2010.05.17

全国民必読 「この国はどこでどう間違えたのか」急速に衰える国力を憂う 

丹羽宇一郎(伊藤忠商事相談役)×田中秀征
(元経企庁長官)×田原総一郎(ジャーナリスト)

 多額の負債を抱え経営危機まで囁かれた伊藤忠をV字回復させた丹羽氏。細川内閣で首相補佐を務め選挙制度改革を成し遂げた田中氏。二人なら、いまの日本の転落をどう止めるのか。田原氏が迫った。

ヤワな日本、したたかな中国 

田原 先日、万博開催直前の上海に行ってきましたが、大変な活気を呈していました。

 伊藤忠は世界の商社のなかでも早くから中国と付き合ってきましたね。丹羽さん、現在の中国の勢いをどうご覧になっていますか。

丹羽 我々が中国とのビジネスを始めて38年になります。その中国はいま、生産国から巨大な消費市場に変わろうとしています。

 ちょうど1970年代前半の日本と同じです。

田中 大阪万博の開催が'70年。重なり合うものがありますね。

丹羽 日本やBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の歴史を振り返ってみますと、各々の国に経済発展段階があることに気づきます。日本は'55~'90年が最も華々しい経済成長期でした。

 この35年間で、輸出額は7200億円から41兆円と57倍に、雇用者報酬は3兆5000億円から231兆円と実に66倍に増えています。

田原 凄い勢いだ。

丹羽 経済白書が「もはや戦後ではない」と記したのが'56年。

 当時から一貫して日本の高度成長を牽引したのが輸出だったわけです。それもアメリカという大消費国があったからこそで、自分の生産力以上の消費をするアメリカは、「浪費を作り出す人々」とまで言われました。

 この傾向は現在も続いていますが、ただ、アメリカの貿易赤字の60%は今や中国が占めるようになりました。

田原 いまやアメリカの本当に大事な貿易相手は日本ではない、と。

丹羽 そうです。日本の輸出産業が潤うことで雇用者報酬を増やし、それが国内の消費に回っていくのが'70年代前半でした。

 一方、6年前の中国の個人消費は83兆円で、日本の約3分の1(日本は284兆円)でしたが、いまは170兆~180兆円。急速に日本の6割程度にまで迫ってきた。日本の'70年代前半同様、中国経済を牽引する力が、外需から内需へとシフトする時期にきているのです。投資先も製造業から非製造業へと変わりつつあります。

田原 伸び盛りの中国に対して日本はどうかというと、経済産業省が最近まとめた『日本の産業を巡る現状と課題』によれば、一人当たりGDPが2000年には世界第3位だったのに、'08年は23位。

 IMD(国際経営開発研究所)の国際競争力調査では'90年の1位から'08年には22位に転落しています。田中さん、日本経済はどうしてこんなに行き詰まってしまったのですか。

田中 最大の要因は'91年にバブルが弾けてからの政治の対応がまずかったことでしょう。'88~'89年のリクルート事件以後、政治が熱病のように「政治改革」にとりつかれていて、重要な課題が横に置かれたままになってしまった。

田原 重要な課題? 

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