学習や経験の力をなめてはいけない

あいかわらずマーク・S・ブランバーグ『本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源』を読んでます(もうすぐ読み終わります)。 すでに、 失敗するための時間教えてもらう? それとも、学ぶ?天才のひらめきのベールの向こうにあるもの といったエントリーで紹介してきたこの本ですが、人間を含めた生物の発達と学習、そして、本能や生得的性質、行動とそれぞれの種に特有な環境との複雑で相互作用しあう関係性についてとても興味深い示唆をしてくれます。 特に、人の行動の観察からデザインを考える、という人間中心設計について日々考えている僕にとっては、この行動主義的な生物学の研究にはすごく得るものが大きいのです。

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教えてもらう? それとも、学ぶ?

昨日も「失敗するための時間」というエントリーでちょっと紹介した、マーク・S・ブランバーグ『本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源』という本を読んでいて、発達心理生物学(行動の生物学的な基盤を発達という観点から研究する学問分野)で行われている、研究のための行動観察ってすごいなって感じました。

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自分で学ぶ未来へ。

まずは皆様、あけましておめでとうございます。 Felice Anno Nuovo 2007!! 今年も DESIGN IT! w/LOVE をよろしくお願いいたします。 学習への期待さて、今年の目標など書こうと思ったりもしましたが、どうも細かい目標設定などは覚えてられない性格で、どうせ1ヵ月後くらいには完全にリセットされていそうなのでやめました。 代わりに、というわけでもありませんが、ちょっと「学習」というもの、そして、それに対する僕の期待のようなものについて書いてみたいと思います。 年が明けて、僕はmixiの日記に、「明けましておめでとう」という日記を書くのに、その言葉を他のいろんな国の言葉で書いてみたいと思いました。最初はフランス語、イタリア語くらいを想定していたんですが、調べていくうちに面白くなって、スワヒリ語やグリーンランド語なども調べてしまいました。 昔なら、そんなことを調べるのにもすごく時間がかかったんでしょうけど、今ならググればあっという間です。簡単に12ヶ国語で「明けましておめでとう」を書けました。 それだけ何かを調べたりということが、いまの環境においては簡単なわけです。そう、きわめて低コストで可能なわけです。 本を買ったり、そもそも、おもしろそうな本を探すのだって、ずいぶん、簡単になりましたよね。僕なんて、ブログを書くようになって、随分と本を読む数、それ以上に本を買う数が増えました。ほっといても、読みたい本が見つかってしまうからです。自分が…

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考えることのより根本的なレイヤー

ちょっと前のエントリーになるので恐縮ですが、Danさんの「「はじめに言葉ありき」は本当か?」というエントリーがずっと気になっています。 しかし、「言葉で表現する」こと即「言葉で考える」ことを意味しているのだろうか? 404 Blog Not Found:「はじめに言葉ありき」は本当か? 「考える」をどう定義するかによるのだとも思いますが、僕も基本的にはDanさんの「人って本当に言葉で考えているの?」という感覚に同意します。 言葉は表現のツールただし、Danさんがご自身の考えを<多次元の「もやもや」>と表現するよりのに対して、僕自身の考えるスタイルは非常に言葉に依っていると感じています。しかし、非常に言葉に依るところが多い自身の考えるスタイルを考慮した上でなお「人って本当は言葉だけで考えているわけではない」と思うんです。 言葉って表現のツールなんじゃないでしょうか。もちろん考える際にはその表現されたものを他の物理的対象やそれを感覚器官で感じ取った表象同様に素材としながら、何かしら「考える」という行為をしているんだと思います。でも、やはり考える際に用いるそれは、考える過程においても、そして、考えの結果においても表現のツールではないかと思いますし、それは「考える」という行為の一部であって、すべてではないという気がしています。

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完璧なスフレを作るには、適切な材料だけでなく、適切な調理時間と適切な作業時間が必要

マット・リドレーの『やわらかな遺伝子』は、"Nature via Nurture"(生まれは育ちを通して)といい、長い間、人間を対象とする遺伝学や心理学などの学問の分野で論争の種となってきた"Nature vs Nurture"(生まれか育ちか)が、結局、どちらも重要で、どちらが欠けてもうまくいかないことを、最新の研究の成果をていねいに集め、紐解きながら、ていねいに説明してくれる1冊です。 邦題の『やわらかな遺伝子』は遺伝子が環境のうながす変化に柔軟に対応する性質をもっていて、環境に応じて遺伝子が様々な機能のオン/オフのスイッチを入れる様をよく示してくれています。 レシピとしての遺伝子驚くことにたった3万個の遺伝子が、オキシトシン受容体の遺伝子として配偶の本能に関係していたり、BDNF遺伝子が性格の醸成に影響を与えたり、人の本能や性格にも関与しているというのは驚きです。 たった3万個の遺伝子がそうした離れ業をやってのけられるのは、それが建築の設計図のような青写真ではなく、シェフが使う料理のレシピのようなものだからだというのは、リチャード・ドーキンスによる有名なたとえです。 キッチンを題材にしたたとえは、「生まれか育ちか」の議論のどちら側にもよく引き合いに出される。リチャード・ドーキンスは、1981年、ケーキ作りをメタファーとして使い、遺伝子の役割を強調した。一方、ドーキンスの一番の批判者スティーブン・ローズは、3年後にまった同じメタファーを使って、行動は遺伝子によるものではないと主…

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十分に長い時間をかければ・・・

進化論に関する本を読んでいて、一番ビジネスを考える上で参考になるのは、十分に長い時間をかければ、直感的には到底、到達し得ないであろうと思えることも実は十分に可能であるということです。 昨日、「積み重なると増える、増えるとつながるってことかな?」というエントリーで、結果としてベキ分布に従うような成功とそれ以外を隔てる大きな差が生まれる場合でも、成功の側に回るために「必要なのはある種の才能だとか、運だとかではなく、ちゃんと勝ち目のある場所を選んで、そこで地道に投資を続けていくことなのではないか」と書きました。 十分に長い時間をかけるということはいかにその積み重ねを十分に活かしきれるかという課題にほかならないのではないかと思います。 ようするに、時間は与えられるものではなくてつくるものですし、時間をつくり、継続するということは、過去の積み重ねをいかに既存の文脈にひきずられすぎずに異なる文脈によって活かす発想を行えるかということだと思っています。 既存のリソースを異なる文脈で活かす遠藤秀紀さんの『人体 失敗の進化史』によれば、ヒトなどの耳の骨は、爬虫類の顎の骨の端から進化しているそうです。聴力を向上するために生物が行ったのは、振動を増幅するための新しい骨を生み出すことでなく、身近にあった顎の骨を拝借して用途変更を行うことでした。 手持ちのリソースを用いることが、まったく別のところから新しいリソースを手に入れるより、その普及や浸透まで考慮すれば手間が省けるのはビジネスにおいても同じこと…

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成長には、素材よりも順番が大事?

このブログの語彙リストはどのくらい、著名なブログのそれと一致してるのだろ うか? おそらく、ガチャピン日記とはそれほど一致していないのだろうが、弾さんのブログや池田先生のブログとの一致率は結構高いのではないかと想像します。 有限な語彙で無限(に近い)文章を生み出すリドレーが言うように、ディケンズの『デイヴィッド・コパーフィールド』に出てくる単語のリストは、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』に出てくる単語のリストとほとんど同じである。(中略)2つの本でまったく違っているのは、そうした単語がつなぎ合わされる順序である。 リチャード・ドーキンス『祖先の物語 ドーキンスの生命史 上』 辞書の編纂が可能なことからもわかるように、文章を書くために用いることのできる語彙は有限です。 それはホルへ・ルイス・ボルヘスの『迷路』の中でバベルの図書館で空想したような、「100の100万乗の本」がある「物理的に可能な対象などではない」ような「500頁の長さで、それぞれの頁は1行50字で40行の組み方をしてあるから、頁あたり2000字分の字数がある。それぞれのスペース、つまり1字分の空間は、何も書いてないか、100の集合(大文字と小文字の英語と、他のヨーロッパ語の文字と、ダッシュとパンクチュエーション・マーク)から選ばれた文字が印刷されてあるかの、どちらかである」ようなほとんどの場合、無意味な文字の羅列が印刷された本とは異なります。 語彙は単なる文字の組み合わせではなく、可能な文字の組み合わせのうちの…

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無から有は生まれない:異なる分野間のマッシュアップについて

唐突ではありますが、僕は基本的には「無から有は生まれない」と思っています。 僕たちがおこなうクリエイティブな行為は、基本的に素材ありきの料理人の仕事と類似のものだと考えています。もちろん、その場合の素材は食材そのものであると同時に、既存のレシピや先人の知恵みたいなものも含めて。 ある意味、Web2.0的なマッシュアップと同様かなと思います。 もちろん、おなじマッシュアップでも個々にクリエイティブの度合いは異なりますし、それは料理人の仕事でも、ほかのクリエイターの仕事でも同様ですが、いずれにしてもオリジナリティがあるかどうかは、実は元となる素材の有無とは関係ないのかなというのが、僕の「無から有は生まれない」という考えの基本的なところといえます。 生命は生命から生じる19世紀フランスの生化学者、細菌学者であるルイ・パスツールは、無菌状態にあるとされる溶液から細菌の集団が繁殖してくると考えられていた当時の自然発生説に対して、細菌の生じた原因は空気それ自身にあると推測していました。パスツールは、外界からの影響をほとんどない状態にできるスワンネック型ののフラスコを使い、無菌状態のスープには細菌が発生しないことを証明し、1861年、著作『自然発生説の検討』でそのことを著しました。 パストゥールは、無菌状態のスープには細菌が繁殖しないことを見出した。そして、生命は生命から生じると結論したのである。 スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法測』 ルイ・パスツ…

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「私的所有の生物学的起源」の起源について(収斂進化かも)

期限は起源ですが、まぁ、それはいいとして、 細胞膜が私的所有の生物学的期限というのは、素晴らしい着想だと思う。私も実は常々考えてきたのだが、先に言ったもの勝ちである(とはいえ、鈴木氏より前に似たようなことを言っていた人もいたように思える)。 404 Blog Not Found:「私的所有の生物学的起源」がWeb1.0的すぎる件について 先に言ったもの勝ちとすれば、確かに鈴木さんより先に言ってた人はいると思います。 例えば、これなんてそうでしょう。 自律的代謝を有することに加え、どんな生物も自分をその他すべてのものから識別する多かれ少なかれ明確な境界を持っていなくてはならない。この条件にも、有無を言わせぬ明らかな論理的根拠がある。すなわち、「何かが自己保存の仕事に取り掛かると、直ぐに境界が重要になる。なぜなら、もしあなたがあなた自身を保存することに取り掛かり始めたら、あなたは全世界を保存しようと無駄な努力をしたりするのは望まないからだ。つまり、あなたは境界線を引くのである」(Dennett 1991a,p174) ダニエル・C. デネット『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』 つぎに、約14億年前に大改革が生じた。つまり、バクテリア様の原核生物の幾つかが他の原核生物の膜の中に進入して、<真核生物>-核と、他の特殊化された内的組織体とを持った細胞-を作り出したときに、こうした最も単純な生命形態の幾つかが文字通り力をあわせたのである。 同上 というよりも、上記の本でのデネッ…

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科学と哲学

ダニエル・C. デネットという人はこういうことをさらりと言ってのけてしまうから、僕は好きだ。 哲学から自由な科学など、どこにも存在しない。 ダニエル・C. デネット『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』 もちろん、この反対も成り立つはず。 科学から自由な哲学など、どこにも存在しない、と。 科学と哲学はおなじような問題を違う言葉を用いて論じているものだと僕は思っています。 前者は数学によって、後者は言語によって。 だから、科学者が数式を用いずに書くポピュラーサイエンス書は哲学書のように読めるし、だから、僕はポピュラーサイエンス書なんだろうと自分では前から気づいていたりします。 例えば、リチャード・ドーキンスや『偶然とは何か』のイーヴァル・エクランドの本なんかは本当にそんな気がします。 ダーウィン革命は、科学革命でもあれば哲学革命でもあるような革命であり、どちらの革命も他方が欠ければ起こりえなかっただろう。 ダニエル・C. デネット『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』 同じような意味で、マーケティングを思想の側から語ったドラッカーと、マーケティング・サイエンスという言葉を使ったコトラーの関係も規模は違えど、これに近いものがあると思っています。

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動物的ヒト、計算機的ヒト

最近、進化論系の本をわりと読んでるせいもあって、 あっ、ヒトって動物なんだって思う。 普段、意識とか言葉とかに隠れてるけど、 思った以上に直感的(たとえば、ヒトの顔を忘れない)だったりする。 暗いとこわがるとかもそうだし、意外と背景の力をもろに受けるとこもそう。 でも、この場合の直感って、たぶん、普通の意味の直感とは違う。 だって、普通の意味で直感っていう場合、言語能力が足りてなくて、単に自分の感じたことの理由を説明できないだけの不勉強にすぎないから。 たぶん、ここで言いたい直感ってもっと動物的で無意識的なんだと思う。 こんな3階層になってるんじゃないか? 下から、 1.動物的直感の層 2.普段の意識の層(非言語的意識も含む) 3.計算機の層(数学、計算によってはじめて認識可能な層。例えば10の18乗とか40億年前とか) で、多くの場合、2.ばっかりで思考してるわけだけど、そうすると、いろいろ間違っちゃうんだろうなって感じる。 自分が何で選択したかの真の理由もわからなければ、等身大を超えた生命の進化もわからないし、もしかしたら生命多様性が失われていることで自分たちがピンチなこともわからないかもしれない。 それって単純に不自由だよなって思ったりする。 たぶん、鍛えれば3層いずれもそれなりに使えるようになる。 そうやって自由度をあげてかないとなって最近思うのです。

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生物のデザインとWebのデザイン

進化論に関する本を読んでいると、Webのデザインについて考えさせられる。 生物がさまざまな環境の淘汰圧を受けて多彩なデザインを起こしていったように、Webのデザインももっと外部環境の圧力に敏感になるべきだと感じるのだ。 ユーザビリティ、さまざまなデバイスに対するアクセシビリティ、Webで見る人、RSSで見る人で異なる閲覧スタイル。そんな外部の圧力にもっと機敏に反応していいはずだ。 そして、デザインとは単なる見栄えのことではない。 『眼の誕生』でカンブリア紀の大進化を扱ったアンドリュー・パーカーはこう書いている。

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偶然と必然

進化論(ウェブ進化論ではなく、ダーウィンのほう)について理解を深めると、それが必然の積み重ねによるものだとわかってくる。 自然淘汰というと環境や競争に関して個体レベルでイメージしてしまいがちで、あるものは絶滅し、別のものが生き残るということが運次第のように思えてしまったりもする。 ましてや進化に必要な変化(設計変更)を生物は自らの改善になるよう行うことができないのだとすれば、複数の異なる設計をもつものの中で、うまく環境適応できたものが生き延びるということが偶然以外の何者でもなく感じられるだろう。

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絶滅するのは、どの階層か?

以下の3つでアナロジーを展開してみる。 1.生物-種-個体 2.社会-組織-個人 3.ネット-サイト-個別の情報 1~3のどの場合でも、一番、左は標準化されたロジックを持っている。 1.ならDNA-RNA-タンパク質というシステム。2.なら言語や貨幣あたりがそれにあたるだろうか。3.には現在のところ、TCP/IPや標準化された(X)HTMLなどがある。 次に真ん中の層。これはそれぞれに他との軍拡競争のための独自性を有しているのが普通だ。そうじゃないと生き残れないから。1.なら狩りを行うための鋭い牙やエコロケーションシステム、2.なら製品リーダーシップや卓越したオペレーション、3.なら精度の高い検索システムや圧倒的な認知度といったところか。 さて、最後に右側の層。これはどの層でもてんで好き勝手にやっていて、いちお平均値はあるものの、おそらく正規分布曲線も結構いろんなカーブを描くんじゃないか?

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ビジネスの場における一段階淘汰と累積淘汰

前に、会社の分析チームの仕事の効率化と最終成果物としてのレポートのトーン&マナーを統一するために、ちょっとしたレポート用のフォーマットを作成した。 実際、使っている感想を聞くと、フォーマットがあったほうが効率がよいという反応。 当然だが、ゼロ=白紙から考えるより、決まったフォーマットの中で、論を展開していくほうが作業効率ははるかにいい。 そんなことを思っていたら、ちょうど今読んでいるリチャード・ドーキンスの『盲目の時計職人』という本に、「一段階淘汰と累積淘汰」という話が載っていたのを見つけ、まさにこれこそ自然淘汰における効率化だなと感じた。 例えば、血液中の赤い色素であるヘモグロビン。 ヘモグロビンの1分子は、アミノ酸でできた4本の鎖が互いにねじれた形をしている。この4本鎖のうちの1本について考えよう。それは146個のアミノ酸からできている。生物に共通してみられるアミノ酸には20種類ある。20種類のものを146個つないでずらりと並べるあらゆる場合の数は、思いも及ばぬ数になる。これをアシモフは「ヘモグラビン数」と呼んでいる。(中略)われわれの求めている数、「ヘモグラビン数」は、1の後にゼロが190個もつく(ほぼそれに近い)! リチャード・ドーキンス『盲目の時計職人』より

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