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2016.06.27

[書評] さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ(永田カビ)

すでに知っている人は知っているだろうし、むしろ私のほうがこの作品についてのこれまでのネットの話題を知らないほうの人なんだが、ようするにコミックである。内容は表題通りで、あまりにさびしすぎてレズ風俗に言った女性の物語である、というと簡単そうだが、概ね28歳の女性実話である。私は見ていないのだがすでに大筋はネットでも公開されているが、それは「女が女とあれこれできるお店へ行った話」となっているようで、書籍化にあたりタイトルを再考したのだろう。

そういうことなんだが、話がまとまらないが、これ、コミックでなくて、文章のレポだったらどうだろうかとも少し思った。


実際には見やすく丁寧に書かれたコミックなので読みやすい。コマの割りや、ルポなのだが脚色も上手でいい作品になっている。

で、評価に困惑した。よい作品なのである。で、どう評論していいのか、とても困惑した。もちろん、評論なんかしなくたっていい。よい作品だ、で、終わりでもよい。つまり、すでに誰かがきちんとそうした線で評論というか評価を書いているんじゃいか。と、ぐぐったら案の定、はせおやさいさんが「永田カビ「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」読んだ」(参照)を書かれていて、まあ、これに私が何か加えることがあるのかとふと思い、いや、あるんだよねと思った。はせさんへの異論という意味では全然ないが。

概要的にはせさんの文章を借りると。

高校卒業後、鬱と摂食障害に苦しみ、家族や他者との関係に悩んだ筆者が大きな一歩を踏み出すまでの10年を描いた漫画です。もともとはpixivで「女が女とあれこれできるお店へ行った話」として公開され話題になっていたのですが、書籍化ということで、発売日当日に書店へ走りました。

最初に読んだとき、わたしがもっとも心を掴まれたのは、彼女が「レズビアン風俗」というものを探すきっかけになった、「自分は性的なことに興味がない、と思っていたけれど、そうではなかった。無意識にブレーキをかけて、考えないようにしていた。そしてそのブレーキは、母の形をしていた」という部分でした。そして彼女は自分の興味にしたがって風俗店を検索し、行動してみることで世界が広がり、呼吸が楽になった、と書いていたのです。

はせさんの文脈に繋げるわけでもないが、本書の話は概ね、社会的な居場所がなく、承認地獄に落ちたメンヘラこじらせ28歳処女が、あまりにさびしくてレズ風俗に行って、人生観変わった、ふうに受け止めてもいいし、著者としてもそうした文脈を意識して描いているようには思った。

私はどう思ったのか。難しいなあと思ったのである。この難しさをどこから切り出していいかわからないが、これ、「レズ風俗」じゃないだろ、というか、あるいは、「レズ風俗」というのはこういう側面も一面として持っているのかな、というあたりだった。

こういうといいかもしれないけど、カビさんに対応した「レズ風俗」のお姉さんたちは、この手のメンヘラ女性にかなり手慣れているなあと思った。これ、一種のカウンセリングみたいなものなんだろうな、と。

ちょっと話が飛んで古い話なるのだが、1980年代の日本に(オウム事件前だが)自己啓発セミナーが流行ったことがあって、現在の自己啓発セミナーものと違って、米国のエンカウンター・グループテクニックも使われていた。まあ、この話は長くなりがちなので端折ると、そのエンカウンター・グループテクニックのなかで、ハグの訓練というのがあった。見知らぬ人と出会い、対話して、そして手を触れ、ハグ、という人間のコミュニケーションを学ぶというものである。

たぶん、今でもどっかでやっているんじゃないかと思うし、私もこれの経験がある。のだけど、率直にいうとこれのセミナーはおそらく洗脳セミナーみたいなものにもなっているので、なんともお勧めしかねる。

で、本書読んだとき、本書みたいに「レズ風俗」で裸でハグしなくても普通にハグしあえるエンカウンター・グループテクニックのような機会があればそれは、それでメリットもあっただろうかとも思った。

本書はおそらく古典的な精神分析を学んだ人にとっては、なかなか含蓄深い挿話に満ちているのだけど、これは「レズ風俗」という文脈より、女性身体のロールモデルの学習でもある。この手のなんというか、女体触れあいコミニュケーションは比較的どの伝統文化にもあり、むしろ現代日本になくなりつつある。というか、女子体育会系の闇みたいなものにもあるだろうと思う。

そうした点で、これ、「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」(女性)は、「さびしすぎて風俗に行きましたレポ」としての男性、つまり、童貞の物語には微妙にならないのだろうと思った。おそらく決定的に違うわけではない。むしろ、このレズ風俗のお姉さんのようなカウンセリング的なお姉さんがやさしく童貞君に対応する風俗があればよいと思うのだが、まあ、あるんだろうか。あるのかもしれないが、なさそうな気がする。

うーむ。ちょっとここでうなる。

なんだかんだ言っても、「レズ風俗」である意味救われる女性はいるだろうし、普通の風俗で救われる童貞こじらせ君もいるだろう。一定数は居るだろうという以上は言えないだろうが。

いろいろ思う。そのわりにうまくまとまらないな。(お前はどうなんだという部分もあるしなあ。)

本書でいろいろはっと気づかされる話のなかに、レズ風俗後に著者は体験を「美化してしまう」としている。それはある種特殊な批評眼のようなものである。

こういうとなんだが、エロス的な経験は美化してしまってもいい。実際のところ、彼女がそうした美化のなかで唐之杜志恩と六合塚弥生的関係を築いてもいいだろう。

では、そこはそうなるのかというと、よくわからない。あるいはヘテロなエロス関係を持つようになるのかもわからない。いずれにせよ、あと数段のエロス的な自分の存在の受容というのは起きうるだろうし、そういうのが30歳代の課題というのもそうなのかもしれないなと思った。このあたりは、「ナイン・ハーフ」や「ベティー・ブルー」的テーマでもある。


本書の彼女の場合は、というか、この作品「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」の場合はというか、ルポとはいえ、作品としてのある種の形式的な強制性が、物語のなかに「生」を導入させている。そのために、とても爽やかな作品になっているし、存在が「死」に接近するなかでもかろうじて「生」と「世界」に開かせる部分は美しい。

ただ、「性」や「エロス」というものはそう明るいばかりものでもない。そうした漆黒の心性みたいなものを抱えてしまった若い人はどうしたらいいんだろうかなあとも思った。映画なんかだと、「罪物語」とか「愛の嵐」とかふと連想するが。

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