ブログにおける議論について(1)〜Preliminary remarks〜
ブログというスタイルは、本来議論をするのに向いているのではないか、そう考えるのである。
私のように思考の速度が人より遅く、掲示板形式だと機を失いがちな人間にとっては特に。トラックバックを用いた場合、相手側にも発信者側にもログが残されるので、検証も容易い。そしてネット上に開かれている故、第三者にも見られているという意識の元、抑揚の効いた論調も期待できる。コメント欄を開いていた場合、第三者による示唆も得られたりする場合がある。と、ここまではいわばハードウェア的な話。
肝心なのは、どのように議論をしていくか、というソフトウェア的な話なのだが、それについては馬車馬さんが現在展開されているエントリ(その1、その2)が大変参考になる。その2ではある意味べからず集となっていて、わかり易いのでおすすめなのだが、本エントリではそこより二つの小見出しをピックアップする。
・「主張」を批判するのではなく、「主張した人」を批判する上段は要するに人格とロジックを分離すべし、という至極当然の話なのだが、ブログ界隈のトピックを見る限り、残念ながらその当然のはずの話ができていない。例えばプロ野球再編問題等。直接自分の糧に結びつく人が殆ど居ないという点で、ある意味議論の練習には最適な題材であると思えたが。
・情報量をひけらかす
下段はプロの評論家やジャーナリストの方に問い合わせた場合にも見られるが、「素人は黙ってろ」、あるいは「現場を経験すればわかる」等のニュアンスで語られたりする。あるいは日常会話で、「結婚すればわかるよ」とか。この類の言葉を言われると、そこで議論が停止してしまうのだが。必要とあらばそこらへんの情報も言葉で提示してもらいたいかぎりだ。これも当たり前の話。
今後ブログが議論ベースとしても定着して欲しい私としては、そうしたことに留意していきたいと考えている。
最後に、本エントリを考えている途中に興味深い現場を目にしたので紹介する。極東ブログのfinalventさんの日記で、スーダン・ダルフール問題についての社説に付けたコメントに対して、社説の執筆者である白戸圭一さんから反論が寄せられた。全体的な流れはリンク先へ行って頂くのが最適だが、少しだけ、白戸さんの文章を引用しておく。
インターネットの世界で空想を膨らましているのではなく、現場へ行かれることをお勧めします。この言葉は先に引用した、「情報量をひけらかす」に通じないか。そして、日を跨いでの反論で、finalventさんに氏名、連絡先の公開を要求している。「建設的議論を展開するうえで著しい不公平が存在」することを理由にしているが、これは人格とロジックを同一視していることにならないか。
このようなプロフェッショナル/セミプロフェッショナル/ハイアマチュア(と分けるのが適当かどうかわからないが)の件についてももやもやしたものはあるのだがいずれ。
追記同日18時:上記の論争が決着を迎えていた。両者のやり取りは示唆に富み、有意義である点が多々含まれるので最後まで目を通して頂きたい。
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Comments
giraud様
finalventさんとの一連のやり取りについて取り上げていただいてありがとうございます。やり取りが終わっている現段階では、私の申し上げたことについてある種のご理解をいただいているような感じもしますので、蛇足になるかもしれませんが、この欄に書かせていただきました。というのは、いわゆる「ブロガー」といわれる方との間で、今回のように意義を感じるやり取りができたことは、私にとっては珍しいケースであり、嬉しく思っているからです。そういう意味ではfinalventさんには感謝しています。giraudさんが「ブログにおける議論について」ということで書かれているので、現場の記者が日ごろ「ブログ」での議論についてどう感じているかを知っていただく参考になればと考え、性懲りもなく筆を取ってしまった次第です。
インターネットが普及する前、つまり新聞が紙のみで発行されていた当時は、読者から何かの反響があっても、記者は概ね次の3つの対応で済ますことができました。①紙面で再度記事を書く②個人的に答える③無視・黙殺。
いま正直に申し上げると、インターネットで新聞を読む人が増え、私たち記者は、ネットの世界での反響にどう対応すべきかが分からなくなっています。私自身、よく分かりません。私の同僚たちがどうしているかは知りませんが、恐らく多数は③の黙殺を通しているのではないかと思います。giraudさんのようにこうしたHPを開設していて、現職の記者から実名で反応が返ってきたことがどれだけあるでしょうか。
東京で勤務していた当時、記者同士の酒の席などで、このネットの世界の反響をどう考えるかということが時々、話題になったこともありました。そういう時の結論は、だいたい「ネットの世界の人間なんか相手にしてはいけない」「みんなペンネームだから好きなこといっているだけ。机をはさんで面と向かい合ったら、威勢良く反論できる人は少ないのではないか」というものでした。記者には多かれ少なかれ、そういう認識があるのではないかと思います。ただ、私個人は、これだけ多くの人がネットの世界で議論を交わしている状況をただ黙殺しておいてよいのかという整理のつかない疑問が、ずっとくすぶっていました。今も悩んでいます。ネットの中には高い水準の議論も現にあるからです。いま、日本の記者で、ブラガーの開設したHPを無視しながら仕事ができる記者は少ないと思います。記者とネットの世界との関係は、一方で情報入手にネットを使いながら、自分の記事に対するネット上の反響には黙殺を通すという歪んだものになっていると思います。
giraudさんが言われるように、反響を寄せてきた相手に対しては①主張を批判する②主張した人そのものを批判する、という2つのスタイルがあります。議論のあるべき姿が①であることは言うまでもありません。にもかかわらず、私はfinalventさんへの最初の対応で、「インターネットの世界で空想を・・・」という、とりわけブロガーの人にとっては最も嫌な感じに聞こえるであろう②の対応を選びました。それが非礼であったことについて私は既にfinalventさんにお詫びしたので、言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、さすがに私もかなり躊躇しながら敢えてそう書きました。日本で普通の暮らしを送っているであろう人に「文句があるならスーダンの砂漠まで行きなさい。行かないうちは文句を言うな」とは、さすがに私も思っていません。それは言うまでもなく私の仕事です。
にもかかわらず、そう書いた理由はやはり、ひと言でいうなら「貴方は何者ですか」という不信感、猜疑心、そして正直に告白すれば恐怖心です。
新聞が紙だけの時代の反響と現在のネットでの反響には、ご存知の通り決定的な違いがあります。紙だけの時代には、どんなに批判的なコメントを寄せた人がいようと、読者同士はなかなか連帯できませんでした。市民運動のように組織して会社に乗り込んでくる人たちもいましたが、それは少数の例であり、記者は暴力団も相手にしているので、こうしたことへの対処には慣れています。何より、互いに顔が見える中で話を進めるので、何度か会っているうちに友人になってしまってしまったり、一定のモラルの中でやり取りができました。主張の違いをそのままにして置きながら、人格的な部分で結びつくということが比較的容易だったように思います。
しかし、「ブラグ」の登場は、こうした環境を激変させました。読者同士はネット上で簡単に「連帯」できます。しかもその「連帯」は、多くは匿名の無限連鎖です。記者は最初からただ一人身元が割れている存在であり、いったんネット上の論争の世界に入っていけば、それは完全に個人の「戦い」であって、日ごろ隠れ蓑にしている大新聞の看板は、ここでは何の役にも立ちません。伝統的な「顔の見える関係の中で人格をさらけ出してお付き合いしましょう」という志向は、ネットの世界では最初から希薄です。結果として私が恐いように、多くの記者も人間である以上、恐いのだと思います。現にここでまた、匿名の海の中に実名をさらして書いていることも、私には少々恐いことであります。そこで、記者が多くの場合に選ぶのが③の無視・黙殺です。
私はネットの発達は新聞記者の情報独占と特権化をぶち壊すうえで大いに歓迎すべきことだと思ってます。記者はもっと市民の世界に引き戻されるべきです。そう思い、時々、恐る恐るネットの世界へ入ってみることがあり、今回もそうでした。幸いfinalventさんは私の最初の失礼な対応にもかかわらず、博識と明晰な思考で話を進めて下さる方だったので救われました。他にもそうした「ブラガー」は大勢いると思います。ただ一方で、ネット上にニセの「白戸圭一」が登場したり(あったんです、こういうことが。私の妹が気付いて大騒ぎ)、読んで疲れるだけの居丈高な説教や誹謗中傷が「匿名→実名」という関係の中で返ってくると、再び「黙殺の世界」に逃げ込みたい誘惑にもかられます。
finalventさんの日記に別のブラガーの方が登場し、ご自身の日記で私とfinalventさんの一連のやり取りを取り上げたと言っておられました。拝見したところ、我々記者がブラガーの方々に対して相当の偏見を抱いているように、ブラガー側も新聞記者に相当の不信(ある部分は恐らく偏見)を抱いていることが書かれていました。私はこれは極めて不幸なことだと思うので、時々、このような形でネットの世界へ足を踏み入れさせていただきたいと思います。長くなりました。
Posted by: 毎日新聞 白戸 | October 19, 2004 09:52 PM
白戸さん、コメントありがとうございます。
>記者の三つの対応
理解出来ます。一人対多数、の構図ですので、人気ブログもその傾向があるくらいですから。
>記者の方のネットへの対応
ですが、これから、なのでしょうね。特に対ブログは。
>現職の記者から実名で反応が帰って来たこと
一度あります。下記にログがあります。
http://giraud.way-nifty.com/lune/2004/10/post_4.html">http://giraud.way-nifty.com/lune/2004/10/post_4.html
今回の件と相まって毎日新聞の方は私の中で好感度上昇中でございます(笑)。
>一方で情報入手にネットを使いながら、自分の記事に対するネット上の反響には黙殺を通すという歪んだもの
精神衛生に良くなさそうな話ですね。
>finalventさんへの最初の対応
ですが、後から、あ、これは意図的だなと受け取りました。エントリを上げた後なので様子をみた後、追記しておいたのはそれもあります。拙ブログの方針としまして、書いてオープンしたものを無闇に削除・改変しないと密かに誓っておりまして、間違いや修正も追記でフォローしていくことにしております。私なりの文章への責任(と書くと大げさかも知れませんが)と受け取って頂ければ幸いです。
>恐怖心
何かで見聞きしたことですが、恐怖心を軽減させるのは知識だとありました。私がそうですが、分からない/把握できない事象には恐怖を抱き、避けがちです。これを解消していくには互いに語り合うことしかないと思います。今回の件で互いの不振が少し解消されたと思うのですが、まだ初めの一歩なのでしょうね。
>ネットの世界へ足を踏み入れ
日本での現状を俯瞰するに、思いっきりフロンティアの立場になると思われます。それはとりもなおさず矢面に立たれるということで。私としてはそれでも継続して頂きたいと願います。
正直、コメントにはワクワクしました。これからも宜しく御願い致します。
Posted by: Giraud | October 20, 2004 09:01 AM
どうも。以前投稿した匿名失礼です。
Giraudさん良かったですね。実名の現役新聞記者からコメントもらえるとは。メルアド晒すだけでも億劫なのに実名晒すのは相当の負荷があるはずですよね。その方に真摯なコメントを戴けるとは羨ましい。
Blogを通じて意見を述べるということは、=自分の意見は正しい、と表明することになり、それは取りも直さず、他者の意見とは異なりますよ、ということに成らざるを得ないわけで、そこに議論が生まれる。でもって、このときに大事なのが、異論反論に対しての処し方だと思います。面白いもので、言葉だけの世界ではありますが、あるいはそれ故ということでしょうか、その人の生きてきた品格がもろに出てしまうような気がします。それは決して勉強量の違いとか、文章力の巧みさとは違うところにあるような気がします。
そういったわけで、私めがBlogを始めるのはもう少し自分を磨いてからと思っております。
Posted by: 匿名失礼 | October 20, 2004 05:28 PM
匿名失礼さん、こんばんわ。
白戸さんからのコメントは、え、私のところへ?というある種の驚きがあったんですよ。その前のやり取りを第三者的に眺めていただけに。
>真摯なコメント
これが何よりありがたいですね。その意味で匿名失礼さんのコメントもありがたいです。
異論反論はですね、興味深いと思っているんですよ。喧嘩上等、という訳じゃないんでそればかりだと凹んでしまうような気もしますが。
品格と文章力、私はどうだかわからないですね。何より読まれた方が決められることだと思ってますんで。そしてそれらは心の中に停めて頂いて(笑)
勉強量はノーコメントで(泣)
>Blogを始めるのはもう少し自分を磨いてから
そうおっしゃらずに、こっそり始められることをお薦めします。カウンタはつけると気が滅入る可能性がありますけど。
Posted by: Giraud | October 22, 2004 12:06 AM