何かやらなきゃ次はない、と。
どれだけの時間、「次」のために費やせているか?
皆さんは普段生活するなかで、どのくらいをいまやらなきゃいけないことに、どのくらいを将来のために必要な作業に使っているでしょうか。いまやることと将来のための配分です。あるいは言い方を変えると、どのくらい先を見越して時間を(そして頭を)使っているでしょうか。当たり前ですけど、具体的に次の行動を考えて、それを実行しないと「次」はありません。でも、普段の生活で「いま」やらなきゃいけないことに追われたりしてると、なかなか「次」を考えることはできなかったりします。ただ、それでも「次」のために何かやらなきゃ次はないんですよね。
もちろん、いまやっていることはどんなことでも未来の役には立ちます。経験は資産なのですから役立てようとする気があれば有益なものになるはずです。
未来の絵を描けているか?
ただ、ここで書いておきたいのは、それとは違って、普段生活するなかでどの程度、未来のイメージを描けているかということです。最初に絵が描けていないとそれを実現するのはむずかしい。これはもう何度もこのブログでは書いてきていることです。最初に絵が描けていれば、実現のためにはどんな素材が必要か、どんな作業が必要か、はたまた、どんなデータが必要で、どんな検証が必要かも見えるようになります。つまり計画が立てられる。デザインができるのです。
絵が見えていないと未来に向かって何をはじめていいかもわからないでしょう。
何かをはじめるにも単なる習い事になってしまう。習い事は将来役立つことはあっても、それで自ら未来を切り開くことには直接はつながりません。習い事で技術を習得しても、その技術を使って何をするかがイメージできていないと宝の持ち腐れになってしまう。「どうせやるなら一流を志そう。」でも書いたとおり、「何を学ぶかということだけでなく、学んでどうなろうと思うのかを最初にイメージする」ことが必要です。
技術が切り開く未来もある。だけど
もちろん技術が切り開く未来もあります。技術を習得することで視野が広がって見えなかった世界の風景が見えるようになる。そこからヴィジョンが生まれてくることもあります。ただし技術だけでは未来は切り開けません。単に技術の側からヴィジョンが見えるようになるだけです。
そして、それは必ず見えるようになるというものでもありません。なので僕はとりあえず技術の習得みたいなスタンスを好みません。技術ありきの思考はあまり好きではない。それよりも何を実現したいかがあって技術かなと思います。
もちろん、結局、なんらかの仕事をしていくとなれば、ひとつやふたつくらいは専門的な技術は習得しなければならないでしょう。その意味で明らかに「何かやらなきゃ次はない」のです。ただし、その場合でもいきなりどんな技術を習得するかという選択からはいるのではなく、もっと自分自身の夢や詩情、感性が求めるイメージを実現するためには何が必要かという観点で何を学ぶかということを選ぶようにしたほうがいいと感じます。
ヴィジョンの見えない教育システム
その視点に立つと、いまの大学のスタンスってすごく曖昧なんじゃないかなって思います。いったい大学というところは、ある程度純粋に学問を究めるところなのか、バリバリの職業訓練校なのか、はたまた人生を生きるうえで大切なことを教えてくれる/学べる場所なのか。どうもそのあたりのスタンスが著しく不明瞭で、学部や学科の構成をみても、そのあたりのヴィジョンが明確にあるようには見えません。
それだと大学に学びに行こうと考える人も、大学から優秀な人材が出てくるのを期待する企業も、何を大学に期待でき、それに大学がどう応えてくれるのかが想像できません。ちゃんとそのへんデザインされてないよなーって感じます。それで学生の数を増やそうとかいってもむずかしいに決まってますよ。
もちろん、それは大学だけの問題じゃなくて、個人も、企業も、社会も何を実現するために何が必要でどう具体的に取り組むのかという哲学やヴィジョンがなさすぎるんだと思います。だから何のデザインもできないし、具体的な動きにつながりません。何かやらなきゃ次はないのに、です。大きな意味での教育システム全体がヴィジョンを失ってしまっている状態がいまなんだと思います。次を考えなければ、いま何をすべきかはわからないのに、真剣に未来をイメージしようとする努力が非常に見えにくくなってしまっているようです。
まずは企業や社会という大きな話は置いとくとしても、まず自分の未来の絵とその実現のためのデザインを考える時間くらいは常にもつようにしないといけませんね。
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