「直虎」にだけある特徴
大河ドラマ『おんな城主 直虎』(以下『直虎』)が1年の長丁場を終えた。大河ドラマといえば、歴史上の人物を主人公とした時代劇として、1963年以来の長い歴史を誇るNHKの看板ドラマ枠として名高い。視聴率が低下したと言われても、主役の俳優をはじめ主要キャストはCM露出が増えるなど、信頼感、安定感はいまだ健在である。
2013年の『八重の桜』以来、隔年で女性主人公をとりあげてきた大河ドラマは、“女性活躍”や男女共同参画という近年の社会の動きに敏感に対応している。
だが、史実に依拠したドラマを作るという制約上、女性主人公の設定には苦慮してきた。
北条政子(『草燃える』1979年)、ねね(『おんな太閤記』1981年)、川上貞奴(『春の波涛』1985年)、春日局(『春日局』1989年)らは、歴史上数少ない女性著名登場人物であったが、思い切って近代の架空の女性医師をとりあげた『いのち』(1986年)を除いては、やはり王道の歴史的人物を模索し、『江』(2011年)『篤姫』(2008年)と、著名に近い登場人物を取り上げてきたうえで、ついに、無名女性を発掘するという新機軸にうってでた。
『八重の桜』(2013年)の新嶋八重、『花燃ゆ』の美和(文、2015年)、そして『直虎』(2017年)が、この新路線を支えてきたが、実は、これら無名女性主人公もののなかでも、最新の『直虎』には、過去の女性主人公ものにはない多くの際立った特徴がある。
そこには女性作者からの現代日本社会へのメッセージ性が色濃く感じられ、ドラマが社会をうつす鑑であるという言葉が、これほどあてはまる作品もない。では、『直虎』のどこが現代日本社会へのメッセージとなりえているのか。
まず、これまでの女性主人公たちとは異なり、直虎は出家したので配偶者がいない。一時的に農民になった際に、龍雲丸という盗賊をパートナーとするが、あくまでも一時的パートナーシップであり、終幕近くに龍雲丸と再会しても、現世でパートナーに戻ることはない。
これは、“女性は結婚、出産してなんぼ”という固定観念が色濃かった昭和期に比べると、シングル化が進んだといわれる現代だからこそ可能になったヒロイン像といえる。
北条政子は源頼朝、ねねは豊臣秀吉と、妻以上に超有名な配偶者がおり、妻の知名度が夫を超えることはなかった。『利家とまつ』(2002年)のまつも、タイトルどおり利家の妻であり、夫の知名度に依存した女性活躍という面は否めない。
これは、幕末から明治にかけての近代ものでも同じであり、貞奴の夫は川上音次郎、山本八重は新嶋襄の妻、美和は初婚の夫が久坂玄瑞、再婚相手は群馬県令・楫取素彦と、やはり夫は社会的地位を確立している。
この現象は、現代のメディアに登場する女性(故人となったが、野村元監督の妻が典型例。デヴィ夫人も、彼女自身の人間性にカリスマ性があるには違いないが、呼称自体が配偶者の立場を表現する)にも見事にあてはまる。ドラマにせよ現実にせよ、女性のメディア露出において、配偶者の重要性がいかに大きいかの証左である。