安定する与党、低迷する野党
自民党・公明党の連立へと政権が交代したのは、2012年12月のことであった。以来丸4年が経ち、その間に13年参議院選挙、14年衆議院選挙、そして16年参議院選挙と3回の国政選挙があり、いずれも与党が勝利を収めた。
連立与党は衆議院で3分の2の勢力を確保し、参議院でも13年以降は過半数を占めるようになった。首相は一貫して安倍晋三であり、同じく官房長官を続ける菅義偉の在任日数は、16年7月に歴代最長に達した。
他方で、野党第一党の民主党は政権を失ってから党勢が回復せず、維新の党の合流によって16年3月には民進党と名称を変えた。その直後、夏の参議院選挙では共産党を含む野党共闘を推し進めたが、支持率などで自民党に大きく水を開けられた状態が続いている。
15年の安保法制反対運動以降、抵抗野党路線がとられており、社会経済に関して与党への代替案を示すための基軸は見つけられていないように思われる。
安定する与党と低迷する野党──。この明瞭な構図の下で、安倍政権は堅固な基盤を維持している。小選挙区制中心の選挙制度の下では、大政党の公認候補になることが当選にとって決定的な意味を持つため、党執行部(党首を筆頭とする幹部)の影響力が大きくなる。
その分だけ執行部の責任も重大になるのだが、高い内閣支持率が保たれ、連続して国政選挙に勝つという結果を残すことによって、首相に対する与党内からの異論が出にくい状態を作り出すことに成功している。
そこに官邸主導、安倍一強といわれる政策決定過程が現出したことは、当然であった。安倍政権に対して批判的な立場からは、外交・安全保障分野を中心に保守派の首相が唱える「危ない政策」が次々に決まってしまうとの懸念が提起されている。
だが、批判する人々が考えるほど「危ない政策」なのかという議論は措くとしても、政策の決まり方という観点からは、これほど堅固な基盤を持つ政権が目指す政策を推進できないとすれば、その方が問題であるというべきであろう。
このような基調と比較した場合に、2016年に顕在化したのは、むしろ内政における安倍政権の意外な「突破力の弱さ」ではなかっただろうか。