菊地成孔氏の「ラ・ラ・ランド」評に発した、「観客を批評するのはOKなのか? アウトなのか?」というコメントが面白かった。
観た人を馬鹿にするな
まずは、発端となった、菊池氏のエントリー。
これに関して、反論の意見、特に観客を馬鹿にするのはダメだ! という意見がでてくる。代表的なツイートはこちら。
「恋に飢えた女どもを中心にした全人類どもを『セッション』の1000倍の力でヒーヒー言わせる」ララランドをバカにするのはいいがララランド見てる人をバカにするのはルール違反でしょ / “菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回…” https://t.co/Cg0J4nSEyV
— アオヤギミホコ (@ao8l22) 2017年3月6日
元ナタリーの唐木元氏の疑問
このコメントに関して、元ナタリーの唐木元氏が以下のようにコメントする。
菊地さんのララランド評より興味深かったのは、評への反応に「作品を貶すのは良いが、褒めた観客を貶すのはアウト」という意見が散見されたこと。このタブーっていつ頃から、どの程度の範囲に流布したものなのだろう。ルール化するくらい規範化してるの? すごく面白い発想だと思う。
— 唐木元 / GenKaraki (@rootsy) 2017年3月6日
「作品ディスるのはいいけど読者ディスるのはアウト」という言説は、すごくSNS時代っぽい発想だと思う。つまり自分は公然と好き勝手しゃべりたいけど、誰からの批判にも晒されたくないってことでしょ? たまに有名人の悪口言ってて本人に絡まれると激昂する人いるけど、あれと同根なんじゃないか。
— 唐木元 / GenKaraki (@rootsy) 2017年3月6日
傷付きたくないという欲望を叶えたければ、家の中にいるか黙ってるかすればいい。なのに、公然と何でも表明したいけど一切批判に晒されたくない、という甘ったるい我儘を押し通そうとするから、妙なマナーを創出して盾にするという変な事態になる。メルカリの謎ルールともどこか似ている気がする。
— 唐木元 / GenKaraki (@rootsy) 2017年3月6日
なんかそんくらい奇妙に見えたんだよね…「批評たるもの作品批判はオッケーだけどファンを批判してはならない」という謎ルールの提示は。「あんな店のゴミ食って喜んでるような衆生は舌がゴミだから救いようがない」みたいな言説いくらでも見かけたと思うんだけど。それも昭和の話なのだろうか。
— 唐木元 / GenKaraki (@rootsy) 2017年3月6日
おれが言いたかったのは「そんなルールはないだろ、勝手に作らんといて」っていう話なんだけど、どうにも自分の文章力に大きな問題があるようなので、もうぜんぜん曲解されたクソリプしかこないわ。こらあかん。しっぱいした。ねるね。
— 唐木元 / GenKaraki (@rootsy) 2017年3月7日
アオヤギミホコ氏と唐木氏のやりとりも面白いのだが、割愛
ネットでの観客&ファン批判は炎上への片道切符
唐木氏はファンを批判タブーについて「すごくSNS時代っぽい発想」とコメントしているが、昔からこの傾向はある。
某批評家に関するコメントで、2006年2月に某サイトに以下のような書き込みがある
まず作品を馬鹿にして、ついでそのファンを馬鹿にするような事を書く人間を信じられるわけがないんですが……。
http://www.h5.dion.ne.jp/~ikeruze/diary/oonuma.htm
観客・ファンへの批判、批評はタブーではないと個人的には考える。けれども、その行為は炎上する危険性が極めて高いリスキーな行為。
また、作品は作品、観客は観客で批判をしないといけないのだが、これをゴッチャにしてやる人が多いため「ファン・観客批判をする人は馬鹿が多い」という雰囲気が醸し出されている。
観客・ファンへの批判はとてもレベルが高いことなので、やるときは気をつけましょう。というお話でした。