高橋克也容疑者、逮捕
地下鉄サリン事件に関わったとされた高橋克也容疑者が15日逮捕された。その前日のこと、私事だが出先の駅の改札で警官が通行人にビラを配っていた。ああ、あれは高橋克也容疑者逮捕のためのビラだろうと察しがついた。警官は配るべき人を見極めているようでもあったので、彼が配ろうと思えば届くゾーンへ歩いてみた。彼はもちろん、私を見ただろう。高橋克也容疑者と同じ年齢のおっさんなのだから。そして比較的痩身という体型も似ているはずだ。だが彼は私を無視した。おお、そうか。まあ、いいや。そう思って通り過ごしたが、どんなビラを配っているのか、ちょっと気になって、引き返し、それもらえますか、と素直に警官に言った。彼はそっけなく私に渡した。私に不審を抱くふうもなかった。ビラはテレビなどでもこの数日見かける、つまらない代物で、こんなものを配っても意味はないから、退屈な捜査のノルマみたいなものだったのだろう。
その翌日、高橋克也容疑者が逮捕された。知らなかったのだが、前日に逮捕の噂は流れていたらしい。警察としてはそれなりに動向を把握していたのかもしれない。その後、通報者の話をメディアで聞くと、通報しても警察は取り合わず、危うくまた逃すところでもあったという。何が本当なのかよくわからない。逮捕劇の内実もいまひとつわからないところがある。
高橋克也容疑者について私はほとんど知識がない。同い年なんだと思うくらいで、どこの生まれでどこの大学を出たのかも知らない。調べてみると、神奈川県横浜市港北区に生まれ、最寄りの高専を出たあと1979年に電機会社に務めたとのこと。大卒ではなかった。私も中学生のときは高専に行きたいなと思っていたので親近感を感じる。私はたまたま自分が思っているよりも成績がよくて普通科しか進学できなかった。
高橋克也容疑者がオウム真理教の前身、オウム神仙の会に入信したのは1987年のことだったという。29歳。30歳直前。おそらく結婚もせず30歳を迎える男であった。その点も私と同じ。現代だと30歳で未婚というのはなんの不思議もないが、私の世代、女性はクリスマスケーキと呼ばれ、25歳を過ぎると売れ残りとされていた。男性からすると嫁さんが2歳くらい下というのが多く、つまり男性は27歳、28歳には結婚するものだった。私の友だちもそのころばたばたと結婚したので、ふーん、私の番はいつだろうかと思った。なんということはなく30歳を迎えたころ、あれれ、このまま私は独身なんだろうかと思った。高橋克也容疑者もそう思ったのではないか。
高橋克也容疑者は、麻原彰晃教祖(松本智津夫死刑囚)の身辺警護で10歳近く年下の井上嘉浩死刑囚の補佐役となった。世間を離れても出世に取り残されていくタイプの男だが、そのことに違和感も感じてはいなかったのではないか。1995年の公証人役場事務長逮捕監禁致死事件では拉致の実行犯であり、地下鉄サリン事件ではサリン散布役の豊田亨の送迎を務めたらしい。サリン事件ではいかにも下っ端っぽい仕事でもあり、監禁致死事件ではその名前のとおり殺人罪ではなく逮捕監禁致死罪でもある。伝え聞く容疑が固まっても死刑となるものでもないだろう。もし私が彼の境遇なら、刑を換算して世間の空気を察し、さっさと逃走をやめてさっさと刑に服しただろう。いや、そもそも私のようなひねくれた心情の男が、10歳年下の補佐役が務まるわけもない。そもそも麻原教祖への反感もじくじくと秘めていただろう。高橋克也容疑者はそういう私みたいな嫌ったらしさはない男だったということになる。
捕まった高橋克也容疑者の風体は54歳とは思えないほど若々しいものだった。生まれつきの要素もあるだろうが、こりゃ、オウム真理教修行の御利益かもしれないとふと思い、まさかねと思い直して苦笑したが、その後の報道を聞くに、麻原彰晃教祖を今も崇拝し、オウム真理教の修行を続けているらしい。捜査員との雑談では、彼はオウム真理教の呼吸法や禅定などで「修行を積むとパワーがみなぎる」と話しているらしい。留置場では蓮華座も組んでいる。平田信容疑者も長い逃亡生活でマントラを唱えていた。
私も蓮華座を組むことができる。保つのは10分くらい。ヨガの呼吸法も最近はしないが、一通り知っている。高橋克也容疑者がどういう修行をしているかわからないが、蓮華座で行うこととオウム真理教にはそれほど深い修行の体系はないので、ごくそこいら辺のアラフォーおばさんのヨガ教室などで学べる程度のものではないだろうか。それでも、きちんと継続すれば健康効果はあるのだろう。
愚かしいものだなと思う。愚かだからそんなことができるのだろうなと思う。そう思いつつ、自分も平時、あぐらよりも半跏趺坐で座っていることが多く、気がつくと、キリエ・エレイソンとかつぶやいている。そんな自分のことは忘れている。愚かさというのはそういうものである。先日読んだ「詩篇を歌う」(参照)に、修道院の近代化で聖務日課が省略されて病気になる僧侶の話があった。試しに昔通りの厳しい聖務日課に戻して未明から深夜まで定期的にグレゴリアン・チャントとか歌わせる生活にしたら、病が癒えたそうだ。
高橋克也容疑者が逃走生活に入ったのは1995年である。その前年私は沖縄へ出奔した。凡庸なる私には反社会的な意味合いはなく、ただ自分の人生の都合にすぎないが、それでも心の中では、逃げたと言ってもいいだろう。私もそのころ自分の逃亡生活を始めた。そして17年経った。で? いや私は別に逃げ続けたわけではないと心の中で言ってみる。それに今年が転機というわけでもないだろうとも言ってみる。それはそう。でも、どこかにちょっと心に引っかかることはある。そろそろお前も自首するころじゃないのかと誰かが言う。誰だよ。何を自首しろって言んだよ。そう答えても、何か心が晴れるわけではない。
| 固定リンク
「時事」カテゴリの記事
- 歴史が忘れていくもの(2018.07.07)
- 「3Dプリンターわいせつデータをメール頒布」逮捕、雑感(2014.07.15)
- 三浦瑠麗氏の「スリーパーセル」発言をめぐって(2018.02.13)
- 2018年、名護市長選で思ったこと(2018.02.05)
- カトリーヌ・ドヌーヴを含め100人の女性が主張したこと(2018.01.11)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
あんた偉そうなブログですね。何でも発言しても好いとは思えないよ…。
投稿: 人として | 2012.06.18 23:36
「ではでは」になってます。
投稿: | 2012.06.19 07:40
誤表現、ご指摘ありがとうございます。訂正しました。
投稿: finalvent | 2012.06.20 09:28
修行を積む逃亡生活の悟りにワクテカですね
投稿: シーモンキン | 2012.06.24 12:17