死者を悼むということ
私の父が死んだのは私が三十一歳の時。父は六十二歳だった。早死の部類だなとも思ったが、息子が三十歳を過ぎたのだから死だっていいだろう、自由にさせてやろう、許してやろう、と今では思う。もっと若い日に子どもを残して無情にこの世を去る父親だっているのだ。
死なれてから二十年近く経つ。男なんてものは死んで悲しい生き物でもないと言いたいところだが、残されたものに悲しい思いはある。が、自分の番もそう遠くないなと思うと悲しみは少し薄れる。私の父の人生スパンが私のそれであるなら私は後干支を一巡して人生が終わる。そのくらいでいいかとも思ったり、ちょっと物足りないというか寂しい感じもするし、もうちょっと生きてみたい気もする。幸運にももうちょっと生きられるかもしれない。そもそも五十歳まで生きていると青年期には思ってもみなかったしな。
そんなことを思ったのは、今週6・13ニューズウィーク日本語版の投稿コラム「遺族を傷つけるお悔やみの手紙(The Art of The Condolence)」を読んでしばし物思いにふけったからだ。筆者ヒンズという二十六歳の米人女性は昨年その父を亡くした。父親は五十八歳だったとのこと。彼女はお悔やみの言葉をいろいろ貰ったが、元気づけようとする言葉がかえってつらかったようだ。
アメリカ社会は、家族を亡くした人への礼儀を考え直したほうがいい。最近とくに、遺族に元気を出すようせかす風潮が強い。他人が苦しむ様子を見るのは楽しくないからだろうが、どうか気がすむまで悲しませてほしい。
日本社会とアメリカ社会は違うが、なんとなく似たようなものを感じる。元気づけさせることがよいわけはない。
コラムでは彼女は大学で英語を教えているとある。米国人にとっての英語とはただの国語だろう。その文脈で、お悔やみの手紙の基本ルールを紹介している。ライフハックなんてことでは済まされない、とても重要なことに思えた。なんどか読み返した。次の五点だ。
- 書き出しは率直かつシンプルに。「謹んでお悔やみを申し上げます」など。
- どういう気持ちで過ごすべきだと指示せず、相手の気持ちを尋ねよう。
- 「どんなにおつらいか想像もできません」という表現は避けよう。「気が重いので想像したくない」と言われているようだ。
- 悲しみを乗り越える方法をアドバイスしない。気分転換にパーティに行く人もいれば、暗い部屋に閉じこもりたい人もいる。時間の経過によって、気分が変わることもある。
- どうしても明るいことを書きたいなら、遺族の顔が思わずほころぶような故人の楽しい思い出を書いてあげよう。
書き写して、これってまさに国語の学習の基本のようにも思えた。だがそういう授業は現実の教育で、国語としては教えられていないのだろう。そういうものだろう。
彼女は、こうも言う。ここでちょっと気になることが私にはある。
遺族を支える方法については、私たちは象を見習うべきだと思う。象は仲間の死を集団で悼む。鼻をからませ合って、近しい者を失った象を慰めるのだ。
本当に象がそうするのか私は知らない。気になったのはそのことではなく、私は死を悼むというとき、私が誰かの死を密かに悼むことはできても、仲間と悼むことはできそうにないということだ。だが、およそ死を悼むとは、仲間で悼むことではないのか。
であれば、どうやって? そして仲間とは?
おそらく日本社会も最初の戦後世代が死に始めてその問題に直面し、それゆえに「千の風になって(新井満)」(参照)なども話題になるのだろう。些細なことだが「1000の風―あとに残された人へ(南風椎)」(参照)のほうがいいかもしれない。そういえば最近死者のためのオイリュトミーの話も聞いた。
死者をどう悼み、その悼む仲間はどのようにあるのか。その模索が日本で始まったのだろうと思う。
追悼と言えば、ちょうど今日、元台湾総統(大統領)李登輝が靖国神社を参拝したがその思いにもいろいろ心惹かれた。が、そこも難しい問題だ。基本的には李登輝の「私」の信仰の内部の問題であって、この私の問題ではありえない。問われるとすれば、李登輝と私は死者を介してどのように仲間でありうるのだろうかということだ。
話を少し飛躍させる。死の悲しみをそれなりに受け止めるにはたぶん長い時間がかかる。というところで私は恋愛や失恋も似たようにその受け止めに時間のかかるものではないかと思う。情報の速度は高速化するが人間が生きていく基本の感情みたいなのにはそれなりの時間とか孤独とかが依然必要なのだろう。
いや恋愛とか失恋からの立ち直りに時間がかかるなんていう認識は私が老いたということかもしれない。このエントリのはてなブックマークにだって「本人も爺の自覚をしているようす」とか書かれるのかもしれないしな。
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コメント
死しても"無""0"になった訳ではないということを表現すること、ではないでしょうか(思い出とか心の中とか)。
自殺した彼の葬儀の後、同級生が居酒屋に集まり居酒屋には不似合いなワイングラスに彼の分のワインを注ぎ(皆もそれぞれ)、遅れてきた人はグラスを彼のものに合わせるよう促される。帰り際はその中でも最も親しかった人が彼のワインを飲み干しました(「うさんでー」です)。
そういう経験を最近したことがあります。
投稿: uyabin | 2007.06.07 18:25
かーちゃんの話って、弁当さんした事あったっけ?
生きとう?それとも不躾だけど父子家庭だったん?
>立ち直りに時間がかかる
当然だと思うけど。というか覆水盆に還らずでしょ。
自分はそう。
投稿: トリル | 2007.06.07 22:38
>人間が生きていく基本の感情みたいなのにはそれなりの時間とか孤独とかが依然必要なのだろう
これはほんとに、そうだと思います。人の身体性に深く関係している感情は、時間(や孤独)によってしか決着されない。死者のためのオイリュトミー、というのがすごく示唆的に感じられます。その背景にあるシュタイナーの思想とも合わせて。
私も最近、15年ほど前に亡くした祖父のことを思い出すことが多くなりました。悼みの感覚とはちょっと違うのかもしれませんが。それまでは「私は祖父を覚えている」ぐらいにしか感じていなかったのですが、最近になって少しずつ祖父から私へと連なる歴史を紐解くことができるようになった、という感じです。しかしそうすると、私と浅からず関わり合いを持ちながらも、いまだに私に思い出されることのない故人たちというのは、いったい何なのでしょうか。デリケートな部分とそうでない部分が、まだ頭の中で交錯しているようにも思えます。
投稿: rebe2r | 2007.06.07 22:56
前に、お兄さんを失った妹さんを元気付けようと声を掛けたことがありました。
その後、自分が親しい人を亡くしたとき、別の人から無神経な励ましの言葉を貰って、大変つらい思いをしました。
そして気づきました。私は一体彼女に何をしてしまったのかと。
あんな無神経なことを、よく言えたもんだと。今でも悔やんでも悔やみきれません。
投稿: | 2007.06.08 15:19
50年も昔に読んだ福田恒存の「人間・この劇的なるもの」を思い出した。
多くの人間は自分で悲しみを表現する方法を持たない。
そこで葬式という儀式が考え出された。
凡人は葬式に参加して儀式通りに演技することで悲しみを表現し昇華させる。
そんな意味合いだったと思う。
投稿: 黒潮丸 | 2007.06.10 19:31