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2024.11.18

兵庫県知事選挙雑感

 2024年11月17日に行われた兵庫県知事選挙は、これまでの地方選挙の枠を超えた注目を集める選挙となった。不信任決議を受け、メディア的にバッシングされた前知事の斎藤元彦氏が再出馬し、そして民意によって再選を果たすという展開は、政治の混乱とそれに対する市民判断の新しい局面を象徴する出来事となるかもしれない。私は東京都民であり、この話題には関心がなく、メディア報道もSNSの動向も事実上無視していた。しかし、この結果には驚いた。他地域の市民にとっても、この兵庫県知事選挙の結果は地方政治にとどまらず全国的な影響を持つ可能性もあるかも知れない。
 今回の兵庫県知事選挙には過去最多となる7人が立候補し、投票率は前回の41.10%から大幅に上昇して55.65%を記録した。高い投票率とも言えるだろう。その背景には、斎藤氏の再出馬をめぐる議論や、候補者間の激しい政策論争が有権者の関心を引きつけたことがある。そして、結果的には若い世代に「届いた」。

兵庫県知事選挙戦の特異性
 今回の兵庫県知事選挙では、従来の地方選挙にはない独自の要素がいくつも見られた。まず、斎藤氏が無党派層の支持を獲得し、特定の政党の支援を受けずに選挙戦を戦った点である。当初はあたかも独りよがりにも見えた。他方、稲村和美氏や清水貴之氏は、政党や支援団体の後押しを受けながら組織的な選挙戦を展開した。
 SNSがこの選挙戦に与えた影響は、結果から見ると非常に大きかっただろう。斎藤氏は、駅頭での活動や政策をSNSを通じて発信し、それが若年層や都市部の有権者に強い支持を得た。対して、稲村氏も政策の透明性を強調する投稿を行い、支持基盤を維持したものの、無党派層への浸透は、これも結果的にだが、限定的だった。
 SNSの活用は、従来型の選挙戦術に新たな可能性を示したのだが、実態はそれ以上のものがありそうだ。候補者が直接有権者に訴えかけ、共感を得る戦術は、地方選挙のみならず今後の全国的な選挙にも影響を与えるだろうが、懸念されるのは、新しい形のポピュリズムとしての行き先が見えない点にある。

メディアの予測が外れた
 私はこの話題をほとんど無視していたが、それでも、多少は耳に入ってきた。選挙戦序盤、多くのメディアは稲村氏のリードを報じ、斎藤氏の苦戦を予想していた。しかし、実際の結果は斎藤氏の逆転当選となり、メディアの予測が外れる形となった。この背景には、有権者の情報収集手段が多様化し、メディアが情勢を把握しきれなかったことがあるのだが、その内実が存外に難しい。
 メディアの失敗原因は、SNSの影響を過小評価した点が、予測の誤算を招いたことだが。斎藤氏がSNSを駆使して無党派層や若年層に直接訴えかけた結果、メディアがカバーしきれない範囲で支持が拡大したことも明らかになったといえる。また、都市部と農村部、高齢層と若年層といった地域や世代ごとの支持動向の分析が不足していた点も、結果との乖離を生んだ要因である。
 メディアの役割が限界にある。事態は単にメディアの予想が外れたという精度の問題でない。メデイアは今後、有権者が情報を多角的に収集し、メディアだけに頼らない判断をしている現状に対応するため、報道の手法や情勢分析の精度向上が求められるといったレベルの問題ではないだろう。そもそもが、現在メデイアの本質的な問題に関わっているのだろう。そして、その点において、現在メデイアはまだまだ無知の暴走をするのではないか。

日本政治への示唆
 今回の兵庫県知事選挙は、日本の政治にとっていくつかの重要な示唆を与えることになった。今まで、「投票には行きましょう!」とあたかも自勢力への投票増えるかのような薄気味悪い正論をこいていたおもにリベラル派が、ある意味舐め腐っていた本当の無党派層というものに出くわしたと言えるのではないか。無党派層が選挙結果を左右する重要性の意味が変わった。特定の政党に依存しない候補者が有権者に訴求するSNS可能性といった話題ではないだろう。もう少し不気味なにかに思える。
 有権者の情報収集能力や判断基準が問われる、といえばプレーンだが、なにかそうした表現では表せない時代に突入しているようだ。SNSやオンラインメディアが情報の主流となる中、何を信じ、どのように行動するかが政治の行方に直結するのだが、その直結の仕方こそが、実は想定外のことではなかったか。

再選された知事と兵庫県議会
 ところで、当然だが、斎藤氏の再選は、兵庫県議会との関係に大きな課題を残している。不信任決議を全会一致で可決した議会が、再び知事の座に就いた斎藤氏をどう扱うかは今後の注目点である。議会が強硬姿勢を取り続ける場合、政策や予算執行において対立が激化する恐れがある。一方で、有権者の選択を尊重し、建設的な対話を模索する姿勢が見られる可能性もある。
 斎藤氏にとっては、議会との関係修復が県政運営の成否を分ける重要な課題となる。特に内部告発問題の再調査や説明責任を果たすことは、議会の信頼を回復するための必須条件である。県議会もまた、対立をエスカレートさせるのではなく、県民の利益を最優先に考えた対応が求められる。それは、確かにそうなんでしゃらっと議会は風向きを読むかもしれないが、うまくもいかないかもしれない。その場合のプロセスは規定上はあるが、県民に負担をかけすぎる。シーズン2が期待されるといったところか。

 

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