なぜ記者はこうも間違うのか!? 消費増税見送り解散&総選挙には大義がある
「ポチ取材」ばかりしているから間違える
消費増税先送りで解散総選挙への流れが確定的になった。
私は10月22日午後のニッポン放送『ザ・ボイス〜そこまで言うか』(書き起こしはこちら)で初めて解散総選挙の可能性を指摘して以来、このコラム(初報はこちら)や『週刊ポスト』の「長谷川幸洋の反主流派宣言」(抄録はこちら)、あるいは『たかじんのそこまで言って委員会』など、いくつかのテレビ番組でも一貫して「増税先送りから解散総選挙へ」というシナリオを強調してきた。
ついでに言えば『ザ・ボイス』や「反主流派宣言」では、景気の見方について日銀最高幹部の間で意見が割れている内幕についても指摘している。それからまもなく10月31日に日銀が追加緩和に踏み切ったのはご承知のとおりだ。強気派の黒田東彦総裁が敗北したのである。
マスコミには「追加緩和は消費増税の環境づくり」といった報道が相次いだが、それがまったくトンチンカンだったのは、増税先送りが確実になったいまとなってはあきらかである。11月21日号の「反主流派宣言」はその点も書いた(抄録はこちら)。
解散総選挙のシナリオについては、最初にラジオで喋ってから新聞やテレビが報じ始めるまで数日の間があった。正直言って、私は今回ほど政治記者や経済記者の鈍さ、理解の浅さについて唖然とした思いにかられたことはない。彼らはどうして、こうも見事に間違えるのか、あるいは政局の流れを読めないのか。
その理由を突き詰めて考えると結局、政治記者も経済記者も同じ「ポチ取材」ばかりしているからだ、と思うようになった。取材相手に取り入ることばかりに熱心で、自分の頭で経済の実態やあるべき政策の姿、あるいは政治の正統性といった問題について考えていない。だから間違えるし、政局の本質が読めないのである。
それは、解散総選挙が決定的になったいまも続いている。この調子だと、これからもずっと間違い続けるだろう。その結果、読者や視聴者はいつまで経っても政策の意味や政治の流れを理解できない。これは日本のジャーナリズムが抱えた奥深い病である。今回はそこを書く。