
取材・文/ 松本創(ジャーナリスト)
【第4回】はこちらをご覧ください。
真面目で優秀で職務に忠実な記者たち
「平松(邦夫・前大阪市長)さんの頃に比べて、橋下(徹・市長)さんへの追及が弱いのは確かだろうけど、じゃあ以前は現場の記者たちが大阪市政や市長に対して、ジャーナリスティックな鋭い批評や論考を書いてたかというと、それは平松さんの頃もなかったですよ。
現場の記者はやっぱり取材対象を追いかけ、新しい動きや情報をとらえて記事にしていくのが仕事。いくら不要だと思っても、会見があれば出ざるを得ないし、上から『これを聞け』と言われれば質問するでしょう。
どんな視点で取材し、どういう切り口でニュースにするかという編集方針とか、論説・批評みたいなことはデスクなり論説委員の仕事。だから、橋下さんに関する取材・報道が過剰だとか、そのわりに批評や検証が不十分だとあなたが思うなら、それは現場の記者よりもやっぱり本社にいるデスクや編集幹部の問題だと思いますけどね」
大阪市政を継続的に取材し、『橋下徹 改革者か壊し屋か』の著書もあるフリージャーナリスト、吉富有治の見立てである。私が「囲み取材や定例会見が"放談会"と化している」「発言を垂れ流すストレートニュースばかりで、検証や分析・批評の視点が弱いのでは」と意見を求めたことに対する答えだった。
私は常々、新聞は、今起きている事象・現象を「報じる」ことには長けていても、その背景なり、社会的意義なり、歴史的文脈なりを検証・考察し、「論じる」「批評する」「意見を述べる」といった機能が弱いと感じてきた。
ストレートニュース至上主義。速報性重視。スクープやスキャンダル偏重。考えたり論じたりする記事は「理屈をこね回している」に過ぎず、「学者や評論家の仕事」と遠ざけられているような雰囲気があると感じていた。新聞社を辞めた理由の一つは、そこにある。
事件事故や災害、政局や不祥事といった目の前の出来事をとりあえず追いかける。報道合戦に熱くなる。理屈を言うより現場を歩く・・・そういう社会部記者精神みたいなものがジャーナリズムに不可欠なのは言うまでもない。だが、速さや瞬発力や機動性にばかり偏っていると「今」しか見えなくなる。
次から次へ、目新しい変化や動きばかり追っていると考えは深まらず、立ち止まって検証することをしなくなる。そして、誰もが納得しそうな「不偏不党」にして「公正中立」、無難な意見や論評しかできなくなる。
テレビコメンテーターから国政のキーマンへ、あっという間に上り詰めた橋下徹という新進政治家(大阪府知事就任から、まだたった5年半だ)の躍進は、「変化」や「改革」や「現状打破」をとりあえず良きものとするマスメディアの本態的な願望に支えられてきたような気がする。そして、あのうんざりするほど膨大な発言録を厳しくチェックしないまま放置してきたことが、彼の言いたい放題に拍車をかけたように思うのだ。