愛国ソングの誕生を振り返った前編に続き、「反リベラル」の動きが盛んとなって以降のポップミュージックの流れをたどる。桜ソングの流行、そしてW杯からの影響……こうして愛国ソングの30年を跡付けた先には、「排外主義なき愛国」をいかに実現するかという課題が見えてくる。
「反リベラル」なヤンキーポップ
90年代の歴史教科書論争、小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言SPECIAL・戦争論』(1998)のヒットにより準備されてきたサブカルチャー領域の右傾化動向は、2002年の日韓ワールドカップをきっかけに顕著になる。
この時期のサブカルチャーの右傾化動向については、倉橋耕平『歴史修正主義とサブカルチャー』が詳細に分析しているが、90年代から2000年代にかけての「右傾化」は、素朴な愛国心の発露というよりも、朝日新聞や岩波書店に象徴される「戦後リベラル」に対するサブカルチャー的な反抗であると考える方が理解しやすい。
音楽の文脈ではどうだったか。過去を振り返ると、70年代のロックやフォークの日本的受容をルーツとするJポップを、曖昧なかたちで包んでいたのは、左派リベラルに親和的な個人主義のイデオロギーであった。
日本のポピュラー音楽の中で例外的に政治や社会を歌ったもの(60〜70年代のフォークソングなど)もまた、左派的なメンタリティに基づいたものが大半であった。当時の歌の中で「ニッポン」が前景化されることが少なかったのもそのためである(高田渡「自衛隊に入ろう」(1968)が皮肉として機能したのはそのような文脈の存在による)。
だが、2000年以降のJポップに目立ってくるのが、こういったリベラルな価値観を逆撫でするかのように、高らかに共同体主義や家族主義を歌う曲である。
「一生一緒にいてくれや/俺を信じなさい」と歌う三木道三「Lifetime Respect」(2001)は、現在の観点からはシンプルなラブソングでしかないのだが、当時のネット界隈では保守的な家族主義の吐露として嫌悪感が示されることが多かった。
これ以降、湘南乃風やケツメイシなど、どこかヤンキー的な雰囲気で地元や家族への愛を歌い、家父長制的な価値観にも親和性が高いグループがヒットを飛ばすようになっていく。
「桜ソング」と愛国
その意味で「桜ソング」の流行も、戦後ポップスのパラダイムを相対化する動向といえるだろう。北中正和の指摘(「桜ソングのルーツとしてのあがた森魚の「赤色エレジー」」)によれば、軍国主義の象徴だった「桜」は、戦後歌謡曲やフォーク、ニューミュージックで無意識に避けられ続けてきた主題だった。
だが2000年の福山雅治「桜坂」の大ヒットをきっかけに、2002年の宇多田ヒカル「SAKURAドロップス」、2003年の森山直太朗「さくら(独唱)」と、桜を主題としたJポップのヒットが続き、桜ソングはタブーどころか、季節物としてJポップの恒例行事となっていく。90年代までは決して考えられなかったことがここでは起きている。
ここにも、ポピュラー音楽における戦後リベラル的価値観の弱体化を見て取ることができるだろう。
同様の文脈で、天皇即位十年を祝う祝典で奉祝曲を演奏したX JAPANのYOSHIKIに対して、リベラル系の大学教員が公開質問状を出し論議を呼んだのも1999年の出来事である。
このように、2000年前後からの日本のポップ・ミュージックには、さまざまなかたちで「アンチリベラル」な動向が浮上し始める。その延長にあるものが一連の愛国ソングといえるだろうが、そこには微妙だが決定的に異なる系譜もまた存在する。