近年は発達障害への社会的な理解が開かれ、企業もその特性に伴った対策が講じられるなったものの、ほんの数年前までは、その個性も「空気が読めない人」や「面倒なタイプ」と一刀両断に見られることも多かった。
コミュニケーションが苦手、共感力に乏しい、感覚が鋭すぎるなどの特質した個性は日本の「一律を求める」集団の中では確かに厄介に見える。裏を返せば、その特質した個性をどう活かせばいいのか、わからないというのが大半の本音だろう。

自閉症や知的障がいなどのはっきり分かる特徴が出た場合は別として、親も我が子のどこが発達障害に該当するのか、幼少期ではわからない場合が多い。言うことを素直に聞き入れるおとなしい性格や、読み書きは普通に、またはそれ以上に「出来が良い」のに、なぜか発達障害と言われてしまう。
前編記事の<運動会、お遊戯会は地獄でした…同級生から「吊し上げ」にされた、発達障害の息子への「母の悩み」>に引きつづき、発達障害の息子を育てたマスミさん(60代)の話は、そんな親の困惑がその後の子どもにどういった影響をもたらしたのかが分かる、良い例なのかもしれない。
難しい問題もスラスラと解く息子
学校へ行かないならせめて自宅学習だけはしてほしいと思っていたマスミさんは、息子に学習ドリルを渡した。そこで初めて息子の才能に気付き始めたという。
「算数ドリルを渡したら、スラスラと解いていくんです。難しい問題も苦労することはありませんでした。ハイレベルなドリルも簡単に解く姿を見たら感動しちゃって、この子はすごい!って思いましたね」