期限は起源ですが、まぁ、それはいいとして、
細胞膜が私的所有の生物学的期限というのは、素晴らしい着想だと思う。私も実は常々考えてきたのだが、先に言ったもの勝ちである(とはいえ、鈴木氏より前に似たようなことを言っていた人もいたように思える)。
404 Blog Not Found:「私的所有の生物学的起源」がWeb1.0的すぎる件について
先に言ったもの勝ちとすれば、確かに鈴木さんより先に言ってた人はいると思います。
例えば、これなんてそうでしょう。
自律的代謝を有することに加え、どんな生物も自分をその他すべてのものから識別する多かれ少なかれ明確な境界を持っていなくてはならない。この条件にも、有無を言わせぬ明らかな論理的根拠がある。すなわち、「何かが自己保存の仕事に取り掛かると、直ぐに境界が重要になる。なぜなら、もしあなたがあなた自身を保存することに取り掛かり始めたら、あなたは全世界を保存しようと無駄な努力をしたりするのは望まないからだ。つまり、あなたは境界線を引くのである」(Dennett 1991a,p174)
ダニエル・C. デネット『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』
つぎに、約14億年前に大改革が生じた。つまり、バクテリア様の原核生物の幾つかが他の原核生物の膜の中に進入して、<真核生物>-核と、他の特殊化された内的組織体とを持った細胞-を作り出したときに、こうした最も単純な生命形態の幾つかが文字通り力をあわせたのである。
同上
というよりも、上記の本でのデネッ…