『この世界の片隅に』は優れた“妖怪”映画だ!民俗学者はこう観た
日本人が生きてきた「残酷な現実」方言とカタストロフ
こうの史代の原作を片渕須直が監督したアニメ映画『この世界の片隅に』を公開初日に観た。原作を民衆史の一断面を描いた傑作と評価するファンとして、映画からも、次のようなことを改めて確認した。
それは、「広島」という町が孕む濃厚な “死”のイメージであり、日本家屋の「間取」が持つ意味であり、登場人物の出会いや別れに、“物の怪(モノノケ)”が大変重要な役割を果たしていることである。結論から言えば、『この世界の片隅に』は優れた“民俗映画”であり“妖怪映画”だった。
『この世界の片隅に』は、広島市の海に近い江波(えば)と草津、そして南東にある呉市という小さな世界を舞台にしている。しかしこの地域は、第2次世界大戦という地球規模のカタストロフのなかで、特別な位置を占めることになる。
枢軸国の、日本の、広島市は、世界で初めて原子力爆弾を投下された都市であり、南東部の呉市には重要な軍事施設があった。呉が“東洋一”の軍艦工場になったのは、それほど古くからではない。
1889年(明治22年)7月、第2海軍鎮守府として呉鎮守府開庁するまで、瀬戸内に面する呉は海村だった。呉鎮守府の軍法会議の録事であるすずの夫周作、航空機開発を担う広海軍工廠勤務の義父円太郎、朝日町の遊郭で働く白木リンも、呉の軍需産業と強く結びつき、日本軍の浮沈に翻弄される。
すずの姪の晴美が、呉港を高台から見下ろし、船の種類や名前をよく憶えているのは、いじらしくもあり、当時の少国民の関心をよく表わしている。
周作もすずに、入港する巨大船に向かって、「大和じゃ! よう 見たってくれ/あれが東洋一の 軍港で生まれた 世界一の戦艦じゃ 『お帰り』言うたってくれ すずさん」と言って、肩を抱く。
こうした呉は漫画・アニメの世界では、松本零士の『宇宙戦艦ヤマト』を生み出だした遠因でもある。
映画では、のん(旧名・能年玲奈)が主人公すずの吹き替えを務めている。映画『この世界の片隅に』が興業的に成功を収めたとすれば、のんの抜擢によるところが大きいということになるだろう。
NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の天野アキは、東日本大震災の被災地、三陸地方の方言をお茶の間に滲透させた。“方言のヒロイン”は芸名を変え、久慈弁から広島弁の使い手として再登場したのだ。
『この世界の片隅に』は、地方の言葉で、地域性を強調する点で、アニメ映画『君の名は。』と共通する。しかし、『君の名は。』の糸守村が、あくまでも架空の村であるのに対し、『この世界の片隅に』の町は過去の現実を写し出す。
街並みが、あるいは田舎の風景が感情を述べること──。そこで交わされる方言によって、景観は初めて具体的に立ち上がるのだ。