引退したプロスポーツ選手のうち、指導者や解説者になれるのはほんの一握りのスターだけ。だが、「しょうがないからサラリーマンでもやるか」という気持ちで通用するほど、社会は甘くはない。
すべてをかけてきたのに
上野広小路の商店街、様々な店が立ち並ぶなかに、ピンクを基調にした看板を掲げた小さな靴屋があった。その店頭に、プロ野球ファンなら見知った顔がある。元ロッテの正捕手で、4番も務めた橋本将(37歳)だ。
「'11年、戦力外通告を受け、小学生からずっとやってきた野球ができなくなった。トライアウトも受けましたがどこからも声がかからなかった。僕はそのとき、人生を変えるチャンスかな、と思いました」
橋本は現在、海外の人気シューズブランド「アイラブフラット」のフランチャイズ店を上野御徒町で経営している。つまり「靴屋」になったのだ。
「友人の勧めもあってこの職に就きましたが、現役のころに靴やファッションに興味があったわけでもないし、ゼロからのスタートでした。
人間、置かれた環境が変われば、精神的にも変わらなければならない。プロで4番を打ったからといって、いつまでもプロ野球選手のプライドを持っていても、一般社会では食べていけませんからね。店頭でお客さんに頭を下げるのも、今の僕の仕事です」
店がオープンしたのは今年4月。今のところの売れ行きはどうか。
「すごくひどいわけではないですが、トントン拍子でもありませんね。商売だからよいときも悪いときもある。景気にも左右されるし。自分が打てばいい野球とはそこが違います。今後どうなるかわかりませんが、やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいいですから」
プロスポーツ選手たちが、引退後はじめて挑む「就活」。社会の一般常識もろくに学ばぬまま、人生のすべてをスポーツにかけてきただけに、彼らが直面する就活の厳しさは学生の比ではない。
元Jリーガーの阿部祐大朗(29歳)も、そんな現実を味わった一人だ。
「幼稚園の年長から、サッカー漬けの人生でした。だからプロを辞めて、サッカーから離れたとき、何をやったらいいのか、自分に何ができるのか、全くわかりませんでした。最初に面接に行ったのは、好きなファッション雑誌を出している出版社。その後は、広告代理店や環境関連の会社、塾の講師など、いくつも受けました。覚悟はしていましたが、なかなか採用には至りませんでしたね」
「10年に一人の逸材」と言われ、高校時代から各世代の日本代表に選出されてきた阿部も、サッカーという最大の長所を失えば、一般企業の求める人材ではなかった。