テーブルにのせられた家族というカタチを超えて…

多様性を許容できる社会にしたいと思う。 多様性が認められた環境で多様な者同士が関わりあうことではじめて、新しいものは生まれてくると思うから。 ▲山本理顕『地域社会圏主義』より そのためには自分にないものをもつ相手を受け入れたり、いまないものを想像できる柔軟な発想が必要だと感じます。1つの標準的な思考や形式に偏りすぎることほど、新しいものが生まれてくる可能性を減少させる危険なことはないと思います。 そんなことを先日ひさしぶりに会った昔の会社の同僚と話すなかで、あらためて感じました。

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グラフィカルにノートをとりながら思考を整理する

最近、こんな風にグラフィカルな表現を交えて、自分の頭のなかを整理することが僕自身のブームになっています。 上は「より良き未来をデザインするため」には、「問題を正しく定義する」ことが大事ということを整理してみようと思って描いたノートです。 これを描きながら、 問題を正しく定義するための場として、多様な人びとを集めたフューチャーセッションのような場があり、そこでは様々な人のもつリソースを引き出し、つなげるような外部者の役割もあるなとか、そういう外部者の役割は従来のように解決のためのプロダクトを提供するのではなく、参加者が自主的に問題解決の方法をつくれるようなプラットフォームを用意してあげることだろうとか、その意味では、これからの問題解決は、人が外の商品やサービスに任せてしまっていた問題解決のコストを内部化して、自分たち自身でそれを作っていけるような、そんな持続可能性のある社会OSをデザインする必要があるのだろうな、とか といったことを考えているわけです。 いままでよりもグラフィカルな表現でノートを取りはじめてみて、頭の整理がしやすくなった気もしているので、今回は、みなさんにもグラフィカルなノート作成をおすすめしたいという意味でも、他にもいくつか最近書いた/描いたノートを紹介してみます。

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連載「ThinkSocialな時代のビジネスデザイン」をスタート

エンタープライズジン内の「ビズジェネ」というコーナーに連載記事「ThinkSocialな時代のビジネスデザイン」を書かせていただくことになりました。 先ほど、公開された第1回目の記事「共益の創造を目指すコ・クリエーション戦略」では、連載をはじめるにあたって前提としている、社会的に大きな変革が望まれる「ThinkSocialな時代」を概観しています。 この連載では、歴史的にも大きな変換点といえる現在そしてこれからの社会環境で、個人はいかに働き、企業はどのような戦略で事業を展開していけばよいかを考えていこうと思っています。 また、様々な社会課題が山積みとなった社会において、個人や企業が生き抜くためにはどんな変革が必要となり、その変革を実現するためにはどんな方法が有効なのかもテーマとして扱っていきます。 興味のある方、ぜひご一読いただけると幸いです。 → 共益の創造を目指すコ・クリエーション戦略(前編):ThinkSocialな時代のビジネスデザイン

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働き方や社会的な価値に関する自分たちの頭のなかのイメージを変えていく

ちょっと出遅れましたが、リンダ・グラットンの『ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図』を読みはじめました。 何人かの方が良い本だと書いているのをWeb上で見かけましたが、確かに良い本です。 これは読んだほうがいいです。 いや、読まないとこの先の人生やばいと感じます。

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自分たちでやれることの外部化が、未来を志向するために必要な人と人とのつながりを希薄化させる

いまの時代って、ひとりで悶々と悩んだり、企業などの閉じた世界のなかだけで問題を解決しようとしたりするのに向かない時代ではないかと感じます。 これほど、先行き不透明で、かつ、不透明ではない既存の安定したシステムの寿命もそう長くはないと予測される現代で、特定の機能を果たしたり、特定の戦略の実行に最適化された組織の閉じた環境のなかだけで、何が起こるか分からない状況で突如現れ出てくるさまざまな未知の問題に対処することは理にかなっていません。 だからこそ、ゆるいネットワークのつながりによって、「さまざまな未知の問題」にも柔軟に対応できる、多様性を確保しておくことのほうが必要なのだと思います。

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「垂直」から「水平」へという変化のもう1つの意味

〈なぜ今「ノマド」は“炎上祭り”と化しているのか〉と題されたダイヤモンド・オンラインに掲載の佐々木俊尚さんの記事がなかなか興味深かったです。 こんな感じで「会社組織の衰退」という話から「ノマド」についての考えを展開しています。 なぜ一部の若者が大企業を辞めたり、成長もしない社会起業系の小さなビジネスをやったりしているかと言うと、これは明らかに危機感の表れ。脱サラは確かにかっこいいかもしれません。でも、起業するモチベーションとしては、かっこいいことをやりたい、といった短絡的な理由ではなく、10年後、20年後の生活設計を考えることを自分なりにやっているわけですよね。(中略)今後、明らかに社会構造は変わると思っているんです。何年か、あるいは何十年かかるか、スパンは分からないですけど、おそらく会社組織は衰退していくと思います。 なぜ今「ノマド」は“炎上祭り”と化しているのか(P4より):ダイヤモンド・オンライン この引用のすぐ前では「大企業を中心に仕事が回っていて、ビジネスの中心は会社組織であり、そこでOJTによって仕事を覚えていくという構造が20~30年後も続くと思っているんでしょうか。僕はそうは思いません」なんてことも言っていますが、僕も同感で、企業というものが働き方の中心に位置するような社会構造はこの先、そんなに長くは続くはずがないという想定で今後のあり方を模索しています。

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教育/コミュニケーション/経済をもっと長いスパンでみた「構造」と捉えること

社会的イノベーションってなんだろうか? 仕事では「イノベーション」という言葉を使うし、確かに社会的な意味でのイノベーションの実現を本気で目指します(技術的なイノベーションや、ビジネス的イノベーションは仕事上でもあまり興味がありません)。 けれど、一方では社会的な意味でのイノベーションにも懐疑的な考えも持っています。 果たして、人はどこまで自分たちの生物としての出自に抗って、自らが長年つくりあげてきた「生き方」を壊してしまうイノベーションが可能で、それを実現しようとするのか?と。 また、イノベーションで実現した状況が果たして、さらにその先の未来にとってもよい方向への変化といえるのか? その根拠はなんだろうか?と。 僕らは自分が向かっている先をちゃんと理解しているのだろうか?と。 そんなことを考えるとき、僕がいつも思うのは、考えるスパンを可能な限り大きくとろうということです。 このブログでは、そういう視点で、人類学、民俗学、メディア論などの人間に対して広いスパンで目を向けようとする学問を参照しながら、デザイン思考や人間中心デザイン、イノベーションというものを考えるようにしてきました。 そのスタンスはいまも引き続き変わらず持ち続けているどころか、そのあたりの知識を深めていけばいくほど、短期的な視点でのみ変革を唱えることへの危機感を感じてしまうのです。 今日はひさしぶりに、そのあたりについて最近考えていることをツラツラと綴ってみようと思います。

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笑い vs. イノベーション

「笑う」という態度を保てるのは強い。最近になって、そんなことを強く感じるようになりました。 お笑い番組などをみたり馬鹿話にげらげら笑うというのではなく、目の前で起きていることを肯定的に受け入れて笑えるような笑い。目の前で起こる事柄を否定する怒りや不満の表情に対して、多少の問題があってもそれを受け入れて肯定できる笑い。そういう笑いができる精神性や社会性の強さについて考えるようになっています。 そんなことをあらためて考えていたので、実際、ある機会に「笑顔」のもつ魅力や強さについてお話させていただいたりもしました。 そういう考えが頭にあったからでしょうか。昨日までニューカレドニアに1週間ほど行っていたのですが、そこでも目に焼き付いたのはメラネシアの人びとの笑顔でした。 フランス領であるニューカレドニアでは、フランス人を中心にヨーロッパの人びとも数多くいて、リゾート地ゆえの笑顔が見られたのですが、それ以上に生活臭あふれるメラネシアの人びとの笑顔のたくましさは魅力的に思えました。 旅行中、離島であるイル・デ・パンに向かうために国内線を利用する機会があったのですが、ゆるーい土地柄を反映してか、8時半のフライトが4時間ほど出発が遅れました。そのときも待合室で不満そうな顔でぐったりとする日本人観光客に比べ、遅れをものともせずに、顔見知りの人たちと楽しそうにおしゃべりをするメラネシアの人びとの笑顔は対照的でした(もちろん、地元民であるメラネシアの人びとが遅れて待たされることに慣れて…

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