書の文章から引用する。
児童の実親も観る可能性があります。実親はどうせ虐待をしたんだから、反論する資格はないと思っておられるのでしょうか。虐待をしようとして子どもを産む親はいません。経済的な事情や人間関係等がうまくいかなかったりすることにより虐待をしてしまうのです。昔の日本の社会であれば、近所や親戚が助けてくれましたが、今の時代はどの家も子育てが孤立化していることも大きな要因となっており、一概に責を実親だけに帰するわけにはいきません。メディアも含めた社会全体の責任と思います。
そこまで考慮すると何も表現できなくなるよ!虐待した親をかばうと今度は虐待された子供が傷つく。何を守るか難しい問題のようかもしれないけど、守らなきゃいけないのは「表現の自由」だ。
で、表現の自由の件はさておき、虐待された子供たちを救う里親会が虐待する実親たちをかばっている点は注目したい。
- フィクションの反応
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ためしにツイッターで「明日 ママ 親」で検索かけると、子を捨てる親への非難と責任を追及するツイートがわらわら出てきた。
でも現実の「こうのとりのゆりかご」に預けられた赤ちゃんには母親が小学5年生だったこともあるし、性犯罪の被害者もいる。「こうのとりのゆりかご」は赤ちゃんだけじゃなくて望まない出産から女性を救うための側面が強い。また児童養護施設に子どもが預けられる原因には「親が重い心の病気」というのが多い。
里親会の嘆願書には……俺が要約した文章になるけど
お涙ちょうだい式のドラマで児童に対する国民の意識が高まる考えているとしたら不見識だ。里親の施設や努力があって児童は保証される。
と書いてある。児童を救うには施設や人員と資金、そして国民の理解が必要だ。施設には虐待を受けた子や障害を持つ子も多いため専門スキルを持つ人(とその人に支払う金)を確保しなきゃいけない。『明日、ママがいない』はこれらを無視してこそ成立するドラマなのだ。
もちろんフィクションなんだから無視して構わない。このドラマを割り切って楽しむのもまったく問題ない。『明日、ママがいない』の内容変更を「臭いものに蓋」と非難する有名人が多いけど、それは逆だ。このドラマこそが臭いものに蓋をして問題を隠しているのだ。『明日、ママがいない』の感想を調べると、抗議した関係者や傷つく子供たちへの嫌味な言葉がたくさん出てくる。割り切って楽しむのは問題ないけど、割り切りすぎているのでドラマを楽しみながら児童福祉の現場をバカにする現象が起きている。ここまでの辛辣な反応は炎上商法狙った日本テレビ&製作側も予想しなかったと思う。『明日、ママがいない』は児童福祉の現場、虐待や子育ての孤立化解消に水を差している。
全国里親会の嘆願書には
本番組が、観る人の優しさに付け込んだ視聴率稼ぎの低俗番組に陥らないように、<中略>慎重かつ十分なご配慮をお願いします。
とあって笑ってしまった。まさに懸念通りのドラマだ。社会問題を描いて国民を社会問題から遠ざける作品も珍しいな。金を払って見る映画や漫画なら構わないけど、公共性の強いテレビドラマでやるべき内容ではなかった。
- その他いろいろ
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- 「実際に現場で子供が傷ついているんです!」という施設や団体からの要望を無視し続けた日本テレビが、定例会見で「出演している子役たちの心のケアは万全です」と言ったのは最高に皮肉が効いていた。ケアしているのは良い事だけどさ。
- 「フィクションを真に受けるほうがおかしい」って反論多いけど、『明日、ママがいない』に抗議している里親会も慈恵病院も声明文の中で施設や里親の虐待が存在していることを認めている。
- 今回のエントリは先週出すつもりだったんけど、『明日、ママがいない』に呆れ果てたが15年近くやっている破壊屋史上第二位の大量アクセスとなった。おかげさまでhakayia.comのソフトウェアに障害発生、復旧&仕事が忙しいわで何もできなくなった。そしたら『明日、ママがいない』から全CM撤退⇒内容変更と情勢が毎日のように変わっていく。ちょっとタイミング逃してしまいました。
- 内容変更についてはこちらにまとめました⇒『明日、ママがいない』の内容変更について
- 「こんな文章書いたけどポストの親が出てきたらどうしよう」と思って俺は2話と3話も見てしまった。炎上商法は俺に効きまくっている。感想だけど、目の病気の少女や足の不自由な少女とか次々に出てくるのがすげえと思った。それと、なぜお笑いに徹しないのだろう?と強く思った。お涙ちょうだいをやるから商売色が色濃く出てくる。お笑いって社会問題を表現できる強力な武器なんだよね、問題を理解していないと笑えないから(だからやらないのか)。↓で超絶難しい社会問題をお笑いにした映画を紹介します。
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知的障がい者のスポーツ大会なら八百長できるよな!というコメディ映画。酷い設定のように思えるが知的障がい者たちが活躍して金が動く場所があるからこそ生まれる設定だ。出演する知的障がい者たちはみんな本物。
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在日外国人を題材にしたコメディ。在日朝鮮ヤクザや外国人犯罪も題材にした映画だがオープニングでは「事実に基づくフィクションです」と説明される。公開当時に問題になったのは、コリアンの主人公が従軍慰安婦問題をバカにされても全く気にしないのに料金踏み倒しの件になるといきなり本気を出すシーン。作ったヤツらは監督:崔洋一、原作:梁石日、脚本:鄭義信、製作:李鳳宇と在日コリアンの最強軍団!あらゆる映画賞を総なめにした1990年代日本映画の最高傑作。
『明日、ママがいない』の内容変更について
2月 1st, 2014『明日、ママがいない』の内容変更の検討が決まった。ネット上では「クレーマーに屈した!」「残念すぎる!」って声が多数だ。そういう悔しい気持ちはすごくよくわかる。理不尽なクレームで自主規制の風潮が強まっているのも怖い。
でも内容変更の要求自体は小さいしどこまで要求を受けるかも決まっていない。要求は「施設長の暴言をやめる」「登場する子供のペット扱いをやめる」「ポストというあだ名をやめる」の3点。実際そういう子供は「ペットの里親」という言葉にすら自分を「ペットよりも価値がない」と連想して傷つく。またドラマの製作側は「ポスト」という言葉はもう既に減らしているとのこと。
『明日、ママがいない』の設定をやりたいのなら児童福祉の関係者を監修にして製作すべきだった。それを怠ったうえに野島伸司を監修にしたのは単なる暴挙。内容変更の受け入れは本来の製作の形になったとも言える。
今回は明らかに日本テレビ側の製作ミスだ。内容変更は一番手軽な妥協点。内容を変更せずに検証番組を作るという手もあるけど、そんな面倒なことはやらないだろうし最初から内容変更を想定していたはず。
それにしても肝心の日本テレビ&製作側が「表現の自由」に少しも興味を示していないのが凄い!視聴率とスポンサーの反応がすべてのテレビドラマならではの現象だろう。いまや日本テレビが興味あるのは「いかにして関係各位(スポンサー、芦田愛菜(バーニング周防)、野島伸司のメンツを潰さないか」という点だ。高須クリニックがスポンサーに名乗り出て既存のスポンサー企業のメンツが潰れる形になったのは面白かった。
『明日、ママがいない』が大嫌いでCM降板や内容変更のニュースを「当然だ」と感じている俺だけど、『明日、ママがいない』のBPO審議入りだけは絶対に避けるべき。さすがにこれがBPO審議入りになると表現の範囲が大きく狭まってしまう。『明日、ママがいない』擁護に大きな声をあげた人たちには、ドラマの作り手よりもお笑い芸人たちが多かった。彼らはBPO審議入りの恐ろしさに一番身近な存在なのだろう。
2013年の最高の映画と最低の映画
1月 29th, 2014[amazonjs asin=”B00H9JTYZ2″ locale=”JP” title=”映画秘宝 2014年 03月号 雑誌”]
1月21日発売の映画秘宝は2013年の映画総決算です。去年の最高の映画と最低の映画が紹介されており、映画カタログとしても最適なので是非お買い求めください。俺も「破壊屋」名義で参加させて頂きました。2013年の俺のベスト映画は当然『パシフィック・リム』です。大豊作だった2013年ですが「とりあえずビール」的な感覚で『パシフィック・リム』にしました。
2013年もっとも鑑賞ストレスが高かった映画はぶっちぎりで『R100』です。でも『R100』は「一人の映像作家がやりたいことやった」という結果なので、存在そのものまで否定するのも何か違う気がしたのでワースト1位にはしませんでした。代わりに「っつーか何でジャニーズとAKBのCMみたいになってるんだよ!」と思った二本の邦画をワースト1位と2位にしました。
毎年映画秘宝のアンケートに書くときはブログやツイッターでは絶対に書けないプライベートなことや炎上しそうなことを書いてます。「出版媒体で書けない危ないことでもネットなら書ける」だと思っていましたが、ネット上の炎上が当たり前になった今では逆に「ネットで書けない危ないことを出版媒体で書く」になってきたのかもしれません。