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2007.11.10

[書評]ウェブ時代をゆく(梅田望夫)

 「ウェブ時代をゆく(梅田望夫)」(参照)は当初思っていたより重厚で読み応えがあり、また提示されているいくつかのダイコトミー(二分法)が多少錯綜するかにも見えるので、図解的に整理してみたい気分にもなった。が、そうしていると読後の記録を逸しそうになるので、強引だが取りあえず自分の思いの側からエントリを書いておきたい。

cover
ウェブ時代をゆく
いかに働き、いかに学ぶか
 読者対象はIT系志向の30歳から45歳の働き盛りのビジネスマンだろう。彼らに今後進展するウェブ時代の傾向と、どのように働き生き抜くかという課題を提示し、著者の知識と経験から具体的な対処の手法を各種示唆している。いくつかの部分は昨今流行のライフハック的な箇条書きにもまとめられるだろう。
 本書の目論見は、twitterで対象範囲の読者たちの感想を私が散見した範囲では、正面から受け止めている。だが実践面で本書が説く「けものみち」、つまり大企業から離れて職業人として生きていく進路には、さらにきめの細かいノウハウも必要になるだろう。この年代のビジネスマンは、仕事と並行して、恋愛、結婚、出産、育児といった本書のテーマの範囲外の部分の負荷もかなり高くなり、職業的な側面だけに集中はできない。
 本書は書き手の側から想定された読者にはかなりの説得力を持っているが、その圏外から少し離れた読者層についてはどうだろか。圏外といっても30歳未満は捨象し、45歳以上の知的なビジネスマンとウェブ世界に関連が薄い30代のビジネスマンを想定してみたい。というのは、前著「ウェブ進化論」が強い支持を受けたのはこの層に思えるからだ。彼らが本書に期待するのは、今後の産業界や技術進歩の経済的な概観だろう。大きな改革が起きるとしても、それは金銭にしてなんぼ?ということ。ウェブの未来は、何兆円ビジネスで、どのくらい各種ビジネスに影響があるか。
 この問題は導入的に言及されているものの、当面の結論はあっけない印象も与える。ざっと読む限り、現状の延長から見るなら、グーグルに代表されるウェブの世界のビジネスは、広告収入が基本になるだろうという程度の話に終わる。現状の広告市場の世界全体規模は50兆円。近未来の2015年を想定して60から80兆円。内、ネット広告が10兆円程度だろうとしている。
 直接触れてはいないが、この10兆円のパイの大半はグーグル一人勝ちということになりかねない。グーグルはやはり現行の株価に見合った未来を先取りしている企業ということの確認にもなるが、逆に言えばそこで食える他社は想定されにくい。日本については、ヤフーがグーグルより上位に来るという特徴があるものの、それでも量的に見れば日本のネット広告のシェアはたかだか1兆円で、他産業に比べるとお話にならないほど小規模である。とすれば、本書の周辺的な読者にとって、ウェブへの期待自体少なくなるだろうか。
 この問題は、本書では「経済のゲーム」と「知と情報のゲーム」として切り分けられ、経済面での関心が薄れることもある程度想定されている。

 グーグルが何ものなのかをだいたい理解し、影響する経済についての規模観が「広告産業のサブセット」程度だとわかったとき、旧来型メディアの大半は「経済のゲーム」という観点からは興味を失っていくはずである。すでにその兆候は出始めているように思う。しかし、現実には、これから本格的に「知と情報のゲーム」が始まる。

 経済のゲームとしてのウェブ時代はこの程度の規模なのだろうか。この問題視点に私がこだわるのは、本書が精神論的な啓蒙書に終始するのではなく、若いビジネスマンに「けものみち」を説き、ウェブ時代に食っていく戦略を問うなら、「食うこと」イコール経済がもっと大きな規模で必要になるからだ。
 著者自身、先行したかたちでウェブ時代で食うことに成功した実例であり、本書では彼がいかに食ってきたかという手の内も詳しく語られているが、そうした「けものみち」を可能にするインフラとしての「経済のゲーム」の全体像はどうなるのか。本書はその部分の概括が薄いとはいえ、射程が届いていないわけではない。話題の展開上、グーグルに限定されているものの、広告産業としてのウェブ時代に対して、別の側面も想定している。

 「世界中の情報を整理し尽くす」という「存在意義」と表裏一体となった「広告業界の覇権獲得」という「一つ目の顔」がメディア産業を脅かすの対して、「コンピューター産業を作り直す」という「二つ目の顔」が競争を仕掛けるのはマイクロソフトが制しているIT産業の覇権であり、ひいてはIT産業全体の構造を脅かすのである。

 明白に触れられていない部分を勝手に敷衍するなら、ウェブ時代の「経済のゲーム」は、現行のIT産業構造の変化から生み出されうるものだ。
 それはEUによる独占禁止行政がマイクロソフトを変質させることになるように、やや大げさな言い方だが、超国家への人類の模索という大きな原動力に根を持っており、ウェブ時代もその派生の一つであるかもしれない。
 マイクロソフトのような占有的なITビジネスが解体するということは、どのようにその富が分散されるかということになる。その意味で、このマイクロソフトのビジネスモデルを理解しておきたい。それには生成の三つの段階で整理するとわかりやすい。(1) 4KほどのBASICをOEM販売し大企業からカネを得、(2)西和彦の示唆で買い取ったDOSを同様にOEM的に撒くことで実質パーソナルコンピューターという存在に人頭税をかけるモデルを作り上げ、(3)その上で他社ビジネスアプリケーション市場を食い尽くす(ひろゆきがマイクロソフトはオフィスで食っていると耳学問したように)。この三段階で現在のマイクロソフト帝国はできた。いわばこれは国家を閉じるように市場を閉鎖し人頭税のように収益を得る「国家の税モデル」だった。
 IT産業全体の構造変化というより、税的モデルが変化すれば現在の「経済のゲーム」が変わる。あるいは新しい税のモデルが勝利者となる。そうした大きな経済のゲームの変動が、個々人をどう食わせるようになるのか。現状まだその変動までは見えてこない。だがその変化から、食っていける「けものみち」が多様に見えてくるときになれば、多くの人が自然にその道を歩みだすだろうし、本書はその過程でさらに深い意味を持つようになるだろう。
 読後個人的にだが二人の思索家を思った。一人はおそらく著者が知っていて書くのを控えただろう森有正だ。ウェブの世界では好きなことへの没頭があるという文脈で彼はこう語る。

 同じ「好き」といっても、ただただ受動的にネットと付き合い、だらだらと受身で何かをし続けるだけでは、そういう変化は人生に訪れない。石黒やウェールズやクレイグの生活を見ればわかるように、主役たちはおそろしく勤勉である。しかもそれが誰かに「強いられた勤勉」ではなく「内からの促しに従う勤勉」だから強いのだ。

 「内からの促し」は森有正の思想を受けているだろう。たとえば「思索と経験をめぐって」(参照)でこう語られている。

 私どもはかならず内側の促しを持っている。それに応じて私どもには経験というものが提示されてくる。それに名前をつけるために言葉というものが出て来る。さらにその言葉自体が一つの体系を成してくるとそこには思想というものが生まれてくる。思想になった時に始めて、私どもが内側に促しとして持っていたものが、だれもが参与することができる思想というものになる。これが私は人間の一生というもので、彫刻家であろうと芸術家であろうと、あるいは商人であろうと、なんであろうと究極の人生で生きる意味はそれしかない。

 この先に森はある恐ろしいことを語る。

 そういう一種の内的促しによって、私どもは右にも左にも動く。その一番大事なことは、日本という国は昔から内的促しを殺しに殺し続けてきたのです。

 著者の心のなかにこの森の言葉が響きつづけていたと私は確信しているし、人生の収穫を得る時期になって、彼はその内的な証言を具体的に語ってみたかったのだろう。
 もう一人の思想家はマイケル・ポランニである。著者が直感として語る部分は、ポランニのいう「個人的知識(Personal Knowledge)」に隣接している。以下本書の引用の文脈は「群衆の叡智」についての批判である。

 「群衆の叡智」とは、ネット上の混乱が整理されて「整然とした形」で皆の前に顕れるものではなく(いずれウェブのシステムが進化すれば、そいうことも部分的に実現されるだろうが)、「もうひとつの地球」に飛び込んで考え続けた「個」の脳の中に顕れるものなのだ、私はあるとき強くそう直感した。「新しい脳の使い方」の萌芽を実感した瞬間でもあった。ネット空間と「個の脳」が連結したとき、「個」の脳の中に「群衆の叡智」をいかに立ち顕れさせるか。この部分は確実に人間の創造性として最後まで残ってくるところのように思えた。

 別の箇所ではウェブなどのIT技術に一人の人が人生を賭けるとき、道が開けるという話があるが、それこそポランニの言う「個人的知識」を特徴つける関与(commitment)の強い形態だ。
 ポランニは、知識や科学的知見と呼ばれるものが個々人の人格から独立・可換なものとして提示されることに疑問を持ち、知識というものは、人がその内的な直感と経験から「これが正しいに違いない」という関与の賭けが実現してたものと考えた。別の言い方をすれば、科学とはその創造的な生成において個人的かつ人格的な契機を持つ、と。
 著者の直感がすべてポランニ思想に内包されるわけではない。むしろ「群衆の叡智」が「個」に現れるというとき、ポランニのいう暗黙知(tacit knowing)のより明確な経緯が見えつつある。ポランニは探求者の社会(society of explorers)として個とそれを支援する形というか公正な社会制度に理想を見た。しかし、人類を推し進める力は、それを政治制度的な迂回を取らず、グーグル的な技術の手法によって(つまりゲシュテル的な力)、「群衆の叡智」に個が暗黙的に浸される社会を生み出すことになった。あるいは、ネットという空間がそれを可能にした。
 森有正とポランニとグーグル、飛躍の多い三題噺のような話になったが、本書「ウェブ時代をゆく」は、現在の30代以降の若いビジネスマンが、内的な促しによって生きること、食うこと、そしてそのためにネットの叡智のなかに浸り、自分を賭けてみること、そうしたことに直面したときに、その先駆者から強い援助のメッセージになっている。

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