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2012.02.21

光市母子殺害事件元少年の死刑

 1999年に起きた山口県光市母子殺害事件で、強姦致死などの罪に問われた元少年の死刑が20日、最高裁で確定した。元少年は犯行当時、死刑が認められる年齢である18歳を超えていたものの、満18歳を1か月超えたばかりで、その点でも死刑が妥当かなどを含め、死刑の基準についても長く議論が続いていた。
 検察は死刑求刑したが、1審の山口地裁は無期懲役とした。地裁判決要旨を引用したい(読売新聞2000/3/22より)。


 主文
 被告人を無期懲役に処する。
 (罪となるべき事実)
 【第一】 被告人は、平成十一年四月十四日午後二時三十分ごろ、山口県光市室積沖田四番の本村洋方において、同人の妻本村弥生(当時二十三歳)を乱暴しようと企てたが、同女が大声を出して激しく抵抗したため、同女を殺害した上で目的を遂げようと決意し、頸部を両手で強く締め付けて殺害、乱暴した。
 【第二】 同日午後三時ごろ、前記方において長女本村夕夏(当時生後十一か月)が激しく泣き続けたため、聞き付けた付近住民が駆け付けるなどして第一の犯行が発覚することを恐れ、泣きやまない同児に激昂して、居間において同児を床に叩きつけるなどした上、首に紐を巻き、締め付けて窒息死させた。
 【第三】 第二記載の日時場所において、本村弥生管理の現金約三百円及び地域振興券約六枚(額面合計約六千円)等在中の財布一個(物品時価合計約一万七千七百円相当)を窃取したものである。
 (量刑の理由)
 一 本件は、被告人が排水検査を装って被害者ら方を訪問し、同所において主婦を乱暴しようとするも、激しい抵抗にあったことから、同女を殺害して乱暴しようと考えて同女を殺害して乱暴した上、その傍らで泣き叫んでいた生後十一か月の乳児を殺害し、右主婦の管理にかかる財布等を窃取したという事案である。
 なお被告人は、当公判廷において、被害者ら方を訪問するまでは乱暴の犯意はなかった旨供述するが、不自然かつ不合理であり採用できない。
 二 被告人は、自己の性欲の赴くままに判示第一の犯行に及び、その傍らで泣き叫んでいた乳児を右犯行の発覚を免れるためなどの理由で判示第二の犯行に及んだものであり、誠に身勝手かつ自己中心的なその犯行動機に酌量の余地は全くない。
 そして、その犯行態様は、極めて冷酷かつ残忍であり、非人間的行為であるといわざるを得ない。また、被告人は犯行後その発覚を遅らせるために、遺体を隠匿したり、罪証隠滅のため自己の指紋の付いた物品を投棄したり、窃取した地域振興券を使用する等犯行後の情状も極めて悪い。
 他方、本件各犯行当時、被害主婦は二十三歳の若さであり、被害児はわずか生後十一か月であり、何らの落ち度もなく、幸福な家庭を築いていた被害者らの無念さは筆舌に尽くし難いものであり、遺族が本件各犯行によって被った悲嘆、怒り、絶望感は察するに余りある。当公判廷において証言した右主婦の夫及び実母がいずれもこぞって峻烈な被害感情を表し、被告人を死刑に処してほしいと強く要求しているのは、至極当然であるところ、これに対し、慰藉の措置は全く講じられていない。
 さらに、本件各犯行は、平日の白昼に集合団地の一室で発生した凄惨な事件であって、マスコミにも「光市母子殺人事件」として大きく取り上げられ、近隣住民に与えた恐怖感や、一般社会に与えた不安感、衝撃は計り知れないものがある。
 三 しかしながら、最高裁判所昭和五十八年七月八日第二小法廷判決が判示したところにしたがって本件を検討すると、被害者らの殺害は事前に周到に計画されたものでなく、被告人には前科がなく犯罪的傾向が顕著であるとはいえず、当時十八歳と三十日の少年であり、内面が未熟でありなお発育過程の途上にある。
 そして、被告人の実母が中学時代に自殺した等その家庭環境が不遇で成育環境において同情すべきものがあり、それが本件各犯行を犯すような性格、行動傾向を形成するについて影響した面が否定できないことに加え、捜査段階において一貫して本件各犯行を認め、当公判廷において示した遺族に対する謝罪の言葉は必ずしも十分なものとはいい難いが、被告人質問や最終陳述の際に被害者らに思いを致し涙を浮かべた様子からすると、一応の反省の情の顕れと評価でき、被告人の中にはなお人間性の一端が残っており、矯正教育による改善更生の可能性がないとはいい難い。
 四 以上によれば、本件は誠に重大悪質な事案ではあるが、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないとまではいえず、被告人に対しては無期懲役をもって、矯正による罪の償いをさせるのが相当である。

 私はこの地裁判決で概ねよいのではないかと考えていた。理由は、死刑の基準となる通称「永山基準」の妥当な解釈だと思われたからだ。地裁判決では「最高裁判所昭和五十八年七月八日第二小法廷判決が判示したところ」とされている部分である。
 永山基準では、1968年、当時19歳の少年が起こしたの連続射殺事件で最高裁が判決で示したもので、(1)犯罪の性質、(2)犯行の動機、(3)犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性、(4)結果の重大性、特に殺害された被害者の数、(5)遺族の被害感情、(6)社会的影響、(7)被告の年齢、(8)前科、(9)犯行後の情状、の9項目を考慮し、やむを得ない場合に死刑が許されるとした。
 「無期懲役」とする地裁判決を高裁も支持し、少年に更生の可能性を指摘した。が、2006年、最高裁は「計画性のなさや少年だったことを理由にした死刑回避は、不当で破棄しなければ著しく正義に反する」として審理を広島高裁に差し戻し、2008年控訴審で死刑判決となり、今回最高裁は上告を棄却して、死刑を確定した。
 ここで疑問を投げかけてみたい。当初の地裁・高裁の「永山基準」の解釈は間違っていたのか、それとも今回「永山基準」が事実上改訂されたのか。
 差し戻し時に最高裁が「少年であることは死刑を回避すべき決定的事情ではない」としていること、また、20日の最高裁第一小法廷が「犯行時少年だったことなどを十分考慮しても、死刑はやむを得ない」(参照)としていることから、「永山基準」は今回事実上改訂されたとしてよいだろう。昨日、日本で死刑の基準が変更されたのである。
 なぜ死刑の基準が変わってしまったのか。
 20日の最高裁第一小法廷では「何ら落ち度のない被害者の命を奪った冷酷・残虐で非人間的な犯行。心からの反省もうかがえず、遺族の被害感情も厳しい」「刑事責任はあまりにも重大で、死刑を是認せざるをえない」とされたが、この言明に日本国民の支持が暗黙裡に織り込まれていると見てよい。残忍非道なら死刑を是認せざるを得ないとする現在の日本国民の意思に、最高裁が法を調節したものだろう。今後こうした刑事事件は裁判員裁判の対象となり、日本国民の死刑についての意思が露出してくるが、それに先回りして調節したものでもあるだろう。
 法がそんな改変をしてもよいものか、というなら、まさにハーバード大学マイケル・サンデル教授がコミュニティの価値観を尊重して「これからの『正義』の話」をしたように、正義とはこうした日本国民の文化・歴史的な価値観の反映になるものである。その点からするなら、コミュニティの価値観から正義が改変されても当然だと言えるだろう。
 私はというと、今回の「永山基準」の改訂は間違っていると思う。死刑は廃止の方向に思索していくべきだからだ。しかし死刑廃止論については今回の判決とは直接関係はないので立ち入らない。
 この事件での、死刑という量刑について考えたいのだが、そこが間違っていると考えている。地裁判決が示した少年法の主旨への配慮は重要だろうと思う。この点で、今回宮川光治裁判官が死刑判決では極めて異例となる反対意見として「死刑判決を破棄し、改めて審理を高裁に差し戻すべきだ」「年齢に比べ精神的成熟度が低く幼い状態だったとうかがわれ、死刑回避の事情に該当し得る」述べたことに賛成したい。
 後は余談に近い。この事件の事実関係の認識において、結果的には残虐非道になったものの、その計画性という点でも私は疑問が残っている。
 法が裁くのは、悪なる意思である。「法という一般意思」が「罰に値する悪なる意思」に向き合うのが裁判である。精神異常者や少年が裁けないのは、そこに意思がないからであり、「悪なる意思」は計画性によって表れる。だが、最高裁の判断では、「計画性のなさや少年だったことを理由にした死刑回避は、不当で破棄しなければ著しく正義に反する」として計画性を重視しなかった。これは間違いだと私は思う。
 今回の裁判でいえば、先に要旨を引用した地裁でも高裁でも、事実関係は争われなかった。おそらく、「永山基準」で無期懲役になるとの弁護側の甘い想定で裁判が進められたためだろう。差し戻しをした最高裁も地裁・高裁の事実関係は確定としていた。
 だが、控訴審では事実関係は審理しなおされ、この時点でいくつか事実関係の問題点が見えてきた。事件の全貌は見えてこなかったが、犯罪の計画性という点では、この事件は「悪なる意思」の表れというより、人間らしい残虐さと偶然性という印象をもった。
 
 

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コメント

死刑で良いと思う一人です。
もちろん死刑が存続される事を望んでいます。

投稿: | 2012.02.21 18:57

> 法が裁くのは、悪なる意思である
刑法に対してどう向き合うかの問題なので、この考え自体に反対するものではないんですが、(とexcuseした上で、)
この考えって行為無価値であって、自明な前提じゃないですよね。

わたしは今の日本って以前より結果無価値側に傾いていると思っていて、
通説も戦後まもなくの行為無価値主流から結果無価値主流に変わっていて、
ついに実務もなのだろうなぁと思ったわけです。

投稿: naruse | 2012.02.21 20:40

法が裁くのは悪なる意思であるってどの条文に書いてあるんですか?学説が色々あるとこなんだからそれを示した上で書いたらどうですか?

投稿: ちーといつ | 2012.02.21 23:56

最高裁の(差戻し判決を含む)判決文も
引用して議論すべきではないか.
それ無しに議論しても単なる感想文に読める.
死刑を気持ちだけで議論するのは
人命に対する冒涜です.

投稿: ちび・むぎ・みみ・はな | 2012.02.22 11:42

>「年齢に比べ精神的成熟度が低く幼い状態だったとうかがわれ、死刑回避の事情に該当し得る」
これは考慮されるべき事柄なのでしょうか?
たしかに虐待されていたのは同情すべき事柄です
ですがそれによって精神的成熟度が低い状態であったかどうかなど他人に判断できるのでしょうか?
これは虐待の程度や個人の持つ耐性によって大きく変わるでしょう
となればどこかで一線を引く必要があります
それが18歳以上であるということなのではないでしょうか
虐待された経験を持つものには当てはまらないというならまた新しい枠組みを決める必要があります
これは裁判官がその時々で判断していい事柄であるようには思えません
なので現状ではある程度の社会的常識を持ち合わせるのならば今の枠組みで裁かれるべきなのではないでしょうか

投稿: 胃もたれで苦しいです | 2012.02.23 03:57

更生の可能性がないのだから、当然死刑でしょう。

当然なのではありませんか。

投稿: enneagram | 2012.02.23 13:58

「死刑相当の悪」なる意思の有無を犯行の計画性だけで判断しようとするのは間違いでは?
大前提として改悛の情が無ければ、永山基準を適用すべきでないと考えます。。

投稿: haribode | 2012.02.23 22:52

命は掛け替えのないものと見なすなら、命は命でしか贖えない。よって死刑は妥当です。

また、昨今の成果主義の横行を反映するならば、裁かれのは悪なる意志ではなく悪なる存在となるでしょう。

投稿: ななし | 2012.02.28 09:55

地裁の判決が妥当なのでは?


という主張をすることに敬意を表したいです。


私は被害者の被害感情の報道の拡大が、大きな影響を判決に与えたと考えます。


また近年、日本の社会が極めて脆弱になっており、寛容の生息できる余地がなくなっているのだと思います。


その社会の脆弱さも判決の厳格化を後押ししました。


判決は社会の安定装置でもあります。


日本の裁判の判決は、規範的であるよりも、遥かに社会の安全弁(ガス抜き)の役割を果たしているようです。

投稿: ボンボン太郎 | 2012.02.29 20:29

貴方のご意見に同感であると供に、それを理路整然とブログに書かれたことに敬意を表します。長らく日本と言う国を離れ民主主義発祥の国、人権擁護完全確立、確定を法の下で(ハーグとロンドン)論証を毎日のように繰り返す中での生活を人生の半分ぐらい続け(ちなみに私は貴方様より数才年下です)ていると、今回ブログで書かれた判例を読ませて頂いた時、はっとしてしまいます。それは今の日本の最高裁の判決が社会のガス抜きであっても、決して規範ではない言う現実に驚き、そして日本は本当に先進国の一員と呼べるのか?と深い疑問が湧き上がります。

投稿: 桃乃 みーちゃん | 2012.03.01 07:45

叩いている人は少年のような生まれの酷い者は
さっさと切り捨ててしまえばいいと
そういう魂胆を持ってる人だと思います。

ここまではっきりと間違いだと言う事。
頑張ってください。

投稿: | 2012.06.03 17:53

このようなケースには必ずしも、専門医の精神鑑定が在るもの。生育歴から遡って何名の専門医の方が高い公費使いされたワケ?疑問は、専門医であったかor素人専門医であったかによりますよね♪

投稿: 蟻んこが一番です | 2012.06.09 22:09

平成11年?法律改正は日進月歩で変わってはいるようですけれど、根底は相変わらず。法律専門家ならずとも関係者以外の同感される意見は内密に願いたいです。メディアに流されて安易に「悪いから極刑せよ」との発言は、発言された方自身が人を殺す=極刑に同意します。危険な発言ではないのかな?

投稿: 蟻んこが一番です | 2012.06.11 09:32

日本が法治国家である事も理解できない人と議論を交わしても無駄ですね。
感情論とハムラビ法典的な、とうの昔に人類が卒業した現代人として普通の感覚がない人と議論をしても時間の無駄です。
この事件は被害者遺族が世論を形成し、被害者遺族の権利を勝ち取る為の戦いにチャレンジし、法廷闘争の場で、判例を覆し、殺人事件遺族を代表して、悪しき因習に打ち勝った美談なのだと思う。
死刑の是非が争点ではなく、加害者が法のもとに保護され、蹂躙された被害者と遺族の人権がマスコミに実名報道され、痛ましい事件の凄惨な内容の記事で世間の好奇の目に晒され、ないがしろにされている現実を訴え、一審を覆し勝訴した事に価値を見出すべき。
ただ、私自身は死刑反対です。現実的に冤罪を防げない現状では、執行後に無罪だったとしても、被疑者は死んでいます。

投稿: YASU | 2014.08.05 00:14

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