変身物語/オウィディウス
「創造」とか「イノベーション」という言葉より、「生成」という言葉のほうが、何かが新しく生みだされる様をその背後のしくみまで匂わせるという観点からはしっくりくる。
ようは前者の人為的なクリエイションがなんとなく陳腐に感じてしまい、後者の自然が何かを生みだす力のほうにより大きなクリエイティビティを感じてしまうのだ。実際、どんなに人工的なものでも、創作の根本には自然の影響がある。創造性を発揮する人間の思考そのものさえも。
もちろん、人為的なクリエイションを否定するつもりなどは毛頭ない。
ただ、人為的なクリエイションを考える際、今後はこれまで以上に、自然の創造力を人為的なクリエイションにどう活かせるか(あるいは、どう影響を受けているか)ということを視野に入れていくとよいのだろうと感じる。
世の中で、アート&サイエンスあるいはデザイン&サイエンスの融合などと言われているのは、そういう面も含めてのことであろう。
そのような意味において、いまから2000年も前に書かれたオウィディウスの『変身物語』は、今回読んでみてあらためて、アート&サイエンス的なクリエイションを代表するような作品だと思った。
変身は生成である。
変身は、自然の力による創造でもあり、イノベーションでもあるだろう。いやいや、人間もまた自然の一部であるのだから、殊更、自然と人工を分けて考えるのはいまどきナンセンスだ。だから、わざわざ「自然の力による」などとことわる必要などない。自然と人工のもつれをあらためて認識する…