ワーク・シフト/リンダ・グラットン

ひさしぶりに書評記事を書いてみようと思います。
取り上げるのは、ロンドン・ビジネススクール教授のリンダ・グラットンが2025年をターゲットとして「働き方の未来」を考察した1冊『ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉』です。
とにかく必読だと思います。

ワーク・シフト

この本に関しては、すでに十分すぎるほど話題にはなっていますし、いろんな方が紹介&絶賛している1冊です。販売のほうも好調のようです。

ですので、あらためて僕が紹介するまでもないと思わなくもありません。
けれど、この本が扱う「働き方の未来」というテーマに関しては、僕自身、積極的に考えたり、実践的に動いたりもしたいと思うと同時に、いろんな方と話をしていきたいと感じています。
だから、ここで書評記事という形をとって書いてみたいのは、単純な内容の紹介というより、この本を読みつつ、あらためて感じた「未来の生き方」についての僕自身の考えです。

今後10数年の間に働き方に関する古い常識が次々と葬り去られる

まず、この本を読んで著者からの一番のメッセージだなと感じたのは、2025年を幸せに生きるためには、人それぞれの主体的な選択とそれにともなうリスクの覚悟がこの上なく重要になってくるから、それに備えてシフトをはじめよう!ということだと思います。

今後10数年の間に、仕事の世界で多くの変化が起き、キャリアや働き方に関する古い常識が次々と葬り去られる。世界中の企業でピラミッド型の組織構造が崩れ、全員が毎日午前9時から午後5時まで働くという勤務形態が揺らぐ。昔であれば不利な状況に置かれていた国に生まれた人たちも、グローバルな人材市場に加わるチャンスを手にする。

著者は、今後10数年の働き方の未来を形作る社会の変化として32の要素をあげていますが、例えば、それらの要素を視野にいれると、上記の変化の他にも以下のような形で社会は変わってくることが予測されます。

  • 世界の50億人がネットで結ばれ、
  • 世界中のどこにいても24時間クラウドを通じてさまざまなサービスやデジタル化されたあらゆる知識にアクセス可能となり、
  • バーチュアル空間でのコミュニケーション技術の進展で新興国のみならずいまは後進国とみなされている国に住んでいる人でも低価格化する教育コストの恩恵も受けて高等教育も自由に受けられるようになり、
  • 本人の努力さえすれば世界中のどこにいても報酬の高い仕事ができる一方で、
  • そうした新たな人材輩出国の出現で先進国に住んでいるという人材競争面での優位性はなくなり、
  • 寿命も延びて先進国の都市部に住んでいても引退後に貧困になるおそれがあったり、
  • マネジメント層やリーダー層の役割を担う女性が増えたりと女性の力が強まり、女性の価値観が変化すると同時に、ライフワークバランスを重視する男性が増えて所得を減らしてでも家族と過ごす時間を多く採りたいと考えるようになったり、
  • エネルギやー環境面の問題が深刻化してモノを作ったり自由に移動したりといった消費にストップがかかったりもする。

こうした状況で、僕らはとにかく急激に増える働き方・生き方の選択肢のなかから、自らの価値観に従って、主体的に自分の働き方や生き方を選びとらなくてはならないわけです。
しかも、選択するだけでなく、それによって自分や家族の人生において手に入れられるもの/失うものが大きく変わるのだというリスクも覚悟しなければなりません。

賢い選択をする能力がますます重要になる

この選択と覚悟こそが、未来の働き方を考える際のキーになるものだと思います。

従来、他人が用意してくれたレールに沿って自分の働き方や生き方を決めてきた人は、まず、自分自身の価値観に従って自分自身の働き方や生き方を選択しなくてはならないというように意識をシフトすることが最も大事なことだと思うのです。



自分自身の価値観に従った形での選択と覚悟を通じて未来に臨めば、自由で創造的な人生を送る可能性のある「主体的に築く未来」に向かうこともできますが、逆にこれまで同様に、自分では何も考えずに、ただ世間が与えてくれる働き方や生き方に甘んじて「漫然と迎える未来」への道を歩んでしまえば、孤独で貧困な人生しか待ち受けていないということになると著者はいいます。
「私たちがどういう未来をつくり出すかは、どの会社に勤めているかより、一人ひとりがどういう希望やニーズ、能力をもっているかで決まる」と書かれているように、今後10数年の間に、自分自身が生きている未来の形を決めるのは、従来のような他者(会社)ではなく、自分自身の価値観やそれに従って行なう行動になるのです。

私たちは、あらゆることを自由に選べるわけではない。どの会社で働いているか、どの社会で生活しているか、どのコミュニティに属しているかによって制約を受ける。しかし、どういう環境で生きていても、自由に選択できる部分はある。すべてを環境任せにして、自分で選択するのを放棄するのは簡単だが、それは、ドイツの心理学者エーリッヒ・フロムが「自由からの逃走」と呼んだ態度、すなわち会社や社会の規範に同調し、自身の個性を軽んじる態度にほかならないのかもしれない。

もし孤独で貧困な人生を送ることになる「漫然と迎える未来」を迎えたくなければ、すくなくとも僕たちには「自由からの逃走」を続けていく選択肢だけはいますぐにでも放棄しなくてはいけないのでしょう。
自身の選択によって、その後の人生が大きすぎるほどの違いが生じるリスクを前にしても、僕らはこれまで以上に自由な選択肢のなかから、自分がどのように働き、どのような価値を得て/放棄して生きていくのかを、自分自身で決めて生きていかなくてはいけなくなるのです。
そして、おそらく僕らを迷わせる選択肢の自由度はどんどん増えていくのです。つながった世界に生きる階層のないフラットな人びとの多様性がさまざまな自由を欲し、世界はそれに応えていこうとするでしょうから。

そんな中でも僕らは常にリスクを負いながら選択をし続けていくしかないのです。
著者のことばでいえば「賢い選択をする能力がますます重要になる」のがこれから先の社会です。

「職場は変えても、職業は変えるな」も今後の長い職業人生を生きる上では通じなくなる

新興国の台頭ですでに先進国で生まれたり住んでいるということが必ずしもグローバルな人材市場における優位性とはいえなくなってきていますが、今後はその傾向がますます顕著になり「どこで生まれたかではなく、才能とやる気と人脈が経済的運命の決定的要因になる」と著者はいっています。

サハラ砂漠以南のアフリカやインドの貧しい農村に生まれた人でも、聡明で意欲があれば、グローバルな人材市場に加わり、豊かな生活を送れる可能性がある反面、たとえアメリカや西ヨーロッパに生まれても、聡明な頭脳と強い意欲の欠けている人は下層階級の一員になるのだ。

バーチュアル空間におけるコミュニケーション技術が進歩し、どこにいてもデジタル化した安価な知識を入手でき、世界中に広がった様々な専門性のある人材とネットワークを介してコ・クリエーションができるようになれば、どこに住んでいるかは、グローバルな人材市場では何の優位性でもなくなります。
また、同時に多様な人材を必要とする企業が、多様な働き方を認めるようになればなるほど、1つの会社に長いあいだ所属してゼネラリストな働き方をする人材の価値はなくなります。

そうなれば、とうぜん、僕らは世界中の人たちとも、自社の社員以外の人たちとも、自分の職をめぐる競争関係に置かれることになります。
さらにそこに高齢化、長寿化という状況も加わってきて、年金などはとうぜん引退後の人生を支えるのに十分な機能を果たせなくなるし、70歳をすぎても働く人が増えるでしょう。

そんな風に競争が激化する人材市場で職を得ていくためには「スペシャリスト」としての能力を伸ばしていく必要があることを著者は指摘しています。
しかも、これまでよりもはるかに長くなるはずの職業生活のなかで働き口を維持していくためには、1つの専門性をもっているだけでは足りず、変わりゆく市場のなかで生き残っていけるように、人生の途中で1つの専門性から別の専門性の領域へと移っていくことも必要だといいます。



人生のなかで、自身のもつ専門性を次々とシフトしていかなくてはならない必要性は、僕自身がこれまでの人生ですでにそうしてきているので実感としてわかります。また、ある専門性から別の専門性を移ることが実際に可能であるということもわかります。
古い人は「職場は変えても、職業は変えるな」と言ったりもしましたが、それは今後は通じなくなっていくはずです。1つの肩書きに自分を閉じ込めて安心している場合ではありません。
いま、一生かけて1つの専門性にこだわるのは、単にそれでも職業人生を全うできるからでしかありません。職業人生自体が長くなれば、そのあいだに複数の専門性を渡り歩かなくてはならない必然性は増すはずです。そして、積極的に自らの職業生活を変えていく準備を常にしていなくては、本当に変化しなくてはいけないときに間に合わないません。
イノベーションが社会的にもつよく求められ、それが実際にいま以上に速度をあげて起こってくる変化の激しい社会環境において、長い職業人生を歩むということはそういうことなのです。

多様性はイノベーションの触媒

そして、もう1つ大事だと思うことは、僕らはこれから各自がスペシャリストとしての専門性を重視しつつも、これまでの「分業」や「個人主義」を背景とした働き方を捨てていなくてはいけないということだと思います。

もう1つのブログ(Think Social Blog)でもずっと書きつづけているように、これからは多様な人びとが参加する形で複雑な問題解決にあたらなくてはいけない場面が増えるからです。
そして著者も書いているように「多様性はイノベーションの触媒」です。



その意味では、最近は多様な人びとが集まる場で、いかに参加する人たちの創造性を発揮させるかという実践的な模索がいろんな形で行なわれていると思います。
いろんな場所でいろんなテーマで行なわれている勉強会やワークショップもそうでしょうし、フューチャーセンター(フューチャーセッション)やそうした場で行なわれるゲームストーミングなどの方法も同様です。
僕がふだん使っているデザイン思考のエスノグラフィーやその結果の分析、それからスケッチやプロトタイピングなどの手法も、集まった多様な人びとのあいだで、いかにバイアスを取り除いて新しいアイデアを創出させ現実的なイノベーションに結びつけるかという1つの目的で行なっているもので、やはり「イノベーションの触媒」としての多様性に期待しています。

いずれの手法でも期待されるのは、従来の「分業」や「個人主義」のためにバラバラになってしまっていた多様な専門性をもつ人たちを集結させ、複雑な問題解決のために融合させるかということだと思います。

僕自身がいま自分のテーマとして捉えているのも、デザイン思考やフューチャーセッションなどの方法を用いて、さまざまな社会的な問題の解決のために企業や自治体、それからNPOや地域の住民たちがいっしょになって課題解決に向かう場の解決に向かう道筋の設計やその場のファシリテーションを行なう実践的な活動を行っていくことです。
僕自身が、ThinkSocialという言葉を掲げてブログやFacebookページで情報発信を行なったり、ビズジェネで「ThinkSocialな時代のビジネスデザイン」といった連載記事で働き方の未来やこれからの企業のあり方をテーマに書いているのも、まさに僕自身のこれからの働き方を多様な人びとの集うイノベーションの場をデザインしファシリテーションするものへとシフトしようと思っているからにほかなりません。

働く意味の問い直し

最初のほうで書いたように、とにかく2025年を幸せに生きようと思う僕らに求められているのは、これから自分たちの働き方を未来に向けてシフトしていくために「人それぞれが自分自身の価値観で主体的に自分の働き方と生き方を選択する」ことができるようになることだと思います。

もちろん、それは簡単なことではないでしょう。
それでも…、

主体的に選択をおこない、自分の未来を築こうとすれば、ジレンマや不安、罪悪感にさいなまれることは避けられないが、選択をおこなわないという選択肢はもはやない。

僕らはこれから必死に、自分自身の働き方や生き方を主体的に選択する方法を見つけていかなくてはならないのでしょう。それは誰か他人が考えてくれるものでも、決めてくれるものでも、こうすればいいよという規範を会社や社会が提示してくれるようなものでもありません。

あくまで自分自身で自分が生きていく上で大事だと思うものは何かという面から、自分自身にとっての働く意義を問い直していかなくてはいけないのでしょう。

その答えは残念ながら、著者が「古い約束事」と呼ぶ次のようなものではないはずです。

 私が働くのは、給料を受け取るため。
 その給料を使って、私はものを消費する。
 そうすることで、私は幸せを感じる。


お金や消費のための仕事から、より自分にとって価値を感じられる充実した経験のために。

何を大事だと感じるかは人それぞれでしょう。
けれど、そのそれぞれに異なる価値を自分自身で問い直し、その答えから自分自身の働き方や生き方を見つめ直していかなくてはならないはずです。

選択をおこなわないという選択肢はなく、選択をおこなわなければそこには孤独で貧困な人生が待ち受ける未来が待っているのですから。

まずは自分の自身の仕事の未来を考えてみるためにも強力におすすめしたい一冊です。ぜひぜひ読んでください。